時空の守者-第六章- 命の花-雪の章3


兼行は帝の傍仕えとしての許しを得ているが、身分事態は低いものである。元々父親の身分が低かった事もあり、突然の昇進は帝の寵を受けて故、そして異能の力を持つが故と、余計な恨みややっかみ、憶測を受けてしまうだろう。そう配慮され、重臣たちが一同に会する朝議には参加できない程度の位で納まっている。故に、兼行が昨日の件を報告する場は自然と結界で守られた大内裏だった。
出仕した兼行の報告に、その場にいた者全員、絶句するしかなかった。
青褪め、顔を強張らせた者たちを目の端で捕らえながら、兼行は目の前に座する帝に詳細を伝え続けた。
「供をした二人は其々の家の者に伝え、遺体を引き取って頂き、弔いました。本来であれば私も血の穢れを受けた身、御前に罷り出る事もままならぬ身ではありますが、御身の命が狙われる可能性もあり、本日出仕致しました」
兼行はそこまで言うと深く叩頭した。
彼が帝に対面するように座し、その両側に座っていた官吏たちから其々不安や困惑の声が振ってくる。
「何処の痴れ者だ。そうやってこの中央に上納しないで自分の懐に蓄えている者がいるのだろう」
「やはりそもそもあの土地に支流を作った事が問題なのでは?」
「何の身分も無いただの農民が不平不満を持つこと自体がおかしい」
「しかし、近年の収穫は上がっていたではないか。先日の報告は虚偽の報告だったのか?」
様々な意見が飛び交う中、一人の男がずいと前に出る。
「それよりも帝の御身に何かあったらどうする。その者も何時ぞやの娘のように我々の結界なんて易々と抜けてしまうのではないのか?」
その問いに、それまで飛び交っていた会話は泊まり、静寂と共に、視線が御簾で仕切られた向こうに座る帝に集まる。
帝は動揺する様子無く、兼行を見据えた。
「その件に関しては全て兼行、そなたに任せたのだ。処理するように」
兼行は顔を上げ、ひたと目の前に座する揺るぎない主を見つめると、再び深く叩頭した。
つまりは朝廷に問題を何一つ持ち込む事ま無く、全て兼行が解決しろという事。帝は全権を与えているはずの案件を今この場に持ち込んだ事さえも不快に感じているのだろう。この場で上がる報告は全てが議題として上がる項目ではなく、解決したと言う言葉のみを求めていたのだと兼行は気が付いた。
帝は既に兼行に任じた件については終わった事だと思っている。
しかし、麒麟が関わっている以上、簡単に終わる案件ではなくなっているだろう。だから今この場で報告したのだ。そう訴えたいが、一方で全権を与えられた件に関して自分一人で処理を仕切れず、判断を仰ごうとした挙句一蹴されてしまった自分を恥じた。
胸の中で葛藤は続くが、だからといってそれ以上求める事も出来ず、兼行は自分の席へ戻った。
周囲の者はまだ戸惑い気味ではあったが、帝が兼行に全てを任せるといった以上、その話は続かない。兼行が席に戻った事でその件に関しての話は完全に終わった事となり、次に報告する者が入れ替わりに帝の前に座した。
会議が終わり、兼行が大内裏を退出すると、同席していた者二、三人に声を掛けられた。
役職は兼行とは性質は異なるが魑魅魍魎を調伏したり、災厄から守る為の結界を張ったりする異能の力を持つ陰陽寮に務める者たちだった。
「我々の力で帝をお守りする事が出来るだろうか?」
その問いに兼行はやや眉間に皺を寄せ、首を横に振る。
「恐らくは…彼が相手では無理でしょう」
ここで彼らの矜持を保つ為の下手な言葉は無意味だと判断した兼行は素直に答えた。
陰陽師たちは兼行の力を間近で見、そして真澄が大内裏に乗り込んできた時、為す術一つ無かった。兼行含め彼らの力を目の当たりにしているからこそ、己たちとの力差を十分に理解していた。
だからこそ兼行の回答に、力無い自分たちを嘆き彼らは落胆の息を落とす。
「ただ、彼がこの大内裏まで侵入して来ないように全力を尽くします。異能の力を持つ彼はこの朝廷にも国にも全く興味が無い。あの憐れな農民を救う事が出来れば、この朝廷や貴族を憎む気持ちを抑えられれば彼も内裏を襲う事はしなくなると思うのです」
