ねこといぬ

ハクは優しい。
いつも優しくて、私を沢山喜ばせてくれる。
私が何が大好きなのか。どうしたら喜ぶのか。
私は一度も言った事が無いのに、簡単に当てて見せて、更には私自身も気づいてなかった事まで、して見せて、私を幸せにしてくれる。
いつもにこにこしていて。
私が笑うと、ハクも笑ってくれる。
それがすっごく大好き。

「千尋。甘い菓子が手に入ったんだ。食べないかい?」
お仕事のちょっとした休憩時間に、ハクに夜、彼の部屋に遊びに来ないかと誘われて、私は嬉しくなって大きく頷いた。
「うん!絶対行く!」
ハクは私が甘いものが好きな事。おまんじゅうや大福も大好きだけど、それよりもチョコレートやクッキーが好きなのを知っている。
だから、湯婆婆に頼まれて遠くまでお仕事をしに行った帰りや、ちょっとした時間の合間に、近くの街まで行って、お菓子を山ほど買ってきてくれる時がある。
油屋には、坊の部屋以外に洋菓子はあまり置いていないから凄く嬉しい。
だからつい顔が緩んでにこにこ笑顔になってしまうのだ。
ハクはお仕事抜け出してとか、お仕事の途中で買ってくるっていう事が多い。ハクのお仕事は他の人よりずっと大変そうだから、「ハクにそんなに迷惑をかけられないよ」って言うんだけれど、ハクは「千尋が喜んでくれるのが嬉しいから私は私の為に買ってくるんだよ」って言ってくれる。
ハクが優しいから結局つい、いつも甘えてしまう。

