稽古

 パァン!カッ!カッ!パァンッ!
「腕の振りが遅いっ!」
「はいっ!」
 総司の指摘に反応して、竹刀を握る細い腕が大きく弧を描く。
「大きく振り回して勢いを付けない!それでは逆に相手に隙を見せるだけです!」
「はいっ!やぁっ!!」
 ダンっ!を磨き上げられた床を蹴り上げ、小さな身体が総司の正面へ入り込む。
 後頭部に一つに纏めて結われた髪が揺れた。
「たぁっ!!」
「っ!」
 総司はぎりりと歯を食いしばると、正面頭上から下りてくる竹刀を同じく握る竹刀で弾き返した。
 交差した竹刀は弾き返され、彼に体重を乗せて襲い掛かった勢いそのまま反動に変わり、小さな体は足元を掬われ、その場に尻餅をつく事になる。
「…貴女は本当に…小さな体で正面からぶつかっていったって弾き返されるだけでしょう!」
「でもっ!」
「でもじゃありません!貴女はどうやったって男の体格にはなれないし、力だって叶わないんですっ!もっと考えなさいっ!」
「男だったら正面から行くものでしょうっ!だったら私だって!」
「貴女は女子ですっ!」
「違います!私は武士ですっ!」
「…全くもう…そういうところばかり母上に似て…」
 総司は目の前で尻餅をついた体勢を立て直してその場で膝を突いたまま彼を睨み付けてくる少女に、深く溜息を吐く。
「母上は母上ですっ!私は私です!それに私は父上似だからもっと強くなれるんです!」
「……母上の若い頃そっくりなのに何を言ってるんだか…」
 細い体に細い腕、そこに道着を着込み月代こそ無いが、髪を後頭部高く一括りすれば、年の頃からも新選組に入った頃のセイそっくりだ。
 指導者である総司に対して少しも怯まず真っ直ぐ見返してくる気の強さと、凛とした芯の強さを秘めた大きな瞳も、そのままだ。
 寧ろ父親似にならなくて良かったと会った誰もが口を揃えて言うくらいの器量良しだ。
「それにね。貴女の母上は強いですよ?今の貴女よりずっと強いです。素早さなんか私も一本取られるかと思うくらい」
 そう嗜めると、少女はぐっと口元を歪め、そして、訂正する。
「私は父上と母上の子だからもっともっと強くなるんです!」
「はいはい。じゃ取り敢えず、立ち上がりなさい。いつまで床に膝突いているつもりですか。これが本当の討ち合いだったら貴女既に殺されてますよ」
「父上~!次は私の相手してくれる約束です~!」
 少女が立ち上がろうとすると横から幼い声が聞こえてくる。
「はいはい。そうでしたね」
 総司は頬を緩め、声をする方を振り返ると、小さな男童が手を振る。その姿は幼い頃の総司と瓜二つだ。
 掌には竹刀が握られているが、まだ重くて握りきれず、持ち上げる事さえも難しい様子で、右に左にふらりふらりと揺れている。
「あぁっ!危ないですよっ!ちゃんと子ども用の竹刀を渡したでしょうっ!?」
「嫌です!子ども扱いしないでください~!」
「もうっ!皆ここにいたんですかっ!皆して父上のお仕事の邪魔しちゃ駄目でしょっ!」
 突然道場の外から響いてくる凛とした声。
『母上っ!?』
 少女と男童から声が上がる。
「セイっ!」
 総司は振り返る。
 すっかり月代も伸びて総髪のまま後頭部で髪を一つに結い上げ、道着姿に竹刀を握ったセイがそこにいた。
「…と、言うか、そういう貴方もその格好は何ですか…」
「私も沖田先生に稽古をつけて頂きたくて、着替えてきました!子どもたちだけにずるいですっ!」
「……私の奥さんはいつになったら大人しく奥さんとして家にいてくれるのかしら?」
 しくしくと半分演技で半分本気で泣き真似をする総司にセイは満面の笑みで返した。
「一生無理です!有事の際には沖田先生と共に戦地へ赴く所存です!」
「こらこらこらこら!」
「私だって父上と母上と共に戦いますっ!」
「総もー!!」
「こらこらこらこら!」

「だぁっ!!もー無理っ!」
 セイは勢い良く起き上がると、すぐ隣に眠る人を確認した。
 西本願寺新選組屯所。一番隊に宛がわれた部屋で、すぐ隣に布団を敷いているのは沖田総司。
 彼がすやすやと呼吸乱れることなく眠る姿を確認して、セイはほっと胸を撫で下ろす。
 そして改めて、自分がどんな夢を見たかと思い出すと、段々顔が火照っていくのを感じた。
「…わ、私ってば…凄い夢を…っ!」
 総司とセイが婚姻した事になっていて、しかも子どもが二人いた設定になっていた。
 もしそんな事があれば…なんて普通の女子のように空想した事はあっても、夢を見るまではした事が無かっただけに、夢だと分かっていても何処か現実のような感覚が残っていて、恥しいやら実は嬉しいやらで、暴れたい衝動に駆られセイは頭を掻く。
 どうせ夢ならば総司ともう少し夫婦としての甘いやり取りできるところまで眠っていてもよかっ……いやいやイカン!と首を振る。
 『セイ』。
 そう名を呼ばれた事を思い出しては、顔がにやける。
 一度総司本人に伏見の密偵の際に呼ばれた事はあったけれど、夫婦として慣れ親しんだ感覚で呼ばれる名はまた柔らかく、含まれる親しみと愛情がセイの心の芯を震わした。
 もし仮に本当に夫婦になれたとしたらあんな風に呼んでくれるだろうか。
 ――ないな。沖田先生に限っては無い。
 突然冷めた思考が降りてきて、もう少し夢の余韻にも浸っていたいが、このまま当の本人が横で眠るままもう一度眠る事も出来ず、セイは起き上がる。
「……顔洗ってこよう…」
 そう呟くと、セイは立ち上がり、静かに障子を開けると廊下に出た。

 ――再び静かになった一番隊部屋。
 総司はのそりと寝返りを打つと、真っ赤になっていく顔を布団の中で両手で覆った。
「……神谷さんが私の奥さんとか都合よ過ぎでしょっ!私ってば何て夢をっ!」
 けれど今のセイと比べて夢の中のセイはまた少し大人っぽくなっていて、女子に戻って妻となり母となったからなのか、色香漂うまた一段と綺麗で魅力的な女子になっていた。
 女子としてひたむきに向けられる愛情が己だけというのは、心地よい。
 思い出すだけで脈が速く打つ。
 己が稽古をつけていた二人の子らしき、彼らに似た子どもたちがいる事がまた凶悪だ。
 包み込まれるような愛情溢れた家族の姿がそこにあって、家長になるというのはこういうことなのだろうか。守るべき守りたいと思う家族があるというのはこういうものか。と幸せな感覚が余韻を残す。
 今の彼女がもし己の妻となってくれたら、そんな未来が待っているのかと思うと、動悸が止まらない。
「…どうしましょ…今起きたら神谷さんと鉢合わせですよね…」
 先を越された総司は、セイが布団に戻り再び深い眠りにつくまでじっと耐えるしかなった。

2016.04.02