東からゆっくり昇り始める太陽を見つめ、セイは白い息を吐いた。
山の稜線をなぞる様に光が白く線を引き、やがて黄金色に変化した輝きが藍色の空を焼く。
足取り軽く歩みを進める少女はそれを眩しそうにやや目を伏せ気味に、それでも一歩一歩己の帰る場所へと向かう。
冬の冷たい空気で肺の中一杯にすると、太陽の光も一緒に吸い込んだ気になる。
そうして吐き出される白い煙は、まるで彼女の奥から浄化されたものが吐き出されているようだった。
「沖田先生も見上げているかなぁ。今頃」
去年の正月は、総司に突然仕事が入り、一緒に夜明けを見る事ができなかった。
普段常に緊張と共にある新選組で、しかもその組長となれば両肩に圧し掛かる重責はセイにも想像つかないもの。
だからこそ細々としたものはできるだけ組下の人間で行い、正月くらいは局長始め、幹部の人間にはゆっくりと休んでもらいたいと思う。
それなのに、その幹部の最も敬愛する総司に正月早々仕事が入り、土方に己に振ってくれと直談判したのも丁度一年前。
セイの直談判を今年も聞く事を嫌ってか、今回は彼から先に仕事を与えられた。
冷静に考えてみれば本来ならそう簡単に組下の人間に振れず、幹部の人間が当たるべきである仕事もあるだろう。そう思って、前回の直談判後反省もしたものだった。今回の内容も本当はそうであったのだろうがセイならばと宛がってもらったものだった。
但し、大晦日から正月にかけての仕事であり、日が昇る前には開放されたが、それでも屯所でご来光を拝するには間に合わない時間での帰営となった。
「きっと、局長と副長と一緒に飲んで私のことなんかすっかり忘れてご機嫌なんだろうなぁ…」
そう思うと少し寂しくなる。
「あれから一年か…」
感慨深く呟いてから、去年あった出来事を思い出して、セイは顔を赤くした。
「一年…なんだ……」
土方に直談判に行き、そこで原田、藤堂、永倉の三人組と賭け事をして負けた。そして、何故かしこたま呑まされ、女装をさせられ…気がついたら帰ってきていた総司と二人きり……。
「うぅぅぅ」
年の初めから初めてばかりの事が続いた。
酔った頭で、考える事もできず、与えられた熱に、告げられた望みに、直接触れる想いに、翻弄され続けた。
まさか自分と総司がそんな関係になるとは思わず、というかあの野暮天が自分に対してあんな想いを抱いていたとは信じられず、けれど想いの証は確かに形となって残り、酔いが覚めた次の朝、己を優しく包み込む温もりと体に残る熱が全て本当だったのだと告げていた。
あれから総司はといえば…。
「お帰りなさい。神谷さん」
己を迎える声にはっと顔を上げると、すでに屯所の門前におり、目の前には門衛がにっこり笑って彼女を出迎えてくれた。
「ただいま戻りました」
赤くなったままの顔を慌てて振って誤魔化すと、彼女も笑顔で返す。そんな彼女を見て、門衛は噴出した。
「沖田先生がお待ちですよ」
彼が笑う意図が分かって、セイはまた顔を赤くする。
元々セイに対して過保護過ぎな所がある総司は、彼女が出かけている時は、彼女が帰る時間近くになると何度も門前まで来るらしい。それが最近になっては門前に来る頻度が増え、更に門衛に帰ってきたら自分に真っ先に報告に来るようにと伝言をさせるようになったそうなのだ。
今日も既にきっと何度か門前に立っては肩を落として戻り、そして門衛に言い置いておいたのだろう。
そんな彼の姿を思い浮かべると、嬉しい半分、甘やかさないでくれ半分、一応隠しているとはいえ大の男がというが武士が上役に過剰に心配される姿を思い浮かべると恥ずかしい。
「違いますよ。今日は、というか昨日は沖田先生一回しかお越しになってらっしゃいません。幹部棟で皆さんで呑まれるから頻繁に来れないので言っておいてくれと」
セイの憶測を打ち消すように、門衛は悪戯顔で笑うとそう告げた。
見抜かれている。
それはそれで恥ずかしい。
「ありがとうございます」
それだけを言うと、セイは幹部棟へと向かった。
どうせ土方と一緒にいるのだ。報告と兼ねて総司に対面するのだから一石二鳥ではないか。
