年始

年の初め。
それは新しい一年の始まり。
今までの己を去年で納め、新しい己を見出す機会。
そう!
それは仕事においても!恋事においても!

総司は紫色の空を黄金色に染め始める日の昇りを見つめ、ぐっと握り拳を作った。
「沖田先生!今年の初日の出も綺麗ですねっ!晴れてよかった!」
隣でにこりと微笑むのは、神谷清三郎こと富永セイ。女子ながらにして本性を隠しながらも武士として新選組に組し、総司の愛弟子であり弟分であり、恋人である。
そう。恋人。
昨年ごたごたの上に、ようやく気付いた己の恋心。気付いた後も独り身を貫き不犯を誓う己に恋情は不要と抑えつけていたのだが、反動大きく己の自制心が先に崩壊。意識と行動が伴わず、気の無いふりをしながらセイへの束縛や彼女に接する者への嫉妬、過剰な接触に、セイ自身から何がしたいのだと問い詰められ、それと共に彼女自身の気持ちを打ち明けられた。
恋情を抱くが故に、まるで恋人のような振る舞いは、期待させ、苦しい。と。
まさかのセイの告白に、武士として失格だと嘆く彼女を抱き締め、それまで抱いていた己の誓いは全て破り、彼女を大切な一人の女性として守ると決めた。
朝日を浴び、己を見上げ微笑む少女が愛しい。
白い肌に朝日の色が映え、年を重ねるごとに幼かった頬の曲線は細く大人の様相に変わり、元々綺麗な顔立ちであったが、可愛らしいから美しいという表現に変わり、総司を魅了する。
彼だけでない、隣にいる隊士だって、小者だって、彼女の笑顔を見れば、息を止め、見入ってしまう。
本当に罪作りな人だ。
そう思いながら、少女の笑顔を己の背に隠し、彼女の髪をそっと撫でる。
「綺麗ですね。神谷さん。今年も一年宜しくお願いしますね」
微笑む総司に、セイは一瞬呆けたような表情を見せ、頬を染めると、すぐにまた無邪気に笑みを見せ、「はいっ!」と答えた。
元々愛弟子あり弟分。斎藤に言わせればお神酒徳利の二人だ。
互いの想いを伝え合い、恋仲になったからと言って特段何かが変わる訳ではない。
髪に触れる、肌に触れる、手を繋ぐ、は今までだってあったし、変わらない。
前よりも、互いに互いの恋情を意識し、幸せな気持ちになったり、より愛しさが増したり、安心したり、そんな気持ちの変化を感じてはいても、まだ恋人同士としての一線は越えていない。
接吻さえも、まだ。なのだ。
野暮天野暮天と言われ続けてきた総司だが、仮にも成人した一男子。
あれやこれや手練手管を教えてくれ、その先にある幸福を教える、兄分も沢山いる。
愛しい人が傍にいて、我慢できるはずが無い!
しかし、愛しい恋人は、本来は女子であっても今は彼と同じ武士。念友として一番隊の隊士たちには公認とさえ言われていても、そうそう普段から恋人として扱う事などできない。というか、総司のセイの二人の進展の無さに皆何処でこっそり甘い時間を過ごしているのだっ!?と、問いたいくらいだ。
総司自身もそうだが、セイにも照れが入り、今まで二人でお菓子を食べて過ごしていた休憩の時間でさえも、どう過ごしたらいいのか持て余してしまう始末なのだ。
そんな男として不甲斐ない自分は去年で卒業!
今年はセイとより親密になるのだ!
男になるのだ!
そんな抱負を心の中でこっそり掲げていた。
「神谷さん。この後…」
「それじゃ先生!私、そろそろ朝餉の支度を手伝いに行ってきますねっ!」
「え?」
セイは袂から取り出した襷を肩に掛けると、一目散に厨に向かって駆け出す。
「神谷さんっ!?」
何というかもっとこう、甘い雰囲気とか何か無いでしょうか?
