■はんぶん・71■
総司は走りに走り回って、高等部の校舎まで戻ってきていた。
見上げると桜の木。
セイと出会った頃の様に薄紅色の花は咲かせていなかったが、青い葉が生い茂り、彼を照りつける日差しを和らげてくれていた。
神谷さんみたいだ。
そう思うと、総司はふふっと笑う。
何処までも走った。
高等部の校舎も大学の校舎も 体育館も全て走り回った。彼女と今まで出会った場所、全て走り回った。
それでもセイは何処にもいなかった。
彼女の通った名残だけがその場に残されていて。
肝心の彼女自身は何処にもいなかった。
何処までも皮肉な『運命』というものを総司は恨まずにはいられない。
(いや。違う)
あんなにも奇跡みたいに毎日彼女と同じ時間を過ごしていたのに、それを拒否したのは彼自身だ。
自分の望みを自覚する事で、執着する自分、そしていつか失うかもしれない未来に脅えて。
「…大嫌いなんて言わなければ良かった…」
あの子が幸せならば。
そんな事を言って。
けれど、その彼女の傍に自分以外の誰かがいるなんて、今も昔もちっとも望んでいなかったくせに。
滲む視界の向こうに一人の少女が入り込んだ。
総司は瞬く。
「神谷さん!」
ただ、名を呼んだ。
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■はんぶん・72■
セイは生い茂る桜の木の葉を見上げ、そして呼吸を整えると、歩き出した。
何処にいるか分からないけれど、とにかく歩き出さなければ見つける事もできない。
奇跡のように、何かが意図して今まで二人を引き寄せ、今また何かが意図して二人を引き離すなら、今度は自分から引き寄せる。
顔を上げ、歩き始める。
「神谷さん!」
その彼女が今将に己の視界から消える寸前、総司は目の端でその姿を捉えた。
僅かにでも重なり合った二人がそれぞれ刻む時。
今度はもう逃さなかった。
力強く駆け出すと、少女の足跡を辿り、その歩みに必死に追い縋る。
セイは懐かしい呼び名が背後から衝撃とともに耳に入り込み、目を見開いた。
後ろを振り返ると、同時に掴まれる腕。そして引き寄せられる体。
今も昔もいつもすぐ傍にあった匂いが彼女を包み込む。
「…やっと……やっと…捕まえたぁ…」
心の底から安堵の息とともに漏れる囁きと、体を伝って聞こえてくる心音。
セイは与えられる感覚に酷く懐かしく、そして恋しくなって、自然と涙が頬を伝った。
「…沖田……せ…」
「…先生でも、先輩でもどちらでもよいですよ…」
彼女が総司の名を呼ぶ言葉尻に戸惑いを感じた総司はくすりと笑うとそう囁いた。
「…貴方が傍にいてくれるなら…」
言葉をそう続けると、抱きすくめれていただけのセイの体が動き、彼女の小さな手が総司の背に回った。
「先生っ!沖田先輩っ!沖田先生っ!先輩っ!」
声を上げ泣きじゃくりながらしがみ付いてくる彼女に、総司はまた笑う。
「セイさん…ごっちゃになってるじゃないですか…」
「ふぇぇぇんっ!会いたかったっ!会いたかったんですっ!」
「私も会いたかったです…」
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■はんぶん・73■
己の頬を総司の胸に擦り付け、泣き続けるセイを彼はただぎゅっと抱き締める。
互いに互いの存在を自分の中に刻み込むように抱き締め合った。
呼吸が、心音が懐かしくて、また触れられる事が嬉しくて、離れられなくなる。
相手はどう思っているのだろう。そう不安にもなって少しだけ身を離そうとするが、互いに互いを抱き締める力を緩める事は出来ず、寧ろどちらかが少し身を離そうとすると抱き締める力を強め、より力強く引き寄せた。
それだけで、また嬉しくて泣きそうになる。
散々相手を想うのなら自分は傍にいない方がいい、そう想い続けていたはずなのに、全て間違っていたと思い知らされる。
こんなにも自分はこの人に必要とされていたのだと。
こんなにも自分はこの人を必要としていたのだと。
そうして暫くそのままでいたが、やがて、どちらとも無く腕の力を抜くと、互いが互いの顔を見上げた。
「ふふっ。久し振りにセイさんに会えました」
「本当ですね。久し振りに沖田先輩に会えました」
そうして互いに微笑む。
「…ありがとうございます。沖田先生。ずっと私の傍にいてくださって。最後の最後まで私の傍にいてくださって」
