6.酒は飲めども飲まれるな

「大好きです!」
「私だって大好きですよ!」

愛情溢れる言葉とは裏腹に、互いの想いを告白しあった二人は、互いの瞳をじっと睨みつけ、一歩も譲らず、険しい表情で睨み合っていた。
さながら一騎打ちの間合い取りの様。
セイは既に瞳に涙を溜め、口をへの字に曲げ、ぐっと睨みつけている。
総司は既に目を据わらせ、全身から黒い瘴気が見えるのではないかと言うほどの殺気を放っていた。
そんな言葉と行動が噛み合わない二人をある一定範囲の距離を置いて円を作るように離れていた隊士たちは、一触即発の二人から目を逸らす事もその場から去ることも出来ずにじっと見張っていた。
本当の理由。
総司の殺気に指一つでも動かそうものなら瞬殺されそうだったから。
情け無い話ではあるが、それも立派な理由のひとつ。
未だ微動だにせず、睨み合う二人の足元には幾つもの徳利が転がっていた。

事の始まりは、久し振りに開かれる宴会だった。
西本願寺に屯所を移してから、流石に壬生の屯所のように自由に気侭に過ごす事も難しく、敵に何時急襲されるかと気を張る日々が続く。
新入隊士も増え、新選組は大規模な組織へと変化し始めている。大きな組織になればなる程問題になるのが人間関係。中には反乱分子や間者が入ってくる可能性は十分にある。
今までとは組のあり方も変化を始め、心落ち着く余裕は次第に無くなっていった。
勿論それは一平隊士にはあまり関わりの無い部分もあったが。
そんなギスギスした締め付けられるような毎日にだって、いつかは歪みが生じ始める。
今は無いかもしれないが、やがて大きな形で。
そこで、近藤は一つの案を持ち出した。
『宴会をやろう』と。
其々の胸の内にギスギスとしたものは心に棘を刺す。
一度解放する為にも、飲み明かそう。と。
そうして局長直々の無礼講に、隊士たちは勿論盛り上がり、賛同したのだった。
「あ。そこの酒は西の離れに持っていってください!あ、それはこちらです!そこ!勝手に料理に触らない!」
「神谷君。いつもの事ながら見事な采配だね」
「局長!?」
引っ切り無しに指示を出し続けていたセイに突然背後から声が掛かり、びくりと驚いて振り返ると、にこやかな笑みを浮かべて近藤が立っていた。
「恐れ入ります」
セイは姿勢を正すと、深く頭を垂れる。
宴会をやると言うことで隊士たちがそれぞれ準備に取り掛かっていたが、セイも例に漏れず加わり、気がついたらいつのまにか準備の采配を振るう中心人物になっていた。
「それしか取柄が無いからな」
下げる頭の上から続けられる小馬鹿にしたような嘲笑交じりの言葉に、セイはぴくりと反応し、顔を上げる。
そこには彼女の想像した通りの男、土方が立っていた。
「この忙しい時にのんびりと句作をしていられる程、人間出来ておりませんから」
「っ!…なろぉ…」
米神に筋を浮かべ、土方はセイの頭をぐりぐりと力任せに撫で回す。
「よーし!よくできたな!ご褒美だ!」
「いたっ!痛いっ!副長!これの何処がご褒美ですか!」
ぐりんぐりんと撫でられる度に、セイの頭は上下に激しく揺すられる。
「俺の愛情表現だ!受け取っとけ!」
「これの何処がですか!」
止めさせようと土方の手首を掴むが、両手で抑えても彼の力にセイは敵わず、頭を上下に揺らされ続けた。
「まぁまぁまぁ」
近藤は笑いながら二人を止める。
その横にすっと一人の隊士が近付いた。
「……あの、申し訳ありません」
「何だ?」
申し訳無さそうに頭を下げ、セイをちらちら見る隊士に、土方は首を傾げる。