麒麟は何処までも普通だった。あの時の彼が本当の彼。あの農民の狂気を弄ぶ事さえも遊びの一つとしか捕らえていない。
真澄が傍にいるといないだけであれ程にも変貌する。
いや。どちらの彼も彼なのだ。彼は今も昔も変わらない。兼行が気付かなかっただけだ。
「大体何処の貴族だ。我々の目の届かない所でそんな勝手な事をしているのは」
陰陽師と同じく兼行の後ろを歩く官吏の一人が憤り、もう一人も愚痴を零す。
「しかし最近地方の管理を任された貴族はそうやって懐を暖めているという話も良く聞く」
「力で物を言わせる呆れた統治を行っている豪族や武士どもがいるとな。幾ら取り締まってもきりが無いそうだ」
「先日の報告ではここ数年豊作が続き税徴収もしっかりと行えるという話でしたが、私が実際に訪れた場所は酷いものでした。あの報告に疑問も持たざるを得ないのですが」
兼行は実際に問題の地を訪れ、抱えていた疑問を口にする。
そうすると最初に憤りを露わにした官吏が口を開いた。
「確かに。あの土地の税収は他より低かったのだが、一方で別の土地が豊作で高く税を引き上げたにも関わらずしっかりと収められていたので、全体的に見れば豊作になるという事になるらしい。私も前回の報告で疑問を持っていて調べたのだ」
「そんなに豊作だった所があるんですか…」
兼行は実りの全く無い荒れ果てた土地を見ただけに、あの景色に相対する土地があると思うと驚きを隠せない。
その感想に、官吏は不思議そうな顔をする。
「何を言っているんだ。君の屋敷で毎年農民や商人を招いて宴をしているだろう。君も不思議な事をすると思うが。その尋ねてくる農民たちの土地の事を言ってるんだよ」
兼行は目を見開いた。
兼行自身がその土地を訪れたのは、帝に招かれ初めて都を訪れたその日以来だった。
父親が身罷る年と同年、父親の希望からその土地で働く農民や商人を招いて宴を開いた。
当時、妻の屋敷でその話を聞いた時驚いた。以前暮らしていた里で父親や屋敷の人間は兼行がどんなに身分の隔たりの愚かさを訴えても頑として理解しようとしなかったのに、その彼らが、父親自ら卑下にしていた者たちを招くなんて、と。そして同時に既に婚姻していた兼行の妻の屋敷での立場は悪くなっていった。
以前の父親と同じ考えが当たり前になっている貴族の中で、彼は生き延びる為貴族としての自分の地位を少しずつ確立していったから、支障になっていた。
それでも父親の命が既に尽きかけていた為好きにさせて上げたかった事、兼行自身は身分に関して頓着していなかった事もあり、周囲からの好奇の視線や嘲笑は暫く尽きなかったが、兼行は黙認した。妻の家族からも忠告は受けはしたが無視をした。
そして宴は今も毎年続けられている。
その毎年訪れる農民や商人が実際に暮らす土地を訪れるのは二回目だった。
一度目は枯れた土地。
二度目の今、目の前に広がる土地は緑が視界を埋め尽くす豊かな実りが風に揺れる芳情の土地だった。
「あの土地がよくもここまで…」
兼行は素直に感嘆の息を漏らす。
畑で農作業をしていた男の一人が腰を上げ、兼行を見ると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ゆき様じゃないですか!」
「ゆき様!」
其々が声を上げると、ばたばたと緑の中を踏み分けて、兼行の元へ人が集まる。
彼らは真澄に倣って、兼行を『ゆき』と呼んでいた。
「どうされたんですか?今日は」
「ゆき様がこんな所へ態々」
「御用があればこちらから出向くのに」
「屋敷の人たちは元気ですか?」
方々から様々な声が掛けられる。
あまりの歓迎に兼行は困惑するしかなかった。
「あの」
取り敢えずこの場を収めなくては。と、声を上げると、途端一斉に声を上げていた者たちは沈黙する。
まるで自分が神にでもなったかのような、何処か信仰的な扱いに、兼行はまた戸惑ってしまう。
だがそういった動揺を抑え、彼は今日ここへ来た目的を口にする。
「何故この土地がこんなに豊かなのか教えて欲しいのだが」
彼の問いに農民たちは互いに目を合わせ、そして兼行を見ると、笑いが起こる。
