さらり。さらり。と、長くぬばたまの様に輝く髪に、細く長い指が触れ、絡まる事の無いきめ細かな線を愛しそうに梳く。
「ん・・・ハク・・・?」
その艶やかな髪の持ち主はまどろみの中感じる柔らかな指の感触に、閉じていた瞼を半分開き、そして目の前の優しい笑みを湛えたまま己を見下ろす青年を見止めると、嬉しいそうに微笑む。
「千尋・・・髪が伸びたね」
未だ触れる感触にくすぐったさを感じながら褥からゆっくり体を起こすと、千尋は己の髪を無造作に首の後ろで束ねる。
絡められていたハクの指からするりと髪の毛が逃れていった。
「ハクと出会ってから一度も切ってないもん」
「では髪の長さは私と一緒にいた年月分だ」
ぷくっと頬を膨らます千尋にハクは嬉しそうに笑う。
ハクと千尋が出会ってから伸び続けた髪は既に彼女の腰まで達していた。
今ではポニーテールをするのが重くて、結っても首の後ろで一つに括ることしか出来ない。
「橋の上で出会ってからだから・・・もうどの位?」
「六年。六年分の長さだよ」
「切らないの?」
そんなことは少しも思っていないくせに、今のように千尋の髪に触れ、遊ぶ事が日課になっている彼自身が問いかける。
「だって願掛けしているもん」
「願掛け?」
「そう。ハクと又会えますようにって」
告白され、ハクは瞬くと、苦笑する。
「もう会っているじゃないか」
「違うよ。いっつもいっつもハクがお仕事でいなくなる時も、私が不思議の町を出て家に帰る時も別れがある。だからいつも必ず、またハクに会えます様にって願を掛けているの」
幼く純粋。
けれど幼さ故の無知なのか、少女は髪に祈りを込める。
神や異能力を持った者は髪に己の力を蓄える。
力ある者の髪に触れるだけで、力無き者は傷を追う事だってある。
だからこそ、髪は呪いにも極力な効果を発揮し、古来から呪術に髪を使う例は数知れない。
神だって時にはその呪術により死す事だってあるのだ。
「私は捕らわれているのだね。千尋に」
それもいいだろう。
彼女が自分を必要としている事に喜びを感じながら、千尋の髪を一房掬い、優しく口付ける。
彼女に捕らわれて。彼女を捕らえて。
彼女を求め、焦がれる日々より、彼女を捕らえて、放さない日々の方がどれ程幸せだろうか。
そう思いながらも、ハクは千尋の髪に口付けたまま動作を止める。
時とは流れ続ける事。
それは彼にとって妨げか、否か。
彼は思案していた。
油屋で最上級の一室。
彼はその部屋に宿泊する主に呼び出されていた。
その日は朝から大物が来るという事で、湯屋全体が異常な程の緊張感を発していた。
招かれる客は国生みと同等の最上位の神。名を呼ぶ事さえ憚れ、力持つその名を彼らが呼ぶ事さえ許されない。
そんな張り詰めた空気の中、ハクは周囲に視線を向けながら、従業員に指示を出し、的確且つ迅速に最高級のもてなしを手配していた。
上客にはいつも以上の気配りをと、その客の所作を逐一察しては、その前に支度を整え、決して不便を掛ける事の無い様にしなくてはならない。
だからと言って、客はその神のみではない。最上級とは言えないまでも、様々な位の神も宿泊をしている。位を分けて差が出るような接客をする事が無いのは店として当然の事、ただその中でも自然、高位になればなる程気遣いを必要とする客は多い。
その上、最上級客の纏う神通力は他の宿泊の神々もその存在を無意識にでも感じさせられ、過敏になっているだろう。宿泊客に気を遣わせるなどあってはならない。その存在感を湯婆婆でさえ隠す事は出来ない、だからこそ逆に、来訪する神々の神格、部屋位置、配慮等をいつも以上に必要とした。
神々は各々が司る対象のせいか、個性も強く、気難しい者も多い。
そんな彼らの機嫌を少しでも損ねようものなら油屋の存在なんてあっという間に塵と化す。
いつもは補佐のハクに湯屋の運営を任せっきりの湯婆婆も率先し接客に当たり、緊張感で張り詰めていた。
そんないつ琴線を触れるか分からない張り詰めた緊張の中、ハクに突然、最上級の部屋へのお呼び出しが掛かった。
湯婆婆は慌てて、何かあるのなら自分へと申し出たが、その神はハク個人に用があるのだと、それだけを告げた。
呼び出された一室で、ハクは恭しく頭を垂れる。
その彼に思いもよらない言葉が投げ掛けられる。
「おぬし、我の元で暫し使えてみないか」
ハクは溜息を一つ落とすと、口付けていた千尋の髪から手を放す。
彼の方の真意は量りかねる。
しかし彼の方の下に付くと言う事は、この油屋を離れると言う事。
千尋と会う接点が無くなると言う事。
もう一つ溜息を付いてから、ハクは千尋を引き寄せ、背中から抱き締める。
腹掛け姿の彼女の白。い背に口付けを一つ落とす
紫陽花が雨に降られる事で色を変えるように、白から紅に染まっていく背に、ハクはそのまま額を押し当てた。