「神谷をお借りしても良いでしょうか?……彼がいないと準備が進まないので」
その言葉に近藤は大笑いし、土方は目を丸くする。そして、「ちっ。しゃーねーな」と呟くと、頭を激しく上下に揺すられ半分酔っていたセイの頭から手を離した。
「神谷君は人気者だな。すまなかった。連れて行ってやってくれ。彼がいないと宴会が始まらないのじゃ困るからな」
笑って近藤はセイの頭をぐりぐりなでると、背中をぽんと押して、隊士の元へ送る。
「失礼します」
未だ酔った頭を深く下げると、セイは隊士と共にその場を離れた。
「大丈夫か?」
「うん……。副長、思いっきり手加減無しに揺らすんだもん。あー酔った」
隊士の言葉に答えながらも、揺らされすぎたせいか平衡感覚が上手く取れず、真っ直ぐ歩こうにもセイがよたよたと右に足取りが流れていく。
「ああ。もう。大丈夫じゃないだろ」
よろけるセイの腕を引っ張り、真っ直ぐの姿勢に戻しながら、隊士は溜息を吐く。
ふと、隊士はセイの体を自分の体に寄せると、彼女の腰に手を回した。
「これで真っ直ぐ歩けるだろ」
「ありがとうございます」
照れながら言う彼に、セイもつられて赤くなり、笑って礼を言った。
「神谷。これからどうするんだー!?」
また別の隊士が二人の元に駆け寄ってくる。それを皮切りに既にセイに与えられていた仕事を終えた隊士たちが藁々と集まってくる。
いつの間にか一つの輪になっていた彼らは、其々があと宴の準備に何が必要か提案し、其々仕事を分担するとまた一目散に去っていった。
「じゃあ、俺たちが部屋を準備するから……」
「だったら外の警備はこの時間やるぞ」
「こっちにもあと二、三人人手が欲しいんだが」
「これも必要か」
宴会の準備は大変である。自分たち平隊士たちの為に開いてくれるとは言え、幹部を持て成さなくてはならないし、準備は結局自分たちで行わなくてはならない。
少人数だった頃なら、まだこんなに苦労はしなかったのだが、今では大所帯となっている新選組。用意する料理も酒の量も尋常ではない。
けれど、宴までの準備が着々と進むに連れて、楽しみが大きくなる。その独特の高揚感がセイは好きだった。
「あ。いっけねー。材料買い足すの忘れてた」
相談している中で、一人の隊士が声を上げる。
「ああ。それなら私が行ってきますよ。丁度行かなきゃならない所もあったし」
声を上げる隊士にセイは思い出したように提案する。
「沖田先生の為の菓子だろ」
「なっ……」
別の隊士がすかさず突っ込みを入れると、途端、セイは顔を真っ赤にする。
「何で分かったんですか!?」
図星を言い当てられ、声にはっきり動揺を混ぜながら、セイはわたわたと突っ込みを入れた隊士を見る。
そんなのちょっと想像すれば分かるだろう。と、赤くなるセイを何て可愛いんだと思いながらもその仕草がある人物一人に向けられているかと思うと涙ぐむ隊士一同。
彼らの心中など全く知らない彼女はもじもじと指を合わせながら、必死に言い繕うとする。
「……だって、宴会じゃないですか……。だったら沖田先生お菓子一杯食べるじゃないですか。いっつも私が食べようと思ってもすぐ無くなるし……」
言い訳をしているが、要は少しでも多くの美味しい菓子を自分で買ってあげて、総司を喜ばせたいと言う事だろう。
あんなに野暮天なのに。
羨まし過ぎます沖田先生。
誰もが同じ事を思いながらも、決して口には出さぬ彼ら。
「じゃあ、上手い菓子を沢山買ってこいよ。そのついでに材料を買ってきてくれるとありがたい」
