7.お約束ドッキリ

草も木も闇に溶け、宵の中総てのものが微睡む深夜。
新たな新選組屯所となった西本願寺。その離れに続く廊下を動く影が一つあった。巡察の隊士は既に寺を離れ、屯所に残る隊士たちは深い眠りについている。その動く影は手元に何か柔らかい素材の物をぎゅっと握り締め、迷うことなく進むべき目的の場所へ向かって足早に、物音一つ立てず突き進んでいった。
影は目的の場所に着くと、眼前を塞ぐ引き戸の取っ手に手をかける。
可能な限り音を立てず静かに戸を横に引くと、それは難なく開いた。
影が安堵の息を漏らすと同時に、
「わぁ!?」
と、戸の内側から声が上がる。
「きゃあ!?」
無音の中での突然の悲鳴に、誰もいないだろうと思っていた部屋に人がいたことに驚き、連られるように思わず影も悲鳴を上げる。
「ーーーーーかっ・・・神谷さん!?」
「~~~~~~沖田先生・・・」
互いによく見知った人物だったことに、二人は一瞬の内に高まった緊張感に疲れ、脱力する。
「・・・・どうして沖田先生・・こんな時間にこんな処に?」
「神谷さんこそ・・・どうしてお風呂場に?」
そう。総司がいた場所は風呂場で、セイはそこに向かってひっそりと足を忍ばして歩いていたのだった。
総司は半身を湯に沈めながら、緊張していた全身の力を抜き、風呂桶に顎を乗せ、ゆるゆると再び肩まで深く湯に浸かる。
「・・・・っその・・この時間なら誰もいないかな・・と思って・・」
セイはうっすらと頬を染め、総司を見ないよう俯き加減で返答をする。
「誰もいないかなって・・・どうして私に一言声をかけなかったんです?いつも言ってるでしょう。何かあったらどうするんですか」
「沖田先生がいらっしゃらなかったので。それに・・その・・いつも見張りをお願いしてはご迷惑かなと・・・」
セイが呟く言葉に呆れると同時に苛立ちを感じた総司は少し声のトーンを低くして、彼女を諫める。
「それで貴方が万が一女子だと露見したらどうするつもりですか。そんな軽い気持ちでここにいる位なら迷惑です。すぐにでも隊を抜けなさい」
彼はどんな時でも容赦無く、それでいて正論を突く。
それにしてもあまりにも端的で素っ気無い言葉にセイは愕然とするが、すぐに思い直す。
言われてみればその通りだった。
女子であることを知りながらも、武士としてここに居られるように、総司は協力してくれた。
それはセイを武士として、彼女の誠を尊重してくれたからだ。
それを一時の感情の為に全てを無にしたら、それこそどう贖うというのだ。
彼を巻き込むだけでなく、彼の好意さえも無にするのだ。
セイはその事に気が付くと、その時の自分を想像するだけで恐ろしくなり、顔を蒼くすると、今度はそんな浅はかだった自分を恥じらい、頬を紅潮させ、自然と浮かんでくる涙が零れないよう俯きながら、震える声を精一杯抑え、「浅はかでした。申し訳ありません」と小さく呟き、頭を垂れる。
それを見ると、総司は溜息を漏らすと同時に苦笑した。
「私は貴方の志に同調したからこうやって協力しているのですから。気遣い無用ですよ」
言って、彼はぴしゃんとセイに向かって、風呂の中から湯を弾く。
「私が上がったら声をかけますよ。それまで部屋に戻っていなさい。それとも一緒に入りますか?」
総司の口から大凡発せられる事の無いと思われる言葉を受け、セイはばっと顔を上げると、子供のように悪戯っぽく彼女を見つめる総司と目が合う。
また女子だということを忘れられているのだと言う事に気が付くと、セイは顔を真っ赤にして、「馬鹿な事を言わないでください!」とぴしゃりと言い放つ。それだけじゃ怒りが収まらず、怒りに任せて戸を勢いよく閉めると、どっしどっしと大股で廊下を歩く。
(もう。何を言ってるんだ、あの人は!)
恥ずかしいような、それでいて動揺する自分が情けないような、自分がこんな気持ちになる事に少しも気付かずからかう彼に怒りを感じるような、混ざり合った感情で、ぐるぐると思考が勢い良くセイの中を駆け巡る。
同時に、ふと疑問が過ぎった。
(そう言えば、どうして先生はこんな時間にあんな処にいたんだろう?)
