想う、時17

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■想う、時・81■

新規門下生として斎藤が紹介され、一日体験門下生としてセイが加わり、いつも以上に剣術の手練の人数が増え、指導は白熱した。
そして稽古が終わると、斎藤とセイに人は集まる。
道場での指導者となっている総司と同格の剣士である斎藤に人が集まらないはずが無い。そんな彼や指導者たちとやはり同格とはいかないまでも男性剣士でも歯が立たない女性剣士のセイに人が集まらないはずが無い。ましてや前日から指導者たちと昔馴染みの様子である上にどうやら総司と親密な様子であれば尚更。
「神谷さん?って先生たち呼んでるけど富永さんでいいんですよね?学校で剣道習ってるんですか?」
「いや!それよりも!昨日から気になってたんすけど、沖田先生の彼女さんっすか!?」
高校生くらいの男子剣士がセイに問いかける所をその友人らしきもう一人の男子剣士が言葉を遮って問いかける。
「え?」
ぴきりと一瞬、セイは戸惑って固まってしまう。
「ちょっと待ってください!神谷さん!『え?』って何ですか!?『え?』って!」
ばたばたと音を立てて、総司が焦った様子でセイの隣に並んだ。
「え?まさかあの妄想彼女!?」
「妄想じゃなかったんだ!?」
総司がこの道場に通い始めてからずっと、彼自身幼少の頃から語る想い人の事は既に年齢問わず周知の事実になっている。
但し、今まで誰もその総司が語る『想い人』を見たことが無いので、彼の理想から作り上げた想像上の彼女という、痛々しいレッテルとともにだが。
「けど彼女さん、『え?』って言ったらから、実は沖田先生の片思い!?」
「げっ!俺、余計な事言った!?」
「ちょっ!神谷さんは私の彼女です!ちょっと!神谷さん!ちゃんと否定してくださいよっ!」
囃し立てる男子剣士たちに総司は慌てて否定をし、セイを振り返るが、当のセイは話に乗り切れず、こてんと首を傾げ促されるままに返答をする。
「え?違います?」
「神谷さん!」
一気に青褪める総司に、やはりセイは何に動揺しているのか分からずに首を傾げる。
「やっぱ彼女じゃないらしいぜ!」
「え?あれ?」
そこでやっとセイは、自分が総司の彼女ではないと答えた事に気付いた。
「沖田先生あんなにあからさまだから彼女かと思ったのに!」
「やっと沖田先生に妄想彼女じゃなくて、ちゃんとしたリアル彼女ができたと思ったら!」
「だから違いますって!妄想じゃなくてそれも神谷さんですし、リアル彼女も神谷さんですってば!ねぇっ!?神谷さん!」
妄想だか現実だかセイには理解しきれない話をしているが、取り敢えず総司は自分を彼女だと公言してくれているらしい。という事を理解して。
「あ。彼女さん。いきなり顔真っ赤になった」
「…マジかよ。耳まで真っ赤だ。かわい…っひいっ!沖田先生っ!取りませんからっ!」
今まで散々好きだと言ったり、キスをしたり、それ以上の事をしていたくせに、突然、今まで散々憧れてきた『彼氏』『彼女』と呼べる関係に総司となっていた事に改めて自覚させられて、セイは嬉しかったり恥しかったり舞い上がったりで、熱が一気に上がった気がした。
熱くて涙が零れるし、掌だけでなく、耳まで熱いし、口元が震える。
「ちょっと神谷さんっ!皆の前でそんな顔しちゃ駄目ですってば!」
慌てる総司に懸命に宥められるが、一気に膨れ上がった感情をそう簡単に沈める事は出来ない。
「俺はそんな可愛らしい神谷を取り合う、沖田さんの恋敵だ」
注目されるセイを総司は己の背中で必死に隠そうとしている所に、斎藤が冷静にぼそりと呟く。
「!?」
一気に視線がそちらに注がれた。
「斎藤さんっ!何言ってるんですか!斎藤さんには既に綺麗なお嫁さんがいるでしょっ!」
総司の牽制する一言に、一瞬にして集まった熱い視線が冷めていく。
「そうさな。時尾という俺には勿体無いくらい出来た妻がいるが。それが何か」
「何かじゃありません!一夫多妻制じゃないんですからっ!ってそうじゃなくてもセイは私の彼女ですってばっ!」
「未だ婚姻するまではチャンスがあるだろう」
「だからっ!」
背中越しに言い合う総司と斎藤の間に小さな呟きが聞こえてくる。
「…斎藤先生ご結婚されてらっしゃるんですか?」
そろりと総司が視線を己の胸元に下ろすと、きらきらと瞳を輝かせるセイと重なる。
まだ頬が赤くなったままだが、それは羞恥ではなく興奮で紅くなっているのが分かる。
「――そうですよ。斉藤さんはいつかの方と同じ方と2年前にご結婚されているんです。人には散々言って置いて、自分はちゃっかりすぐ見つけてるんですよ」
総司の愚痴交じりの話を聞きながらも、かつてセイが旅から戻った後何度か会ったことのある斎藤の細君を思い浮かべた。
会津生まれの女性で会話を交わしても常に凛として芯の通るとても気持ちのいい人物だった。
「そう…ですか…」
何処か安堵した表情を見せ、嬉しそうに笑みを浮かべるセイに、総司も彼女の想いに詮索する事無く微笑む。
「私たちも早く式を挙げましょうね」
「……」
セイは一瞬総司の放った言葉に思考停止し、そして、再度噛み砕いて、ゆっくりと飲み込み、理解をしたところで、また真っ赤になる。
「っ!?」
言葉にならない悲鳴を上げた。