セイ本人はぽわぽわと女子のように可愛らしく温かい雰囲気を出しているが、それを何時までも見ているのも居た堪れない。
声を上げた隊士は話を戻すと、金を手渡し、セイの背中を押した。
その行動にセイはきょとんとしながらも、「行ってきます」と笑ってその場を去って言った。

隊士に言われていた材料を買出し、セイはぶらぶらと四条まで来ていた。
(あの店の和菓子美味しいんだよなぁ。あ、でもその二軒先の大福屋も捨てがたいし)
まだ昼間と言うこともあり、通りには人も多い。様々な物、食べ物が並び、食事処では午後の仕事の一休憩にと甘味を食する客で賑わっている。
美味しそうに菓子を食べている人々を見ながら喉を鳴らしながらも、セイは菓子屋を眺めていく。
(いっそ沖田先生を連れて来れば良かったかな)
驚かす楽しみも捨て難いけど、そうしたら彼が一番食べたい物を選ぶ事が出来るし。
当の本人は今頃屯所で昼寝中だろう。いつもなら相手になるセイが宴の準備の為忙しくているから、先程土方の部屋に遊びに行った姿を見ている。
彼のあどけない寝顔を思い出すと、自然と笑みが零れた。
通り過ぎる人の波から、ふと、ある茶屋に目が止まる。
よく見知った人物。
黒の羽織を身に纏った、人並みの中で背の高い、少し黒い肌をした武士。
(沖田先生?)
そう思って、自然と向かう足がぴたりと止まる。
茶屋の奥から、恐らくセイと変わらないだろう年頃の女子が現れて、総司に笑いかけている。
総司も彼女を見つめ、つられるように笑う。
その頬はほんのりと赤い。
それはまるで--。
言葉にする事無く、思考をそこで中断させると、セイはくるりと踵を返した。
足元だけを見つめながら、ざくざくと人ごみを掻き分け、先へ進む。
隊士に頼まれた材料が酷く重く感じた。
セイが総司の行動に胸を痛める権利は無い。
ましてや彼を問い詰める権利などある訳が無い。
ただの上司と配下にしか過ぎないのだから。
自分は武士なのだから。
それでも心は悲鳴を上げていた。
彼を慕う、彼女の中の女子が激しく悋気している。
その方は誰ですか?
先生の好きな人ですか?
私は。
私は、先生にとって。
(どんな存在である事を望むのだろう)
総司が自分ではない他の女子と話していた。
自分は女子として見られていないし、女子として見られる事を拒否したのは自分だけれど。
たったこれだけの事に。
これ程までにも胸が苦しくなる。
けれど、自分に問いかける応えは、彼女の中ではっきりとした形を成さなかった。

夜の帳も落ち、星が空を埋め尽くし始める頃、地上の火が、灯り始める。
赤く燃え上がる火が地上の太陽となり、夜の闇を寄せ付ける事をしない。
人は賑わい、酒と食事に、一時の祭りを得る。
屯所は周囲の闇の中で一際赤く光を放っていた。
其々が食事に舌鼓を打ち、ある者は酒を浴びるように飲む。ある者は芸を披露し、様々な嘲笑と野次に更に盛り上がった。
セイは彼女と同じ隊の平隊士と一緒に飲み、盛り上がっていた。
いつもなら真っ先に総司の元へ駆け寄っていただろうが、そんな気分ではなかった。
上辺だけ笑っていても心の中は黒い靄がぐるぐると彼女の心を占めている。
人の心に敏感な総司がそれを見逃すはずが無いだろうし、セイ自身も彼を目の前にして笑える自信が無かった。
今もセイが無理して笑っているのに気付いているのかもしれないし、気付いていないのかもしれない。それでも何も聞かないで笑いかけてくれる仲間たちがセイにとって心強かった。
彼女の中で答えの出ているはずの答えの無い靄を誰かに悟られるのは嫌だったから。
