『塚田 優士様
この間は偉そうに言って本当にごめんなさい。
私の方がずっと年下なのに。手紙を出した直後、後悔ばかりでもう手紙くれなくなったらどうしようとばかり思っていました。
また手紙をくれて本当にありがとうございます。
私の将来の夢のことですが、私は大人になったら新薬を開発したいです。まだこの世には治せない病気がたくさんあって、苦しんでる人がたくさんいます。一つの薬を作るのに何十年って時間がかかるものだけど、例え一つでも不治の病と呼ばれる病気が治せる薬を作りたいと思います。
勉強はダメダメなんで、一杯ガンバらなきゃならないんですけど。
優士さんもやりたいこと見つかるといいですね。一生は長いからきっと今見つからなくても、十年後、二十年後見つかる可能性だってありますよ。
だから今なくてもいいと思います。
優士さんは他の人よりできることがたくさんあるんだもん。その分やりたいことは一つだけじゃなくてたくさんできるかもしれない。
どれも一生懸命やっても手も時間も足りないくらいに。
野田 美音』
『野田 美音様
ありがとう。美音さんの言葉はいつもオレに元気をくれる。面と向かってだと恥ずかしいけど、文章だとすらすらかけるんだな。これも美音さんと文通して知ったことだ。ありがとう。
この間友だち五、六人で海に行ってきました。まだ夏が始まったばかりなのもあるけど、水温がまだ冷たくて、あんまり遊べませんでした。二、三分で体が冷えてきて、バスタオル撒いても寒いんです。
この間バンドしてるって書いたとも友だちの友也も行ったんだけど、友也が「ナンパするぞ!」ってうるさくって、オレ基本的に硬派だから(笑ってる?)今までやったこと無いんだけど、初ナンパしました。でも収穫はゼロ。そんなものだ。
今度花火大会にも行こうと思ってます。
そういえば、友也に文通してることバレてからやたらと聞いてくることが多くなったんだけど、もしよかったら美音さんも花火大会行きませんか?
塚田 優士』
『塚田 優士様
そんな風に言われたの初めてです。私でも誰かの役に立てることがあるんだと思ったら嬉しいです。
自分でも不審だと思うのに、こんな私の文通相手をしてくれて本当にありがとうございます。優士さんは名前通り優しい人ですね。
ナンパなんて普通の女の子に話すものじゃないですよ(笑)何返していいのかわかりません。
素直で優しい優士さんはもてると思うんですけど、ナンパは難しいものなんですね。
花火大会誘ってくれてありがとうございます。
本当に本当に嬉しいです。
でも残念ながら行けません。だから私の分まで楽しんできてくださいね。
感想待ってます。
野田 美音』
「なー。麒麟」
それはいつもの手紙の受け渡しの時。オレはずっと聞き出し難い事を初めて麒麟に尋ねた。
「どうした?」
麒麟はいつも通り飄々としていて、何処か人を小馬鹿にしたような瞳でオレを見る。
最初は苛立ちもあったものの、慣れれば気にならなくなるものだ。
「美音さんってどういう人?」
「そんなのお前の方が知ってるだろ」
麒麟は何を今更という表情でオレを見る。
「そうじゃなくて。どういう容姿してんの?とか。何処に住んでんの?とか」
「何でそんなの必要なんだ?」
「だって、ほら、気になるだろ。もう一ヶ月以上もほぼ毎日手紙をやりとりしてるんだぞ。なのに美音さんはオレの事聞きたがるけど、自分自身の事をあまり話したがらないし。近くに住んでるなら遊びに行こうとか誘っても断られまくるし。大体いつもお前を経由してだろ。何か事情があんのかなと思って」
麒麟はオレの問いに、更に分からないという顔をする。
「美音という人物がどういう人物かは手紙で分かるだろ。オレは読んでねーけど。それ以上何が必要なんだ?会えないなら会えないなりの事情があるって事だろ。だったらそれ以上詮索する必要ねーだろ」
「何かオレが力になれる事があるかも知れないだろ!」
「ないね」
オレの必死の訴えを、麒麟はばっさりと切った。
「美音は文通相手が欲しい。だからオレはそれを叶えた。それ以上はしねーよ。止めるなら止めてもいいぞ。また別の相手探すだけだから」
それを言い返されると、オレは口篭った。その様子に麒麟はにやにやと笑う。
「最初は嫌々だったのに、随分気に入ったんだな。美音の事」
「そ、そんなんじゃねーよ!ただ…気になるだろ!?そりゃ性格とかは分かるよ。いい子だ。でもどんな風に話すのかなとか、どんな風に笑うのかとか、どんな顔していつも手紙を書いてんのかな…とかさ」