今、抱負を固めたばかりなのにっ!
という思いは空しく、既にセイの姿は見えず。
一人置いてけ堀の総司に、隊士の一人が労うようにぽんと肩を叩いた。

朝の初日の出を一緒に見た新年から幸せな恋仲の二人。
は、何処へやら。
総司はとぼとぼと肩を落としながらも、近藤と土方に年始の挨拶を済ませ、幹部棟を歩いている途中で年末から年明けてまで呑み続けていた永倉、藤堂、原田の三人に出会う。
「どうした?総司~。ヒラメ顔が干物顔になってるぞ~?」
「お正月から元気無さそうね~?」
「女だろ!総司!」
永倉、藤堂の心配の声の最後に原田からの指摘に、総司はばっと顔を上げる。
「なっ!」
『おっ!?』
ただの鎌をかけただけだったが、予想外の反応に、三人は反応する。
「え?総ちゃんほんと~?好きな子いるの~?」
藤堂が総司の肩に圧し掛かり、聞かせろとばかりにぐいぐち体重を乗せてくる。
「どんな女だ?教えろ?花街には最近行ってないだろ?町娘か?」
にやにやと永倉が己の顎髭をじょりじょりと擦りながら問う。
「もう押し倒したのか!?」
「っ!?」
またもや、原田の一言にびくりと肩を震わせ、彼をまじまじと見る総司に、三者は視線を合わせ、
「まだか~」
と、溜息を吐いた。
「なっ!何でわかるんですよっ!」
真っ赤になって反論する総司に、三人は呆れたように彼を見る。
「総司。その話をゆっくり聞かせてもらおうか」
「そそそ。そしたら俺たちがどう攻略していけばいいか教えてやる」
「まずは一杯やってから!」
一瞬本気で聞き入ろうかと引き込まれた総司だったが、すぐに首を振る。
話をしてしまったら、何処でセイの事だとばれるか分からない。セイの事だと誤魔化しながら話せるほど己は器用では無いといらない自信だけはある。
「いいですっ!何でもないですっ!」
反論は聞かない。聞いて捕まってしまえば何が口から出るか分からない。
総司はばっと三人を振りほどくと、逃げ出した。
「あっ!折角の酒の肴がっ!」
「総司~男見せろよ~!」
「惚れた女は手っ取り早く押し倒せ~!」
冷やかしとも応援とも聞こえる声に頬を赤らめながら総司は厨へ向かった。
朝餉も終わった事だし、セイの仕事も一段落しているだろう。と、覗き込んでみると、彼女の姿は何処にも無い。
「あれ?」
思わず声を上げると、小者の一人が総司の姿に気付いて声を掛けてくる。
「沖田センセ?神谷はんならとっくに離れて、何処か行かれましたよ?」
「え?何処へ?」
「あれは医薬方のお人でしたかねぇ?呼ばれてそちらへ」
「ありがとうございます!」
年末年始は雑務が増え、古参故なのは勿論、様々な事に目端の利く少女だから次から次に仕事をこなしていくので年末と年明けは常に忙しく動き続けているのは分かっていても、少しくらい休んでセイにも正月を楽しんで欲しい、半分、年の初めに一番傍にいるのは己ありたいという希望半分。
総司はセイに対して労りよりも、己の望みの方が強い自分がいる事に恥らいながらも、病室に当てている部屋へ向かった。
しかし、そこにもセイはいなかった。
「……」
何も言わずに、部屋の入り口で佇む総司に気付いた病室付きの小者が首を傾げる。
「神谷はんをお探しですか?」
何故何処に行ってもまず自分がセイを探している事が分かるのだろう。と頬を染めながらも、「はい」と答えた。
「申し訳ありまへん。神谷はん。今、松本法眼の元へ薬を取りに行かれたんです」
「薬?」
「へぇ。私らが行きます言うたのですけど、神谷はんが、私も正月のご挨拶でお伺いしよう思うてたのでいいです。言わはれて。お言葉に甘えました」
「そうなんですか…」