自然、セイの酒を呑む速度は速くなり、少しでも己の中で疼く靄を濁して、薄めようと飲み進めていた。
「お…おい。神谷、飲むの早過ぎないか?」
流石にただの水の如くがばがばと酒を浴びるように飲むセイを見て、同じ輪に混ざっていた山口が心配そうに声を掛ける。が、セイはその言葉に一瞬むっとした顔をしたが、すぐに笑顔になり、にゃははと笑い出す。
「そーんなことないですよー。いっつも一杯飲んでるじゃないですかぁ」
そう言うと、ぱたぱたと手を振って、また手元にある酒をぐびぐびと飲み干す。
「おおっ。いい飲みっぷり!神谷もたまには嫌になる位飲んじまえよ!いつも頑張ってるんだから!」
そう言って他の隊士が煽ってみせるが、山口はハラハラするばかり。
セイはというと、その言葉に感極まった様子で、「そんな優しい言葉……ありがとうございます!」と、ぼろぼろと涙を零して喜び、また注がれる酒をぐびぐびと飲み干す。
幾ら飲めども飲めどもセイの中の黒い靄は薄まることが無い。
何故笑っているのにこんなにも胸は痛いのだろう。
酒に酔い、気持ちよく笑っている自分を、少し離れたところでもう一人の自分が冷静に見つめる。
笑って手をぱたぱた振り回しているところで、ふと包みに手が触れる。
結局茶屋で総司を見かけた後、ぶらぶらとそのまま通りを目的無しに歩き、気がついたら小さな路地で見つけた新しい茶屋で買った和菓子を手に持っていた。
落ち込んでも尚、総司を思って菓子を買う自分が酷く滑稽で、それでも彼が好きなのだと変わらない心のままの自分が情けなかった。
どうせ総司に食べさせる気にもなれないのだし、自分で食べる気も無いのだし。
他愛も無い話で盛り上がる中、笑い話に乗じて菓子も出してしまえばいい。
そう思い付いて、セイは包みの中から菓子を取り出した。
「もし宜しければ、これも皆さんで如何ですか?」
セイは色とりどりの和菓子を取り出すと、隊士たちはその菓子の鮮やかさに目を見張る。
「今日四条を歩いていたら、新しい店を見つけたんですよ。凄く綺麗ですよね。私も味見させてもらったんですけど、すっごく美味しいですよ!」
にこにこ笑って言うセイに、相田が心配そうに表情を曇らせる。
「沖田先生と喧嘩したのか?」
「いえ、全然。今日、私たち頑張ったじゃないですか。だから、自分たちへのご褒美だと思って買ってきちゃったんですよ」
心の奥は決して見せず、笑顔を見せながら答えるセイ。
その言葉に感極まって、相田含む一番隊士の『こっそり沖田神谷を見守る会』の会員以外は、菓子に手を出し、取ろうとする。
伸びる手の間を抜けて、一際早く伸びた手が菓子を包んでいた袋ごと取り上げた。
「初めて見るお菓子です。何処のですか?」
セイが最も慣れ親しんだ、それでいて誰よりも愛しく思う声が、彼女の背後から聞こえてきて、ずきりと胸が痛んだのと同時に、背中に重いものが圧し掛かる。
「沖田先生」
相田が驚いて目を見開く。
セイの背中から圧し掛かり、総司は菓子の包みを手にしていたのだ。
「ずるいですよぉ、神谷さん。此処の皆さんだけに振舞って。私だって食べたいですよぉ」
総司の頬がセイの耳に触れて、声と共に漏れる息に擽った差を感じ、彼女は思わず頬を染めるが、彼の呂律の回らなさ具合に、はっと顔を上げると振り返る。
「先生!お酒飲みすぎです!」
叫んだ後、予想以上に近かった総司の顔に、セイは思わず後退る。
「え~~。そう言う神谷さんだって呂律回ってませんよぉ。それに顔だって真っ赤だしぃ」
(それはあんたのせいだっ!)
