はんぶん1

■はんぶん・1■

「大っ嫌い!大っ嫌い!だいーっきらい!」

春の麗らかな日差しが差し込み朗らかな空気が漂う教室に突然威勢の良い声が響き渡る。
何事かと教室にいる人間、更に廊下で声を聞いた人間までが声を上げた主を見るが、その人物に目を留めた途端、皆一様に苦笑した。
またいつものことか。と。
「ちょっ・・セイちゃん。もう少し声を落として・・・」
声を上げた人物を諌める少女は少し声を潜めて、今にも怒りで暴れだしそうなその人物を宥める。
「だって、里さん~~」
セイは口を尖らせ、まだ叫び足りなさ気な様子ではあったが、周囲の視線も感じて渋々目の前にあった椅子に座った。
「だってじゃあらしまへん。1年生のセイちゃんが3年生のうちの教室まで来たん、余程の事でしょう?ちゃんと聞きますえ。だからまずは落ち着き」
「・・う・・うん」
言われてセイは自分の今した事を恥じ、申し訳無さそうに周囲を見渡すと、男子も女子も皆こちらを見て笑っていた。

セイこと富永セイはこの春入学したばかりの高校1年生。
片や目の前に座る、里は3年生。
幼馴染の里とセイはいつも一緒。一緒の高校に入ってからもお互いの教室に遊びに行く事も日常茶飯事になっていた。最もセイが里の元に尋ねる確率の方が高かったが。
今いるのは里のいる3年生の教室、その中でセイは大声を上げていたのだ。
慌ててセイは立ち上がり、周囲に頭を下げるが、「気にするなよ。いつものことだし楽しいから」とか「これで来なくなっちゃったりしないでね」とかとか「ほら、里ちゃんに相談があるんでしょ。お昼休み終わっちゃうよ」と逆に優しい言葉を掛けられ、挙句、3年生のお姉さんたちからはお菓子を貰ったりする。
いいのか。それで。と思いつつ、手に乗せられたお菓子を見つめ、優しいお兄さんお姉さんに感動する。
里はと言えば「良かったなぁ」と笑っている。

「それで、今度はどうしたんえ?また沖田はんが何かしたん?」
嬉しそうにチョコを口に入れるセイに話を促した。
その言葉にセイは一瞬お菓子で全て忘れていたのか、はっとし「そう、そうなの!」と声を上げる。
「沖田総司!あの人また性懲りもなく私の前に現れて、『また、貴方ですか』って溜息つきやがったんだよ!こっちが言いたいってーのっ!そんなに嫌だったら来るなって!」
怒りに震えるセイに里は溜息をつく。
「今日で何日目やっけ・・?」
すぐには答えたくないのか、セイは里の問い掛けに躊躇し、そして息を吐くと同時にどうにか言葉を押し出す。
「・・・32日目」
「初めは高校の桜並木で、その次が隣の大学の桜並木、そして、その隣の大学の屋上と高校の屋上でばったり目を合わせる・・」
「絶対ストーカーよっ!だって私、朝だって幾ら時間ずらしても必ずいるし、お昼お弁当食べようと思って屋上上がればいるし、夕方だって部活あって帰るの遅いのに!大学だってお休みの日にちょこっとお花見に覗きに行っただけなのに!」
「そこまで気ぃ合うのも凄いなぁ」
「合ってないっ!」
「ほんで、今日は何処?」
聞いて欲しかったから里の元へ来ているはずなのに、まるで聞いて欲しくなかったかのように口を噤み滂沱する。
「セイちゃん」