それに緊張しないで済む。
何となく、去年の事を思い出してしまうと、体が緊張してしまう。
あれから何も無かったのかと言われれば、そんな事も無いのだが。それでも事の始まりが今日と同じ日だっただけに、何となく身構えてしまうセイだった。

局長室の前に立つと、まだ日も明けて間もないというのに中から笑い声が聞こえてくる。
恐らくは前の晩から飲み明かし、そのまま朝を迎えたという所だろう。
溜息一つ吐きながらもセイは障子の前に座すと、室内に向かって声をかけた。
「失礼します。神谷です。ただいま戻りました」
そう声をかけると、暫し室内の声が止み、そしてどどどどと大きな足音が複数自分に向かって駆けてくるのが聞こえたと同時に、すぱんと勢いよく障子が左右に開かれた。
「おう!やっと帰ってきたな!」
「おっかえり~神谷~♪明けましておめでと~」
「おら!呑むぞっ!」
中から現れた三人の腕に引かれ、セイは勢いよく室内に連れ込まれると、永倉に猪口を渡され、原田も酒を注がれ、そして最後に藤堂に背から着物を掛けられた。
「へっ!?ってこれ!女物の着物!」
よく見れば、昨年の物と柄は違えど遊女が着こなす着物と同じ物。
「えっへっへ~♪去年の着物はさ、次の日に総司が燃やしちゃったからまた新しいの用意してきたんだ」
「何でっ!?私、今年はやりませんよ!」
脱ぎ捨てようとするセイを三者三様に体を抑え込み、彼女が暴れるのを抑える。
「ちょっ…っ!」
「お前らっ!報告が先だ!報告がっ!」
抵抗するセイの声を遮るように正月早々怒声が局長室に響き渡る。
暴れるセイと押さえ込む三人はぴたりと動きを止め、声の主を振り返ると、眉間に皺を寄せた土方が今にも刀を抜きそうな勢いで彼らを睨み付けていた。
「神谷!遅い!最初にまず局長に報告だろうが!」
その怒声に三人はセイから離れ、セイは猪口を置いてその場に座り直した。
「言わせてもらいますが、私はちゃんと入る前にお声かけしました!それをこの三人が突然引っ張り込んでこんな格好させようとしたんです!」
そう言ってセイはぺいっと着物を土方の前に投げ捨てる。
「言い訳するな!あいつらの相手なんか後ですればいいだろう!」
「出来る訳無いでしょう!仮にも上役を殴りつける訳にはいかないでしょう!」
「そこをどうにかしろ!」
「正月早々無茶を言わないでください!」
「まぁまぁまぁ。二人とも」
口論しあう二人の横で近藤が穏やかに二人を宥める。
「神谷くん。ご苦労だった。トシ折角の正月に態々仕事をして来てくれたんだ。取り敢えずはまず皆でもう一度新年を祝おうじゃないか」
近藤にそう言われれば、土方もそれ以上続ける事もできない。渋々頷くと、怒りの矛を収め、セイも姿勢を正して一礼する。
「そそそそそっ!正月なんだから土方さんもカリカリしないでっ!」
透かさずそれまで身を引いていた原田が土方の杯に酒を注ぐ。
「俺はこれ以上呑まん!」
「いいじゃないの。何なら女装させた神谷に注がせるかい?」
「!」
そう原田が囁くと、土方はむっつり顔のまま無言で注がれた酒を喉に流し込む。
「私、今年は遊女の格好なんてしませんからね!」
セイはいつの間にかまた背に掛けられていた着物をばさりと脱ぎ捨てると、原田に食いかかる。
「わーってる。分かってる。神谷が帰ってこなかったから、今年は賭けで負けた総司に女装させたんだがなぁ」
「はぁ?」
そう言われれば総司の姿が無い。と、セイが周囲を見渡すと、部屋の奥に一人の人影を見つけた。
「やっぱなー。去年の神谷のような色気は出ないんだよなー」
「そうそうそう!やっぱり神谷の女装は絶品だったよ!だからさ。今年もやろうよー」
「女装総司の酌じゃ上手い酒も不味くなる」
「まったくお前たちはどうしてそう…」
「そういう源さんだって去年の神谷と比べたらって溜息吐いてたじゃん!」
去年の遊女姿のセイの姿を思い出しぼやく三人に静かに井上が諭すが、少しも効果は無かった。
そんな彼らの会話を置いておいて、セイはゆっくりと奥の間にいる人間に近づく。
こんな所に女郎?