「そーだなぁ。…気が向いたら美音に聞いてやるよ」
麒麟は意地の悪い笑みを浮かべるのはいつもの事。
オレは若干テンションが上がっていた。
手紙の中で、想像でしか作れなかった姿や、仕草や、表情が、形になる。
見たことも無い、会った事も無い、ただ手紙だけの繋がり。
それは不思議な感覚だった。
その時、浮ついていたオレは―――世界一の大馬鹿だった。
3
「優士。今日の夜七時にいつものとこで待ち合わせな」
今日の授業が終わり、友也が帰り際、軽くオレの肩を叩く。
「あ、今日、花火大会だっけ?」
オレは教科書を抵当に突っ込み、最後に今日の朝受け取った手紙を教科書に潰されないように鞄の底から取り出す。
「そうだよ。忘れんなよ。先に行ってる奴らに場所取りお願いしてんだから」
「分かった。ありがと」
礼を言うと、友也は笑顔で手を振り、教室を出て行った。
オレは手に持った手紙をじっと見つめる。
会えないか。と打診してから数日経った。
彼女の手紙にはその事について一切触れていない。
麒麟も気が向いたらと言っていたから、聞かされていないのか、――会いたくないからその話には触れないのか。
どちらかを問う勇気はオレには無かった。
手紙をぱらりと開く。
『塚田 優士様
こんにちは。明日はとうとう花火大会ですね。楽しんできてください。
お友だちの友也さんと一緒なんですよね…って優士さんの話題に友也さんがよく出てくるから、私まで友だちになったような感覚です。友也さんは迷惑でしょうか?
花火大会にはたくさんの人が来るんですよね。川の土手にたくさんの人が集まって、女の子は浴衣を着ているんですよね。また優士さんはナンパするんですか?優士さんはどんな女の子が好みなんだろう。
浴衣姿だとまた女の子って更に可愛く見えるんですかね?いいなぁ。私も持ってるんですよ。一枚だけ。あじさい柄の浴衣。
お母さんが花火大会に行く時のためにって。今回は行けないんだけど。いつか着て、優士さんと一緒に行ってみたいなぁ。
野田 美音』
「…オレも君に会ってみたいなぁ」
そうは思うけど、会えないのなら仕方が無い。
だからオレもその事にはもう触れない。
鞄の中に手紙を入れると、教室を出た。
まさか制服のまま花火大会に行く事なんて出来ないから、一度着替えなきゃな。なんて考えながら道を歩いていると、横から腕を掴まれた。
掴まれた手の力強さに一瞬カツアゲか?と驚いたが、振り返って見た、知った顔にほっとした。
「よぉ…」
いつも何処か人を小馬鹿にしているような笑顔。
「麒麟…」
名を呼ぶと麒麟はにやりと笑う。
「今日、暇か?」
「はぁ?今日はこれから花火大会に行くんだけど」
腕を放すように引くと、掴まれていた手はあっさりと離れた。
「それまでは暇だろ?」
そこまで暇だと断定されると何かムカツクけど。
「…ヒマだけど…」
「だろ!」
やっぱり断定されて、誇らしげにされるとムカツク。
けど、次の言葉でオレの中に溜まっていたムカムカしていた気持ちが一気に吹き飛んだ。
「美音に会わせてやる!」
「はっ!?」
オレは思わず聞き返した。
「会いたくないのか?」
「そんな訳無いだろ!」
分かってて聞き返すコイツがムカツクけど、でも今はそんな事言ってらんない。
オレはもう一度確認する。
「本当に会えるのか?」
「ああ。本人が会いたいってな」
「会う!会う!」
「そうか」
麒麟は頷くと、人差し指をちょいちょいと動かし、ついて来いと合図をする。
オレは興奮しながら麒麟の後についていった。
公園を抜け、広い通りに出る。
「オレ、何か土産持って方がいいかな。いきなり会うんだし。女の子の喜びそうなもん持ってった方がいいよな」
「別に何もいらねーよ。あっても仕方無いし」
オレがそわそわしながら、後をついていくと、麒麟は興味無さそうに答える。
「そんな事無いだろ!女の子って甘い物好きだったりするだろ!ああっ!どんな食い物好きか聞いておけば良かった!」
「そんなもんか」
「そんなもんだろ!」
コイツはいつも会ってるから何も思わないんだろう。
オレはずっと手紙をやり取りしてたとはいえ、初対面なんだぞ。
どうしてそれが分からないんだ。
通りに面して並んでいるケーキ屋や、カフェを見て、入ろうかどうか迷うが、麒麟は歩調を緩めず、すたすたと先に進んでいく。
男のオレでもついていくのは少し息が上がる速さで、途中で店に寄ろうと立ち止まったら、あっという間に置いてかれそうだ。
大きな通りを何処までもスタスタ歩いていく。
住宅地には入らないけど、地下鉄やバスにでも乗るのか?