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■想う、時82■

「酷いですよー。神谷さん肯定してくれないんですもんー。私遊ばれてるんですかねー。このまま捨てられるのかしらー。私の捧げた操返してくださいよー」
「っだから!申し訳ありませんっ!って何度も謝ってるじゃないですか!」
京都駅へ向かう列車の中、隣に座る総司はぶつぶつと小さな声で恨み言をつらつらと並べ続ける。
最初は道場の衆目の場できちんと答えられなかった事を申し訳なかったと思い、黙って聞いていたが、それも列車に乗り始めてからずっとでは流石に辟易してくる。
まさかの己が思うよりもずっとまだ自覚が無かったのだから仕方が無いではないかとも言いたいが、総司の言う事も最もなので強くは言えない。
「…私の彼女ですって言ってもそうですって言ってくれないしー。早く式挙げましょうって言っても何も言ってくれないしー。皆私の妄想じゃないかって誤解解けてないじゃないですかー。明日から指導し難いですよー。私の威厳だだ下がりですよー。最後には同情されてるしー」
「…自分だって昔と変わらず未だに女ったらしのまま、女子何人も誤解させたままのくせに…」
小さな反撃を小さい声でささやかにする。
「なーんですかー」
そんな事を言われても、総司本人は無自覚なので、そんな攻撃は自覚が無い以上攻撃にもならない。
道場にいる女の子たちには何処かショックを受けたような、それでいて嫉妬の視線を何人かに向けられていたので居た堪れない。
勝負をかけてきた少女に関してもはっきりしないセイに何処か不穏な表情を浮かべながらも、けれど剣術に関しては積極的に質問をしてきた。寧ろ彼女の友人らしき少女たちが必死に彼女を慰めながらもこちらを睨みつけてきているのが怖かった。
そこに関しては『彼女です』とはっきりと言えばよかったとセイ自身も後悔している。
けれど恋愛経験値が低すぎてその選択が果たして正しいのかも分からない。と言い訳をしてみるが、きっと言わないでいるよりは良かったのではないかと思っている。
セイはそろりと手を伸ばし、座面に投げ出された総司の掌にそっと己のそれを重ねる。
「!」
「…ちゃんと沖田先生のこと好きですから。…好きって言えるのに、彼女ですって言うのは恥しくて…ごめんなさい…」
重ねられる掌の柔らかさに、総司の頬はほにゃりと緩む。
「そうですね。私も神谷さんの事好きですって言えるのに…彼女ですって言うと…気恥ずかしいですね。両思いなんだなぁって思うのが嬉しくって…恥しくって…何処か実感が湧かなくて…お互い片思いが長かったですからねぇ。仕方ないのかなぁ…」
そう総司に呟かれて、『そうか』とセイも腑に落ちた。
「それこそ武士だった時からずっとでしたからねぇ…」
「そうでしたっけ?私の方がずっとですよ。入隊して、神谷清三郎になった時からずっと…」
「神谷さんが野暮天だから気付いてないだけですよー。私、ずっと大好きだったんですから」
「はいはい。局長と、副長の次にですよね」
重ねた掌を互いに絡めたり、指で突いたりしながらそんな事を囁き合う。
あの頃の神谷清三郎と沖田総司の姿が浮かんできて、ささやかな幸せを感じた日々が懐かしくて愛しくて、きゅっとセイの胸が苦しくなる。
そうしていると、ふと、総司が指を絡めるのを止めて、ぎゅっとセイの掌を握り締めた。
ふと気になって横を見ると真正面に向かい合うように姿勢を正す総司がセイを見つめていた。
「……神谷さんは違うんです。ずっと…ずっと…愛しかったんですよ」
想いが溢れてうまく言葉に出来ず、搾り出すように掠れた声で囁く総司に、セイは目を見開いた。
「ずっと愛しくて…その気持ちだけが私を支えてくれたんです。貴女がいてくれたから生きていられた。貴女がいてくれたから――生きているんです。私」
過去の総司が生きる為に、セイは支えだった。
今を生きる総司に、セイは生きる目標になってくれた。
セイは気付いていなかったかも知れないが、いつだって彼女がいてくれたから、総司は今ここにいる。
「これからを生きていこうと思えるのは、貴女が傍にいてくれると言ってくれたから」
そんな大げさな。と一笑する事はセイには出来なかった。
「生きてくれてありがとう」
もう一度囁かれた言葉に、セイの瞳から涙が零れ落ちた。
何度、彼は自分を救ってくれるのだろう。
「――私は、沖田先生を好きになって…幸せです」
重なる手の温もりが、かけがえなくて。
己を包み込むような柔らかな眼差しが、愛しくて。
朝の光が車窓から差し込んでできる二人分の影が、重なるのが、嬉しくて。
言葉にならない感情が、ただ、ただ。
セイの中に満たされていく。