仮にも新選組の幹部の人間であるから、セイが彼の行動を全て把握すると言うことは出来ない。彼女には知らされない密命を受ける事だってあるだろう。それでも、今日の一番隊は非番だった。一人で甘味屋にいくのならまだしも、斉藤でもあるまいしこんな時間まで一人で酒を飲みに行く事などあり得ない。
セイは歩みを進めていた足を止めると、ふと、夜の空気を吸い直す。
夜の空気は、人の空気が既に浄化され、植物の香りが混ざり、彼女の肺に入っていく。それが寂しいような、心地良いような、新鮮な心地を彼女に与える。
そうして比較するように、熱くなっていた思考が冷やされ、風呂場に着いた時、鼻についた臭いを思い出す。
思い出して、セイは目を見開いた。
既に日常的になっていたので麻痺していたのかも知れない。そんな自分を苦笑せざるを得ない。しかし、今は自嘲している時では無い。
嗅ぎ慣れてしまった。
あの臭いは。
血の臭い。
セイは踵を帰すと、一刻も早く着きたいと、足早に今来た廊下を戻る。
そして再度風呂場の戸の取っ手に手をかけると、断り無く、勢い良く開け放した。
「沖田先生!」
「わぁ!?」
総司は丁度風呂桶から出ようとしていたところだったらしく、湯から上がっていた上半身を慌てて湯につける。
まさかセイが戻ってくるとは思っていなかったらしく、総司は顔を真っ赤にし、鼻まで体を湯に沈めると、ぶくぶくと気泡を作る。
「・・・どうしたんですか・・・神谷さん・・」
「お背中お流しします!」
「はぁ!?」
総司が呆れた声を上げる横で、セイは自分の着流しの裾を上げ、濡れないようにすると、同じように何処からか紐を取り出すと、小袖を襷掛けする。そうして自分の準備を終えると、風呂から湯桶で湯を掬い、近くに置かれていた手拭いを濡らす。
「さあ!どうぞ!」
ばっと手を広げ、準備万端、いつでも出てこいとばかりに、セイは胸を張って、総司を見上げる。
「いっ・・いいいいいですよ!自分で体くらい洗えます!貴方は部屋で待っていなさい!」
あまりにも唐突な申し出に総司はぱしゃぱしゃと大きくお湯を弾きながら頻りに手を振る。
「いえ。私がお背中をお流ししたいのです。疲れた上司の背中を流すのも武士の務め!・・・それとも嫌でしたか?」
あまりにも取って付けたような理由のような・・とも感じながらも、それでもいつまでも自分を迎え入れる構えを解かないセイに、総司は困惑気味ながらも「・・・じゃあお願いします」と渋々承知する。
総司は風呂桶の縁に手を掛け、ざばぁと勢い良く立ち上がる。
「うぎゃあ!」
「うぎゃあ?」
立ち上がると同時に上がる悲鳴に彼はセイを見やると、顔を真っ赤にして自分から目を逸らすように俯く彼女の姿が映る。
「・・・すみません。先生・・勝手ながら、出来れば腰に手拭い巻いて頂けると嬉しいです」
語尾は掠れて消えてしまいそうな程小さな声で訴えるセイに、総司ははっとし、自分がどんな状態で今いるのかを改めて思い出させられ、つられて顔を赤くし、慌てて腰に手拭いを巻く。
ひたひたと歩くと木の椅子に腰掛け、未だ頬を紅く染め俯く少女に背を向ける。
「お願いします」
少し照れてしまうような、恥ずかしいような、それでいてどこか嬉しいような気持ちのまま頬を染め、総司はセイに声をかける。
彼の声にセイは顔を上げると、「はい」と短く答え、手拭いを湯につけると、それを絞り、総司の背中を丁寧に拭いてゆく。
湯の温かさと、少女の程強すぎもせず弱すぎもしない程良い擦り加減に、心地よさを感じて総司は溜息を漏らす。
「先生、加減は如何ですか?」
「丁度良いですよ」
「良かった」
彼の幸せそうに呟く言葉にセイはほっと笑みを浮かべ、そしてまた、彼の背を擦る事に集中する。そうして懸命に彼の背を擦りながら、着痩せをする彼だけれど付く所にはしっかりと筋肉が付いている鍛えられた背を見つめ、思う。
(きっと沖田先生は何処かで人を斬ってきたのだろう)
先程気付いた血の臭い。それは死臭。
戦に身を置き、常に命の駆け引きをしているこの隊に置いて消える事は無い。
これが常人なら、きっと違和感を感じてすぐに気付いただろう。
それ程までに血の臭いに慣れてしまっている。
そんな自分をセイは何処か自嘲気味に笑うもう一人の自分がいるのを感じる。
彼は密命で斬ってきたのだろう。