一瞬叫んでしまいそうになる言葉をぐっと飲み込んで、セイは赤くなって俯く。
「おいしいですねぇ。この菓子。何処で買ったんですか?」
「……四条の小路です……」
皆で食べてしまおうと思っていた菓子を総司が一人ぱくぱくと食べていく。物欲しそうに見ている周りの隊士たちには目もくれない。
どうして折角忘れようとしていた事を、彼は態々思い出させようとするのか。彼の事だから他意はないのだろうけれど、昼間見た光景が頭の中に浮かび、セイの胸をちくりと刺す。
「どうして神谷さん、今日はこっちで飲まなかったんですかぁ?待ってたのにぃ」
ずるい。
どうしてそんな嬉しい言葉をくれるのだ。
女子のように、彼と会っていた女子に悋気しているというのに。
「同志と飲んでもいいじゃないですか。本来のあるべき姿はこうですよ」
思わず出た皮肉に、セイは自分自身でも驚いていたが、こんなことで総司が傷つくはずも無いと、プイっとそっぽを向いた。
菓子を食べていた総司の手がぴたりと止まる。
「あるべき姿って何ですか。神谷さんはいつも私と一緒にいるじゃないですか。どうして今更そんな事を言ってるんですか」
「今まで先生のお傍をうろうろして立場を弁えない行動をしていたって事に気がついたんです!」
酔った勢いだろう、すらすらと言葉出てくる。本当は自分でもそう思っていたのかと、セイは口から衝いて出る言葉に改めて自分の立場を自覚させられて悲しくなる。
「だから今度からは皆さんと一緒にいるという訳ですか……」
低くなった総司の声に、自己嫌悪と苛立ちで一杯のセイは気付かない。
一方で周囲にいた隊士たちは総司の変化に気が付き、ずささっと後退る。
「そうです。だから沖田先生も、原田先生たちと飲めば良いじゃないですか」
「お…おい。神谷……」
総司の変化に気が付き、隊士がセイの次々に出る言葉を止めようと手を差し出し、彼女の腕を掴もうとするが、その伸ばす手にじりじりとえもいわれぬ痛みが走る。恐る恐る刺さる痛みの方向を見ると、総司の視線とぶつかる。
どっと流れる冷や汗に身震いしながら、隊士は差し出した手をさっと引いた。
それを無表情で見ながら、総司は再びセイに視線を向ける。
「……私が誰と飲もうと勝手じゃないですか。折角久し振りの宴会だから神谷さんと飲めるって楽しみにしていたのに…」
総司の言葉にセイの心臓がどきんと跳ねる。
「神谷さん、いっつも美味しいお菓子を買ってきてくれるから、うきうきして待っていたのに!酷いです!しかも一人で新しい菓子屋まで見つけて!独り占めする気でしょう!」
捲くし立てて続ける台詞に、隊士一同「ん?」と首を傾げる。
「先生だって茶屋にいたじゃないですか!楽しそうに!」
返すセイの言葉に、隊士たちは更に「んん?」と首を傾げる。
「そんなの貴方のせいじゃないですか!貴方宴会の準備でずっといないし、なのに他の隊士たちとは楽しそうに話をしてるし!あーんなに体って密着させて!私だけにべったりじゃなかったんですか!だから私だって仕方が無いって一人で茶屋に行ったんですよ!」
……話がずれてきています。そして食い違っています。口論する内容が。
そんな周囲の心のツッコミなど露知らず、口論は白熱していく。
「茶屋のお姉さんと楽しそうに話していたじゃないですか!でれでれしゃった顔して!私が……先生を喜ばせたいと思って一生懸命美味しいお菓子を選んでいたのに……先生なんかずっとあのお姉さんとお菓子でも食べてぶくぶく太っちゃえばいいんです!」
「あれは貴方がどんなお菓子買ってくるかわくわくしてるって話をしていたんですよ!いつも神谷さん、私を喜ばせるの上手だからって!そうしたら『想われてるんですね』なんて言うから照れてしまっただけです!」
