生きろ-風-

――コホン…。
その咳を最後に、もうその後二度と咳き込む事は無かった。

「総司。外に出ていても平気なの?」
庭先で久し振りに下駄を履き、立ち上がって空を見上げていた総司に背後から声がかかる。
「ミツ姉さん。もう平気ですよ」
総司は振り返ると、未だ病が抜けて間もないというのに既に庭を歩く彼に不安げな表情を見せる姉がいた。
それもそうだろう。と総司は自分でも思う。
長い間起き上がる事もままならず食事もろくに取る事も出来ないまま、気力だけでと言っていいだろう、病と闘い続けていた体からは筋肉は削げ落ち、腕を取れば骨の筋が薄い皮を通してなぞれるほどだ。
その姿の何処にも嘗て新選組で笑って人を殺せる鬼と呼ばれた一番隊組長沖田総司とは誰も思わないだろう。
己の矜持を保つ為に腰に差した脇差が今の彼には酷く重い。
「大丈夫です。――松本法眼にも言われたでしょう?労咳は治ったんです」
数日前。松本良順は総司の元を訪れ、そう断言した。
数ヶ月前に幕府軍が箱館で官軍に完全降伏し、幕府派であった松本は一度は捕らわれていたが、その数ヵ月後釈放され、監視が落ち着いた頃に総司を訪れていた。
松本は総司の回復を喜び、――そして嘆息していた。
「…近藤さんやトシさん……神谷さんにも今の貴方の姿を見せてあげたかったわね」
ミツの呟きには答えず、総司はその場に屈み込むとずっと彼の足元に体を摺り寄せていた一匹の猫を抱え上げた。
にゃぁ。
嬉しそうに鳴く黒い猫。
彼がこの隠れ家に住むようになってから毎日訪れるようになった猫。
全身黒い毛に覆われている猫の凛とした金色の眼差しが彼の瞳を捉え、真っ直ぐ見つめ返す。
『じゃあ、この子を私の代わりに先生をお守りするよう残していきます』
そう告げた少女の表情が至極真面目で、その時の総司はつい笑ってしまい、彼女は怒ってしまったけど。
「セイ」
少女の真名をつけたのは、総司だけの秘密だ。
己の代わりに、己の刀となって、北の地へ駆けて行った少女。
この家を出て行った最後の後姿を、総司は今も鮮明に覚えている。
「…姉さん。私の名前は富永祐馬だって言ったじゃないですか」
総司は黒猫を抱え、立ち上がると、姉に笑みを見せた。

『生きろ』。
それは近藤がこの世を去る前、最後に告げられた言葉だ。
戦いの最中、突然訪れた彼に総司は驚いた。
その時既に近藤は投降する決断していたのだろう。と、全てが終わり、彼の最後を知らされた時に総司は悟った。
近藤は何処までも清々しい表情で、新選組の局長という重責に身を置き武士として生き抜いてきた彼とは思えぬ、まるで日野の試衛館でまだ皆と共に武士になる夢を語っていた頃の彼のように何処までも透き通った眼差しをしていた。
「近藤先生」
吐血を繰り返し、筋肉も既に落ち、たった一つだけの近藤を守り続けるという願いさえ叶わずに苛み、しかし最早病に抵抗する気力にも限界を迎えようとしていた総司に、彼は晴れやかに笑ってそう告げた。
「いいか。総司。俺は願いを言いに来たんじゃない。武士として沖田総司言い渡す新選組局長としての命令だ」
総司は目を見張るしか出来なかった。
「お前が昔から自分の命を軽く扱っていたのを知っている。神谷君という弟分が出来てから庇護する存在が出来てから以前より己の命を大切にするようになったのを見てきている」
「――」
「――しかし。お前は今も俺の為なら、俺を守るためならいつでも死ぬ覚悟があるだろう。それが武士だからな。それも今病に冒され叶わないでいる事に苦しい気持ちは俺なりに理解しているつもりだ」
自制が利かず視界が揺れているが、総司は近藤から目を離すことは出来なかった。
「だから俺はお前に命令する。生きろ」
「先生っ!」
「武士であるお前に対する侮辱である事は重々承知だ。それでも俺は命令する。俺に何があっても追腹はするな。敵討ちもするな。病にも負けるな。生きろ!」
近藤の背だけを追い続け、近藤を主君と掲げ武士として生きていた総司に、近藤の命令を反故する選択肢は無い。
そんな彼に、『生きる』以外の選択肢を近藤は奪い去った。
近藤は己の最後に、彼に命令されても総司にはどうしようもなかった病さえも奪い去り、この世を去った。
総司には、生きるしかなかった――。