「何を仰ってるんですか。そんなのゆき様がこの土地に力を与えてくださったからじゃないですか」
土地を肥沃にした本人が何を言っているんだと、彼らは笑い合う。
しかし兼行自身はそれで納得できるはずがない。
「私は何もしていない。一番最初にこの土地の作物の成長を促しただけだ」
そうこの土地と同じ事を行った別の土地は、そんな奇跡は一度きり。今は何も取れない不毛の土地となっている。
「だから、その時のお力が…」
男たちは反論するが、兼行は表情を曇らせるだけだ。
そんな彼の様子に、今度は集まった農民たちの方が困惑してしまう。その中の一人、中年くらいの男がぽりぽりと頬を掻きながら呟く。
「あと、考えられることとしたら、あれかな。真澄のお陰」
その言葉に、「ああ」と他の者たちも賛同し、口々に「そうだ、そうだ」、「真澄は元気だろうか」と、懐かしそうに突然姿を消してしまった真澄を思う言葉を口にする。
「真澄が何かをしたのか?」
兼行は思い出話を遮る形になってしまうが、最初に口を開いた男に問い掛ける。
「ええ。ゆき様が訪れになった後、真澄がちょくちょく尋ねてくれたんですが、それがまた面白い事を始めたんですよ」
「面白い事?」
「その年の畑は成長が良かったんでそのまま育てたんですが、もう何も生えなくなっていた他の畑に、気が付いたら畑の端っこに積んでいた牛や動物の糞やら売り物にならない野菜やら混ぜて山になっていた土を混ぜ始めたんですよ。そしたら次の年からその畑でもまた作物が育つようになり始めて。今ほどとれるようになるには数年かかりましたけど。毎年そうやって肥やしを混ぜる畑を増やしてって気が付いたらここら辺の畑一帯毎年安定した実りを得るようになったんですよ」
その男の話に別の男が話に乗る。
「俺、最初は畑に糞撒くなんてと思ってたけど、それ目の当たりにしたらやろうって思い始めたもんな」
「本当、ゆき様がこの土地に力を与えてくれて、真澄がそれを持続させる方法を教えてくれたからありがたい。お二人は私たちにとって神様ですよ」
女が嬉しそうに声を上げ、その横にいた老婆は「ありがたや。ありがたや」と拝んでいた。
しかし兼行は居た堪れなかった。
それは勿論決して自分の力のお陰ではない事を知っていたから。
そして、今、目の前に広がる豊かな畑は、全て真澄の功績だから。
兼行は『自分たちがいるからどうにかなる』と豪語しておきながら、一度きりのまま今日までこの地を訪れる事は無かった。
真澄は兼雪が訪れなくなった後もこの地を訪れ、畑を蘇らせていた。しかも己の力を使わず。彼女がいなくなっても彼らがやっていけるように。
兼行は己を恥じ入ったが、今日彼らを訪ねたのはそんな為じゃない。恥じる事は後でも出来る。そう己自身の意識を強制的に切り替える。
「すまないが、手を貸してもらえないだろうか」
「どういうことです?」
中年の男が聞き返す。
「こちらと丁度都を挟んで反対側に位置するんだが、そこの土地がもう何年も不作が続いているんだ。どうかそなたたちが真澄から得た知識を伝えてくれないだろうか?」
「ゆき様がまた奇跡の力で土地を蘇らせればよいのでは?」
率直に返されるその問いに、兼行は顔を歪め、首を横に振る。
「それでは駄目なのだ。私の力は私がいなくなってもその土地に力を持続的に与えるものではない。その真澄が与えた技術が必要なんだ」
「そうなんですか」
周囲の者たちは何処か腑に落ちない様子で、隣にいる者と疑問を口にする。
当然だろう。彼らにとってはこの土地は真澄のお陰ではなく、兼行の力によって守られていたと信じていたのだから。
真澄は兼行の力で守られていたこの土地を更に豊かにする術を教えた程度にしか感じていないだろう。本来ならとっくに再度枯渇しても不思議ではなかった土地を自分たちの力で豊かな土地に戻したのだと微塵も気付いていないのだろう。
「分かりました。俺とあと二・三人連れてその畑に行って教えてきますわ。それでゆき様のお役に立てるんですね?」
中年の男はにかっと笑って、兼行の願いに応えた。
「ありがとう」
兼行はほっと息を吐き、笑みを浮かべる。
「では、行く日時と場所なんだが…」