とんでもない内容にセイはかぁっと赤くなるが、今度は言われた内容が己の気持ちを見透かされているのではと恥ずかしくなり、慌てて反論する。
「想ってなんかいません!」
ムキになって言い返すセイに、総司はむっと顔を顰める。
(どうしてそこで素直に言えないんだー)
凍り付いていく空気に隊士たちはあわあわと動揺するのみ。
「……想ってます!」
何を根拠にセイの気持ちを断言できるのか、はっきり言う総司に、今度はセイがむっとなり、「想ってません!」と言い返す。
「そんなはずありません!」
「何で断言できるんですか!」
「私は神谷さんが大好きだからです!」
おおーっと周囲から歓声が上がったような上がらないような、隊士たちの声を遠くに聞きながら、セイは顔を真っ赤にする。
本当の気持ちは既に隊士たちにはばればれである。それでもまた気持ちとは逆に反抗心から反論するのかと、次に出る言葉を二人を見守る一同期待する。
セイが口を開いた。
「私だって大好きです!」
---酒の席ではえてして会話は噛み合わないものである。

何故一大告白を想い人同士互いに睨み合ってしなければならないのだろうか。
「大好きなんです!」
「私だって大好きですよ!」
「私の方が神谷さんの事大好きです!」
「先生の大好きなんか、好き~?で大好きじゃないです!私の方が先生の事大好きです!」
互いに一歩も引かず、口論をし合う二人。
何故相思相愛の二人が、互いをどれだけ想っているのかを言い合い、いがみ合う必要があるのか。
逆に見ている方が居た堪れない気持ちになってくる。だからと言って、今にも取っ組み合いを始めそうなくらいに殺気立つ空気に腰が抜けて動けない…もとい、今目を離したら何をしでかすか分からないから怖い。
「先生なんて…先生なんて…どうせ甥っ子か姪っ子を好きな好きでしょっ!私の持ってる好きとは全然違うんです!」
「好きに種類なんて無いでしょ!神谷さんが好きなんだから好きなんです!」
「違います!好きだけど好きじゃないんです!」
「どうして貴方が決めるんですか!私が好きだっていってるのに!」
「決まってます!」
「貴方だって本当は私の事好きじゃないんでしょ!そうでしょ!だからそんな事言うんだ!」
「私が先生の事好きじゃないはずないでしょ!先生の好きなんかよりずっと大きいんだから!」
「私の方が神谷さんの事が好きに決まってます!」
「だから。それは好きだけど、好きの気持ちじゃないんです!もういいです!先生なんかに分かるはずないんです!沖田先生なんか大っ嫌いっ!」
喉の奥から声を出して、これでもかという位の大声で、言い切ると、セイは既に息が切れかかっている肺に空気を集めるように頻りに呼吸を繰り返す。
睨み合ったままかと思われたが、セイは突然顔をくしゃくしゃにし、瞳に涙を浮かべると、大泣きし始めた。
「ふぇ…うわぁぁぁぁぁぁん」
子どもの癇癪の様に声を上げて泣きながら、セイは零れてくる涙を懸命に着物の裾で拭う。
突然のセイの豹変振りに、周囲の隊士は動揺し、どよどよとざわめきが上がる。
ずっと無言のままだった総司は今まで微動だにしなかった体を動かすと、目にも留まらぬ速さで泣き続けるセイを肩に担ぎ上げた。
「やっ!ですっ!降ろしてくださいっ!」
酔いは既に回り、混乱した頭でセイは総司から逃れようと激しく手足をばたつかせるが、しっかりと捕まれ逃れられない。
意図の見えない行動にセイは不安になると、総司の突然の行動に一度は止まった涙がまた溢れ出し、総司の肩の上で泣き始めた。