「お兄ちゃんが家に連れてきたーーー!」

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■はんぶん・2■

「嫌いですよ。嫌いったら嫌いなんです」

そう言って青年は目の前のポップコーン(キャラメル味)を頬袋でもあるのかというくらい口にぽいぽいと詰め込んでいく。
「でもさー。総司いっつもいっつもあの子に会うじゃん」
隣で缶コーヒーを飲む青年は苦笑する。
「しかも昨日なんてまさかのお宅訪問!」
「藤堂さんのいぢわる。だってまさか大好きな大好きな斉藤さんのお友達の今年会って大好きになった祐馬さんの妹さんがセイさんだとは思わないじゃないですか」
そう言って更にポップコーンを頬張る総司。
総司こと沖田総司。セイの高校に隣接する大学の2年生である。
高校は大学の付属学校になり、所謂エスカレーター式の学校だった。
彼の隣に座る藤堂平助も総司と同様の大学2年生であり、斉藤こと斉藤一、セイの兄である富永祐馬も同学年である。

今の彼らは講義の中抜けの時間の為、構内の芝生で日向ぼっこ中である。
「それにしても、祐馬に紹介してもらうよりも先に知り合いだったって言うのに笑っちゃったね」
「私だって知り合いたくて知り合った訳じゃありません」
総司は頬を膨らまし、空になったポップコーンの袋を捨てて、彼専用のお菓子袋から饅頭を取り出す。
「珍しいよね。総司が人を嫌いになるなんて。今まで『嫌い』だなんて言った事無いじゃん」
「私だって今まで嫌いになんて思った人なんていませんでした。初めてですよ」
「どうしてそんなに嫌いなの」
その問いに総司は口をへの字に曲げる。
「俺は昨日初めて会ったけど、礼儀正しいしいい子じゃん。可愛いし。祐馬が可愛がるのも無理ないよなー。あんなに可愛いともてるんだろうなー。祐馬も大変だ」
「・・・・」
素直に述べられていく感想に総司の眉間に皺が寄り始める。
「斉藤だってまんざらじゃなさそうだよな。昨日会った時明らかに見惚れてたもん。俺だって見惚れちゃったもんな」
平助はちらりと総司の様子を見るが、総司は饅頭を食べる手を止め、沈黙を続ける。
「それにさ--」
「・・・だってあの人私の事嫌いなんですもん」
続ける平助の言葉を遮り、総司はやっと言葉を発した。