言って、彼は口を噤む。
先日の麒麟とそして一緒にいた男・吉郎を思い浮かべる。
自分が一緒に行った方が良いだろうか。けれど自分が一緒に行く事で逆に目の敵にされてしまうだろうか。戸惑いが生まれる。
「ゆき様。いいですよ。お仕事忙しいでしょう?俺たちだけで行きますよ」
兼行の戸惑いはその中年の男の言葉に後押しされて打ち消された。
きっとその方が安全だし、同じ農民同士打ち解けやすいだろう。と。
余計な事を話して心配を掛ける必要も無い。危険なのはあの男だけだ。兼行の抱える従者を何人か案内に入れて、技術を伝えに来たんだと話させればいい。
「そうか。では任せよう。すまない。宜しく頼む」

そうして兼行は数日後には後悔する事になる。

後悔する報告が兼行の元に届くまで日数はそれ程必要としなかった。
それは兼行が内裏に出仕し、書類を整理している時だった。彼の直属の下役がやや小走り気味に彼の勤める室に訪れ、、そのただ事ではない様子にそこにいた他の人間の視線が集まるが、部下はそれに気づく様子無く一目散に兼行の傍に屈むと、耳打ちをする。
「なっ!」
その報告の内容に兼行は声を上げるが、すぐに口元を抑え、周囲を見渡す。
案の定、注目されていた視線から逃れるように下役を連れて室を出て、人気の無い庭に下りる。
「どういうことだ?」
改めて周囲に人の気配が無い事を確認してから、下役に問い質す。
「それが…どういうやり取りがあったかは分かりませんが、農民たちは先日の兼行様との約束通り例の土地へ赴いて帰ってこなかったのだそうです。それで不思議に思った村の者が今日訪ねたら…死体を投げつけられた、と…。その者自身も襲われそうになったところをどうにか逃げ延びたようで…兼行様のお屋敷へ駆け込んできたそうです」
「――」
「それで、兼行様の家の者が先程私に託を任せられて。恐らく文を認める時間さえ惜しかったと思われます」
兼行は絶句するしかなかった。
混乱する頭をどうにか宥めて、自分を必死に落ち着かせる。
「その逃げて来た者は?」
「今はまだ兼行様のお屋敷にいるそうです」
「殺された者たちは?」
「――遺体を持ち帰る事など到底出来ず、そのままにしてきたそうです」
「帰る」
兼行は決断すると足早に門へ向かう。
「すまないが、途中になっている仕事は引き継いでおいてくれ。不明なものは申し訳ないが、後で私の屋敷まで届けてくれないか?」
「畏まりました」
その問い、ふと、兼行は嫌な予感がして振り返る。
無意識の内に、体は帝のいる清涼殿に飛んでいた。
視界が清涼殿を映し込むと同時に、爆音が響く。
ゴォン!
激しい地鳴りと衝撃と共に、屋根が吹き飛ばされた。
「何事だ…?」
間一髪の所で兼行は爆発から身を守る透明な防壁を作り、帝と自身の身を守る。
帝は顔を上げ、一瞬何が起こったのか理解出来ない様子で呆然としたがすぐに頭を振るといつの間にか目の前に現れた兼行を見上げた。
その視線に応えるより先に、兼行は周囲を見渡すと、帝を守る従者、陰陽師、そして傍仕えをしていた女房が倒れていた。
ある者は呻き声を上げ、ある者は瓦礫の下敷きとなっている。またあるものはぴくりとも動かなかった。
兼行の中に、先日の惨劇の記憶が蘇り震えると全身の血が一気に引く。
「んー。惜しい」
そんな惨状の中、間延びした声が天から降ってくる。
見上げると、宙に浮いた麒麟がこちらを見て、カラカラと笑っていた。
叫ぼうとするが、同時に背後からさっきを感じ、座り込んだままの帝を抱え、身を引く。
彼らが身を引くと、刹那、大きな刃の広い刀が振り下ろされ、轟音を立てて床に突き刺さった。そして大きな刀を持つ人物を確かめるように見上げると、そこにはあの日麒麟と共にいた吉郎。先日の農作業をする格好ではなく、いや衣装は同じなのだがぼろぼろに薄汚れて原型を止めなくなっており、まるで人ながらにして獣のような風貌に変わっていた。
「がぁっ!!」
吉郎は刀をかわす兼行を追撃し、刀を振り回す。
帝から距離を取るように誘導しながら、かわし続けるが、上方からまた嫌な気配がし、穴の開いた天井を見上げると、手を翳す。
途端。
ギィン!ゴォンッ!
