きのうときょうとあしたと1

■きのうときょうとあしたと・1■

今から10年前。私は神隠しにあいました。
今から10年前。私は不思議な町に行きました。
今から10年前。私は一人の少年と出会いました。

彼は私に言ってくれました。
「また会える?」
「きっと、いつか」

私、荻野千尋は20歳になりました。
元の世界に戻って、中学校へ行って高校へ行って、短大へ行って、今はもう社会人です。
成人式で綺麗な振袖を着て、大人の儀式を終わらせました。
毎日、新しい事を覚えるのに精一杯です。
学校とは全然違う時の流れ、人間関係。
ふと、振り返ると、あの頃の私が思ってもいなかったような事を考えていたりしてぞっとします。
子どものままじゃいられない。大人にならなくてはいけない。
でもそれは真っ白だったシーツを黒く染めていく作業のようにも思えて。
そうする事で、あの頃の自分から遠ざかっていく気がして。

もうハクに見つけてもらえないような気がして。

とても怖いです。

それでも私は自分が大人になっていく時の流れを止める事は出来ないのです。

あの日の事は思い出にする時が来たのでしょうか。
あの日の事を色鮮やかなまま大切にし続けていきたいこの願いは夢でしかないのでしょうか。

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■きのうときょうとあしたと・2■
月日は流れるもの。
それは人間だって植物だって動物だって神様だって変わらない。
私はほんの数日間不思議の町にいて、きっと沢山のものを貰ったんだと思う。
目に映るものがきらきらして見えて、毎日が楽しかった。
本当にあっという間だったと思う。新しい小学校に通って友だちを作って、中学に行って、高校に行って、短大に行って、一杯一杯私の中に入ってきて、大人になっていく自分が楽しかった。
それに月日が流れることは、きっとその分ハクと会える日が近くなることだと思っていたから。

そして10年経った。
大人になって毎日が自分の糧になると素直に吸収できるものばかりじゃなくなった。戸惑いも憤りも生まれてくるようになった。
私の背後には『忘れること』、『諦めること』がひしひしと近付き始めていた。

「荻野さん、今日合コンあるんだけど、行かない?」
会社の定時を超え仕事に一区切りがついた頃、書類を纏めていた千尋に声がかかった。
振り返ると、いつもお昼ご飯を一緒にする女性が二人立っていた。
「んと、ごめんなさい。」
「そっか。荻野さん彼氏いたっけ?」
首を振る千尋に、女性の一人が首を傾げる。
「ううん。でもそういうの苦手で」
「いい男ゲットするなら今のうちだよ!また誘うから是非是非興味持ってね!」
「うん。ありがとう」
笑って二人は去っていった。
彼女達の後ろ姿を見つめながら、ほっと溜息を付く。
「そうか。私も合コンなんてものに誘われるような年なんだ」
そう呟くと、横から笑い声が聞こえてくる。見ると、千尋と同期の青年が声をかみ殺すように笑っていた。
「ごめんごめん。荻野さん面白い。まるで年寄りのような台詞」
「そうですか?だって今まで誘われた事無くって」
「そうなんだ。高校だとあんまり無いだろうけど、短大の時やらなかった?他の学校の子と合コンとか」
「んー?無いですね。たまに友だちと一緒に帰ってる途中で会った男の子と何だか気が付いたらご飯一緒にしてた事が何回かあったけど、つまらなかったから途中で帰ったことならありますけど」
その言葉に、青年は更に噴出して、声を上げて笑った。
「それ!それ合コンだろ!気付いてなかったんだ!」
「ええ!?そうなんですか!?」
その千尋の反応がまた面白かったのか、また更に笑う。
どうしてそこまで笑われるのか分からない千尋は頬を膨らませ相手を睨むと、青年はその視線に気付き、「ごめん」とどうにか笑いを堪える。
「荻野さん、仕事をしている時は本当に的確で早くて真面目な人だなって思っていたけど、意外にぽけぽけしている所あるんだね」
「はぁ。私自身はよく分からないですけど」
千尋は首を傾げるしかない。
そんな彼女の姿に、青年は楽しそうに、にっこりと笑う。
「荻野さん、もう帰る?」
「はい」
「何処かでご飯一緒にしませんか?もう少し話をしたくなりました」
「はぁ・・・その前に聞いてもいいですか?」
「はい。何でしょう?」
「貴方のお名前教えてください」
その問いは彼にとってまた大ヒットだったらしい。
それから暫くの間腹を抱えて笑っていた。
曰く、入社してから既に6ヶ月経っているのに、未だに覚えていない事が面白かったらしい。
失礼なことじゃないかと思うことなのに、彼にとっては笑えることだったのが千尋を安堵させた。