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■はんぶん・3■
放課後。
空が赤く染まり、沈み始めた太陽の日差しが建物に遮られることなく体育館の中に直接差し込むようになる頃。
館内は人の熱気で室温が上昇し、そこここで気合の声が響く。
その中でセイは座り、目の前で繰り広げられる一つの試合を見ていた。
彼女が所属する部活は剣道部。
目の前で行われているのは模擬試合で自分と同じグループに分けられた仲間の試合。
打ち合う二人の姿を見ていると、自分ももっと努力して早く強くなりたいと願う。
「籠手!一本!」
激しい打ち合いの末に手首への俊敏な一撃が決まり、勝敗を決した。
試合を終えた二人は互いに礼を交わし、そして陣の外に出る。
籠手を決めた人物はセイの元へ来ると、彼女の隣に座し、徐に籠手と面を外す。
「凄かったよ、中村」
セイはまだ整わない息を漏らすその人物に労いの言葉を掛ける。
「まだまだ、オレ、富永には勝てねーもん!」
そう言って嬉しそうに中村と呼ばれた男は返事を返す。
「あ、でもこれで惚れたって言うんなら付き合ってもいいーーーーー」
「あっはっはー!何言ってんの!んな訳ないじゃん!」
自身の言葉を遮られ、からりと笑って返され、中村は涙を零すしかなかった。
「そんなに自分の兄ちゃんが大好きかよ!」
「うん」
またもやあっさりとした返答に彼はその場に突っ伏するしかなかった。
「お前が兄ちゃん好きなのは良く分かった」
そんなやり取りをしていた彼らの背後から低い声がかかる。
慌てて二人が振り返ると、そこには黙っていれば二枚目と言われている鬼の形相をした男がこちらを睨みつけていた。
「ひっ土方先生・・・」
彼らが後退るよりも先に土方の手が二人の襟を掴んでいた。
「中村!てめーは富永意識し過ぎなんだよ!ちらちら富永の方ばかり見て集中力切れさせやがって!そして富永!てめーは力無いのにどうして直ぐに力技で持ち込もうとするんだよ!んなの勝てる訳ねーだろ!学習能力あんのか!?」
容赦無い指摘に首を竦め、「すみませんでした」と言うしか出来ない。
理不尽な指摘なら幾らでも言い返すのだが、あまりにも的を得ているので何も言い返す事が出来ない悔しさを抑えながら、セイは言葉を返した。
普段は何かと反抗してくる事の多い生徒が素直に謝る様を見て、土方はにやにやと満足そうに笑う。それがまたセイには悔しくて堪らず、いつまでもその表情を見てやるものかと視線を落とす。
「よし。じゃあ、今日は上がれ」
そう声を掛けられたと同時に、土方は労うように二人にぽんぽんと優しく頭を撫でる。
セイが伏せていた視線を上げると先までの鬼のような形相はそこには無く、まるで兄妹をあやすかのように笑っていた。
その表情を見ると、セイはいつもずるいなと思ってしまう。中村もきっと同じ思いだろう。隣を見ると彼も先程まで恐怖で歪んでいた口元が緩み笑みに変わっている。
彼女らの頭に手を置いたまま、土方は周囲の人間にも声を掛け、片付けをするように指示を出す。
「・・・・いつもその表情だったら男前なのに勿体無い」
「何だと」
ピキリと笑顔の土方の面に青筋が浮かぶ。
「鬼のように指導は厳しいし何かに付けていちゃもんつけて突っかかって本当にいい年した大人がって思っちゃうよね」
「何だ?オレに喧嘩売ってんのか?」
「でも剣道は圧倒的に強いし、真剣に教えてくれるから嫌だけど本当に嫌だけどまだ尊敬してもいいかなって思うもんな」
「気持ち悪いな。何が言いたいんだ?」
「それに比べてあの男は何ひとつ真面目じゃない・・・だから腹立つんだ!ねぇ!そうですよね!」
「独り言にオレを巻き込むな!」
最初は自分に反論できない事に悔しくて文句を言い始めたのかと思った土方だったが、話が進むに連れて彼女が独り言を言っている事に気付いたが遅かった。既に彼女の独り言に巻き込まれ、しかも意見を求められてしまった。
取り敢えず、目の前の少女は剣呑な眼差しでこちらを見て、意見を求めている。
「・・・・・・・・・総司のことか?」
口にはしたくなかったが、渋々と彼女の言う『男』の人物に対して確認を求める。
「他に誰がいますか!?」
「えーっ!?まだ沖田先輩と会ってるのかよ!?」
「会いたくて会ってるわけじゃない!」
横槍に入った中村の問いにセイは反論する。
ちなみに土方や中村は入学当初にセイと総司の最早運命的逢瀬について相談をされていたので知っている。
「土方先生は沖田先輩と幼馴染なんですよね!だったら分かりますよね!沖田先輩不真面目ですよね!」
捲くし立てて言うセイに土方は思わず後退る。
「幼馴染というか、隣の家に住んでる腐れ縁なんだが。あいつは馬鹿だと思うが」
「いえ!絶対不真面目です!だったら土方先生の方がマシだと思えるくらい!」
「・・・・それはオレを評価しているのか、それとも馬鹿にしているのか?」
「だって土方先生の方がよく見える時点で沖田先輩がどれだけ酷いかがよく分かるじゃないですか!」
言ってからしまったと思うが既に遅い。慌ててセイは己の口を塞いだが、土方の眼光は鋭く光っていた。
「・・・・分かった。お前の言いたい事は良く分かった。この体育館掃除はお前一人でやれ!」

