恋上り

*当時の風習の知識が無いので浅い知識なので間違い等あってもお許しくださいまし。

「神谷!お前らなら鯉幟作れるだろっ!」
「はいっ!?」
 一番隊士部屋で相田たちと洗濯物を畳みながらお喋りをしていた所、突然部屋の外から声を掛けられ、セイはびくりと肩を震わせた。
 声を掛けた人物を見ると、原田が廊下からこちらを覗いていて、ずかずかと迫ると、セイの目の前に座る。
「突然なんですかっ!?」
 畳んでいた着物を思わず原田を阻む盾の様に広げ握ると、正座をしたまま後退る。
 原田はぽりぽりと照れたように頭を掻いた。
「いやー。今年が茂の初めての端午の節句だろ?」
「あ、そうですねっ!おめでとうございますっ!」
 外はまだ朝夕と風は冷たいが、それでも既に桜は散り、草や花がぽつりぽつりと芽吹き始め、新緑の香りが屯所内まで流れ込み始めていた。
 巡察で歩けばタンポポや筑紫を見かけ、春の作物を植える為に耕された土の匂いが香る。
 新年が始まって、男子が生まれた家での初めてのお祝いだ。
「それでさ。鯉幟を作ってやろうと思って。マサの親にも話したんだが、京には端午の節句はあっても鯉幟を上げる風習が無くてな」
「そう言われれば見たこと無いですね…?」
 確かに、江戸では大きな屋敷で見た鯉幟を見た事はあったが、父親を頼って京に来てから一度も見た事が無かった。
「でも、あれは商家とか庶民の風習で、原田先生は武家なんだからのぼりでいいんじゃないですか?」
 鯉幟は端午の節句を祝う武家に対抗してのぼりの代わりに作って玄関に飾るようになったと聞いている。
「おうよ!勿論のぼりも上げるに決まってるだろ!けどな、鯉幟の由縁は何だか知ってるか!?」
「…いえ。不勉強で」
「滝を魚が昇ろうとするが如く、立身出世だ!端午の節句自体が立身出世武運長久だ!だったらのぼりも鯉幟も飾って二重に祈ってもいいだろう!縁起物は多い方がいいに決まってる!」
 原田らしい論理展開にセイは噴出してしまう。
「あははっ!その知識の出所は…永倉先生からですか?」
「おうよ!ぱっつぁんは意外に物知りだからな!端午の節句の話をしてたら鯉幟の話になってな。立身出世武運長久って舌を噛みそうになったぞ!」
 胸を張る原田に相田たちその場にいた隊士たちも笑った。
「けど、先生。武家が鯉幟を飾るなんてって怒られませんか?…特に副長とか…」
 探るようにセイが問うと、原田はかかと笑った。
「良く分かったな。『新選組の原田の家だって知られてるんだぞ!そんな所に平民が飾るような鯉幟を飾ってたら新選組の恥だろう!』って」
「…目に浮かびます」
 原田のいつもの突拍子の無い発案に相当な剣幕で怒り狂うだろう土方は想像容易い。
「けどおマサの家は元々商家だからな。別に嫁の家の分と俺の家ののぼりと二つと考えれば不思議はないだろ」
「…嫁いだ時点でその家の慣わしに倣うと思うんですけど」
「それはまぁいいんだ!兎に角俺は鯉幟も上げると決めた!」
 セイの呟きは全く聞いておらず、原田は立ち上がる。
「けど、鯉幟を知ってる奴は江戸から上洛してきた奴くらいで、そん中で手先が器用と言えばお前くらいだ!だから作ってくれ!」
「はいっ!?私だって、江戸にいたのは小さい頃ですよっ!?」
「大丈夫だ!お前なら出来る!俺も手伝ってやるから!」
「手伝ってやるって、原田先生の家の物を作るんですよっ!?」
 そう反論すると原田はまたかかと笑う。
「そうだったな!まぁ、それは置いておいて!作ってくれるよなっ!」
「……分かりました」
 一度言い出したら人の話を聞かない原田の事だ。きっとセイが断っても誰かに協力を求めて必ず作るだろう。
 己の子どもの初の節句を出来る限りの事をして祝いたい気持ちは分かるので、セイは協力する事にした。
「よっしゃー!!」
「ただ、どうするんですか?大きさは。まさか副長の言葉を全く無視する訳にもいかないでしょうし。一緒に怒られるのは嫌ですよ?」
「そうだな…」