正月から隊士に使いをさせるなんて。と、怒られると思っているのか首を竦めて言う小者に気付いた総司は苦笑して、「分かりました」と答えて、その場を離れた。

松本法眼は切符のいい性格が好ましく、総司は彼が大好きだ。
しかし、セイと恋仲になってから、好きな気持ちに変わりは無いが、少し会うのが苦手になっていた。
きっとそれは、松本がセイの事を実の娘のように可愛がっているからであろう、と最近になって思い至る。
元々セイを総司の嫁に宛がおうとするような素振りがあったから、まだ伝えていていないが二人が恋仲になったと伝えたらきっと彼は喜んでくれるだろう。けれどそれが今もかは分からない。
「…神谷さんをお嫁さんにください。と言ったら、一発どころじゃなく殴られそうな気がするなぁ…」
思わず口に出た呟きに、総司は赤くなってしまう。
「お…お嫁さんって……いや、そんな気が無いわけじゃないですけどっ!でもでもっ!」
花嫁姿のセイが浮かんで、更に三つ指ついて『宜しくお願いします。旦那様』なんて声まで聞こえた気がして、総司は耳まで赤くしたまま己の妄想を振り払うように手を横に振る。
「どうした?沖田?正月から何か悪い物でも食ったか?」
「わぁっ!」
気が付けば目の前には三白眼の垂れ目。
想像していたものがものだけに罪悪感で思わず後退りをしてしまう総司。
「何だ。お前は。人の家の玄関の前に赤くなったり、青くなったり」
「いっ、いえっ!すみませんでした。松本法眼!あけましておめでとうございます!」
「おうよ。おめっとーさん。何だ?態々挨拶に来たのか?」
軽く挨拶を返し、その後にやりと笑うと、探るような視線が松本から向けられる。
既に誰を目当てに来たのか分かっている表情だ。
「いえ…その…」
「セイだろ」
「………はい…」
誰も彼もに見破られて恥しいが、松本にまで当てられてしまうと、流石に恥しさが倍増する。
またきっとこれで松本の思考の中では総司とセイをどう恋仲にするか、色恋沙汰の話が浮かんでいるのだろうだから。
その憶測や策略はもはや、彼が手を加える必要も無く現実になっているのだが。
「お前さんは…そんなにセイが大事でもまだ嫁には欲しくないのかね」
「っ!」
松本の大きな溜息に、総司は息を飲む。
「また年も明けてセイも綺麗になっただろ?ん?そろそろ手を出したくなったりはしないのかね?」
「なっ!なっ!」
なってます!物凄くなってます!
とは、言えない。
まだ、セイが二人の関係を松本に伝えていないのであれば、彼女がいない今伝えるべきではないと思ったからだ。
「とほほ。お前さえ乗り気なら俺はすぐにでも屯所に乗り込んでセイを除隊させるんだがなぁ」
「っ!」
真っ赤になりながら口をぱくぱくさせる総司をじっと松本は暫し観察するように覗き込んでいたが、やがて何かを悟ったかのようにまた大きな溜息を吐いた。
「セイなら残念ながらさっき出てったぞ。男所帯で餅も食ってないだろうと雑煮だけ持って来たら、屯所に持ち帰る薬持って、お里さんの所に寄るからと出ってた」
「法眼~それを先に行ってくださいよ~」
脱力しながら総司は恨めしそうに松本を見上げるが、松本はと言えば悪びれる様子無く、にやにやと笑っている。
「セイによろしくな。あ、嫁にする時の俺への報告は既成事実作った後でもいいぞ。一発殴ってやるから。土方辺りはぶつぶつ言いそうだからな。その方が俺も話が早くて済むしな」
「っ!?」
セイは既に松本に報告しているのだろうか?だったら今、きちんと報告するべきじゃないのだろうか。いや、でもいつものけしかけるつもりで言ってるだけかも知れないし。と、ぐるぐるする総司に松本はかかと笑う。