背後からそろそろと近付いている。
「そろそろ決める時期だろう」
囁く声が聞こえる。

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■きのうときょうとあしたと・3■
時々思い出したように自分の未来を思い描く。
ハクが傍にいてくれて、笑ってくれて、私の名前を読んでくれて、そして、家族を作る。
ハク以外の誰かと一緒に家族を作って、お母さんになっておばあちゃんになって、幸せに暮らしていく。
そして年を重ねる毎に現実を知る。
ハクと出会ったとしても、私にはその姿が見えないかも知れない。
ハクと結婚しても子どもは生まれないかも知れない。
ハクは優しくしてくれた。でもそれは人間の子どもとしてで、女の子としてじゃないかも知れない。
ハクは私がこの世界の人と結婚して幸せになるのを見守る為に帰ってくるのかも知れない。
私が望む未来、そして可能性の高い未来。
そのどちらの未来を選んでも、きっと私は後悔しない。

そう気が付いた時、私は自分が怖かった。
不思議の町の入口にもう一度走った。
でも、入る事はできなかった。
ハクが元の世界に帰してくれたから。
ハクがこの世界に帰ってくるって言ってくれたから。

きっとそれは私が元の世界に帰るのを促す為だけの言葉じゃない事を信じて。

「荻野さん」
丁度お昼時間のチャイムが鳴り、千尋は友人たちと食堂へ向かう途中に声を掛けられた。
視線を向けるとそこにはこの間夕飯を一緒にした青年。
最近彼と一緒に遊ぶ事が多く、時には友人を誘って皆で夕飯を食べたりする事が多くなった。
彼は人柄のせいか友人が多く、社内でも今まで女性の友人が多かったのが、ここ最近は男性の友人が増えつつあり千尋は感謝していた。
その彼は頬をぽりぽり掻きながらこちらを見る。
「明日暇?」
明日は週末なので会社は休業日だ。
「うん。明日は暇。予定も何も無いよ」
千尋が笑顔で答えると、青年の表情がぱぁっと明るくなる。
「だったらさ。神社へ行かない?」
「神社?」
「そう。荻野さん好きだって言っていたから。最近場所を移動してきたのか近所に新しい神社が出来たんだ。凄いんだ、山を丸ごと買い取って、社自体も大きいんだ」
「へぇ・・」
「オレん家の近くに女の子にも人気のイタリアンレストランもあるから、そこに寄ってから行ってみない?」
「うん」
そう返事すると、彼は更に嬉しそうに笑い、駅と待ち合わせ場所を決めて、彼がお昼を一緒にしている友人たちの元へ戻って行った。
千尋はぽけっとその彼の様子を見つめ、先に行った友人の元へ行こうと回れ右をすると、目の前にその友人の一人が立っていた。
「うわっ」
千尋は思わず声を上げ、一歩後ろに下がる。
「何々?デート?デート?」
興味津々で彼女は千尋に近付く。
「ちっ違うよぉ。彼の家の近くに神社が出来たらしく連れてってくれるって」
「神社?」
「そう。私、神社が昔から好きで、よく色んな神社に参拝行ってたって話をしたから」
「随分変わった趣味持ってるのね。まぁまぁそれは置いておいて。だって二人でしょ!?どっかでご飯食べるんでしょ!?」
「レストランに行こうとは言ってたけど・・」
その言葉に友人の目の色が変わる。
「レストラン!?」
「あっ、でも二人なのかなぁ?でも神社だよ?デートでも何でもないよ」
今にも捕って食われそうな勢いの友人に距離を取りつつ、千尋は牽制する。
「何を言っているの!千尋!ニブニブ、おニブ!立派なデート以外の何ものでもないでしょ!それ!」
「えー」
「えーじゃない!そうかついに・・彼、最近ずっと千尋の傍にいたもんね。もう千尋もいつ気付くかと思っていたけど、ついに焦れて彼も行動に移したか」
「えー」
「だから『えー』じゃない!」
友人に怒られ、首を竦めるが、千尋自身友人の言葉が信じられなかった。
彼が自分に対して、恋とか愛とか求めているようにはとても見えなかったからだ。
「えー」
千尋の口からはその言葉しか出なかった。

