はなれる2

「坊!危ないからお部屋に戻ろうってばー!」
ぱたぱたと湯殿を走る足音と少女の声。
「きゃあっ!?」
叫ぶ声が悲鳴に変わると同時に、何かが激しく床に打ち付けられる音がする。
「・・・・千~おい、大丈夫か?」
「あぅぅぅぅぅぅ」
足元をすくわれ、転び、強かに尻を床に打ちつけ、起き上がると尻を擦る千尋にリンが声をかける。
その様子に流石の坊も振り返り、てとてとと千尋の側に寄った。鼠の姿で。
銭婆婆に過去に一度鼠の姿に還られた事があり、元々身体の大きい坊は、小さくなる事で行動範囲が広くなり、動きやすくなる事を知ると、湯婆婆に魔法を教え願った。以来、鼠に姿を変え、部屋を抜け出す事が多くなった。
湯婆婆の目の離した隙に抜け出すため、魔法を教えるのではなかったと後日後悔する事になる。
そして必ずといってもいいほど、人間の少女の元へ遊びに行くのだ。
それを止めるのが、ハクの役目・・・と最近新しい仕事のひとつとなりつつあった。
「坊・・・。十分遊んだでしょう?千はまだ仕事中です。千と遊びたい気持ちは分かるが、千は働かないと石炭に変えられてしまう。坊は千が石炭に変えられても良いのですか?」
毎回のごとく、坊を探していたハクがゆっくりと千尋に寄り添う坊へ近づいてくる。
「それに・・・千を怪我させるために来たのではないだろう」
叱られ小さくなる坊に視線を向けながら、ハクは千尋に手を差し出す。
「・・・・ありがとう・・・・」
自分を助け起こすために手を差し出されたことに気がつくと、千尋は少し頬を染め、戸惑いながらその手を取る。

その手の温かさ。

「きゃっ!?」
千尋は立ち上がろうと膝を立てるが、突然支えが無くなりバランスが取れず、再び尻餅をつく。
ハクが手を離したからだ。
「ハクっ!てめぇ!いきなり何しやがる!」
一部始終を見ていたリンが、怒鳴りかかるが、当の本人は。
顔全体を、耳まで真っ赤にしていた。
なので、思わず息を飲み、リンも次の言葉が出ない。
あのハクが。
冷徹で、どんな事が起きようとも、眉一つ動かさないハクが。
顔をユデダコのように真っ赤にしている。
流石の千尋もぽかんと口を開け、目を見張った。
「・・・・坊。行こう・・・」
ハクはそんな彼女ら二人と目を合わさないように逸らしながら、坊を肩に乗せると、足取りだけは何事も無かったかのように、その場を去っていった。

熱が上がる。
動悸がする。
彼の人にも伝わってしまっただろうか。
私の熱は。

「・・・千・・。今の見たか・・・」
リンがやっとの思いでそれだけを口にすると、千尋はこくこくと上下に激しく首を振る。
「・・・・ハク様・・・そーとー壊れてないか?」
何よりも先に、誰よりも先に。自分よりも先に、まず千尋を大切にする、あの少年が。
その最も大切にする、しすぎるくらいの少女を突き飛ばした。
その事実。
そして去っていく彼の顔が今まで誰にも見せた事無いくらいに紅く染まっていた事。
それの意味するところは・・・・・。
「・・・・・ハク・・・・そう、ハク!きっと風邪引いてるんだよ!そうだよ!だから不思議な行動取るんだよ!」
「千・・・・。本当にそう思っているのか?」
まるで明暗でもう浮かんだかのように、ぱっと顔を上げ、笑ってみせる千尋に、リンは静かに問いかける。
「あうっ・・・」
ごまかして自分を納得させようとするのだが、千尋にはハクの最後の表情が思い浮かんで消える事は無い。それはリンも同じだった。
「・・・だって・・・だってね。ハクのこと好きなんだよ。好きなんだよ!本当に大好きなんだよ!・・・・・・・・・・・すきなの・・・・」
声に出す出すことで自分の中の熱が上がるくらい、言葉にするだけで叫ぶだけでは物足りなくなるくらい、そして切なくなるくらい好きなのだ。
千尋は叫び、そして俯くと小さく呟いた。
しかし、彼の心は分からないのだ。
好き。大切。
好きの上はもっと好き。
すきなのに、すごく好きなのに。違う好き。
恋の好きを千尋はハクを想うことで気がついた。
ハクも千尋のことを好きでいるだろう。
けれど、好きの上のもっと好きであっても、恋の好きではない。
だったらどうしてあんな行動を取る?
ついこの間まで、ハクは千尋に触れることを望んだ。
親のように、子どものように、千尋と共にいる時間を望み、触れることを飽きることなく続けていた。
指が触れる。手が触れる。
唇が触れるーーーーーーー。
それは千尋にとって顔から火が出そうなほど恥ずかしい思い出であって、一番印象に残ってしまった思い出でもある。
今でも思い出す度に顔が熱くなるし、胸が苦しくなる。
自分の指に触れるハクの唇の感触まで、鮮明に覚えてしまっていて、やるせない気持ちで一杯になるのだ。
そして、彼のその後の行動。
千尋に触れるどころか、会うことさえ、ぱったりと止めてしまった。
彼女がハクを見つけると、彼は視線が合うなり目を逸らし、何処かへ行ってしまう。
全く会おうとしてくれない。
微笑んでくれない。
最後に会った時の、あの行動。
そして今、久し振りに触れた彼の手、彼の行動、表情。
ハクは千尋のことを好きだと思ってくれている。
離れてしまったけれど、嫌われていないのだと安心した。
では、どんな好き?
それを考えると頭が煮えたぎって、ぐるぐると混乱してしまうのだ。
「うわーん!もう分かんないよぉっ!」
叫びたくなって当然だった。