「お前も頑固な男だよ!それだけ素直な反応するのになっ!ほら、セイの所へ早く行っちまえ!」
ばんっと背中を押されると、総司は家から追い出され、玄関の戸を閉め出された。
「…今のは…まだ…ばれてないんでしょうか…」
取り敢えず呟けるのはそれだけだった。
「…心臓に悪い…」
将来本当にセイを嫁にとる日が来た時には、彼は父親代わりで傍にいるのだろうと思うと、心強い半分、怖い気がする。
と、思いながら、総司はその場を後にした。

「神谷さん中々捕まりませんねぇ」
セイが忙しいのは分かっていても、中々捕まらないのも悲しくなってくる。
流石に正月で店も空いておらず、人通りの少ない道をとぼとぼと歩きながら、里乃と正一の住む家に向かう。
玄関までたどり着くと、またそこはかとなく緊張感が総司を襲った。
「……お里さんには…言ってるんでしたよね…」
そう。セイが先日のお馬で休暇を取っている時に里乃には伝えたと言っていた。
それから総司は初めて里乃と会う訳だが。
里乃はセイにとって姉のような存在だ。
父親の次には姉。
……正月からセイの親族への挨拶巡りか!?何の試練だ!?と自分に突っ込みを入れずにはいられない。
けれど、ここで臆して帰るのも、元日から抱負から逃げることになる!と心を奮い立たせて戸を叩く。
「こんにちは~」
声を掛けると中から返事して、勢いよく扉が開く。
「あっ!沖田はんっ!」
「あら。沖田センセ」
中から正一と里乃が姿を現す。
「こんにちは。お里さん、まぁ坊。明けましておめでとうございます」
「あら。明けましておめでとうございます。沖田センセ。ほら。まぁ坊も」
「おめっとさん。沖田センセ」
にこりと笑って挨拶をすると、二人もその場で丁寧に頭を下げる。
「もしかして、神谷はん探しに来たんか?」
正月早々突然の総司の訪問に、正一はすぐにピンと来て、頭を上げると指摘する。
「うぐっ!」
「やっぱり!里姉ちゃん!沖田はん神谷はん探しに来たで!俺の予想通りや!」
「まぁ坊!すんまへん。沖田センセ」
「……いえ。その通りだからいいです…」
子どもにまで言い当てられるほど、普段からセイの金魚の糞のように彼女を追いまわしていたんだろうか。自分は。
ただ元々一緒にいるのが当たり前だったし、恋仲になったら好きだから傍にいたいという当たり前の感情で一緒にいただけだと思っていたのだが。
真っ赤になりながらも肩を落とす総司に、里乃は苦笑する。
「すんまへん。神谷はんならもう屯所にお帰りになりましたよ」
「えっ!?そうなんですかっ!」
ここでもまた肩透かしな事に総司は驚くと、里乃はそんな彼の姿にまた声を立てて笑う。そしてそっと彼に近付くと耳元で囁く。
「年の初めはセンセのお傍に少しでも長くいたいんどすって」
「ええっ!?」
「ほんならここで晴れ着に着替えて沖田センセお呼びしたらえぇのにって言ったんどすけどなぁ」
「えぇっ!?」
「沖田センセに武士を止めさせられるって言うてなぁ」
「えぇっ!?」
「そんならそれでもう恋仲なんやし、お嫁はんにしてもろたらえぇやないの。言うたんどすけどなぁ」
「えぇっ!?」
「沖田はんと里姉ちゃん何話とるんや!俺だけ除け者にして!」
「えぇっ!?」
次から次に囁かれる言葉に動揺し続けていたところに、正一からきっと睨まれ、総司はびくりと肩を震わす。
言葉一つ一つに反応し続ける総司が余程面白かったのか里乃は先程より楽しげに笑った。
「もうっ!もう!お里さんが変な事言うからですよっ!」
「変じゃありまへん。少しもおかしくなんてありまへん。沖田センセはいつになっても野暮どすから教えてあげたんどす」