そう思うが、地下鉄の入口もバス停にも見向きもせず、麒麟はどこまでもスタスタ歩いていく。
学校や店やそういう人が集まる賑やかな町並みは徐々にオフィス街に変わっていく。
高いビルが立ち並び始め、まだ働いてる人は就業時間中だから人通りも少ない。
何処で会うつもりなんだ?
この先にマンションが立ち並ぶ通りは見えないし、人と待ち合わせするような店があるとも思えない。
今更オレを騙す事も無いだろうが、それでも不安が生まれ始める。
疑問を投げかけようと意を決した時に、麒麟はやっと一つの建物に入った。
「ちょっ、ちょっと待て!」
入口にスタスタと入ろうとする麒麟をオレは慌てて止める。
「どうした?」
「どうしたじゃなくて!」
オレはガラスのドアの入り口の前で、その奥の風景を見つめる。
白い壁に白い床。待合室に様々な年齢と容姿の人が数人長椅子に座り、入口に対して垂直に設置された受付では事務員が二、三人待機している。そして待合室の通路の奥から白衣を着た人や、白い服を着た男の人や女の人が颯爽と何処かに向かって歩いていった。
さっき看板も見たから間違いない。
ここは病院。
しかも建物の大きさから相当大きい総合病院だった。
「な…何で病院?」
「美音がいるから」
混乱するオレの問いに、麒麟はあっさり答える。
「…何。つまり美音さんは病気だったのか?ああ、今入院中だから花火も見に行けなかったんだな」
オレは納得した。
「だったら何かやっぱりお見舞い品とか買ってくれば良かったんじゃねーか!何で最初に言ってくれねーんだよ!」
「そうだな。でも何もいらねーと思うぞ。納得したなら行くぞ」
オレの動揺からの自問自答する様を呆れて見ていた麒麟は溜息を付いて、入口に入り、すぐ横に設置されているエレベータに乗る。
オレも置いてかれまいと慌てて乗り込み、到着するまで大人しく待つ。
チン。
到着のベルと共に着いた階はとても静かだった。
静謐な箱に閉じ込められたような白い空間。
普段の雑然とした音の中で暮らし慣れていると時々来るこういう空間にオレは正直慣れない。
消毒液の匂いが充満する廊下を歩く。
一つの部屋に辿り着いた。
ネームプレートを見ると、『野田美音』という名前が書かれている。ネームプレートは一つしかなく、どうやら個室のようだった。
その名前を見ると、改めて実感が湧いてきた。
オレが今まで文通をしていた相手は本当に入院しているんだ。
そして、やっと会えるんだ。
麒麟はオレの緊張を余所に、ドアの取っ手に手を掛け、躊躇無く開けた。
心構えをする間も無く開いた扉に、オレは動揺する胸を押さえ、麒麟が室内に入って行く事によりオレの視界を遮っていた大きな背中が無くなった。
話に聞いていた通り、オレより幾許か幼い顔立ち、髪は短く切り揃えられ、今日が花火大会だからだろう紫陽花の浴衣を着て、それがよく似合っていた。
整った顔立ちは綺麗な部類に入るだろう。中、高校生になれば化粧の一つや二つする女子も多いが、彼女はヘタに化粧をするよりも素顔の方がずっと綺麗だと思った。
ただ入院生活が長いのだろうか、体は極端に細く、鎖骨や布団から出ていた腕が見た目で骨のラインが分かるほど痩せていた。
そこまで思って、オレははっと我に返った。
部屋に入っていきなりジロジロと他人を検分するなんて変態じゃないか。
オレは顔を真っ赤にすると、後ろ手に扉を閉めて、ベッドの前に歩み寄る。
彼女はよく寝ているのか目を閉じたままだった。
扉を開閉する音では目を覚まさなかったし。
オレは声を掛けようかどうしようか迷って、救いを求めるように麒麟を見た。
「折角連れてきたんだ。思う存分話しかけてやれよ」
麒麟はそう言って顎をしゃくる。
「そんな事言ったって、寝てるのに話しかけられないだろ」
「お前何の為にここに来たんだよ」
「だからせめて起きるのを待って…」
「んな事言ってたら一生話せねーぞ。美音と」
「はぁ?」
麒麟の言っている意味が分からず、問い返そうとしたところで、病室の扉が開かれた。
入ってきたのは髪を後ろで一つに束ねた女性の看護師だった。
看護師はオレたちを見ると驚いた表情を見せる。
「あら!珍しい。お客様?すみません。美音ちゃんの体温だけ測らせてもらってもよいですか?」
「あ、はい…どうぞ」
オレは慌ててベッドから離れる。入れ替わりで美音さんに看護師が近付くと、体温計を脇に入れ、体温と脈を計る。
…寝てるのにそのまま計るのか?
