「お前は神谷をどうしたいんだ?」
さらり。さらり。とセイの髪を優しく撫でる。
月のように癒す事はできないけれど、どうか彼女が安らかに眠れますように。そう願いを込めて。
眉間に皺を寄せ眠るセイは総司の掌の温もりを感じる事で緩やかに全身の力が抜け、安らかな寝息を漏らし始める。
月を屋敷に送り届けてから数日。
帰郷しようかとも思ったが、京で帰りを待つ近藤や土方を思うと、すぐに帰路に着く事にした。
命を守る為とはいえ、本来京から江戸までかかる日数の三倍近くも掛けて目的地に辿り着いた。
その際一切の連絡を取る事はできなかったし、無論向こうから取り様が無く、どこでどうしているかの情報だって入っていないはずだ。
松本が依頼をしに来たあの時の様子を見れば誰だって不安に駆られる。数日前手紙を出したけれど、それでも総司とセイ二人が無事帰る日を何よりも待ち望んでいるだろう事を思えば、自然と足は京へと急ぎ始めた。
総司はすぐ隣に布団を敷きながらも、己の布団の中に入り込み、蹲る様にぎゅっと丸くなって眠るセイを見つめる。
最初は別室を取ろうと思っていた。
行きは良かった。姫も月も共にいたし、あくまで互いに男として、武士として常に気を張っていたから。
けれど帰りは二人だ。
いつもお神酒徳利と言われ、二人きりでいることも多く、隣で布団を敷いて寝ていても、それは他の隊士もいるし、屯所というセイを女子として接する事も出来ず、気の置けない場所だったから、自制も出来た。
しかし帰りは完全に二人きりだ。否が応にもセイを意識せざるを得ない。
武士としてセイを必要としている、背を任せられるのは彼女なのだ、そう信頼している自分がいる事はもう十分分かった。それでも女子として好いているという感情がひょっこり突然姿を現す時、総司はどうしたらいいのか分からなくなる。
何か不埒な事を起こしてしまいそうで、最初セイには帰り道は別室を申し出た。
話した時は彼女も彼の示唆している事に思い至ったのか、承諾してくれたが、その夜、彼女は総司の部屋を訪れた。
入り口の戸を開けると、セイは涙を零し、子供のように喉をしゃくり上げ、震えていた。
自分でもどうしてなのか分からないが、眠れないのだ。と。
「大丈夫ですよ。大丈夫。神谷さん」
身を縮めて硬くなるセイの体を引き寄せ、己の胸の中に納める。
それだけで、セイの体から緊張が解けて、縋る様に彼女も身を寄せた。
――京から江戸までの間、道程を模索し続け、刺客を出し抜いてきた彼女が、目的が達成したからといってすぐにそれまでの緊張解ける程器用ではなかった。
既に癖になり、習慣となり、馴染んだ体と心は休み方を忘れ、彼女を疲労させた。
そして姫を死なせた自責の念が己を苦しめ、その思いを膨らまし、自らの手で自分を追い込んでいく。
そんな自分を持て余し、どうしてよいのか分からなくなったセイは総司に泣きついたのだ。
――当然の事だ。
寧ろずっとセイに頼りきりだった己を総司は恥じた。
彼女をこんな風にさせる程に頼りきっていたのだと。
そこらの武士よりずっと武士らしく思考し、常に緊張の糸を張り続け、体力ではなく知力も勘も運も全てを使い果たすほど彼女は努力した。
枯渇すれば弊害も出てくる。それだけの事だ。
彼女にその自覚があったとしても無かったとしても、頼り切っていた事を詫びてもきっと彼女は否定するだろうが、総司はそこまで追い詰められる程彼女に頼っていた己を恥じた。
『要人も、神谷も守れるとか思ってんなら傲慢だな』
そんな事は出来ない事だったのだ。始めから。
彼女が彼女であったから、姫は命を賭け、月は生きる覚悟をした。
もし総司がセイと同じ事をして見せられたかと言えば、否だろう。
きっと二人の心を動かす事などできはしなかった。
彼女が太陽の存在であるのは、総司だけではないのだ。
結果的に何も出来なかったのだ。自分は。
「ここにいますよ。神谷さん」
セイを安心させるように、総司は囁く。
彼女は総司が傍にいると落ち着くようだった。
同じ布団で眠り、彼の温もりを感じ、彼が囁く事で安心して眠る。
――ごめんなさい。
今までのセイに対しての贖罪だと思えば、己の彼女に対する感情など幾らでも抑えられた。
触れる体、温かな吐息、甘える仕草、子ども返りしているだけのようで、それでもしっかりと女子として成長している彼女は総司を誘惑する。
それでも己が傍にいる事で落ち着けるというのなら、幾らでも傍にいよう。セイがこんな自分でも心の拠り所にしてくれるのだと思うと安心する。
彼女の安心する存在であれるのならそれだけで心が救われる。
守られる己ではなく、もっと、もっと――。
女子としても、武士としても、セイの心も体も包み込める程強くなろう――。
彼女はいつも言う。「沖田先生に守られてばかりだ」と、そう言って己を恥じる。
どれだけ今回の旅でセイの有能さを見せ付けられたか分からないのに、彼女はそれでも言う。
それが嬉しくて、悔しい。
もっと自分を大切にするといいのだ。
私がどれだけ貴方を必要押しているか気付けばいいんだ。
気付かれたら困るくせに、そんな事を思う。
だから。
「私は神谷さんに頼りきりですよ。貴方がいなきゃ私は任務を遂げられず死んでました。悔しいくらい頼りきりでした」
そう告げると、嬉しそうに涙を零し、そしてまた悔しそうに、
「もっともっと強くなってもっともっと冴えていれば、あの時姫を救えたのに」と彼女は嘆く。
「己を追い詰め、それで自分を慰めるのはよしなさい。やれる事をやった結果です。命を懸けて貴方を守ってくれた姫様に失礼です」
そう言う事で己を追い詰める事は止めたけれど、無意識の中の意識は今もセイを苛む。
「沖田先生…」
徐々にでも、こうして抱き締める事で彼女の気持ちが落ち着けばいい。
彼女が掛け値なしで頼れるくらい強くなろう――。
それを最早恋というのか、愛というのか分からない。
それでも。
ただ――。
『守る』なんて、傲慢も甚だしい。
彼女の傍にいる為に。
あの人の隣に立つ事。
まずはそこからだったんです。土方さん。
総司は体を寄せるセイの額に唇を寄せ、高鳴る鼓動が落ち着いていく細い体をぎゅっと強く抱き締めた。
「好きですよ…」
そう伝えれば貴方は私にもっと己を委ねてくれるだろうか――。
その問いは、眠る少女には届かなかった。
2014.01.20