「近藤先生…撤回もしないまま先に逝くなんて酷いですよ。今頃土方さんや藤堂さんや…試衛館の皆と楽しくしているんだろうなぁ。ズルイなぁ」
総司は体力の回復の為にと散歩で町をぶらぶらとしていた。
廃刀令が出され、武士の身分は完全に消え、鎖国していた日本に西洋文化がどんどん取り入れられ、町並みが日々めまぐるしく変わる。
総司の髪もすっかり短く切り落とされ、着流しに袴がやはり一番動きやすく普段着としているが、腰に二本を差さなくなり、その分慣れた重さがなくなることで足元が時折空回り転びそうになる。
江戸が東京へと呼び名が変わり、最早幕府によって日本という国が治められていたのは遠い過去の事のようだ。
つい数ヶ月前まで箱館では土方が戦っていたはずなのに。
会津も陥落し、まだ間もないというのに。沢山の戦死者が出ていたはずなのに。
二百年以上統治してきた幕府という存在は一体なんだったのだろうか。
自分たちがしていた事は一体なんだったのだろうか。
してきた事に後悔も無いけれど、無意味だったのたと知らしめるかのように、目の前の賑やかな町を見ると、全てが夢幻だったかのように平穏な日常が広がっている。
「沖田!…じゃなかった。富永か」
やりきれなさを抱きながら歩く総司に声がかかり、振り返ると松本良順が駆けて来た。
「松本法…先生」
「おうよ。すっかり元気のようだな」
「お陰さまで」
「その姿も見慣れないな。短髪が似合わな過ぎる。一瞬本当に沖田か分からなかったぞ」
「私も髪がすーすーして慣れないんですよねぇ」
総司は苦笑しながら己の後頭部を一撫でする。
「そうだ。沖田。じゃない、富永。今時間あるか?」
「はい?」
「そこの茶屋で一杯奢ってやる」
「時間あります!」
訝しむ表情を見せた総司が『茶屋』の言葉ですぐさま表情を明るくした事に、以前と変わらない彼を見た松本は笑って近くの茶屋へと促した。
そこは善哉屋で、二人分注文をすると少し人気から離れた奥の座敷へ案内される。
「…松本先生…こんな奥じゃなくても店前でも私構いませんが」
「まあいいから座れ」
促されるまま座卓の用意されている部屋に入り、対面して座ると、ちょうどそれに合わせて店員が善哉を置いてその場を離れた。
何か畏まった話でもあるのだろうか。と総司は思いながらも促されるまま目の前の善哉に手をつけた。
松本もゆっくりと箸を持ち上げるがすぐに食べる事はせずに、顔を上げ総司を見た。
「なぁ、沖田」
「富永ですってば」
「…今は沖田と呼ばせてもらう」
それはつまり本来の沖田総司としての彼に用があると言う事。
あまりいい予感はしないながら総司は返事を返した。
「何ですか?」
「お前、そろそろ結縁する気はないか?」
「はぁ?」
唐突な話に総司は驚いて松本を見た。
「労咳も治り、体力もつき始めて、後は普通の生活に戻るだけだろ」
「そうですけど。それと結縁に何の関係が…」
「そうは言ってもな、お前これからどうする。もう武士身分は廃止された。復帰しようにも元新選組だと知られたら早々職にも付けないだろう?これからどうやって食っていくんだ」
確かに今街には元武士の人間が溢れていた。