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■はんぶん・4■
「結局夜になっちゃった・・」
一人での体育館掃除を終え、着替えて学校を出る時には既に外は真っ暗になっており、空には星が瞬いていた。
まだ夏には早いこの季節の風は冷たい。
身を震わせながら、セイは足早に校門に向かう。
「土方先生の馬鹿っ。鬼っ」
悪態を吐きながら歩いていると、ふと、ある事に気が付く。
「・・・今日、沖田先輩に会ってない」
ぱぁっと表情が輝く。
と、喜んだ横からクラクションが鳴らされる。
校門を出てすぐの所だったので、何か悪い事したかと慌ててその場を飛び退き、車を振り返ると、見覚えのある人物が窓から顔を出しこちらを睨みつけていた。
セイは暫し考え、そして再び踵を返して歩き始めた。
「おい、おい、ちょっと待て!」
車中の人物は慌てて、車を動かし、セイの歩調に合わせるようにのろのろ走る。
「何でしょうか?土方先生」
「何故逃げる」
「逃げてません。帰るんです」
「送ってやるから乗れ」
その言葉に、スタスタと歩き続けていた足を止め、セイは土方を振り返る。
あんぐりと口を開け、目を大きく見開いて、誰が見てもそれが驚きの表情である事が読み取れた。
「何だ、その表情」
「先生が優しいっ・・。明日は雹が降るんですか!?」
その言葉に、彼の車の後部座席から「ぷーっ」と吹き出す声が聞こえる。
聞き覚えのあるその声に、後部座席を覗き込むと、そこには今日こそは会いたくなかった人物が乗っていた。
「こんばんは。セイさん」
まだ笑いが止まらないのか少し苦しそうに、総司がセイに声をかけた。
セイにはこんな馬鹿なやりとりを総司に見られた事が恥ずかしく、顔を赤くすると、再びスタスタと歩き出す。
「送ってくれなくていいです!一人で帰れますから!」
「駄目だ!オレが一人でやれっていったんだ。夜道に仮にも一応女を一人で帰す訳にはいかん」
「だったら最初から一人残って掃除しろなんて言わなきゃいいじゃないですか!」
「お前が反抗的だからだろ!」
睨み合う土方とセイに総司は溜息を落とす。
「兎に角、セイさん、乗っていきなさいよ」
「沖田先輩がいるから嫌なんじゃないですか!」
「だったら、私が歩いて帰りますから。それでいいでしょ」
そう言って、総司はドアを開け、外に出ると、セイを車に乗るように促す。
その姿に、セイはたじろいでしまう。
「私を嫌いなのは仕方が無いです。でも女の子にこんな遅い時間一人で歩かせられません。それに祐馬さんにも心配掛けてしまいます」
何も言えず、セイは黙り込むと、俯き、そしてばっと顔を上げると、総司の腕を掴み、まず自分が車に乗り込むと、総司も引っ張り込む。
「送ってください」
総司の腕を掴んだまま、土方に言うセイの姿に、総司と土方は目を合わせ、そして笑った。

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■はんぶん・5■
「ありがとうございます」
腕を放し、そっぽを向くセイに総司は声を掛ける。
「だって最初に沖田先輩が乗ってたんですから。私を乗せて沖田先輩が降りるなんておかしいでしょう」
「そうですね。私もセイさん乗せるつもりだったら、乗らなかったんですけどね」
その台詞にセイは目を剥く。
「あーそうですか。土方先生!今すぐ降ろしてください!やっぱり歩いて帰ります!」
「黙れ!何だってお前らはそう仲が悪いんだ」
前でハンドルを握る土方はイライラと怒鳴る。
その怒声に二人はびくりと震えると、互いに視線を合わせ、そして二人同時にふいっとそれぞれ顔をそむける。
「結局、今日も会っちゃいましたね」
総司がぽつりと呟く。
「そうですね」
セイがぽつりと返す。
そして沈黙。
やっと静かになったかと土方はバックミラー越しに二人を見ると、また、総司が口を開く。
「大丈夫ですから。私、貴女の事大っ嫌いですか」
暫し沈黙し、セイが口を開く。
「良かったです。私も沖田先輩の事大っ嫌いです」
そしてまた沈黙。
そんな二人のやり取りが土方にはただ不思議でならなかった。