「で、それで、原田さん家の鯉幟を作る事になったと…」
 所用で外に出ていた総司は一番隊の隊士部屋に戻ると、部屋に広げられている何枚もの和紙と、そして、隊士たちが一列に並んでしゃこしゃこと硯で墨を擦り続けている異様な光景が飛び込んできて慄いた。
 いつから新選組は寺子屋になったんだ。と。
 よくよく見ていると中心になって進めているのは、隊随一の厄介事持込体質のセイで。隣には彼女に引けを取らない原田がいたことから、何となくこの二人が原因だと言う事は予測がついた。
 原田から一から話を聞き、セイから補足説明を受け、総司も、原田の願いを叶えるべく、手元に硯を持ってきて、しゃこしゃこと墨を擦る事となった。
 隣に座るセイの手には半紙が握られていて、幾度も鯉の絵を描いて練習した結果、真っ黒な半紙がだらりとくたびれ、襷がけをしていたら着物の袖が汚れる事は無かったが彼女の手と腕を汚していた。
「…私、自分でも手先は器用だと思いますけど、それと絵が上手いかは別物だと思うんです…」
 江戸から上洛してきて鯉幟の絵の記憶のある者たちが集まり各々絵を描いて見せるが、一番下手なのはセイだった。
 総司から見ても、自分の方がもう少し上手く描けそうな気がした。
「また神谷さんの苦手なもの発見しちゃいました」
「何でそんな嬉しそうなんですか…」
 にこにこと言う総司に、セイは不貞腐れる。
「だって、神谷さん何でも出来ちゃうから。お掃除も洗濯も算盤も。これでポトガラと二つ目ですね!」
「ポトガラは今はもう怖くないですっ!与兵衛さんにもお世話になったし!」
 褒められて嬉しくて頬を染めながらも、総司の誤解に反論した。
 絵の上手かった何人かがそうやって選出され、彼らは自身の半分くらいの長さがある和紙に一刀入魂一発勝負と筆を走らせている。
「出来たぞ!神谷!」
 一人から声が上がると、セイは立ち上がり、その人物の横に座ると絵を覗き込む。
 見事な鯉の頭か尾までが細長い和紙の上に紙の真ん中を中心にして左右対象に二匹描かれていた。墨が乾いたのを確認してからそれを更に細長く二つ折りにする。
 合わせた端の部分を糊で止め、糊で止めてない部分を丸い空間を作るように広げると、一匹の鯉の完成だ。
「すっげー!鯉だ!紙の鯉が出来た!」
 部屋の端で細い竹を削っていた原田は出来上がった一匹を見ると歓声を上げた。
「原田先生のは出来上がりましたか?」
「おうよっ!」
 そう言うとセイに竹の棒を差し出した。細く、総司の背の高さほどのものだ。それに先程出来上がった鯉の口元に紐を括り、竹の棒につける。
 和紙でできた鯉はくたりと棒にくっつく。
「…元気が無いな…鯉幟」
「原田先生。これを振ってください」
「よっしゃ!」
 セイに差し出された竹の棒を握り、ぶんっ!と一振りすると、部屋の中で中空を風に乗って鯉が泳いだ。
「泳いだ!」
 その瞬間、周りの隊士たちも一斉に歓声を上げた。
「おおおおっすげっ!本当に鯉幟できたぞっ!」
 そう言って原田はくるくると部屋の中を走り回ってみせる。
「せっ!先生危ないっ!」
「原田さんっ!部屋の中は危ないですっ!」
 足元にはまだ半紙やら硯やら和紙やらが散らばっており、原田はそれを器用に避けながらも鯉を泳がす為に全速力で走る。
 あわわわと慌てて総司もセイも他の隊士も止めようとするが原田は止まらない。が、止めようとして止まらないのに行き成り何を思ったかぴたりと止まった。
「そうだ神谷!これにもう一匹付けてくれ!」
「へ?」
「家に男は二人だ!俺の分も付けてくれ!」
 真顔で言う原田に、セイは笑った。