夜、ハクの部屋に行くと、ハクは既に部屋で待っていてくれていた。
何気無く、いつも座る定位置に腰を下ろすと、ハクがお菓子を用意してくれる間、もう既に馴れた部屋を見渡す。
ハクの部屋は良い匂いがして大好き。
きっと良いお香がたいてあるんだろう。ハクの部屋に入ると、自然とリラックスしてしまう。
ハクの匂いも大好き。
お香とか作られた匂いじゃなくて、太陽一杯に浴びた草の匂いがして大好き。
だからよく、何気無くハクにもたれかかっては、もぞもぞと頬を擦り付ける。
ハクの匂いが凄く安心させてくれて、私はこっそりその匂いを嗅ぐのが好きだった。
ハクの部屋はもう自分の部屋みたいに落ち着く。
よく分からない本が壁一杯に本棚に入って並んでいて初めて入った時は妙な威圧感があって恐かったけど、今では、ハクがいる部屋って事と、ハクの部屋の空気が私に良く馴染むのか、いつも過ごす女部屋よりもリラックスするから不思議。
気が付いたら、ハクの部屋なのに床にごろごろと転がって、気が付いたら眠ってしまっている。
ハクによく「どうして自分の部屋で寝ないの?」と、困ったように言われるけど、本当に怒って言っている訳じゃ無いから平気。つい甘えて、結局ハクの布団に一緒に寝てしまう時だってある。
「千尋。はい、どうぞ」
ハクは部屋の隅にある文机から箱を持ち出し、この部屋には他に机が無いから床に置くと、箱を開けてみせる。
「うわぁぁぁぁぁ」
私は嬉しさに声を上げる。
箱の中にはキャンディーやチョコレート、ケーキが沢山入っていて、どれもカラフルに彩られていて、食べてくださいとばかりに自己主張をしている。
目を輝かせて見入る私にハクはくすっと笑うと、「お好きなのからどうぞ」と微笑んで差し出してくれる。
それはいつもと同じ会話。
そうして私は、結局全部食べてしまうのに、いつもどれを一番に食べようか迷いに迷って食べ始めるのだ。
いつもと同じやり取りのはずなのに。
どうしてか、その日の私は、ハクの言葉にむっとするものを感じた。
ハクはいつも通りのはずなのに。
私は自分の感情が分からずに首を傾げる。
「どうしたの、千尋?はい、どうぞ」
ハクは何一ついつもと変わらず、さっき調理場で作ってくれたホットミルクを私に差し出す。
ホットミルクは大好き。お菓子を食べる時に一緒にあると一層美味しく感じられる気がする。
私はそれを何気無しに受け取り、そして、ハクが持っている湯飲みを見上げる。
「・・・・ハクは何を飲むの?」
「ん?私はお茶だよ。いつもそうだろう?」
どうして自分でもそんな事を聞くのか分からなかったけど、ハクの答えに私は釈然としなく、手に持つホットミルクに視線を落とす。
私はお茶は苦手。甘くないし、舌が火傷するくらい熱いし、苦いから、飲むのは苦手。
ハクはそれを知っているから、お茶を入れてくれる事は無い。
ハクはそれを平気で飲んでいる。
「ハクもお菓子食べようよ。いつも私一人で食べてるし」
私がハクを見上げて誘うと、ハクは笑って答えてくる。
「ありがとう千尋。いいよ。全部食べて。千尋の為に買ってきたのだから」
そうなんだけど。
でも。
私は不満を感じ、お腹の中でぐるぐるする気持ちを溜めながら言葉を続ける。
「だっていっつも私だけ食べてばかり。ハクも食べようよ。一人で食べてもつまんないもん」
「・・・・それじゃあ、お言葉に甘えて、この飴だけ貰おうかな」
ハクは頬を膨らまし主張する私を見ると、苦笑し、そして小さなキャンディを箱から一つ摘み上げると自分の手に乗せた。
む。
それが逆に私の中でぐるぐるする気持ちが苛々に変わって、腹が立ってきていた。
だってハクは本当は甘い物が好きじゃないの知ってるもん。
私が言ったから食べようとしたんだ。
私が我儘を言ったから。
いつもは感じなかった。
でも今日は違った。
気になったことさえなかったはずなのに、今は無性に悲しくって腹が立って仕方が無かった。
いつだってハクは優しい。
いつだって私に一杯喜ばせてくれようとする。
私が我儘だから。
私が子どもだから。
私が単純だから。
ハクは簡単に私を喜ばせる。
「ふぇ・・・ふぇぇぇぇぇん・・・」
そう思ったら、無性に悲しくなって、勝手に涙がぽろぽろ零れてきて、私は泣いてしまった。
ハクは突然泣き出した私に驚いて、おろおろする。
「どうかしたの?千尋!?」
私はただ首を横に振る。
「お菓子が好きじゃなかった?ほっとみるくじゃ嫌だった?」
違うの。違うの。
声が出ない。私はただ首を振るだけ。
ぼろぼろ零れてくる涙は止まらなく、流れ続ける。
「・・・じゃあ、また街まで行って美味しいも買ってくる?何処かへ散歩へ行こうか?」
ただただ私は泣いて首を振るから、ハクはおろおろと私が今まで喜んできた事を色々上げて、泣き止まそうとしてくれる。
それがまた、悲しくて。
まるで我儘な子どもをあやす様に、慰められているみたいで。
凄く惨めで。
「うぁぁぁぁぁん」
私は余計に泣けてきて、声を上げて泣いてしまった。
そうすると今度は癇癪を起こした子どもみたいで、自分でも訳が分からずただ泣いてるばかりの自分がやっぱり子どもみたいで、情けなくて、悔しくて、また泣けてきて、止まらなくなってしまった。
「うぇぇぇぇん!ふぇぇぇぇん!」
「千尋・・・・」
ハクが困っているのが分かる。
ハクを困らせたくて泣いている訳じゃないのに。
こんな子どもみたいな自分を見せて、ハクに嫌われたくないのに。
泣いて、喚いて、そんな子どもみたいな事しか出来ない自分がまた悲しくて。
「うわぁぁぁん」
また泣けてしまう。
もう喉は枯れて、肺が痛くなるくらい泣き叫んでいると、突然ハクは動いて、私を抱き寄せた。
突然の事に、私は驚いて一瞬泣き止んでしまうが、突然止まった息が咽返り、そのまま私の止まった意志とは無関係にまた泣こうと肺が空気を求めて呼吸をさせ、涙がぼろぼろと零れて、再び泣き喚こうとする。
「・・・・千尋・・・・。泣き止んで欲しい。千尋が悲しいと私も悲しくなる・・・」
抱き締められたまま耳元で囁かれ、私は涙を浮かべたまま顔を上げると、ハクが今にも泣き出しそうな顔をしていた。
それが困った子どもだとか、あやすようにとか、そういう事では無く、余りにも傷ついた表情をしていて。
悲しくて泣いていたはずの私の方がハクを傷つけたと言う罪悪感を覚えて。
零れていたはずの涙もぴたりと止まって。
「・・・・ごめんなさい・・・」
思わず謝ってしまっていた。
すると、ハクは笑ってくれて。
「私もごめんね」
と、謝ってくれた。