言い訳するように不服そうな正一にそう返すと、里乃は胸を張って総司に切り替えした。
「神谷はんが屯所で待ってはります。きちんとお話ししておくれやす。センセが野暮だからお正月なのにきっと今頃不安になってますえ」
「えっ!?どうして不安になるんですかっ!?」
散々振り回された今の流れからどうしてセイが不安になっているのか、分からない総司は真剣に里乃に聞き返す。
里乃は目を見開き、そして法眼にもされた呆れの込めた溜息を総司に向かって吐く。
そして徐に総司の背を押し、正一に聞こえないようになのか、玄関の戸を閉めると、外に追い出した彼を見上げた。
「…折角沖田センセと恋仲になれたのにおセイちゃんが新選組に残りたい言うたのは諦めます。けど、おセイちゃんを大切に思ってくれはりますならもっとおセイちゃんの女子の部分を大切にしておくれやす。女子で武士のおセイちゃんが好きや言うてくれたんですやろ?」
「……はい」
改めて里乃からセイと恋仲である確認をされ、総司は頬を染めながらもはっきりと答えた。
「だったら、武士だけのおセイちゃんやのうて、女子のおセイちゃんも大切なんだって、もっと伝えておくれやす。もう長い事野暮天はんに振り回されておセイちゃん鈍ぅなってるんどすえ。恋仲になったのやからせめてこの家にいる間だけでも女子姿に戻ってセンセと二人でゆっくりしたらええのに言うてもさっきみたいに『武士を辞めさせられる』言い返すくらいになぁ。可愛そうなくらいえ」
「……すみませんでした」
俯き加減で囁かれる台詞に総司も項垂れ、侘びの言葉を言うしかなかった。
そんな彼の姿に里乃は顔を上げ満足そうに笑みを浮かべると、またいつもの明るい声に変わり、総司に続けた。
「反省しはったら、今年はおセイちゃん幸せにしてくださいませね。いつでも祝言の準備させて頂きますえ」
「はい…はっ!?」
「今年は楽しみにしとります」
「えっ!あっ!?あのっ!?」
「ほな。また」
戸惑う総司をそのままに里乃は戸を開け、家の中に入っていく。
その場に置き去りにされた総司は暫し赤面したまま佇み、そして、ぎゅっと拳を握り締めると、屯所へ向かって歩き出した。

「神谷さんっ!」
屯所に戻ると総司は門番している隊士に挨拶もそこそこにセイを探し回る。
「あ、はい!」
医薬方の小者に総司が探していたという話を聞いていたらしいセイは一番隊の部屋で仲間たちと雑談をしていたが腰を上げ、総司の元に近付いてきた。
「お探しになっていたと聞いて。申し訳ありませんでした」
ぺこりと頭を下げるセイに、総司はぴたりと動きを止めてしまう。
先程まで法眼や里乃に煽られ、背を押され、今年こそはセイと仲を深めるのだ!と意気込んで帰って来たはいいが、いざ本人を目の前にすると、弱気になってしまった。
「沖田先生?」
何も喋らない総司を見上げ、セイは首を傾げる。
総司はと言えば、セイの後ろに控える相田たち一番隊隊士たちがこそこそとしかし人数が人数だけに堂々と一人また一人と気配を消しながら部屋を出て行く姿が目に入った。
気を遣わせている事に苦笑してしまう。
「あ、あの……ちょっと出ませんか?」
「はいっ!」
総司はセイの手を取り、屯所を出る。
正月と言う事もあり店は何処もやっていない。つい昨日大晦日の賑やかな町の通りが嘘のように疎らな人の間を抜けて、一つの建物にたどり着いた。
「あれ?先生?ここの茶屋はお正月からやってるんですね?」
「そうですよ。女将さん。先に手紙を出していたかと思うんですけど…」
セイの問いに特に理由付け加える事無くさらりと答えると、玄関で待っていた女将らしき年配の女性に総司は声を掛ける。