屋根のその向こう中空で激しい爆音が響き渡る。空気が震える衝撃による光が走った。
咄嗟に屋敷を守った事で意識がそちらに向けられ、兼行が振り返った時には目の前に吉郎が迫っていた。
「くっ!」
身を引くが、吉郎の刃の届く範囲から逃れきれず、右肩に一太刀浴びる。
斬られた一瞬は痛みを感じる事無かったが、まるで体内に圧縮されていた血液が開放されたように吹き出ると同時に鋭い痛みが兼行を貫いた。
「まだオレやお前に及ばなくとも、随分強くなっただろう。そいつ」
この緊迫した状況の中先程と何も変わらずカラカラと笑う声が響く。
先程よりもずっと間近で聞こえた声に振り向くと、麒麟が楽しそうにこちらを見て笑っていた。帝のすぐ隣で。
「…麒麟…」
ぞわりと嫌な予感が兼行の中を駆け巡る。
「お前の気を逸らしさえすればそいつでもちゃんと一太刀入れる事が出来る」
帝は多少動揺を見せながら、自身の隣に立つ麒麟を見上げる。
慌てて兼行は彼らに近付こうとするが、その行く手を未だこちらを睨む吉郎に阻まれた。
「死ねぇっ!」
再び振り下ろされる刃に兼行は一つ息を吐くと、覚悟を決め、――動く。
決着は一瞬だった。
兼行は吉郎の懐に入り込み、鳩尾に一撃を加えると、男はそのまま昏倒した。
その行動に、麒麟はまた笑う。
「駄目だなぁ。やっぱり正面からだと一発だな」
兼行は視線を上げ、ニヤニヤ笑う彼を見上げる。
「帝から離れろ」
「いいぜ。そいつは捕まるだろうし」
そう言って、麒麟はあっさりと帝の元から兼行に向かって歩いてくる。が、ふと、思い出したように彼は振り返り、帝を見た。
「ああ、そうだ。言っとくけど、コレ、ゆきが計画した事じゃないから。そこに倒れてる男がゆきが憎い、朝廷が憎い、帝が憎いって言うからさ。手を貸しただけ。オレたちは知り合いだけど、偶々今回やる事が被っただけだから」
以前に知り合いが農民の男の味方として兼行と対する関係になっていると報告はしてあるものの実際に目の前で睨み合いながらも互いの名を呼び合えば、余計な勘繰りもしたくなりと言うもの、それを察したのか麒麟は笑って忠告する。
まさか麒麟がそんな事を言うと思わなかった兼行は驚いて彼を見る。
「別にオレ、お前が嫌いな訳じゃないしな。こんな事でお前が誰かに潰されちまうのも面白くねーし。どうせやるならちゃんと対峙して殺し合う方が面白いだろ。オレがこんな事誰かに言うのだって珍しいなと自分で驚いてるさ」
兼行は麒麟の言葉に少し感動して、少し後悔する。やはり麒麟は麒麟だ。
「では――そなたは」
兼行を見て笑う麒麟に帝が背後から初めて声を掛けた。
麒麟は訝しそうに帝を見るが、自分を見据える目を見てにやりと笑う。
「そなたは兼行から報告を受けたように、余興の為にこんなことをしていると?」
「そうだな」
「そこに倒れている者はこのままひっ捕らえられ打ち首にされるだろう。仮にも帝の私を狙ったのだからな。憎しみは兼行に対しての方が強いようだが。打ち首にされる最後を迎えさせる為に態々対術を教え、この内裏に入り込めるよう手助けをし、且つこの清涼殿の屋根を壊したのか?」
「そうだな」
麒麟は全てをあっさりと肯定する。その潔い姿に、今度は帝が笑う。
「あんた、いい目をしてるな。確かに王の器の目だ。オレたちの普通じゃありえない戦い様を見てもさっきから少しも動じてないしな」
「私は自分より能力が優れている者など幾らでも知っている。私が持っているのは権力だけだ。だったら能力ある者を最適の場へ据える裁量こそが必要だろう。たかだか異能の力の力の一つ二つ持っていようが動じる事でもない」
「世の中力だぜ?オレがあんたの首を取ろうとしたらすぐにでも出来るんだぞ」
「そなたはそんな事に面白みを感じていない。そんな無駄な事はしないだろう」