「こちらこそありがとうございます。神谷さん。ずっと私の傍にいてくれて。最後の最後まで私の傍にいてくれて」
暫し、沈黙が落ちる。
『…幸せでしたか?』
重なる言葉。互いにずっと胸につかえていた想い。
けれど、それは無用の不安だったと思い知らされる。
二人とも浮かぶ表情は最上の笑顔だったからだ。
――貴方がいたから私は幸せな一生を生きたんです。
言葉は無くとも伝わる想いに、二人はまた笑った。
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■はんぶん・74■
形振り構わず互いを捕まえる事に必死で、抱き締め合っていた二人は、校庭で丁度体育の授業をしていた生徒や教師たち、そして校庭を望める教室から覗いていた生徒たちに注目され、気が付いたら拍手喝采と教師の叱咤を受けていた。
その場にいた教師に職員室へと連れて行かれそうになったが、遠巻きに二人を見ていた土方が慌てて仲裁に入り、取り成してくれ、職員室の代わりに土方の担当教科の準備室へと連れて行かれた。
土方と同じ担当教科の教師はこの学校には他にいない為、準備室は彼の専用個室になっていた。
「お前ら…もう少し場所を弁えろよ」
土方は溜息を吐き、二人分のコーヒーを入れると机の上に置く。そして、立ち上がると何も言わず部屋から出て行ってしまった。
残された二人は沈黙しながら、何と無しに互いに与えられたコーヒーに口を付ける。
「…ひ…土方さん…何処へ行ったんでしょう?」
「…分かりません…」
そう呟いたまま、またコーヒーを啜る音だけが準備室の中に響く。
総司はずっと気になったままの己の右の掌を見た。
ずっと重ねられたままの互いの掌。
校庭で土方に連れられてからずっと繋いだままだ。
少し力を緩めれば、代わりにとばかりにセイの力が強くなる。
「…すみません。もう少しこのままでもいいですか?」
総司の動揺に気付きながらも振り払われないからとずっとそのままにしていたセイが彼の顔を不安気に見上げる。
「……一度放したら…また会えなくなりそうで…恐くて…」
その呟きに頬を赤くした総司は、そのままセイを己の膝の上に抱え上げた。
「きゃっ!」
驚いて、慌てて手に持っていたコーヒーを机に置くセイは総司を見る。
彼女の額に、総司は己の額を重ねた。
「大丈夫ですよ。セイさん。ずっと傍にいますから」
「でもっ…!」
「また会えなくなっても、私が会いに行きます。どんな事してでも。貴方が私を望んでいなくたって」
『運命』さえ跳ね除けて。
「…違うな、運命さえ味方につけて」
「先輩?」
「貴女の様に」
かつては少女がどんな時も自分の傍について来てくれた。だから今度は総司が何処までだってついていく。
頬が触れそうな距離で微笑む総司にセイの体温は上がる。
「私は沖田先輩の傍にいたいです。例え先輩が望んでくれていなくたって」
『運命』なんて信じていないけれど。
「誰よりも先輩の一番傍にいたいです」
揺るがない真っ直ぐな瞳。
何時だって総司を一番に惹きつける瞳。
吸い込まれるようにそのまま少女の唇に己の唇を重ねる。
「愛してます」
今も昔も――。
そう想いを込め触れた唇、囁いた言葉は、セイの心の中に浸透する。
そして、彼女も応える様に、彼の頬に己の唇を触れさせた。
「…恥ずかしがり屋さんですねぇ」
頬を揺るませ、嬉しそうに笑う総司に、セイは顔を隠すように彼にしがみ付き肩に額を押し付ける。
「うるさいです!」
「そんなんじゃこれからどうするんですか」
「?」
「校庭で沢山の人に見られてますからねぇ。きっと冷やかされますよ」
「…っ!学校休みます!」
総司の肩に額を押し付けたままセイは呟く。けれど総司は苦笑した。
「ダメですよ。私迎えに行きますから。一緒に行きましょ」
「ヤですっ!大体何で迎えに来るんですかっ!」
「だってそうでもしないと一緒にいる時間少なくなっちゃうでしょ」
「……ソウデスケド…」
「おや。そこは反論しないんですね。嬉しいですねぇ」
「~~沖田先輩、昔よりイジワルだ!」
「男の子は好きな子を苛めたいって知りません?」
「~~っ!」
セイはがばっと顔を上げ、顔を真っ赤にし涙で瞳を潤ませながら総司を睨み付けた。
「沖田先輩なんて大っキライ!」
――ずっと欠けていたはんぶん。
漸く満ちた――。
2012.09.17