「お支度はできております。こちらへ」
そう言われ、誘われるまま、セイは手を引かれるまま、一つの部屋に入る。
そこには一式の着物が置かれていた。
「神谷さん。これに着替えてください」
「え?先生…これ…でも…」
「私がして欲しいんです。嫌ですか?」
「…っ!いえっ!」
セイは置かれていた着物をぎゅっと胸に抱えると総司を振り返る。
「私は部屋を出ていますから着替えたら呼んで下さい」
そう伝えると、セイはほっとした表情を見せ、総司が部屋を出ていく為に背を向けると息を吐いた。
総司は背を向いたまま戸を閉め、そして暫し部屋の中から聞こえてくる衣擦れの音に溜息を吐きながら、声がかかるのを待つ。
「…沖田先生…できました…」
そっと襖が開けられると、そこには浅葱色の着物を纏い、髪を結った女子姿のセイが彼を見上げていた。
総司が見合いの時に寄席で丁度居合わせた時の姿そのままだ。流石に髪や白粉はしていなかったが、それでも一瞬にして彼女の女子として本来持つ魅力に引き込まれる。
「……やっぱり神谷さんはその色が似合いますねぇ」
うっとりと見下ろすと、セイは恥しそうに俯いた。
「どうして…」
戸惑うセイを部屋の中へ誘導し、そこへ座らせ、総司も対面するように座った。
セイの支度を見計らって、女将が邪魔にならないように気配を消しながら、簡単な料理を用意すると、静かに襖を閉じた。
それを確認してから総司は未だ落ち着き無い様子のままのセイの両手を取り、宥めるようにその手を指で撫でる。
「今日ね。貴女を探して法眼とお里さんの所へ行ってきたんですよ」
「沖田先生もっ!?」
「だって、貴女、私の事ほっぽいてすぐにいなくなっちゃうんですもん」
「それは、正月は忙しいんだから仕方が無いじゃないですか」
総司が拗ねるように呟くと、セイ頬を染めて俯いた。
「そうですけど……折角新しい年の初めの日くらいは貴女と一緒にいたいなと思ってたのに…」
「私だってそう思って!」
だから朝の内に全ての用事を終わらせようと駆け回ったのだ。と。反論するセイに総司は苦笑した。
「そうだったんですか…。もう。それも知らず神谷さんを追ったお陰で、新年早々神谷さんのご家族の挨拶回りになっちゃいましたよ」
「家族って…」
「だってそうじゃないですか。父上の松本法眼に、お姉さんのお里さん。もうどきどきしちゃいました」
「別にいつもお会いになってるじゃないですか」
何故どきどきする必要があるのか。と首を傾げるセイに総司は口を尖らせる。
「……皆して家の娘に妹に手を出すなら、大事にしなきゃ許さんぞって言われて」
「なっ!」
「手を出しているのは事実ですからねぇ。殴られる覚悟ぐらいは出来てるんですけど、それでも大事なお嬢さんを頂く身としては緊張しっぱなしですよ」
ぼやく総司の台詞に今度こそ真っ赤になったセイは握られたままの手を抜いて、思わず胸元に引き寄せてしまう。
「こんなんじゃお嫁にくださいって言いに行く時、緊張で本当に心臓止まっちゃうんじゃないかな」
「な。ななななななっ!な、何言って!言ってるんです!かぁっ!」
耳まで真っ赤にして己を見上げてくるセイに、総司は嬉しくなって微笑む。
「今度から二人きりになる時はもっと女子の姿も見せてくださいね。普段は武士の貴女も一杯見てるんですから。女子姿の貴女が足りないです」
「……何かお里さんから言われたんですか?私、武士辞めませんからね!」
顔を赤くしたままも何か勝手に思い込んで察したようにきっと総司を睨み付けると、そう言い放つ。
成程。と総司は納得した。