――列車は静かに停車駅を告げる。

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■想う、時83■

総司以外のセイの見送りは玄関先で、近藤家家族総出で見送ってくれた。
わっしゃわっしゃと力強くセイの頭を撫で、ぼさぼさになった髪を見て土方はふんっと息を吐いた。
「どうせまたすぐ来るんだろ。お前の事だから。…来るんだよな!総司追っかけて!昔みたいに金魚の糞と言われるくらいになっ!」
少しだけ頬を赤らめそっぽを向きながら言い放つ土方に、セイはぽかんとしてしまう。
「…素直じゃないなぁ」
「何だとっ!?…それとどうせ総司がすぐにお前の両親に挨拶とか言い出すだろうから、俺もその時は付いて行くからな!函館の名所ちゃんとチェックしとけよ!」
セイの呟きにすぐさま反論すると同時に付け加えられた土方の言葉に、彼女は目を見開き、そして微笑んだ。
「畏まりました。元新選組隊士だからこそ案内できる観光名所ツアーをご用意しますよ」
函館で最後を迎えた土方。
セイの背の上で命の灯火を失った彼は、それ以後の自身の身の処され方も知らないだろう。
あの時、あの場所に共にいた、現世で記憶を持つ唯一の人間がいてくれるのならば。
セイ自身、出身地とはいえ記憶も無く一史跡としてしか感じていなかったが、今ならやっともう一度、あの地に眠る仲間に同志として会いに行けるかも知れない。そんな事を思う。
「次に会う時は、仲間を弔いに来た神谷清三郎としてではなく、富永セイとして会いたいものだな」
「え?」
斎藤のささやきに、セイは首を傾げる。
「…初めて会った時に、あの時、異国から帰ってきた清三郎と重なった。上下黒で揃えたジャケットにパンツ。武士の頃から変わらない髪を一つ括りにしたポニーテール。腰に刀を差せばあの頃のままだ。」
「っ!」
「…そして、恐らくは、以前会った時からきっとそうだったのだろう。前の世では確認する事は無かったが…失った同士たちの弔いの服なのだろう?」
推測であろうに少しの迷いも見せない指摘に、セイは苦笑した。
誰にも気付かれないと思っていたのに。
「はい――」
『生きろ』と言った仲間たちの声が今もセイの心の奥底に響いている。
それは戦を共に戦った仲間たちだけではない。今目の前にいる、近藤や、土方や、総司や、あの時代を懸命に生きた者たちが、セイに込めた想いが込められている。
それは時に祝福のように。
時に呪縛のように。
過去の彼女にとっては生きる事から逃げ出す事の出来ない呪縛でもあった。
彼らの分まで懸命に己の生を全うする。
ただそれだけの為に生きた。
黒の服は彼女自身の戒めであり、生きる為の励ましだった。
「そうか。だったら次に会えるのが、楽しみだなぁ」
鷹揚に笑う近藤に、セイはほっと息を吐く。
彼の笑顔はいつだって、人を、セイを安心させてくれる。
そのままの自分でいいのだと。
「神谷君」
「はい」
「君がこの先どんな道を選ぶのか、それは君次第だ。ここで暮らし始めるのも良いし、もしかしたらまた別の場所で生活を始める事を望むかもしれない。それでいいんだ。私たちの願いに捕らわれなくていい」