仮にも国の最上権力者である自分の命を軽いもののように、自らの命を絶つ事を『無駄な事』と言い切る帝に、麒麟よりも兼行や大きな力のやり取りで割り込むことも出来ずにただ見守る事しか出来なかった衛士や官吏たちの方が動揺した。
「私はそなたをもっと楽しい事に導く事が出来るぞ。話に聞くとそなたの方が兼行よりも遥かに上の力を持っているというではないか。その力、私の元で使ってみないか?飽きる事はさせぬぞ?」
思わぬ誘いに麒麟はぽかんとし、それから笑った。
「成程。確かにゆきが魅かれる訳だ」
その感想に兼行は麒麟を見る。
「けど、断る。オレ、使われるの好きじゃねーし、そもそもこの土地に縛られる理由もねーし。態々楽しい事提供されるのも、自分の力を誰かに使われるのもまっぴらごめんだ。オレは好きな時に好きな所で自分で適当に選ぶ。それにお前みたいな奴大嫌いだからな」
嘗て生まれてから一度も言われたことなど無いだろう、正面きって大嫌いだといわれた帝の方が今度は呆け、そして笑う。
「そうか。大嫌いか。そうだろうな」
「自分で分かってて、またそういう誘いを掛けてくるあたりが嫌いなところだよな」
麒麟は呆れた口調で溜息を吐く。
「それでは、話を戻して、あの者はどうする」
帝は未だ気絶をして倒れている男に視線を向ける。
「んー。飽きた。どうでもいい」
「このままだとその者は打ち首。それで終了だぞ」
「いいんじゃねーか?あいつの憎悪が膨らんでいく様とか、殺意とか、行動とか面白かったし。打ち首で終わるならそれだけの人生って事だ。思う通りやれたんだから本望だろ」
「どうでもいいって!私の従者を二人も殺して!それに私が派遣した農民だって殺したのはその者だろう!その力を与えたのはお前じゃないか!」
まるで使い古しの玩具を捨てるように、無機質の物を扱うような台詞に、二人の会話を聞いていた兼行は堪らず声を上げる。激昂する兼行と裏腹に麒麟は冷めた瞳で答えを返した。
「それをあいつが望んだだけだ」
「それは…」
そうかもしれない。と返す事は兼行にはできなかった。けれど反論する言葉が浮かばない。
望んだのはそこに倒れる人間だ。
兼行を憎む事も、人を殺す事も、朝廷に乗り込んでくる事も。それを態々全て麒麟が唆したとは思えない。
麒麟も真澄も、望みがある者に、自身の知識や能力を与えるだけ。
口を噤んでしまう兼行を見て、帝は麒麟に問いを投げかける。
「そなたが体術を教え、ここまで来るのに助力するのも分かった。そしてもうこの者に関わる事に興味が失せたことも理解した。兼行は以前そなたともう一人の女に会ってから異能の力に目覚めたと聞いた。あの者にもその才があるから近づいたのか?その才はもう目覚めたのか?」
「無いよ。寧ろ兼行が初めて。兼行がオレたちと似たような力を持っている事にオレたちの方が驚いたくらいだから」
問いの裏側にある、異能力者を一人でも多く確保して利用しようとしている目論見に気付いている麒麟は楽しそうに笑う。
「けど、オレが育ててやったからな。体術の腕に関してだけ言えば利用できるぜ。あんたがあいつを上手く操れるのならな」
そう回答されることは帝にとって意外だったらしく、他者に覚られぬ程僅かだが驚きの表情を見せた事を麒麟だけは気付いていた。
麒麟が気付いている事を覚りながら、帝は更に問う。
「それは、ある一つの結果に辿り着く可能性もあるのだが。それでも構わぬと?」
待っていた問いが返されたのだろう麒麟はにやりとする。
「面白いならな」
予想できた答えなのだろう、帝の口の端が上がる。
兼行には二人が何を示唆し、何を探り合っているのか分からなかった。
二人は暫し視線を交わすと、先に麒麟が動いた。
くるりと兼行を振り返る。
「んじゃ。オレは退散するわ。また会うことあれば会うだろ。じゃあな」