相手がどんな人物で、どんな人柄なのかは分からない。きっと彼も知らない。武士だから。彼の主がそう命じたから、彼は従っただけ。
私たちは鬼だと総司は言う。
それでも、私たち優しい鬼だから。人のなれの果てだから。
斬る度に、己も傷を残している。
意識下であっても。無意識下であっても。
彼は痛みに気を逸らしながら、傷ついていくのだろう。
その全てはセイの勝手な思い込みなのかも知れない。
それでも。彼をせめてこんな形でも労う事が出来れば。癒す事が出来れば。
総司は痛みを忘れる為に、泣くことはしない。
だから、せめて、自分の行うこの行為が、彼を慰める事が出来るのなら。
彼の安らぎとあってくれるのなら。
身勝手な想いだという事は重々承知しているが、こうやって、彼を労わずにはいられなかった。
総司は自分の背を流されながら、彼女が何を考えているのか読みとる事は出来ない。
しかし、程良い力加減で擦られる背中、布越しに伝わってくるセイの体温に恥ずかしさと、嬉しさが込み上げてきて、無意識の内に自然と感覚が背に集まるよう、目を閉じる。
そうやって目を閉じながら彼は思う。
彼女はきっと知ってしまっているだろう。
こんな時間に風呂でも入っていれば怪しまれる事は否めない。
自然とその理由も掴めるというものだ。
しかし彼女は何も聞いてはこない。
問い詰める事もしなければ、同情をする事も無い。
彼女は武士だから。
その人間、一人一人の誠を、その為に成した行為を、一つ一つ問い質す事などしない。
それでも。
彼女は。
離れることもしない。
傍にいて、ただ、離れることもしない。
見ぬ振りもしなければ、同調する事も無い。
本当に総司が成した行為を知り、理解しているのか、彼の手の温もりからでは読みとる事は出来ない。
一つだけ分かる事。
背中越しに彼女の温もりを感じ、彼女の内に秘める想いを感じ、癒される自分がいる事。
そんな事を為し得るは、彼女が女子だからだろうか。
「神谷さんをお嫁さんにもらう人は幸せですね」
少しの嫉妬と、羨望を織り交ぜて、総司はそんな事をぽつりと口にする。
己は嫁を取る事はしない。
それでもこの彼女の温もりを受け止める未来の誰かを羨ましいと思う。
「なっ!何言ってるんですか!私は武士です!お嫁なんかに行く訳無いじゃないですか!」
セイが突然の総司の呟きに顔を真っ赤にし、反論する。
彼女にはその意志が無いし、これからもそれを変えるつもりなど無い。
それでも、想い人に言われて嬉しくならない言葉でないはずが無い。
素直に喜びたいけれど、武士として彼の傍にいる事を望んで今ここにいる己の立場では喜べない。そして、そんな色恋話に普段盛り上がらない二人の関係での慣れない会話のやり取りに、セイは不器用にも強く反論することしか出来無い。
そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、己の大胆な台詞に気付かないまま、総司はセイに向かって背を向けていた体を、彼女の方へ向け、向き合うように座り直すと、不思議そうに首を傾げる。
「お嫁に行かないんですか?」
「行きません!」
総司が体をこちらへ向けた事によって、見せられた広い胸板にセイは一瞬心臓が高く打ち、その後どくどくと早鐘を打ち続ける胸元を押さえながら、彼から視線を逸らして言い返す。
きっぱりと彼女が返答しても尚、信じられないのか、総司は聞き返す。
「本当に?神谷さんは料理も上手いし、洗濯も得意だし、何でも良く気が付いて器量良しさんですから、良いお嫁さんになると思うんですけど」
「くどいです!私は武士ったら武士なんです!お嫁には行きません!」
繰り返される質問と、褒められているのだが褒められる本人が恥ずかしくなってくる内容に、セイは意地になって言い返す。
「だったら・・・」
ずっと私の傍にいるんですね。
飲み込んだ言葉を総司は噛み締めながら、嬉しくなり、そしてしが愛しくて、彼女の温もりに触れたくて、そっと彼女を包み込むように抱き締める。
「せっせんせい!?」
突然の事に全身の体温が急上昇するのを感じながら、今にも爆発しそうな位高鳴っている心臓と、沸騰して気化しそうなくらいに茹だっている思考回路をどうにか宥めながら、セイは総司の腕の中で暴れる。
