「伽の話だったんですか?」
総司は納得がいかない様子のままのセイの手を引いて、家に帰ってきた。
不機嫌なままのセイが動きだけはいつも通りてきぱきと夕餉を作り、妻は一緒に食事を取るものではないと渋るセイを宥め屯所の時と同じように一緒に食事を取り、食後のお菓子とお茶を差し出され一心地着いた所で、総司は食器を片付けるセイに声を掛けた。
「……」
「それとも…また私と離縁して、武士として隊に戻りたいって言ったんですか?」
切なそうに呟く声に、セイは振り返り、困った表情を見せた。
実は今までも何度か申し出た事はあったのだ。総司に直接。
「そりゃ私の誤解で貴方にややができたと早とちりしてすぐにでも結婚しなきゃと思って行動した事は悪かったとは思ってますよ。でも何度も言うように後悔はしてません。だってずっと貴方が欲しかったんですもん…」
「武士としての私じゃ駄目ですか?」
それは今まで何度も繰り返した会話。
「武士としての貴方がいない今はとても寂しいです…。けど、女子として妻として貴方がいてくれる事が私にとっては幸せなんですよ」
「けれど、女子として傍にいたら、本当に先生が危険な目にあってる時私はお傍にいられない。お護りする事も出来ない」
凛とした声で答え、真っ直ぐ総司を見つめる視線は武士であった神谷清三郎の時そのもの。
それがいつも総司には嬉しくて、少し寂しい。
「貴方は…私に嫁いで後悔してますか?」
「いいえ」
「幸せではないのですか?」
「そんなはずありません!」
セイは総司に嫁し、妻として毎日傍にいられる事に幸せであると答える。
幾度総司が確認しても。
それでも幾度尋ねても、セイは武士として総司の傍にいたいと請うのだ。
土方曰く、男として武士として生きる事の長かった神谷は、女として妻として生きる喜びや幸せでまだ十分に満たされていないから武士に戻りたいと言うのだと言う。
それは根本からの誤解もあるのだが、ある意味正しいのだろうと総司は思う。
だから彼の傍にいて、妻として後の母として総司の帰る家を家族を守ってくれる事が総司にとって、セイがずっと傍にいてくれるのなら最良の形なのだと言葉で、体で何度も伝える。
セイにとっては不本意だったのかも知れない。それでも総司にはもうセイを武士に戻す事はできない。
一度でも女子としてのセイが傍にいてくれる事の安らぎを、喜びを知ってしまったから。
もう既に武士として傍にいてくれるだけのセイでは足りなくなってしまっているのだ。
「何度でも言いますけど、離縁してでも武士に戻るなんて、絶対に許しませんからね」
「構いません。沖田先生に嫌われてもそれでも、いざという時身を挺して先生を護れるのなら」
いつの間にか片づけを終え、総司の前に座し、真っ直ぐに見据える瞳が総司を射抜く。
総司も寛いでいた体制から、セイに向き合うように座し、彼女を見返す。
「私は離縁しません。貴方が武士に戻る事を望んでも、私は貴方を妻として放す事はしません。どんなに逃げようとしても放しませんから」
女子として総司に望まれて嬉しくないはずがない。
偶然と誤解の結果だったとは言え、幾度かは夢見てきた妻として総司の傍にいられる事。武士であった自分も本来の女子としての自分も丸ごと愛しいと言ってくれる総司に己の心が満たされないはずが無い。
それでも、時折どうしようもない焦燥感に駆られる。
家で家事をしている時、買い物をしている時、総司の傍にいられない時間がとてつもなく怖い。
今、この時に総司に何かあったらどうしよう。と。
いつ、夢みたいに満ち足りたこの毎日が終わりを告げるのだろうかと。
総司を信じていない訳ではない。
どれ程名の馳せた剣豪だとしても、突然死は訪れる。
誰にでも平等に。
それが身に染みていつでも覚悟しているくらいに長くセイは新選組にいた。
だからこそ、その瞬間に総司を守れる自分でありたい。と願ってしまうのだ。
「ねぇ…貴方は私の幸せを守りたいと思ってくれているんですよね」
「沖田先生は今の私との時間を望んでくれているんですよね」
何度伝えれば分かってもらえるだろう。
それは互いの心の中に幾度も生まれる至福のような絶望感。
何度互いの願いを、想いを口にしても答えが見つかる事無い平行線。
それでも互いに互いへの相手の気持ちは伝わるから涙が出る程互いを幸せにしてくれる。
「やっぱりあの時本当にしていて、ややが出来ていればよかったのかなぁ…と思ったりもするんですけど…」
その言葉にセイは首を横に振る。そんな様子に総司は苦笑する。
「何もしていなくてよかったなと思うんですよ。だってそうでなければ貴方とこうやって向き合う時間も無かった」
セイは顔を上げた。
「まぁ、あの事が無ければ今の夫婦の私たちはきっと無かっただろうから、それは良かったんですけど。貴方の想いを知らず、子育てを強要する事になっていただろうし、私も貴方へ本当に女子として妻として貴方を必要としている事を伝える事が出来なかったから」
「それにね」と総司は付け加える。
「ちゃんと意識がはっきりしてる時に初めて貴方を抱けたから」
互いに酒に記憶の飲まれたままの初めての交わったと思っていた時は何処か寂しかった。だからあの後、ややが出来ていないと知った時に、その時の交わりが初めてだと知った瞬間の喜びは無かった。
「…ややが出来るなら、ちゃんと夫婦として十分に愛し合ってからじゃないと…」
そう言うと、総司はそっとセイに近づき、唇を彼女の頬に寄せた。
一段上がったセイの熱が、総司の唇を通して伝わる。
「……どうして…沖田先生は…私を幸せにするんですか……」
涙声で呟くセイに、総司は頬を緩ませ微笑む。
「貴方が幸せにしてくれるからですよ」
もう後は、互いに溺れるだけだった。