今までの自身の行いのせいだと気付いても、恋仲になっても尚頑なにセイが女子姿にされるのは未だに己が辞めさせられる為の口実と思われているのは悲しくなる。
「いいですよ。辞めなくて。お里さんに言われて気付いたんですけど、私貴女の女子姿全然見てないんですよねぇ。ただ私がもっと女子姿の貴女にも会いたいんです。その浅葱色の着物もお里さんにここへ届けてもらえるようにお願いしたんですよ。私、貴女のその着物姿好きなんですよねぇ」
「……」
そう言葉を添えると、腑に落ちない様子ながらも、セイは嬉しそうに笑った。
そんな彼女が眩しく、目を細め、つい、次の言葉も続ける。
「ちなみに法眼には、既成事実でも作って来いって言われましたけどそうします?」
「なななんっなっ!って!……先生まで赤くならないでくださいっ!!」
言って総司は撃沈した。
二人の仲を進展させる為にきっかけを見つけたら一緒に言うぞ!と決めていたいたが、実際言葉にして――しかもセイに伝えるその己への衝撃度と言ったら無かった。
口にする事で、目の前の彼女と実際に既成事実を作る姿がはっきりと浮かび、耐えられなくなった。
セイには引かれてしまっただろうか。
今までそんな触れ合いを、実際に恋仲になったらその後の進展を口にするのが初めてだっただけに、セイの反応が不安で、つい俯いてしまったが、己を冷静に保たせると顔を上げた。
「……神谷さんも真っ赤」
総司の呟きに、セイははっと我を取り戻し反論する。
「あっ!当たり前じゃないですかっ!野暮天の沖田先生からそんな台詞が出るなんて誰も思うわけないじゃないですかっ!」
それはそれでどうだろう。
「……私もこれでも男なんですけど…」
「えっ!あっ!そっ!そうですけどっ!そのっ!普段の先生と繋がらないって言うかっ!」
「私は神谷さんを欲しがっちゃいけませんか?」
「いやっ!えっ!?」
じり、と膝でにじり寄ると、セイは間を置く様にじりっと後ろに下がる。
じりじり。
互いに一つ斬り合いの間合いを取るように距離を取る。
ふっと、総司は身を引いた。
そして未だ警戒して身を縮ませているセイに微笑む。
「神谷さんに怖がられる事はしませんよ。ただ、少しずつ近付いていってもいいですか?だって折角恋仲になれたんだから触れたいんですもん」
「……こ、怖いわけじゃないんですっ!ただ、慣れて…そう!慣れてなくって!」
「私もですって」
女子に慣れていない事で実際に好きな女子が出来た時にどう距離を詰めればいいか分からなくなるなんて思いもしなかった。
これならもう少し女子慣れしていれば良かったかと後悔するばかりだ。
こんな状態で今年の抱負が達成できるだろうか。と、抱負を立てた早々先が思い悩まされる。
「………沖田先生」
胸元に引き寄せた手をそっと伸ばして、総司の掌の上に重ねる。
「私は…野暮天な先生が…そう!野暮天な先生が大好きですっ!」
「っ!」
大好きだといわれながら、『野暮天な』を付け加えられる事で触れるなと距離を置かれてしまったような。
嬉しい気持ちと寂しい気持ち、けれどセイがそういうならもっとゆっくりと進めよう今年の抱負はそれでいいと諦めの諦めの気持ちのまま視線を上げると、顔を真っ赤にしたまま必死に総司を見つめて訴えるセイの瞳とかち合う。
潤んだ瞳の中に映り込む己の姿に息を飲んだ。
―――。
「……今年も宜しくお願いしますね。神谷さん」
――吐き出す息が熱かった。
その心地良い熱が全身に広がるのを感じながら、総司は目を見開いて涙を零すセイに微笑んだ。
「あ、恋人として。ですからね!」
そうつけ加えると、セイは驚いた表情をくしゃりと崩して笑った。
「……どうぞ宜しくお願いします。沖田先生」


2016.01.20up