彼らは武士という身分を失った事により扶持も無くなり、食べていく術を無くしている。
各々に新しい職を求めて様々な職業についている者も多いが、その大半は慣れない仕事に失敗を重ねて失職し、逆に借金を抱える者も多い。
職を無くした元武士たちは浮浪者として街をうろつき、治安悪化が問題となっていた。
総司は今でこそまだ沖田家に支えてもらっているが、いつまでもそうはいかない。
何れは何かの職に就かなくてはならないとは考えていた。
「…それはどうにでも。大体病み上がりを夫に欲しいなんて人いませんよ」
しかも未だに不治の病である労咳だ。
世間体を考えればどう考えても自ら総司を婿にと願う人間はいない。それに加えて元朝敵であれば尚更。
誰にでも思い至る事だろうと総司が言うと、松本はあっさりと首を横に振った。
「それはどうにでもなる。俺が幾らでも縁談を用意してやる。斎藤も永倉も婿入りする事で名を変え、今を生きている。お前もそうやって家族もってこれから生きる事を考えたらどうだ?」
「私は富永祐馬として…」
「祐馬としてセイの代わりに生きていくとでも言うのか?」
「神谷さんはっ!」
「沖田!――セイは諦めろ」
かっとして反論する総司を松本は言葉を遮り、制した。
「…俺はセイを我が子のように思ってる…だからな生きていて欲しいと願っているさ。今日、明日にでもふらりと顔を出して、『ただいま戻りました』と言って帰ってこないかと思っているさ。けどな……けど…もう無理だろう」
松本は苦悶の表情を見せながら、力無く首を横に振る。
土方が討たれ、幕府軍が投降したと聞かされた直後から、総司も松本も必死にセイの情報を集め回った。
しかし、土方に刀を託された少年や、京に戻った元一番隊隊士に、土方のすぐ傍にいたという話は聞かされても、彼の死後の消息を知る者はいなかった。
戦争が終結し、もう何ヶ月も経っている。一度逆賊として捕らえられた者も次々解放されていき、今の新しい国造りの為に尽力している。
セイが捉えられたのだとしても、逃げ延びたのだとしても、もし生きていたのだとしたら、とうに戻ってきていておかしくないくらいの月日が経っていた。
何より彼女が生きていたのなら、まず真っ先に総司の元へ戻るだろう。
――諦めなくてはならないくらいの年月は疾うに過ぎていた。
「――私は富永祐馬として生きていきます。私一人ぐらいどうにでもして生きていけますよ。松本先生ご配慮頂いてありがとうございます」
空になった茶碗を置いて、総司は立ち上がる。
「なぁ、沖田。セイは精一杯生ききった。お前の刀となってきっと土方と共に戦ったんだ。だから、お前は…セイが惚れた男には俺は…セイを弔うよりもあいつを思うなら、幸せになって欲しいと思うんだ」
「――」
「セイを娘のように思うように、お前の事ももう身内のように思っている。だから、過去を捨てろとは言わない。ただ、お前はこれから先も生きていかなきゃならない。生きていって欲しいんだ。セイの分まで」
総司は膝の上でぎゅっと握り拳を作り俯く松本を見下ろし、何も声を掛けることも無くその場を後にした。