「千尋・・・・・。どうして泣いていたの?」
ぐるぐるとか苛々とかいつの間にかすっきりと無くなって、すっかりご機嫌を取り戻し、再び嬉しそうにチョコレートやケーキを食べている私を微笑んで見つめ、ハクは尋ねてくる。
「う?」
口の周りのクリームを拭うのも忘れて、夢中になってお菓子を食べていた私は、顔を上げると首を傾げる。
「・・・もし良かったらで良いから。聞かせてくれる?」
ハクの気遣う言葉に、私はさっきまでの泣き喚いた時の気持ちが恥ずかしくなって俯く。
「・・・・・だって、私子どもなんだもん・・・」
もう10歳になったのに、まだ全然子どもで。
ハクはいつだって子どもの私を喜ばせてくれる。
私みたいな子どもの扱いなんて簡単だとでも言うように。
ちょっとした事で簡単に喜ばせてくれる。
今だってそう。気遣ってくれる。
私が傷つかないように。泣かないように。
私だってもう10歳だし。
出来ない事も一杯あるけど。
まだ確かに子どもだけど。
子ども扱いして欲しくない。
ハクには絶対にして欲しくない。
ちゃんと私は私として扱って欲しい。
私がそう訴えると、ハクは苦笑する。
「ちゃんと扱ってるけどなぁ」
「違うもん!」
私は否定する。
今だってそう。ハクはやっぱり子どもの話だとでも言うかのように、私の話を聞いた時に見せる大人と同じように笑う。
私の話をちゃんと聞いてくれないんだ。
私だってちゃんと色んな事言えるのに。
聞いているようで聞いてないんだ。
私が不満顔でいると、ハクはすっと私の前にあったお菓子を横によけて、代わりにそこに座る。
何をするつもりかと気構えていると、ハクはやっぱり笑って、頬に両手を当て、柔らかい眼差しで覗き込んでくる。
「千尋が好きだから。喜んで欲しいから。優しくするんだよ」
「違うもん!子ども扱いだもん!私だってハクに何かして喜ばせてあげたいのに!」
私はハクに顔をずいっと寄せ、近づけると抗議する。
「・・・・・だったら・・・・私も喜ばせてもらっていい?」
そう言うと、ハクは私の首の後ろに手を回し、私の口の周りに付いたクリームをぺろっと舐める。
「ハク!?・・・ふ・・・んっ」
私が驚きの声を上げると、声と一緒にハクは自分の唇で塞いでしまう。
初めての感覚に私はいつの間にかハクの水干を握り締め、ぎゅっと目を閉じた。
「・・・・は・・ぁ・・・」
途中で意識が飛んでしまって、どのくらいそうしていたのか分からないけど、ふっと唇が離れ、温かい温度と柔らかい感触が消えると、既に息が上がってしまっていて、呼吸がまともに出来ないくらい苦しくなってしまっていた。
「・・・・子ども扱いしているつもりはないよ・・・・・」
ハクが今まで見た事が無いくらいに見せた嬉しそうな顔に、私はハクの赤く染まっている唇に目敏く気づいてしまい、さっきのハクの唇の感触を思い出して、言葉を発する事が出来なかった。

2006.03.21