凍る月1

「お前は神谷をどうしたいんだ」
土方にそう問われた時、総司は咄嗟に出てくる言葉が無かった。
返答は沈黙のみ。
そして、それは何かを決断し、沈黙で返しているのではなく、問われた本人が問われた事に対して言葉が見つからず、見つからなかった己自身の思考に困惑しており、言葉が見付からない故の沈黙である事が、土方は対峙する総司の気配から感じていた。
その事に土方は大きな溜息を一つ零す。
「俺はずっと刀で身を立てる武士として傍に置くつもりだと思っていたんだがな」
「――」
「確かに、あいつはまだまだ童だが、機転も利くし、目端も利く上に、小回りも利く。勘定もできて有能だし、それなりに文も書ける。あんなでも古参だからな。指示をする時もそれなっりに話が早いし、重要なものも任せられる信がある。後方の隊士としても有能だが――」
そこまで言って土方は一度話を切り、そしてまた続ける。
「あれでも一応お前の一番弟子みたいなもんだからな。色々面倒事に巻き込まれる奴だからお前にお守りさせるのが一番無難だと思って一番隊に配置しているが、それでも仮にも一番隊配属だ。それなりの精鋭の部類には入る。本当に鈍らな腕なら置かんからな」
普段何かにつけてはセイといがみ合うくせに、実は彼は彼なりにセイを評価しており、彼女に突っかかる事さえも彼女に対する甘えだというのは総司も気付いていたが。面と向かって初めてセイに対する評価を話す土方に総司は目を丸くした。
しかし、次に問われる言葉に、総司は戸惑い、また答える事から逃れるように目を伏せた。
「はっきり言おう。お前は自分の命より神谷の命の方が大事なのか?」
「――」
総司は口を開こうとするが、声が出ない。
そんな彼の姿に、土方はもう一度深い溜息を吐いた。
「お前、昔より随分嘘が下手になったな」
何故突然そんな事を言われるのか分からない総司は、伏せていた視線を上げた。
「自分でも気付いていないのか。――お前昔ならすぐに軽口でも嘘でも返してきたぞ。少しも本気で笑ってない、本心を見せない笑顔と言葉をな」
そう土方は語るが、当の本人は今までの自分がどうだったのかも分からない様子で、何故そんな風に言われるのだ、そんなつもりは少しも無いのに、と腑に落ちない表情で彼を見た。
何処までも己の変化に気付いていない総司に、土方は呆れの感情を吐き出すように息を吐いた。
「明日から神谷と二人で江戸に向かってもらう」
今までの流れから突然話が変わり、命が与えられた事に総司は驚く。が、土方は彼の動揺を意に介さず、話を続けた。
「とあるところのお姫さんらしい。あちらさんで連れて来るのは下男一人。理由は知らんがどうしても江戸に行きたいらしい」
「そっそこでどうして神谷さんと私ですか!?新選組は京の治安を守るのが仕事でしょ!?」
「やっとまともに喋ったな」
今まで言葉を詰まらせてばかりだった総司が口篭りながらも初めて問いを口にすると、土方は意地悪く言い放ち、指摘された事が恥しくなって総司は頬を染めてそっぽを向いた。
「この仕事を受けたのは近藤さんだ。文句は言わせねぇぞ。そして依頼は松本法眼だ。いつも世話になっている上に仮にも御殿医の依頼だ。そうそう断れねぇ。その姫さんが何者かは知らねぇが命を狙われているらしい。護衛には細心の気を払え。おそらく相当な手練が引っ切り無しに襲ってくるそうだ」
「だったら神谷さんじゃなくても他のもっと腕の立つ人の方がいいんじゃ」
「俺もそれは言ったんだが――なんでもその姫さんの抱えてる事情で神谷だと都合がいいらしい」
「事情って?」
「聞かされてねぇ」
土方はむすりと答える。
しかし、要人警護の依頼をこうして上役から与えられた時に、その人物の背景や新選組が警護する事に至った事情等、聞かされないのはいつもの事。
未だ武士としての立場が弱い新選組は腕が立つ事は認められているが、珍しくお上から仕事が降りてくる時は大抵命がどうなろうと構わない捨て駒として与えられる仕事が多い。
腕は立つのだから、要人さえ守れれば、隊士たちが負傷しようが死のうが構わない。
替えの利く捨て駒程度の扱いはどれ程武勲を立てようと変わらない。
