月とともに(ss.ver.)

ピィィ――――。

新選組が加勢を呼ぶ為に鳴らした呼子が京の街中に響く。
その日薬を取りに松本法眼の元へ尋ねていたセイは手の中の袋をぎゅっと握り締めた。
今日の朝の巡察は一番隊だ。
――病を押して総司が出動している。
今、手の中にある薬は全て彼の為のものだ。
近藤や土方には隠したまま、松本を頼りに、以前と変わらぬまま隊務をこなし、病に打ち勝つと。そう二人で誓った。
今朝もいつもと変わらぬ様子で総司は巡察へ出た。一番隊の仲間と共に。
病によって彼の仕事に支障を与えぬようにと、気休めにしか過ぎないが微量の薬が御守として彼の懐に入っている。
彼自身の実力も、仲間の力も信じている。
いつもと変わらぬ様子で彼が帰ってくるのを、セイは信じ抜くしかないのだ。
今の己に何が出来るわけでもない。分かっていても、足は自然と呼子の呼ぶ方へと向かっていた。

金属の弾き合う音が響く。
セイが駆けつけると、既に一番隊と同じく朝の巡察に出ていた他の隊が合流していた。
人通りの多い道の真ん中で武士たちが幅一杯に使い、ある者は捕縛にかかり、ある者は未だ刀を交え睨み合っていた。
その難を逃れるように遠巻きに見守る人だかりの間からセイは顔を出すと、すぐに総司の姿を見出す。
――総司は一人の人物と睨み合っていた。
その様子に察したセイの背に緊張が走る。
普段であれば組長が抜刀し前面に出る事はまず、無い。
組長が取られてしまえば、そこで終わりだからだ。
だから、隊には死番だってある。
その組長が自ら前面に出て抜刀する必要があると言う事は、――それだけ敵方が強いという事だ。
周囲を見れば、散り散りに逃げる者を捕縛に当たる者、未だ抵抗をする者に相対している者以外、総司の周囲を固め、彼と、彼に対する敵を遠巻きに見守っている。
相田と山口を探せば、二人も抜刀をしたまま、総司のすぐ後ろに控えていた。
恐らく、二人が既に刀を交わして勝てなかったか、総司が敵わないと判断して後ろに下げたか、そのどちらかだ。
相手は何処かの藩士だろうか?武士然としたきちんとした袴姿は品格の高さを思わせた。
睨みつける眼光には獣のような剥き出しの狂気は無く、冷静さが逆に相手の強さを教える。
こくり。とセイは息を飲む。
総司を見れば、既に目の前の男を真っ直ぐ見据え、ゆっくりと刀で相手との距離を測っている。
その瞳に、動きに揺らぎは無い。
それでも――額から伝う汗をセイは見逃さなかった。
万全の調子では無いのに。
そう訴えが声に出てしまいそうになる己を拳を作る事でぎゅっと抑える。
彼の武士としての矜持を壊す事だけは――決して許されない。
ヒュッ。
風を切る音が聞こえたと思った瞬間に、既に総司は動いていた。
ギィン!
刀が打ち合ったかと思った次の瞬間には、互いに一歩引いて間合いを作り、次の切り込みに踏み出していた。
鈍い刃音が響く。
両者の一撃一撃の重さが、打撃音に反映される。
セイにはその太刀筋全てを追う事ができない。
ただ、放たれた一撃に対し、一歩遅れて音が耳に入り込んでくるだけだ。
総司が大きく動いた――決着が着くかと、思った次の瞬間には、彼の頭上に刃が降りてくる。
「っ!!」
セイが声にならない声を上げるのと、総司がそれを交わし、男の側面に入り込むのは同時だった。
刀を降ろす男の右の懐に入り、刀の柄で脇を打ち付ける。
ぎしっと木の軋む音に似た音が響く。
しかし男はそれでよろめく事は無く、すぐさま右足を後ろに下げ、一歩下がると、総司から間合いを取る。
総司も下がると、屈めていた体勢を起こし、もう一度、男を正面から見据えた。
彼が見据える先、敵対する男の背後から、町の人間に紛れてセイは真っ直ぐ総司を見つめる。
「――」
すぐにでも止めさせたい。止めなければ刀を構えた次の瞬間には病が彼の戦いの邪魔をするかも知れない。万が一が起こってしまうかもしまうその前にどうにかして止めなければ。
そんな先程まで彼女の中にあった焦燥感は既に無くなっていた。
ただ、手の中の薬をぎゅっと抱き締め、総司を見据える。
セイからは背中しか見えない男はやはり強いと思わせた。――総司と刀が届くギリギリの間合いを取りながら、彼は背後から見ても分かるほどはっきりと肩から力を抜き、剣戟の緊張から己を一瞬にして解放すると、刀を握り直した。
その一瞬ですぐに己を立て直したのだ。
セイは背後からでも男のその仕草に衝撃を受けたのに対し、総司は口元を少し綻ばせると、目を細める。
――楽しくて堪らないと言う顔だ。
しかし、それも一瞬で、すぐに感情の無い瞳で男を見据える。
凍える月のように揺らぎの無い瞳。それはもう人としての感情はそこには無い。