総司はそれを気にしていないのか、すたすたとセイを担ぎながら隊士たちの円の中から離れていった。
(付いて行きたい……)
この後の二人が見たい。
そう誰もが思ったが、殺気立った総司の付いて来るな空気に圧倒され、その場に留まざるを得なかった。
子どものようなセイの泣き声だけが何処までも耳に残った。

すっかり総司の着物をしわくしゃに握り締め、涙でぐしょぐしょに濡らし、今も泣き続けるセイを担ぎながら、宴会の声が届かない場所まで来ると、近くの部屋に入り、後ろ手に閉めた障子を背に総司は座り込む。
月の光が障子から仄かに漏れ、灯りの無い薄暗い部屋を僅かに照らす。
何も無い部屋。
普段は物置として使われているらしく、予備の布団が積み重ねられていた。
ぐずぐずとまだ愚図り続けるセイを肩から下ろして、胸に抱き込む。
「うーーーっ」
セイは間近になった総司の胸元に手を当てると、逃れようと肘を伸ばして抵抗する。
しかし総司はそんなささやかな抵抗さえ物ともせず、苦笑すると、逆にぎゅっと抱き込み、セイの耳元に己の唇を寄せる。
「ひゃあっ!」
耳元すぐに総司の呼吸と、触れるか触れないかの温度を感じて、恥ずかしいやらくすぐったいやらで反射的に身を縮ま込ませる。
そんなセイの反応さえ面白いと思うのか、総司は笑うと、そっと囁く。
「神谷さんは私の事嫌いなんですか?」
「!?」
暖かな吐息と熱を含んだ声に、セイは全身茹蛸のように真っ赤になると、ただただ耳に触れそうな総司の唇から逃れようと身を硬くして小さく小さくなる。
「神谷さん?」
底抜けに優しい声で名を呼ぶ。それだけでくらくらしてまともな思考を保てないと言うのに、声は彼女の答えを求めている。
「……です…」
この呪縛から逃れないのなら、少しでも早く解放されようと身を小さくし、酒で乾き張り付く喉から微かながらも声を出す。
「んーーー?」
もっと大きな声ではっきり言う事を強請るように、総司はセイの首元に己の頬を寄せる。
くすぐったさとざわざわした感覚にセイは背筋をぴんと伸ばしたい衝動に駆られるが、為されるがままに反応するのが恥ずかしいような気がして、自分を抑えると、このまま流されるのが悔しくて、勇気を奮い起こして、ばっと顔を上げる。
突然の行動に総司は虚を突かれたらしく、目を丸くすると、すぐにまた笑みを浮かべた。それがまた彼が余裕を見せているようで悔しく、セイはそのまま総司の首に捕まると、ぎゅっと強く抱きついた。
「大好きです」
抱きつく、その一瞬の内の告白。
放れる体から、セイの小刻みに震える心音がそのまま総司の体に伝わってくる。
それが無性に嬉しくてならなくて、総司は抱きついてきた熱を惰性に任せ受け止め、背後にあった布団の山にそのままぽすんと体を横たえる。
セイからしてみれば、それがまるで自分が彼を押し倒したように、彼の上に覆い被さっている事に気が付き、慌てて体を離そうとするが、いつの間にか腰に回されていた手が体を引き離す事を許さず、更に背中に巻きついてきた手が、セイを総司の胸元へ更に強く押し付けて、頬を紅潮させる。
「せっんせぇ……?」
「はいー?」
「ちょっ…と、この体勢はぁ…」
「一緒に寝ましょー」
「えぇぇぇぇっ!?」
驚くセイを余所に、総司はセイを己の横に同じ様に布団の上に転がすと、ぎゅっと包み込むように抱き締め、安心したように目を閉じた。
離れようと意識は辛うじて働いていたが、セイもその総司の甘えるような行動と、包み込まれる安心感と、程好い酒の酔いに身を任せ、目を閉じた。

ピピピと雀が囀る朝。
まだ夜の冷たくそれでいて清涼な空気の中、障子からぼんやりと差し込んでくる朝日にセイの意識はゆるゆると目覚め始める。