去年のセイのような遊女の格好をした、少し背丈の高い人物がそこに座っている。
「………っ!?」
俯いていた人物を覗き込むと、セイは息を飲んだ。
「…沖田先生っ!?」
「お帰りなさい。神谷さん」
「そ…そのかっこ…」
「すげーだろぅ。今年もお前を女装させようって案が出たんだけど、案の定総司が大批判してなぁ。んじゃ賭けに勝ったら無かった事にしてやると話して…こいつが負けたからさぁ、そしたら総司が自分が遊女になるって言うからさせた訳」
原田が誇らしげに語るその横で、セイは目を丸くして目の前の人物を見つめていた。
髪を下ろし、去年の着物より一回り大きい遊女の為の着物を纏い、薄っすらと化粧を施された総司がセイと目を合わせると、すぐに俯いた。
仮にも一成人男子。骨格の良い骨張った肩や、鍛え抜かれた筋肉質な体、着物から覗く足元も、首下から覗く喉仏も、何より男性的なその顔つきも、女性らしい要素は見られない。
お世辞にも似合うとは言えなかった。
「ぷ…ふふっ」
「神谷さん!笑わないでくださいよっ!」
「だって…あははははっ!」
「もうっ!原田さん!もういいでしょ!神谷さんも連れて行きますからね!」
総司はすっくと立ち上がると、セイの手を掴み、そして原田を睨み付ける。
「何言ってるんだよ。余興はこれからだろっ!」
「それは原田さんの腹踊りにお任せしますよ」
「総ちゃん。俺、女装総ちゃんと神谷にお酌してほしーのぉ」
「それは藤堂さんが女装すればいいじゃないですか」
「おいおい総司。折角神谷帰ってきたんだから独り占めするなよ」
「私の部下ですから。私が自由にして構わないでしょう?局長と副長への報告も済みましたし」
原田、藤堂、永倉それぞれの引止めをひらりと交わし、総司はにっこりと笑う。
「オイコラ。折角仕事終えて疲れて帰ってきた部下を連れまわすのか?」
にやりと笑いながら囁く土方に、総司はまたも変わらぬ笑みを返す。
「連れまわすつもりはありませんよ。ここにいてもゆっくり休めませんし、隊士部屋に戻ればきっと他の隊士たちに正月の用意で頼られるでしょうし、奥の部屋使わせてもらいますね。夜通し歩いて帰ってきた神谷さんを少しゆっくり休ませてあげようと思いますので宜しくお願いしますね。土方さん」
意地悪を仕掛けたつもりが、逆に言質を取らされてしまった土方は唇を噛む。
しかし総司の望みには反論の余地は無い。
確かに、セイが昨夜から日を跨いでから夜通し歩いて屯所まで帰ってきた事は分かっている。いつも正月からあちらこちら色んな場所で采配をする彼女がこうした行事事に誰よりも頼りにされてる事を知っているし、いつも最も中心になって動いている事も知っている。だからこそこのまま隊士部屋に戻ってもゆっくり休む事はできないだろう。
幹部を慮り自ら進言し率先して幹部の代わりを務めると名乗り出た彼女にその待遇は申し訳ない。
だからといって、最近、ことに仲良さ下にしている二人を一緒にこのまま部屋を退去させるのも、土方の個人的感情から不快だ。
「そうだなぁ。神谷君は働き者だからなぁ。このままだとまた正月の宴の準備に連れ出されてしまうだろう。よし。今日は一日ゆっくり休むといい。大晦日から働いてくれたんだ、後の事は他の隊士に任せなさい。いっつも働いてくれているんだ今日くらいゆっくりするといい。総司任せたぞ。何だったら今から風呂を沸かして入ってもいいからな」
「かっちゃん!」
「なぁ。それくらいいいだろう。トシ」
「む。…かっちゃ…局長がそう言うのなら…」
近藤に言われれば、それ以上何も言えない。こいつらを二人にして大丈夫なのか。もし衆道だったらどうする。そんなこと言えない。言えるはず無い。けれど反論もできない。