風呂で温められた熱い体温のまま、未だ濡れた体がそのまま直に彼女に密着する。
その彼女の今までの人生の中で一度も出会ったことのない出来事に、セイはぐるぐると渦を巻く靄を胸に溜まっていくのを感じながら、それが形を成したら何になるのか分からないが、それを持っている自分がとても恥ずかしくて、ただ夢中で殆ど無意識の内に、彼から少しでも早く離れようと試みる。
しかしそんな彼女の抵抗に少しも怯む様子も無く、総司は逃れようとする彼女に逆に苛立ちを感じ、自分から離れないよう更にぎゅっと力を込めて抱き締める。
「うきゃぁぁぁ!?沖田先生!?」
「神谷さんどんどん体温上がっていきますねぇ。あったかくって柔らかくって気持ちいい・・・」
半分夢心地のまま、勿論この野暮天男が気付いているはずもないが、彼の行動が原因で上がっていく体温と、ごつごつとした男の自分とは違う、どんなに鍛えられていると言えども消え去ることは無い女子特有の柔らかさと、後ろから抱きしめる鼻元に触れる首筋から匂い立つセイの香りに昔よく抱きしめてくれた姉を思い出しながらも、あの時とはまた違う温かさと甘さを感じ、もっと欲しいと願う自然の欲求に体は素直に従い、更に温かくなってゆく彼女を強く抱き締める。
「・・・ああ、そうか・・・神谷さん、鎖帷子を付けてないんですね」
風呂に入るだけだから流石に何もないだろうと事前に鎖帷子を外していた事は自覚していたが、総司が未だ甘い夢の中呟いたその言葉が、セイにとっての怒りと恥じらいの頂点だった。
「沖田先生の助平!」
「ふげっ!?」
何処にそんな力があったのか、総司の腕の中から己の腕を抜くと、捻りの入ったアッパーカットが見事に彼の顎を捉えた。
言葉を発する事も出来ず、身構える事も出来ないまま、総司は顎を打たれ、痛みにセイから体を離すと、顎をさすりながら恨めしく彼女を睨み付ける。
「何するんですか~」
「それはこちらの台詞です!」
咄嗟の事に身構えられなかったが、舌を噛まずにいたのが総司にとって幸いである。
頭から湯気が出るのではないかと思わせる程顔を真っ赤にし、怒りで全身を震わせセイは未だ泣き真似をする総司を睨み付けた。
彼にとってそれは何の効果も無い。逆に自分の行動が彼女を動揺させ、今の可愛い姿をさせたのだと思うと、総司の頬は緩み、笑みが浮かぶ。
それがまた彼女の癇に触り、「何笑ってるんですか!」と怒鳴り続ける。
しかし総司にはその答えを彼女に告げる事は出来ない。彼女を怒らせているのだから謝らなければならないのだ。という事は頭にあるのだ。けれど、笑顔が戻らないのだ。何故笑みが解けないのかは分からない。
怒る彼女に分からないと正直に答えれば、彼女の怒りは増すだろう。彼女の怒りを解く為にどうすれば良いだろうと己の心の内に問いかける。すると、総司はふとある事に気が付いた。その事に驚き、思わず、己の胸に手を当てる。
「・・・・」
少し前まで棘でも刺さったようにギスギスと鈍い音を立てていた心が、ほんわかと丸くなって柔らかくなっている事に気が付く。
癒されている自分がいる事に気付いていたが、まさかこんなにも解けてすっかり形を変えてしまっているとは思わなかった。
どうして?と思う前に、そんな自分の変化に気が付くと、誰のせいかなんて事は彼にとっては当前で、それがまた嬉しくて笑みが浮かぶ。
(神谷さんだからなんですかねぇ)
目の前の少女を見上げると、目を細める。
彼にそんな変化を与えている当の本人は、そんな事に気付くはずも無く、彼の余裕とも見える態度に怒りを爆発させると、「もう知りません!」と踵を返す。
「あ」
端から他愛も無いやりとり、けれど総司にとっては変化を与えたやりとりが終わってしまうのを一瞬寂しく感じた彼は自分の前から去ろうとする少女の着物の裾を咄嗟に掴む。
「きゃあ!?」
まさか引き留められると思わなかったセイは、為されるがまま、己を背から後方へ引く力に従い、そのまま踏み止まることも出来ず倒れ込んだ。
ばっしゃーん。
足下に置いたままの桶をひっくり返し、大きく背中から倒れ込む。
「あたたたた・・・・・」
「うわー!すみません!大丈夫ですか!?」
予想以上のセイの転び方に転ばせた張本人の総司は慌てて彼女の体を起こす。
「大丈夫ですかじゃないです!何するんですか!」