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■きのうときょうとあさってと・4■
待ち合わせ時間に行くと青年は既に待っていて、千尋に気が付くと軽く手を振ってくれた。
会社ではいつもスーツ姿の彼は今日は私服で、それは少し新鮮な印象を千尋に与える。
彼が紹介してくれたレストランで食事をし、そして、神社へと向かう。
他愛も無い会話、沢山の友だちといても、二人でいても、話の内容はいつだって変わらない。
いつも通りの自然体でいる自分たちに千尋は安心する。
先日の友人の言葉を思い出すけれど、彼も自分もそんな気持ちは無い。
「料理どうだった?」
「美味しかった。デザートがまた選ぶの悩んじゃうくらい多いし。また来たいな」
「皆と一緒にまた来ればいいよ。その時はオレも誘って。男一人でデザート食べるってどうも恥ずかしくて」
笑いながら神社の入り口の鳥居を目指して歩く。
駅前は流行を追うような店が多く、人で賑わっていたが、神社に向かうに連れて段々と閑静な住宅街に入っていった。
「静かな場所だね」
「そうだね。結構何でもある場所だけど、山の方に来ると高級住宅地になって静かなんだ。んで、デカくて綺麗な一軒家も多い。坂道登るにつれ景色もいいからね。ちょっとした景勝地」
彼に肩を叩かれ振り返ると、そこには坂に沿って建てられたデザイン豊かな一軒家が立ち並び、その向こうには夜にはネオンで鮮やかに彩られるだろう駅前通りと海が一望出来た。海に沿って延びていく線路が何処か人の心の憧憬を誘う。
その景色に千尋は思わず溜息を零す。
「へぇ。そんな場所に突然神社が出来たんだ」
「そう。元々何か祀られていたって訳でもなく突然。でも、近くに綺麗な川も流れてるし、昔から変わらずの自然がそのまま残っているからね、神様がいたって不思議じゃないよ」
千尋は彼の言葉に思わず振り返ってしまう。
「だって、これだけいい眺めの場所なのに、この山の上に展望台作る話なんて一度も出来た事無いんだよ。地主がずっと売らずにいたのかどうかは分からないけど、でもお陰でこの山は子どもの格好の遊び場。オレも子どもの頃遊んでてそれが今も変わらないのは嬉しいものだと最近思う」
「だったら神社が出来てしまったら・・・」
自分たちの思い出の場所が壊されてしまうのでは?と問い続けようとした千尋に、彼は手を振る。
「違う違う逆。神社になってくれる事で、確かに社が出来て森が少し壊されるけど、全部じゃない。それに自分の遊び場が神様の住む場所だったんだと思うと嬉しいもんだよ。むしろ納得する。ああ、だからこの森はずっと変わらないままなんだって」
「そっか・・」
そう答えて、千尋は自分の家のすぐ隣に広がる森を思い出した。
小さな神様の家が一杯ある通り道、モルタルの柱、その向こうの町。
もうずっと訪れた事は無いけれど。
「到着」
彼の言葉に現実に視界を戻すと、目の前に、大きな朱色に塗られた鳥居があった。
鳥居の向こうには、階段が続き、階段の向こうにあるはずの社は見えない。
「頑張れる?」
苦笑しながら彼は千尋を見る。
「うん」
千尋は笑って、答え、鳥居を潜る。
さわり。
空気が震えた気がした。
それは彼女の気のせいだろうか。

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■きのうときょうとあさってと・5■
階段を登りきったところ、目の前には大きな社が建てられていた。
まだ全てが真新しい。日の経たない木の匂いや、まだ乾ききっていない柱の色、境内を真っ直ぐ伸びる石の参道。そしてまだ雨風に晒されず、白く輝く玉砂利が地面に敷き詰められていた。
「本当にまだ建てたばかりなんだね」
千尋はあまりにも新しい神社に少しの驚いてしまう。
「うん。本当に最近だから」
隣で息を弾ませながら彼は答える。
急勾配の階段を登りきり息を切らしている彼に気遣いながらも千尋は、社の入り口になるもう一つの鳥居を潜り、社の前に立つ。
「・・・・ハク?」
誰にも聞こえないように、それでいて扉で閉じられた社の奥に問いかけるように千尋は問いかける。

問いに返る言葉は無い。

暫し、千尋はその場に動かず、後ろから追いついた彼は首を傾げた。
「荻野さん?」
振り返る彼女はさっきまで見せてくれた笑顔と変わらない笑顔で彼を振り返る。
「ん?」
「・・・・何でもない。邪魔してごめん」
「謝ることなんてしてないよ」
そうなのだが。彼は謝らなくてはならないような気がした。
彼女の、彼女が大切にする何かに触れたような気がして。
「ここの神様は誰が祀られているのかな」
変わらない様子の千尋に自身も何故違和感が沸くのか分からないまま、彼は顔を上げ、周囲を見渡す。
「そういえばオレも知らないや。大体立て札とか立てているよね。こういう所って」
「待って、社務所があるから聞いてくる」
千尋はそう言って、社の隣に建てられていた社務所に入る。
「すみませーん」
声を掛けると、中から返事があり、足音が近付いてきた。
「神主さんいた?」
千尋を追いかけて、後ろから彼が声を掛ける。
「うん。今、来る・・・・」
「御待たせしました」
彼に答えつつ、千尋は目の前に現れた人物を見上げた。

時が止まる。そんな言葉が今だった。

そろそろ決める時期だろう。
私はいつか選らばなくちゃいけないんだろうか。