ことり。
それは突然きました。
何の前触れも無く。
気が付いたらありました。
深い深い暗闇。
足元は底なし沼。
怖い。寂しいと感じるよりも。
心が闇に吸い込まれて。
ぽっかり穴が空いたようでした。
油屋の深夜まで続く営業が終わり、灯篭の火が落ちる。
従業員は皆、それぞれ寝間に戻り、ほんの少しもらえる自分だけの時間を、おのおのそれぞれの形でくつろいでいた。
「明かり消すよ」
「あ、はぁい」
女部屋から呼びかけられる声に、廊下の手摺に寄りかかっていた外を眺めていた千尋は慌てて返答をする。
確認の声が戻ってくると同時に、部屋の明かりは消され、一気に闇が広がった。
夜が深まっても、千尋は布団に入る事は無く、そのまま廊下に座り、眼下に広がる一面の海を眺めていた。
昨日、降った雨の為にできたものだ。
空はそんな雨が降ったことを少しも感じさせず、雲ひとつ無い空に、ぽっかりと月が浮かんでいた。
月の光に吸い込まれ、星は月の周りに小さな灯火となってささやかな光を放っていた。
月の光は海面を照らし、緩やかな波紋を作る漣が千尋の目にも微かに目にとって見る事が出来る。
深い海。
昼間は明るく鮮やかな紺碧色の広がる風景が、夜は昼の姿を全く残さず、何処までも深い闇色に染まる。
吸い込まれそう・・。
千尋は海を見つめながら、そんなことを漠然と思う。
微かに聞こえてくる漣の音。
高台に油屋が立っているため、吹きつける夜風は強くそして冷たい。
海の闇の深さに吸い込まれそうで、今彼女自身がもたれかかっている手摺りがとても心許無い。
唸りを上げる風が、耳に障りを与える。心をざわつかせる。
今、彼女はひとり。
彼女の後ろにはリンたちが眠る女部屋がある。彼女たちの寝息が聞こえてくる。
ひとの存在を感じているのに、生きている鼓動を感じることができない。
起きているのは千尋だけ。
ことり。
ぞくりと何かが胸の中を通ったのだ。
痛いとも、苦しいとも違う。
今までに無い、鈍い響き。
突然悪寒が全身を走り、鳥肌が立つ。
千尋はそれらのものを振り払うように、ばっと立ち上がると、早足で部屋に入り、布団を頭からかぶると、存在し続ける嫌な感覚に冴えていく頭を無理矢理抑えつけ、眠りに入った。
拳を作ると、自分が冷や汗をかいていた事に初めて気がつく。
どくんどくんと胸は異常な高鳴りをし続ける。
考えてなどいなかった。
感じてしまったのだ。
そうなったら、もう、考えは止まらなかった。
今まで深く考えたことの無かった自分が、突然信じられなくなる。
口に出すのさえはばかれる言葉。
死んだらどうなるんだろう。
怖かった。