いつのまにか掛けられた布団から顔を出して起き上がると、肌寒さを感じ、身震いをする。
と、己の姿を見て、セイは息を止めた。
「!?」
着物が乱れていて、帯もしておらず、肩に掛けられる程度で殆ど役割を離していないと言っても過言ではない。しかも鎖も着込んでいなければ、晒しも付けていない。
セイは慌てて前を隠す為に袷を抑える。
どうしてこんな無防備な格好をして自分は眠っていたのだろう。
誰にも見られていないだろうかと不安になり、初めて周囲に意識を向けると、自分の腰の辺りから人の呼吸が聞こえ、びくりと体を震わす。
見たくない。見たくは無いが、このまま逃げ出すわけにも行かない。
脅える心と高鳴る動悸を抑えながら、己の腰の位置にある人の顔を見下ろす。
「せっ!?」
その後は言葉にならなかった。
目を向けると、そこには安心しきったように安らかな表情を浮かべ眠る総司の顔。
彼の肩まで見下ろすと、--襟口が乱れている。覗く胸元が意外に逞しく、普段着痩せしているから気がつかないが、鍛えているだけ合って結構逞しい。
なんて、思わず覗き込んでしまう自分が恥ずかしくなり、セイは赤くなると、慌てて目を逸らす。
が、意識は混乱したまま。
「んーー?」
総司は唸りながらゆるゆると目を覚ます。
セイは内心ドキドキしながら見守ると、彼は彼女の姿を見止め、笑顔になる。
「おはようございます。神谷さん。-------っ!?」
セイの着物の乱れたままの姿に気が付き、一気に赤くなる。
「何て格好してるんですか!?神谷さん!?って!うわぁっ!?」
慌てて目を逸らそうとするが、自分の着物も肌蹴ている事に気が付き、総司も着物の袷を抑えると、耳まで赤くなったまま俯く。
「……」
互いに無言が続く。
肌蹴た着物に、一緒の布団。現場と状況はあまりにも二人に起こった出来事を如実に物語っている。
しかし。
居た堪れなくなったセイは俯きながらも、恐る恐る問いかける。
「…あの…私、何も覚えてないのですが…その…」
その後の言葉はあまりにも生々しく、あまりにも現実離れしていて語ることが出来ない。
総司は彼女の言葉を受けると、同じ様に口を開く。
「…すみません……その…私も…全く覚えていないんです」
あまりにも無責任過ぎる言葉だろう事は分かっていても、総司はそう答えるしかなかった。
セイが己の言葉を受けて次に発せられる言葉に脅え、総司は言い繕う様に喋り立てた。
「本当っにごめんなさい。男が覚えてないなんて無責任にも程があるのは分かってるんです。分かってるんですけど、昨日お酒を飲んで、ほろ酔い気分で神谷さんの所に行ったところまでは覚えているんです。覚えているんですけど、その後の記憶が一切無いんです。ごめんなさい」
言い繕えば言い繕う程、自分がいい加減で女々しい人間に思えてきて、総司は泣けてくる目頭を抑える。
「……私も先生とお話していたところまでは覚えてるんですけど…その後全く覚えてないんです。……どうしましょう?」
どうしましょうと聞かれても。
何も無かった事にしましょう。という事はこの状況では出来ないだろうし、すべきではない。
一時の事とはいえ。
総司は口元を押さえ、そろりとセイを見上げる。
「!?」
途端、ぼっと顔を真っ赤にし、俯いた。
「どうしたんですか!?先生!?」
総司の不可解な行動にセイは何かを思い出したのかと身を乗り出し、総司を覗き込むが、総司はセイの顔を見る事が出来ず、覗き込んでくる瞳から目を逸らす事に必死だった。

セイの首筋に残る、赤い花。

酒は飲んでも飲まれるな。
何時誰が言った言葉だったろうか。
全ては酒に飲まれた記憶の底に沈んでいる。

2011.01.22