下駄を鳴らしながら、総司は空を見上げ、ゆっくりと街を歩く。
しかし日々目新しく変わる景色は総司を置いてけ堀にする。
「…神谷さん…」
名を呼ぶが、返事が無い。それが酷く総司を空しくさせた。
ほんの数ヶ月前、日々身体が衰え、起き上がる事も出来なくなっていた総司は確実に死を覚悟していた。ただ苛むのは、武士として戦場で大切な人を、守りたかった人を守れないで死ぬ事。
ただただそれだけが彼を苦しめた。
自暴自棄になった総司はセイには酷く八つ当たりもしたし、優しさに漬け込んで恨み言も吐いた。
時折正気が戻る時、己の器の小ささに嘆き、セイを傷つけた事を後悔する。
総司が侘びると、セイは少しも嫌な顔をせずに優しく触れ、そして総司自身がもう諦めていたのに快癒だけを信じ続けていた。
そんな彼女に救われ、総司はもう一日だけ、もう一日だけ、と彼女と共に生きる日々を過ごしていた。
日々日々募る虚無感に蝕まれ費える命をひたひたと感じながらも、まだ鳴り続ける鼓動と触れる空気の暖かさにセイと会話を交わす事が出来る事に彼女の作る食事を味わう事に、生きているのだと感じる事ができるささやかな時間。それが総司にとって何よりも代え難い幸せな時に変わっていた。
その日も久し振りに床を抜け、柱に背をもたれかけながら膝に乗る猫を優しく撫で、空を見上げていた。いつものように少女から入室する声がかかるが、その声は最近聞き慣れていた柔らかな声色では無く、凛としていて、隊にいた頃を思い出しながら総司は振り返った。
セイは黒い隊服を纏い、大小二振りの刀を脇に置いて、布団でただ首を傾ける事しか出来ない総司に深く頭を垂れていた。
そんな彼女は言ったのだ。
『私が沖田先生の刀になります』
と。
彼女は知っている。
総司自身の命は近藤の為、土方の為、彼らが作り守り続けてきた新選組の為だけに捧げていると言う事を。
ずっと彼女の傍で。彼女に武士である己の覚悟を態度で言葉で志で伝えてきたのだから。
だから、いつも傍にいる彼女が総司を見て、いつかそんな決断をするのではないかと何処か心の奥底で想像していた事もあって驚きはしなかった。
寧ろ嬉しいとさえ思った。
そうセイが実際に決断をして願いを申し出た時は誇らしささえ感じた。
武士として、己が手塩にかけて育ててきた弟分が己の為に命をかけて己の代わりを果たそうとしてくれる。
これ以上に嬉しい事は無かった。
一方で、彼女は女子なのだ、と警告する彼自身がいた。
刻々と変わる戦況の中、荒くれ者たちの中、少女を一人放り込むのか。
己の最も大切な――愛しい少女を傍から放すのか。
それは酷くセイを侮辱している思考だと武士としての彼女を貶めているだけの思想だと総司は目の前で己の返答を待つセイを見て気付いた。
だから総司は見送ったのだ。
『頼みましたよ』
と。
果たしてそれは本当に正しかったのだろうか。
いや、あの時の決断は間違っていなかった。幾度反芻しても他の選択肢は考えられないのに。
それなのに総司は、己の隣を不意に振り返っては、虚無感に捕らわれる。
こうして、今も。
いるはずの人がいない――。
彼女を見送って間も無くして戦争は終結した。
総司の病も消え去った。
明治を迎え、何処か陰りを落としていた人々の表情に笑顔が増え始めていた。
見る物初めての物が増え、街並みは日々変わる。
食べた事の無い食べ物が増え始め、今まで味わった事の無い甘味が店に並ぶ。
傷付いたもの失ったものは沢山あったが、それに対して新しく生まれたもの、変化したものも沢山あった。
皆時代の変わり目に必死で取り残されないよう自分自身もそれに合わせていく。そうやって人は生きていく。
総司も失ったもの、失った人、失った場所、失ってばかりだった。それでも生きている。生き延びてしまった。そしてこれからを生きていく。
生きていかなくてはならないのだ。
「――神谷さん。貴女と一緒にこの景色を見たかった」
こうなるのなら。
生かされるのなら。
生き延びるのだと知っていたのなら。
「貴女を手離しはしなかったのに!」
近藤もいない。
土方もいない。
新選組ももう無い。
それは仕方が無い。
仲間は武士として己を全うし、生き切ったのだ。
総司にはその最後に傍にいる事は叶わなかったが、彼らは誰もがその時懸命に己の命を賭し、生き切ったのだ。
悲しくても、悔しくても。
まだ、彼らを弔う事が出来る。
けれど。
セイだけは。
「貴女がいないと、私が生きている意味を見出せない。貴女がいないと世界に色がないんです。どうして私は生きているんですかっ!」
『生きろ』と言った近藤が妬ましくさえ感じる。
こんな風に一人取り残されるくらいなら、病など治らなければ良かった。
何故、近藤は生きろと言ったのか。
何故、病を持っていってしまったのか。
何故、この世界に一人ぼっちにされてしまったのか。
総司は空を見上げ、喉の奥から込み上げる嗚咽をぐっと飲み込む。
空の青さは 試衛館を旅立ったあの日と、
壬生に屯所を構えたあの日と、
屯所を西本願寺に移転したあの時と、
セイを北の地へ見送ったあの日と、
――変わらない。
それが今は総司を深く傷つけた――。