内裏を破壊し、帝の命を狙ったというあまりにも破天荒で大事態を起こした張本人は、あまりにも呆気なく、あっさりと別れの言葉を告げると、そのまま空気中に姿が溶けて消えた。
修羅場の起きた惨状で最も違和感のあり、驚異的だった存在が消える事で、兼行の周囲を取り巻く空気が一気に緩む。
「大事ありませんでしたか!?」
二、三人の官吏と衛士が帝の傍へ駆け寄る。一方で気絶したままの男を衛士が取り囲み、内裏から連れ出した。
最初に仕掛けられた麒麟の一撃で吹き飛ばされ、傷を負った者たちにも控えていた女房たちが駆け寄り、看護に当たる。
兼行は暫し呆然と麒麟が消えた空を見上げていたが、はっと我を取り戻すと、帝にちらりと視線を向け、無事な姿を確認し、怪我をした官吏たちに駆け寄った。
彼らは兼行が自分たちの目の前に屈むと、びくりと体を震わせる。その様子に兼行は一瞬戸惑うが、彼らとの心の距離に痛みを感じる己を抑え、腕から血を流す男の患部に軽く触れる。
彼が手を離した次の瞬間には傷は綺麗に最初から何も無かったかのように消えていた。
触れられた本人も、看護の為に傍にいた者も、皆一様に兼行を見上げる。兼行はその視線から逸らす事無く真正面から受け止めるとにこりと笑って腰を上げる。
「他に痛むところは無いな?」
己の問いに男が頷くのを見てから兼行は次の治療が必要な者の元へ移る。
騒然としていたその場の空気は、やがて兼行一人に集中する事になった。
帝の傍で会議を開く時に共にいた者、兼行が内裏の外で仕事をする時に傍にいた従者は見たことのある光景だったが、それ以外の者は普段は話に聞くだけだった兼行の異能の力を初めて目の当たりにしていた。
それでも、例え、今までに兼行の力を見てきた者でさえも、何度見ても見慣れる事はないのだろう、呆然と兼行の行動を目で追わずにはいられなかった。
兼行は自身が奇異の視線で見られている事に気付いていながらも、黙々と手当てを続ける。
全ての人の手当が終わった所で、彼は最後に周囲を見渡した。
突然の襲撃により吹き飛ばされた屋根。破けた障子や壊れた格子。そしてぼろぼろに破けた几帳。最早原形を留めていない寝殿。
自分がこれからやることを見たらきっと、今向けられている視線より更に鋭くなって己の体に突き刺さることになるだろう。もしかしたらこれから内裏にいる間の自分の立ち位置も大きく変化するだろう。兼行はそう理解しながらも覚悟を決めた。
中々真澄のように上手くはいかないものだと感じながら。
兼行きは目の前に掌を翳し、パンッと打ち鳴らす。
瞬間。
何事も無かったかの様に、周囲の景色は襲撃前の状態に戻った。
屋根も壊れた御簾も、全て修復され、寧ろ壊れた事自体が無かったかのように、元に戻っていた。
―――。
これには、流石にそれまで呆然と兼行を見ていた者たちに動揺が走る。
自分のいた場所、その空間そのものが瞬きのうちに入れ替わったかのように全て綺麗になっているのだから。
兼行は建物を元に戻す前からまたすっかり変わってしまった視線を受けながら、ずっと何も言わず席を外すこともせず見守っていた帝の前に座ると、深々と床に額が着くほどに頭を垂れる。
「申し訳ありませんでした。私の関わった案件が帝のお命まで危険に晒す事になってしまい、申し開きする言葉もありません。何なりと処分をお申し付け下さい」
帝は叩頭する兼行を見下ろし、そして顔を上げ、吉郎の連れて行かれた先を見つめていた。
「今回の事全てそなたが綺麗に処理していれば起こり得なかった事。暫し、屋敷にて謹慎せよ。謹慎の解除はこちらから追って伝える」
「はい」
帝の言葉に何一つ反論する事無く返答し、兼行は立ち上がると、早々にその場を辞する。周囲で帝と兼行きの様子を見ていた者たちは一斉に身を引き、彼の為の道を作った。
兼行は彼らの瞳の中に怯えを捕らえた。