 夜、まだ季節は夕涼みには早く冷たい風が吹くが、一人又一人と眠りにつく隊士たちの迷惑にならないようにセイと総司は廊下で月を見上げていた。
 二人が座る間に置かれているのは、意気揚々と鯉幟を持って帰り家から戻ってきた時に原田が持参してきた柏餅。
 マサが鯉幟を作ってくれた礼として総司やセイを始め一番隊の協力者へと用意したものだ。
「確かにあの大きさなら庭の壁を越えないですし、丁度いいですよね」
 総司は感心していた。
 玄関に飾るのは阻まれるのなら、庭に飾ればいい。そして壁の高さより低ければ問題は無いだろう。という単純明快でありながら、のぼりは玄関にならば鯉幟も玄関にという発想しか無かった総司やセイには驚きの発想だった。
「茂君もおマサさんも喜んでくれて良かったですよね」
 セイも笑って、手の中の柏餅を口に入れる。
「端午の節句ですか…。もうすっかり昔の事ですねぇ」
「私もです。鯉幟見たのなんてまだ江戸にいた時の話ですし」
「神谷さんが桜の精だった頃のですね」
「……沖田先生が踏み台のお兄ちゃんだった頃の話です」
 意地悪く話を蒸し返す総司に、セイは膨れる。しかし、その頃にあった色々な出来事が懐かしく思い出されて目を細めた。
「……昔は私も端午の節句一緒にお祝いして欲しくて泣いてたなぁ」
「神谷さんその頃から男だって言ってたんですか!?」
 セイの呟きに驚いて、総司は彼女を見る。すると彼女は透かさず反論した。
「違いますっ!兄上だけお祝いしてもらってずるいって泣いてたんです」
「でも、神谷さんだって雛祭りにはお祝いしてもらってたでしょ?」
「……そうですけど……自分だけお祝いしてもらうのは嬉しいけど、自分だけお祝いしてもらえないのは悔しかったんです…」
「ぷっ!我侭」
 呆れるようなそれでも子どもらしい理由に総司は笑ってしまった。
「どうせ我侭ですよ」
「我侭な神谷さんの為に、今度は雛祭りもしましょ。お里さんのお家でね」
「でも…っ!」
 戸惑うセイに総司は続ける。
「神谷さんが行かず後家にならないように」
 己を気遣ってくれているのかと思ったら嬉しくて一瞬舞い上がった瞬間に落とされ、セイは反射的にいつものように反論する。
「何言ってるんですかっ!私は男ですっ!」
 睨み付けるセイの視線に総司は少しも怯む事は無く微笑んだ。
「雛祭りにはちゃんと女子の格好してくださいね。私、貴女の女子姿大好きなんです」
「だから私はおとっ…っ!…は?」
「年に一回でいいですから。桜の精に会わせてくださいな。踏み台のお兄ちゃんに」
「……」
「神谷さんと一緒にいるのと同じくらいおセイさんともっと一緒にいたいなぁ」
「……沖田先生の野暮天っ!」
 セイは立ち上がり、そう叫ぶとすたすたとどこぞへ消えていってしまった。
 くすり。と総司は笑う。
 きっと、泣き虫の木だろう。
 セイは新選組に来てからずっと、己を女子扱いする事を毛嫌いするから。
 だから、少しずつ懐柔していければと思っているのに。上手くいかない。
「……神谷さんの野暮天……」
 もう少ししたら、迎えに行こう。そう思って、総司は目を閉じた。

2016.05.06