悔しさにまた唇を噛み、総司を見上げると、彼はさもそれを狙っていたかのように満面の笑みを浮かべて、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「え?でも、沖田先生?私、これから皆の手伝い…」
「ダメですよ。局長の命令です。神谷さんは逆らうんですか?」
「え?ええ」
「神谷君。今日一日くらいゆっくり休みなさい」
「え、えぇ?」
「ほら。行きますよ」
そう言うと、戸惑い続けるセイの手を握り、総司は部屋を抜け出した。

一つの部屋の前に辿り着くと、総司は障子を開く。
「よかったですねぇ。局長のお墨付きでゆっくり休めますよ。ここなら誰も来ないでしょうし。後でここに料理とお酒持ってきてもらっちゃいましょうか」
そう言って、総司がゆっくりと中に入ろうとすると、後ろをついて来ていたセイの手がぴたりと止まった。
彼に促されるままに連れてこられたが、誘われた部屋が昨年の正月を過ごした場所と同じ場所だと気付いて躊躇したのだ。
そこには何も敷かれていないが、体に染み込んだ余韻が、記憶が浮かんで、無意識の内に全身が熱くなった自分が恥しくなった。
「神谷さん?」
不思議に思って彼女を振り返るとセイは頬を赤くし、潤んだ瞳を彼に向けていた。
繋いだ掌の熱は徐々に上がり、ほんのり汗ばんでいる。
「あ…あの…」
総司は顔を上げ、ぽりと頬をかくと、セイをもう一度見下ろす。
「お帰りなさい。神谷さん」
優しく微笑むと、ゆっくりと口付けを落とす。
触れた唇が僅かに濡れていて、引かれた口紅に潤いを残した。
「おっ沖田先生っ!」
セイは慌てて周囲を見渡す。しかし周りには誰もおらずほっと息を落とすと、もう一度両頬を触れられた。
促されるままに顔を総司に向けると、また口付けが降ってくる。
「んっ…んぅんっ…」
今度は触れる口付けから、深く、吐息が溶け合う。
己を求めるように内に入ってくる総司の熱が嬉しくて、恥しくて、セイは震えながらも、高鳴る鼓動と、上がる己の熱にくらくらし始めていた。
どれくらい長い間そうしていたか分からないが思考が解け、ぼぅっとしたところで熱が離れ、力が抜けた背を大きな掌が支えた。
見上げると柔らかな眼差しで己を見つめる総司。
とくりとまた胸の奥が苦しくなる。
今まで見た事が無いくらい優しい微笑み。
そう恋仲になるまではこんな彼の心が和いだ表情を見る事は無かった。
そして壊れ物を扱うようにセイをどこまでも優しく扱う指、掌、仕草。
昨年の正月に想いを交わし、体を重ねてから、総司は二人きりの時にセイを恋人として女子として扱うようになった。
それまでも過保護と言われていた彼は二人きりの時に殊更、今までよりも何倍も大切にそして想いを注ぎ込むようにセイを愛しむようになった。
愛しい。恋しい。
囁かれる言葉も、触れる掌も、唇も、肌も、セイの全てが愛ししのだと、彼女に染み込むように伝えてくる。
少し執拗に、執着と思えるくらいに。
その想いが表出した行動は、時に土方に見咎められ、他の隊士たちにも最近前にも増して過保護になったと思われるようになったが、それでもそれまでがそれまでだっただけに、そんな彼の想いから生まれた行動は困らせる事もあったがセイを幸せにしてくれた。
初めは半信半疑のセイを宥めるように、そして、今はセイが彼への愛しさで堪らなくなるくらいに。
注がれる愛情の深さを知れば知るほど、セイの奥深くまで彼の想いが浸透し、総司への愛しさに溺れてしまいそうだ。
「ふ…ふふっ…」
どの位見詰め合っていただろうか、セイはふと可笑しくなって笑い始める。
「どうしてそこで笑うんですか」
「だって…先生が遊女姿って…」
改めて白粉を叩き、紅を引いた総司を間近で見てしまうと笑いが零れてしまう。
唇を重ねる事で取れた紅にそっと触れ、伸ばすように小指で引いてやると、総司は赤くなってその指を掴む。