先程からのセイには理解不能な総司の行動に、彼女は後頭部をさすりながら、涙を目に浮かべて訴える。
「悪気は無かったんですっ!ただ神谷さんが離れて行っちゃうから・・・」
「いっちゃうから?」
「・・・・・・・・?分かりませーん!神谷さんがいけないんですっ!」
「どうしてそこでそういう結論になるんですか!」
「だから一緒にお風呂に入りましょう!」
「それも意味が分かりません!」
総司だってセイが悪くないのは分かっている。
本気で風呂に誘っている訳でも無い。
何故自分がこんなに意地になっているのか、意地になっている理由も曖昧なら、意地になった理由も仕舞いには分からなくなって、しかしセイが離れていくのは嫌で、何とか話をつなぎ合わせることで彼女を引き留めようと躍起になる。
セイと一緒にいる事で癒されている自分を、もっと彼女と一緒にいたいと思っている自分を表に出す事が出来ず、無意識の内に押し込め、だからといって無感情になれる程彼女の存在は彼の中で小さくなく、その結果彼の意識下では理由は分からず、理由無く彼女を留めようと本能的が行動に現れている事に彼は気付かないでいた。
うーうーと唸りながら、総司は次に彼女を留めさせる為の言葉を見つけようと、怒りを露わにしたままのセイの顔から一旦視線を逸らす。
と、同時に、総司は別の物が視界に入り、顔を真っ赤にして慌てふためく。
「かっかっ・・・神谷さん!」
「はい?」
また突然の総司の変化にセイは訝しがりながらも返答する。
「・・・・その・・・・・透けてます・・・」
「?」
総司の言っている意味が一瞬掴みきれず、セイは首を傾げるが、彼が耳まで真っ赤にし、自分の口元を手で押さえながら、伏せ目がちにもう一方の手で指さす自分の体に目を遣る。
「!!」
セイは彼が示していた事態に気が付くと、連られたように赤くなって慌てて胸元を隠す。
湯桶の湯をかぶったせいで、頭からびしょ濡れになり、濡れた着流しが肌に張り付き、胸は晒しを巻いているとはいえ、女子らしい柔らかな体の線が如実に晒されてしまっていた。
転んだ拍子に緩んだのか、心なしか胸元がはだけ、元々捲り上げていた着物の裾が捲れ上がって、細く白い足が太股まで露わに出てしまっていた。
「うっ・・・・うわぁぁん!沖田先生の馬鹿~~~~!」
「ああっ!悪気は無かったんですってば~!」
怒りの頂点から、一気に恥ずかしさの臨界点を突破してしまった小柄な少女は居たたまれなくなり、勢い良く飛び出していってしまった。

結局、総司は慌てて着替え、胸元と太股を露わにしたまま泣きながら飛び出していった彼女の後を追った。
誰かにそんな姿を見られたらどうするのだという苛立ちと、彼女を振り回した申し訳無さで詫びを心の中で繰り返しながら。
彼女が行く場所が大凡想像が付き、井戸の前で泣きじゃくる彼女を見つけると、どうにか慰め、泣きやんだ彼女を風呂に連れていくと、いつものように総司は彼女の入浴の見張りをした。
戸の透き間から温かい湯気が流水音と共に零れてくる。
総司は戸に背をもたれかかり、戸の向こうにいる少女の気配を追い、自嘲すると、小さく溜息をつく。
「ねぇ。神谷さん。私のこと・・・嫌いになりましたか?」
湯殿外から声をかける総司には、セイの表情を読みとる事は出来無い。
何故少女が持つ己の評価を問いかける事ににこんなにも勇気を必要とするのだろう。
彼女の答えが返るまでどうしてこんなにも時間が長く感じられるのだろう。
どくどくといつもに増して彼の心臓は高鳴っている。
溜まらず目を瞑ると、鼻先に触れる、匂い立つ湯気が、この緊張感走る一瞬と焦燥感を少しだけ和らげてくれる。
暫しの沈黙を置いて、中から水音と一緒に短く返答が返ってくる。
「・・・・いいえ」
散々泣いた後だという事と、まだ拗ねているのだろう、掠れた声で、しかし、しっかりと否定する。
その返答に、総司は心が温かくなってくるのを感じ、自然と顔が緩んで笑みが浮かぶ。そして、総司自身やはりどうしてそんな感情が生まれてくるのは分からないが、安堵から小さくほっと溜息を漏らす。
「よかった・・・」
それに対する言葉は湯殿の中からは返ってこない。けれど総司はそれで満足だった。
「ずっと傍にいてくださいね」

2005.05.31