触れる3

不躾な質問をしてしまった。
聞いてからハクは後悔する。
思い浮かぶのは、リンの唖然とした顔。
しかし聞かずにはいられなかったのだ。
千尋が、自分の知らないところにいるとき、何を思って、どんな行動を取って、何を感じているのかと。
真剣にそんな事を望む自分を恥じ、ハクは頬を染める。
おそらくリンにも気づかれてしまっただろう。
彼がどれ程に過保護であるか。
過保護にも程がある。
きっと彼女は呆れてしまっているだろう。
千尋は千尋であり、ハクが千尋の全てを知っているはずが無い。
彼が側にいない間も、彼女はこの湯屋で働き、そして元の世界での生活を送っている。
油屋にいる間の彼女の事は、自分がいる場所でもあるのだし、噂や、時々垣間見る様子から、何となくどんな事をしているのか想像はできた。
おそらく、ハクには見せてくれない表情をそこで見せている事もあるのだろう。
しかし、人間が生きる世界を離れて、幾年月も経ったハクには、彼女が帰る元の世界の事を想像できない。想像がつかない。どんなものがあり、どのようにして彼女がそこで生き、生活を送っているかは彼の想像から全くの外の世界の話なのだ。そこには彼の全く知らない千尋がいるのだ。
自分の側にいないところで生きている千尋。
辛くは無いか、苦しくは無いか、と案じるよりも先に胸が痛む。
千尋を大切に想うが故に、過保護すぎる自分にハクは苦笑する。

過保護?

しかし、その言葉は彼の内にある想いにしっくり当てはまらない。
彼の知らない彼女の行動、表情、全てを受け止める、その相手が羨ましい。
彼の知らない彼女の強さ、弱さ、感情を全て受け止める、その相手が妬ましい。
千尋が自分の知らない誰かに向ける表情、感情。
男でも、女でも、子どもでも、例え・・・・神でも。

--------全てが自分であって欲しいと願う。

千尋の感情全てをぶつけられる初めのひとは自分であって欲しいと願う。
自分の知らない千尋があって欲しくないと願う。
それは本当に過保護というのだろうか。
だとしたら、それはーーーーーーーーなんと欲の強い願いだろう。
ハクは自嘲した。

触れたいと願う。
かの人の熱に触れたいと願う。
触れる事で、己の心にも熱が伝わるように熱くなる。
冷めた心を温めてくれる優しい熱。
触れれば、触れるほど。
愛しい、愛しいという気持ちが、泉から湧き出る水のように止め処なく溢れ、温もりは心地よい眩暈を与える。
触れたい。
かの人の熱に。
かの人の心に。
その身体の内には何を潜めているのだろうか。
「~~~~~ハクぅ~~~~~~」
いつもの朝の逢瀬。いつものように季節感など無く無造作に花が咲き誇る庭で、千尋とほんの僅かな二人だけの時間を過ごす。
握り締める彼女の小さな掌。千尋の顔は既に頬だけでなく耳まで紅色に染まり、握り締める両手は汗ばみ震えていた。
覗きこむ瞳には涙を湛え潤んでる。
小刻みに震える指。
朱色に染まる頬。
涙で潤む瞳。
彼女の全てがハクの心を揺らす。
酔わせる。
触れる事で、彼女が何を想うか、何を考え、自分の知らないところでどう生きているのか、どんな表情を見せているのか、分かるかもしれない。そんなことを想ったが震える指から、何も情報を得る事はできなかった。
ただ触れいている。それだけが今ある事実。
自分が千尋に触れている事の現実。
自分が千尋に触れる事を許されている今。
痛いほどの喜びが胸に溢れる。
もっと触れたい。
もっと深く触れたい。
触れられるのは自分だけであって欲しい。
触れられるのは自分だけでありたい。
もっと千尋が。
もっと千尋が。
------------欲しい。

音はしなかった。

心臓の音も。
草木の風に揺れる音も。

耳が痛いくらいに、一瞬音が世界から無くなって。

絡めていた、小さな指に。

そっと。唇を触れる。

ざわっ。

無音だった世界が、突然音を取り戻す。
大きくて、煩いくらいの音が耳に否応無しに入ってくる。
その中で、一番煩いのが。

彼自身の心臓の音。

ばっと、ハクは絡めていた千尋の指を放し、立ち上がると口元を押さえる。
目の前には、突然の事に目を見開いて呆然としている千尋が映る。
全身の血が逆流し、体温が沸騰し蒸発するのではないかというくらいの熱を感じる。
顔はこれ以上ないくらい紅く染まっているだろう。
思考は意味の成さない言葉ばかりが溢れ。
全身は指先まで振るえ、止まる事がない。
昇りつめた熱を冷ますこともできず。
ハクはその場から逃げ出した。

今の感情はーーーーーーー。

熱い。

2003.05.12