「こうでもしなきゃ貴方今年もあの人たちの餌食にされる所だったんですよ。もう大変だったんですから。神谷さんが帰ってきたら今年も遊女の格好して貰おうって張り切っちゃって…」
総司はその時の事を思い出したのか疲れたように溜息混じりに呟いた。
「二人で遊女の格好でもよかったんじゃないですか?」
「駄目ですよ。もう二度と貴方にあんな格好させられません!」
「局長と副長に二人でお酌も面白いかも知れませんねぇ」
「絶対駄目です。神谷さんの女子姿見てもいいのは私だけです!」
そう言うと、掴んでいたセイの小指をぺろりと舐める。付いていた紅を舐め取るようにゆっくりと。
「ひゃあっ!」
慌ててセイが指を引くと、総司は満足気に笑う。
「そういう可愛い表情も仕草も私だけのものです…まったくもう。あの三人組にそんな顔見せたらどうなることやら…後、土方さんなんて以ての外です」
ぶつぶつと呟く総司に、セイは苦笑する。
これ程までに総司が嫉妬深い人なのだと、恋仲になって初めて知った。
武士である故仕方が無いのだと彼も分かっていても、時折セイが他の隊士と会話をしていても、隣にいるだけでも、何処が琴線なのか分からないが、彼の琴線に触れ、そして剥き出しの嫉妬と執着心交じりの牙を彼女とその相手に向ける。
最初はどう宥めれば良いのか分からず、その度にセイに刻み込まれる総司の熱に翻弄され続けていたが、最近は少し宥め方を覚えてきた。
といっても色恋事に拙いセイには話を逸らす事くらいしかできなかったが。
「沖田先生はお正月から私を守ってくださったんですか?」
そう首を傾げ問うと、総司はまた頬を染め、肺の奥から深く溜息を吐いた。
「誰かさんが今年こそは私たちにゆっくりしてもらう為に仕事は自分がするって言い出すから」
「……ゆっくりお休みになれましたか?」
「――」
微笑むセイに総司はむっとした顔でまた啄ばむ様な口付けを落とす。
「貴方のいない正月がどれだけ不安だったか分からないんですか?しかも夜明けに帰ってくるって、夜道を女子一人で歩いて帰ってくるって聞いたら心配で堪らないに決まってるじゃないですか。これなら私が行った方が余程気楽でした」
「女子じゃないですっ!」
「私にとって、大切な、とても大切なたった一人の女子ですよ?」
「……っ!」
総司はそっとセイの背を支えていた掌を彼女の体ごと引き寄せ、己の胸の中にすっぽりと納める。
思わず反射的にセイが逃れようとすると、彼は耳元で囁いた。
「ありがとうございます。でも無茶はしないでくださいね」
「……はい」
セイの返事を確認すると、総司はそのまま彼女を抱き上げ、そのまま部屋に入ると床に下ろした。
「あっ!」
慌てて立ち上がろうとするセイに総司はもう何度目か分からない口付けを落とす。
額に、頬に、鼻に、唇に、ひとつ、ひとつ、熱を残していく。
「もう、貴方いつまで経っても恥しがりやさんですよねぇ。お酒呑んでる貴方の方が素直ですよねぇ。お酒貰ってきます?」
「…ん…だって…」
「去年は私がいいって、私じゃなきゃ嫌だって言ってくれたじゃないですか」
「やっ!そんな事言わないでくださいっ!」
昨年の正月の事を思い出せば、恥ずかしくて仕方が無い。ずっと隠し続けるはずだった想いを自分でも否定していた本心を全て本人の目の前で吐露したのだ。
そして初めて総司を女子として求め、何度も男子としての彼を己の中に刻み込んだのだ。
「…私が無理強いしたのに…、貴方嬉しいって応えてくれて…」
総司の着物を震えながら掴んでいた小さな手を、彼は外し、己の首に回させると、セイは素直に絡めた。
「恥しがりやさんな神谷さんも可愛いんですけど、もっと素直に私を欲しがってくださいよ」
ゆっくりとセイを横たえると、総司は悪戯を思いついたように含んだ笑みを浮かべた。