そんな仕事しか日々与えられないから、仕事を与えられた時、自分を守れるのは自分だけだ。
だから日々研鑽し、己の力量を高め続ける。
そういう風に今までもやってきたから、総司はそれ以上聞く事は無かった。
ただ、武士として生きたいと望むセイに普段助力をしている松本だが、やはり本音としては刀の交わる場所には立たせたくないだろう。実際に幾度かそんな話も聞かされた。
そんな彼が恐らくは彼よりも上の位の人物だろうからとは言え、娘のように大切に思っているセイに命がけの任務を与える事が不可解で、眉間に皺を寄せた。
土方は総司が不審そうにしている様子に、俺もだ。とばかりに頷いた。
「いつも威勢の良い御仁が、珍しく深く頭を下げられた。『どうか生き延びてくれ』とな。随分とうちの隊士も見下されたものだと思ったが、そうじゃないらしい。恐らくは総司、お前と同等の刀の使い手がごろごろ襲ってくるらしい。時には裏の世界で人斬りとして生きているような輩がな。俺たちも大概癖のある刀の使い手だが、その上手を行くだろう。と。本来であれば己の命を守るだけで精一杯だろうところを、守って欲しいと。な」
「そんな人たちが…」
京を巡回していると時にそういった本来認められていない位の者が刀を振るい収入を得る浪人に出会う事がある。
己の剣術が一番だとは思わない。しかし、組長格にいるだけの自負はある。時にその己の腕と拮抗する程の腕の持ち主と出会った時は、己が真っ先に刀を交わすのだが。
それが、ごろごろと襲ってくる――。
ひやりと、心臓が冷えていくのを総司は感じた。
「命が狙われているという事もあって、あまり大勢で周りを固めて目立ちたくもないそうだ。だからお前と神谷の二人に任せる」
「!」
「守るべき姫さんがどんな事情を抱えてそんな連中に襲われるのかは知らん。しかし、依頼を受けた以上全うするだけだ。――もう一度聞く。お前は神谷をどうしたいんだ」
巡り巡って戻ってきた問いに、総司は身を硬くした。
「最近のお前は神谷を後方において、打ち合いから遠ざけようとしているようにも見える。大きな捕り物の時は己のすぐ近くか、自分に余裕の無い時は修羅場から遠ざけてあいつが戦い抜けるとお前が安心できる程度の距離に置いているだろう」
「!」
「俺が知らないと思ったか。仮にも副長だぞ。人間関係まで把握してんだよ。今まで傍に置いて来た神谷を刀から遠ざけようとしてるだろ。今はあいつも気付いてないかも知れないが、やがて気付くぞ」
「……」
「安全な場所へさりげなく配置されて、打ち合いでは総司に守られてたと気付いたら、あいつの事だから馬鹿にしてんのか!と怒り出すだろうな」
総司は何も言えず、唇を噛む。
「ずっと傍に置いて来た弟分を可愛がるのは最もだし、つい危険な場所から遠ざけようとする気持ちも分からなくもねぇ」
そう言い置いて、土方は続ける。
「俺たちは何だ?武士だぞ?あいつもこの新選組の隊士の一人だ。行き過ぎると過保護でしかねぇ。俺たちは命懸けでいつも戦ってるんだ。生温い感情は捨てろ」
強い眼差しが総司を捕らえ、彼の芯を射抜く。
「お前の命より神谷の命が大事だって言うなら、この仕事からお前を外す」
「なっ!」
本来なら腕の立つ総司を残し、セイを外すべきではないか。と反論しようとする総司に土方は目で制する。
「神谷ははずさねぇ。向こうの希望だからな。だからいつも以上に危険な任務の今回、てめぇの命より咄嗟に要人でもない神谷を庇おうと体が動くというなら、お前は使い物にはならねぇ」
「そんな事!」
「要人も、神谷も守れるとか思ってんなら傲慢だな」
「――!」
「守るのは要人の命だけだ。後はてめぇの命をてめぇで守れ。神谷が死んでもな。――それができるなら、行け」
「……」
総司は口を開き、胸に詰まる言葉にならない靄を吐き出そうとするが、やはりそれを土方に分かるように伝える術も言葉に変える技量も無く静かに唇を固く結ぶしかなかった。
胸に滲む悔しさ。
それでいて反論できないのは、土方の指摘が、総司の胸を突く程的確だったからだ。
己の内にある感情を諌めるのも、宥めるのも、後。
総司は顔を上げると、土方を真っ直ぐ見据えた。
「行きます」