ぐらり。と視界が揺れる。
それが零した涙のせいなのか。
大地に立つ事を諦めた体のせいなのか。
新しくなった世界が歪んだ。

「――沖田先生っ!」
柔らかなものがようやく最近筋肉の付き始めた体を支えた。
凛とした――それでいて柔らかな声音。
暗闇に落ちた世界の中でざわざわと人が集まる音が聞こえる。
総司はそこで初めて己が倒れたのだと気付いた。
とても小柄な柔らかい物に包まれている感覚がする。
触れる感触が心地よく、つい縋りついてしまう。
「…沖田先生?」
困ったように吐き出される息と共に囁かれる己の真名。
その音は、とても大切な人そのままで。
もう会う事のできないその人そのままで。
眦が熱くなる。
もう一度だけ。と願った幻聴が耳に入り込む。
「私は富永です…」
「富永…?」
彼の背を抱える声が訝しむ。
とても懐かしい、その声。もう聞けないはずの。
ゆっくりと世界を拒絶するように閉じていた瞼を開くと、心配そうに彼を覗き込む少女がそこにいた。
総司は目の前の少女に目を見開く。
「お体は大丈夫ですか?こんなふらふら街中歩いて。また無理されたんでしょう!お姉様は何処ですか?咳は出ませんか?熱があるんじゃないですか?立ち上がれますか?」
心配そうに見つめる大きな二つの瞳に総司の姿が映りこんでいる。
同じ様に総司の瞳に映り込む少女の姿が揺れた。
旅立つ前と変わらない、いや月代は無かったが、前髪を残し後頭部で一つ括りの黒髪が風に揺れる。
凛とした眼差しは彼をいつも見つめ続けてきた命を寿ぐ名をそのまま変わらず宿している。
見つめられるだけで身の内から力が湧いてくるのを総司は感じた。
世界が一瞬にして色付くのを感じた。
「…やっぱり女子姿の神谷さんは綺麗だなぁ…」
「なっ!何言ってるんですかっ!?」
襟の抜いた浅葱色の着物を纏った少女は頬を染めた。
――女子姿をしたセイがそこにいた。
セイは涙ぐむと、ぎゅっと総司の着物の胸元の握った。それが彼の体調を心配してだと気付くと、総司はゆっくりと起き上がり立ち上がる。
それを確認すると周囲で心配そうに見ていた人々も一人また一人と離れていった。
「沖田先生、医者に行きましょうか?屋敷まで歩けますか?水お持ちしましょうか?」
立ち上がっても尚、セイは不安そうに矢継ぎ早に声をかけてくる。
そこにはあの日旅立った時と何も変わらないセイがそこにいた。
総司はただ、腕を伸ばし、少女を抱き締める。
「沖田先生っ!?」
温もりも、声色も、匂いも、鼓動も、何も変わらない。
頬を擽る細い髪も、柔らかな温もりも。
「……神谷さん…神谷さん、神谷さん…」
万感の想いを込めて名を呼び続ける。
「沖田先生…」
返ってくる声が、抱き締める温もりが、鼓動が、彼女がここにいるのだと、生きて彼に触れられているのだと告げている。
「…沖田先生…沖田せんせい…おきた…せんせい…」
己を呼ぶ名が、段々と振るえ、そして、涙声に変わる。
耳に入り込む声が、総司の心を震わす。
「生きててくれてよかった…生きててくれてありがとう…神谷さん…神谷さん…一緒に生きてください……神谷さん…」
想うがままに、総司は言葉を紡ぎ、ただただ縋りつくように、何処にもいかない様に、確認するように、強く強く抱き締めた。
「…っ!沖田先生っ!…生きてたっ!沖田先生っ!」
セイも総司に縋りつくように彼の背に手を回し、ぎゅっと力を込める。
それが嬉しくて、総司は自分が今込められるだけの力を込めて抱き締めた。
「…相変わらず泣き虫ですねぇ…」
セイの温もりに、セイの存在に満たされる事で、やっと少しだけ総司に微笑む余裕が出来る。
「沖田せんせぇ…」
涙を零し続けるセイに抱き締めたまま総司は彼女の耳元でそっと囁く。
「今は、富永祐馬ですよ」
「せんせぃ~」
「もう。セイは泣き虫ですねぇ」
笑ったのは、いつぶりだろうか。
総司は、久し振りに満面の笑みを浮かべた。

『生きろよ。総司』
近藤の言葉が耳の奥で優しく響いた。

2016.09.24