「…そうだ。折角私が遊女で、神谷さんが武士の格好をしてるんだから、偶には神谷さんが私を口説いてください」
半分解け始めていた思考の中で告げられた提案に、セイは疑問符を浮かべた。
「どういう…」
「武士の神谷さんが遊女の私をどうぞ身請けする努力してくださいな。ほら、高位の遊女は本当に愛しい相手でなきゃ帯を解かないというじゃないですか。私が帯を解くように仕向けてください」
にっこり笑う総司に、セイは唖然としてしまう。
「そんなの…どうやって…」
「できなかったら浮気でもしちゃおうかなぁ」
遊女を口説いた事も術も知らないのにどうしたらいいというのだ。無理だ。と反論しようとしたところで呟かれた言葉に、セイは胸に針を疲れたような痛みを感じ胸を押さえた。
「…それは、局長とか副長に?」
何かの冗談なのだろうと捕らえていたセイがそう尋ねると、総司はにんまりと笑った。
「勿論、女子に」
「……」
セイはそろりと体を起こすと、じっと総司を見つめる。
総司もじっと己を真っ直ぐ見つめるその瞳を見つめ返した。
冗談で言っているだけなのかもしれない。きっとそうに違いない。己を煽る為に。
そう思っても彼の口から告げられた言葉はセイを焦燥に縛るには十分で、ざわめく心を抑える事はできなかった。
沖田先生に自分以外の女子が触れる。
沖田先生が自分に触れるように、女子に触れる。
そんなの――耐えられない。
朝日が差し込んでくる室内で、セイはゆっくりと身動きをする。小さな掌を伸ばし、総司の頬に触れる。
こくり。
緊張に喉が鳴る。
熱が上がるセイを余所に、総司は何処か余裕の表情で、悔しい。
けど。彼が誰か他の人のものになるのは嫌だ。
あんな風に誰かに愛しいと告げ、優しく壊れ物を扱うように触れ、吐息で肌をなぞり、内から彼を刻み込むように穿つ。
そんな事を、自分以外の誰かにもする――。絶対に嫌だ。
私も先生の事を咎められないくらい、執着心と嫉妬で一杯になるくらい、好きなんだ――。そんな事に今更ながらに気がつく。
それは元々そうだったはずじゃないか。と思うのに、体を繋げてから、恋仲になってから、その想いは深く深くなっていた。
己の彼への想いで染めて、彼の想いで染められて、もう苦しくても、愛しくて、逃れられない。逃れたくない。
恐れなのか焦燥なのか、愛しさなのか、分からない感情が奥から溢れ出し、涙になってセイの頬を伝う。
弱くて浅ましい。
それでも――この人がもう自分から離れるのだけは嫌だ。
「沖田先生……目を瞑ってください」
己がこれからしようとしている行為の緊張にはち切れそうな心臓を少しでも宥める方法を求めて、総司に願うが、彼が目を瞑る様子は無かった。
ただ真っ直ぐに顔を寄せるセイの瞳を見つめ続ける。
「~~っ」
ここまできて引き下がれない。
すぐ傍に熱い吐息を感じる。
けれどいつもは触れてくる温もりは、今日は自ら触れてくる事をしない。
―――。
そっと己の唇を総司のそれと重ねる。
初めて触れる、自らから求める口付け。
いつもしているはずなのに、自分からするだけでこんなにも緊張するものなのだ。とセイは知った。
そして――何故か、愛しいという想いがされるよりもする方が溢れる。そんな気がした。
触れたのは一瞬、それが心臓の限界だったセイはすぐさま離れようとするが、総司は離れる事を許さず、もう一度その場に押し倒される。
「ひゃあっ!」
「……神谷さん…ズルイです……」
「何がズルイんですかっ!…っ!」
触れる手は、性急にセイの内を暴いていく。
溶け合うように。
早く。早く。と。
「もう!今年もずっとずっと傍にいてくださいね」

愛おしさが日に日に増していく。
年を重ねる毎に更に。
また誰にも話せない正月の思い出が一つ増えた――。

2014.01.04