鬼神が獲物を定めた――。
再びどちらかとも無く、動いた――というよりも、風で着物の裾が揺れた、という感覚でしかなかった、次の瞬間には、また大きな刃音が響く。
――今度は一瞬で決着が着いた。
総司が頭上に振り下ろされる刀を予測して弾いたのだ。
それと同時にがら空きになった懐に入り込むと、その喉に刃を突き立てる。
ごぼっと、男の呼気が血飛沫と共に宙に飛散すると、弾かれた刀が地面に突き刺さるのと同時に、地面に体を預けた。
己の爪の露を払い一瞬で納めた鬼神は、転がる石を見るように眉一つ動かさず、倒れる肉体を見下ろした。
暫しそうして見つめていると、総司はふと顔を上げ、息を深く吸う。
瞳が揺らいだ――。
「っ!沖田先生っ!」
セイは金縛りが溶けたように反射的に彼の元へ駆け出す。
民衆の間から突然現れたセイに驚きに目を丸くして総司は彼女を見るが、抑えられない肺の痛みに彼は大きな咳を一つ吐いた。
「神谷?」
突然現れたセイの姿に隊士たちの数人が気付き、驚くが、総司に駆け寄る様子に苦笑すると、各々の仕事を再開する。
総司が男と対峙している間に男の仲間たちの大半は捕縛され、逃げた者には既に追っ手を付けていた。総司が胸を押さえたまま駆け寄るセイを手で押し留めて周囲を見る。
「相田さん!少し席を外します!」
セイは相田に声をかけるとその場に留まろうとする総司の腕を掴み、逃れようとする彼を無理やり押さえ人一人通れる位の狭い小道へ誘い出した。
「神谷さっ!っ!ごほっ!」
人がいないのを確認してから総司はセイの腕を振り解き名を呼ぶと、今度こそ激しく咳き込んだ。
呼気を乱すほどの激しく大きい咳が小道に響く。
背を丸めてその場で崩れ落ちるように屈む総司の背を包み込むようにセイは上から抱き締めた。
「大丈夫です。ここならもう誰にも聞こえませんから…ゆっくり呼吸してください…」
右肺を擦るように手を当て、総司の背から伝わる心音に合わせる様にセイ自らゆっくりと呼吸をして、彼の呼吸を促す。
総司の咳はそのまま臓腑までも吐き出してしまうのではないだろうかという程激しくセイを不安に駆らせるが、諦める事無く彼の背を撫で続ける。
そうしている事で徐々に彼の呼吸音が変わり、やがて咳が喘鳴へと変わり、無音となった。
「……もう大丈夫ですよ。神谷さん…」
まだか細く弱々しい搾り出したような声であったが落ち着いた声色にセイは手を解き、総司を見た。
青白い顔色にも関わらず頬だけを上気させ、瞳に涙を溜めている姿が彼女の胸を突く。
「生憎と水筒を持ってなくて…水をお持ちしますか?」
そう問うと、総司は首を横に振り、そしてつい今まで立つ事さえも辛そうだった様子を少しも見せず、すくっと立ち上がると、未だ捕り物の事後処理をしている大路を見遣った。
セイは何も言わず、総司の凛とした仕草に、一つ溜息だけを吐く。
己の胸を押さえる為にくしゃりと皺の寄った総司の着物をセイは多少でも直ればと伸ばしてやると、彼は頬を染め擽ったそうに笑った。
「……息をしていると咳き込みそうだったから息を止めてみたんですけど中々諸刃の剣ですね。苦しくて苦しくて」
「そっ!そんな事してたんですかっ!?」
ぼそりと零れた呟きにセイは顔を上げた。
「咳をし始めたら戦う所じゃないですし、抑えながら動いてたらどうしても手が震えちゃうから、…いっそ止めてみたらと思ったんですよね」
「ばっ!……はぁ~もう、先生がご無事で良かったです…」
『馬鹿じゃないですか』と怒鳴ったところで始まらないし、結果的にそのお陰で総司は傷一つ負わずに済んだのだと思えば、セイはそれ以上何も言えず、また一つ溜息を吐いて怒りを流すしか出来なかった。
そんな安堵の息混じりに溜息を吐くセイを見つめながら総司はくしゃりと彼女の前髪を撫でる。
「神谷さん。ちゃんと帰りますから、屯所で待っていてください」
セイが顔を上げると、もう既に総司は歩き出していた。
後姿には最早先程の今にも折れそうな程のか細さは無い。
セイは瞳に滲んだ涙を拭って、彼の後を追った――。

総司が敵方と刀を交えている時、途中から彼の病気を慮り焦燥感で埋め尽くされていたセイの感情は高揚へ逆転した。
――沖田総司は死線に近ければ近いほど覚醒する。
内包している病さえ押さえ込み、命を磨り減らしてさえも、刀を握る事に鬼神は全てを注ぐ。
見惚れてしまったのだ。彼の剣技に。生き様に。
冴える太刀筋は一層鋭さを増し、追い詰められるほどに強くなる。
凍える月はその色を深め鋭さを増した。
だからこそ――願わずにはいられない。
祈らずにはいられない。
彼が彼の望む生を存分に全うできるように――。と。
セイは全力を尽くすのだ。

2016.02.12