セイは息を飲む。
「君は今の時代に生まれて、今まで生きてきた時間があって、これからの先の未来を描いていく。そこに私たちがいてもいなくてもどちらでもいいんだよ」
「……」
「ただね。これだけは覚えていてくれ。何処で暮らしても、どんな風に生きていても、例えもう二度と会うことが無かったとしても、それでも私たちは君の事を誇りに思う。あの時代を共に過ごし、再び出会ってくれた君に感謝している。いつでも君が幸せであることを祈っている。だから…」
無意識に噛み締めていた唇が震えるのをセイは感じた。
「いつでも帰っておいで」
広げられた腕に、風に背を押されるように、セイは抱き付いた。
戒めなんかじゃない。
いつだってセイは支えられてきた。
沢山の仲間に励まされて、懸命に生きてきた。
『生きろ』
そう言ってくれた仲間たち。
『幸せになれ』
『お前だけはどうか生きて。生きて。幸せになってくれ』
いつだって胸の中に響いて。
だからセイは懸命に生き抜いてこれた。
過去から現世まで、ずっと響く声にいつも励まされてきた。
これからも生きていく――。

駅の改札口前。
総司はぎゅっとセイの手を握り。
そしてセイも総司の手を握り締める。
互いに手を離す事が出来ずにいて、それでも列車の発車時刻は刻々と迫っている。
やがて、ずっと互いに握り締める掌を見つめていた視線を、総司がゆっくりと上げる。
それに合わせる様にセイも視線を上げた。
「またすぐに会いに行きます」
「私も会いに行きます。暫くはバイト頑張らなきゃだけど…」
「私の方が社会人なので余裕もあります。私が行きますよ」
「お仕事さぼっちゃ駄目ですよ」
「うっ。…大丈夫です。もう貴女に会えたから。貴女を探しに行く時間を全部貴女に会いに行く時間に当てられます」
「私、論文製作終わってないんで毎週末はちょっと…」
「て、手伝いますよ!」
「沖田先生が勉強できるイメージって無い…」
「貴女も大概失礼ですよね!」
そう言って、くすりと互いに笑う。
「電話しますね」
「私も電話します」
列車が駅構内に入り、乗車可能のアナウンスが流れ始めた。
ゆっくりと互いの手を放し、そして微笑みあう。

浮かぶのは、あの日、もう二度と互いに互いの姿を瞳に映すことの無い、永久の別れ。
笑みを浮かべるが、それさえも儚くて、熱は段々と薄らいでいって。
ただ、もう、この人とこんな風に時を重ねる事はないのだ。と、空しさばかりが募って。
辛い感情しか無かった。
だからこそ。
今度は永久の別れじゃない。
また明日を言える。そんな別れ。
互いにこれから先の時間を共に過ごす為の、一過程。その為の一瞬。
「ただいま」と「おかえり」をこれから幾度と無く、繰り返す為。

「いってらっしゃい」
微笑む総司が、セイに手を振る。
風が総司の背を押し、そして、改札を抜けるセイの背を押す。
いつも、傍にいた、セイを支えてくれる、風――。
二人の間を吹き抜け、そして空へ舞い上がる。

「いってきます!」


2020.05.06up