疑問が浮かぶ。
「美音ちゃん良かったわねー。お友だちがお見舞いに来てくれて。ああ、花火大会だからかと思ってたけど、だから今日お母さんも浴衣着せてくれたのね」
看護師は眠ったままの美音さんにそのまま話しかけた。
何処かで見た構図だった。
テレビでよくこんなシーンがある。
それは大抵――。
思った瞬間、すーっと足元が歪み、体中の血が引いていく感覚が全身を走った。
オレは自分の体が震えている事に気が付いた。
がっしりと片手で反対側の腕を押さえつけ、震えを抑える。
看護師は検温を終えると、オレと麒麟に会釈をして、部屋を出て行った。
静寂が包む部屋の中で、オレは恐る恐る麒麟を振り返った。
麒麟は変わらず人を小馬鹿にしたような眼差しで、楽しそうにこちらを見つめている。
慣れてきたはずのその眼差しが、今は憎い。
「どういうことだ?」
「何が」
オレの問いに、麒麟はしれっと問い返す。
その飄々とした態度にまた腹立たしさが増す。
「…美音さんはどうして起きないんだ?」
「一生起きる事はねーよ。所謂植物状態だそうだ。小さい頃ある日起きれなくなっちまってからずっとそのままだそうだ」
頭が真っ白になるというのはこういう事だろうか。
オレは情けなくもその場にへたり込む。
テレビでよく見るシーン。
病気か何かで目を覚まさなくなった子どもに、毎日話しかける母親。
子どもはいつまでも目を覚ます事は無い。
そんな日々を追い続けるドキュメンタリー。
それを現実で間近に接すると、こんなにもの虚無感に襲われるのだと初めて知った。
「…美音さんじゃないんだろ。この子」
その問いに麒麟は眉を顰める。
「何言ってやがる。美音だよ。そいつは」
「そんな訳が無い…だったら手紙なんか書けるはずないじゃないか」
そうだ。眠ったままの人間が手紙を書けるはずない。
オレと文通できるはずが無い。
「それはオレが、美音が意識の中でやってる事を現実化してやってるんだよ」
「意味が分からない」
「美音はちゃんと聞こえてるし、感じてる。人の話を理解して教えられた知識を学んで、年相応に成長している。ただ目を覚まさないだけだ。だからオレが美音の望みを叶えてやった。楽しそうだったから」
そう言って麒麟は二本の指を立てると、何も無かったはずの空間から突然手紙が現れる。それをなんでもないようにポイっとオレの足元に落とした。
封筒には見慣れた女の子らしい可愛い文字。
『塚田 優士様』
オレは急いでそれを拾うと、勢いよく中を開く。
一枚の便箋と、見慣れた文字。
『塚田 優士様
今日は来てくれてありがとうございます。
花火大会に合わせてあじさいの着物を今日お母さんが着せてくれました。ちょうど優士さんに見せられてよかった。似合ってますか?
それどころじゃないですよね。
こんな姿をお見せしてしまってすみません。
でもこれで私が優士さんに誘ってもらっても行けない理由をわかってもらえたでしょうか?
小さい子頃公園で遊んでいた私は、気が付いたら倒れていました。そして次に気が付いた時には、体が動かず何も出来なくなっていました。
私は目を閉じて横になっているだけです。ただ音も感触も分かります。
だから両親が話してくれたこと、触れさせてくれたもの、それだけが私の外の世界の情報の全てです。
それでも私は生きてきました。』
そこで終わっていた手紙をオレは暫く見つめ、そして麒麟を見上げる。
すると麒麟はまた指の間から一枚の手紙を何も無い空間から出し、オレに投げる。
オレは慌てて受け取るとすぐさま封を切った。
『麒麟さんを責めないでください。
麒麟さんは私が意識だけで生きていることに気付いてくれて、私の願いを叶えてくれました。
友だちを作ってくれました。
麒麟さんがどうしてそんな事ができるのかとか、どうして私に気付いたのかとか、どうして私の願いを叶えてくれるのかとか、どうして意識しかない私の言葉を手紙にしてくれるのかとか、わかりません。
それでも私は麒麟さんに感謝しています。
麒麟さんを責めないでください。』
オレはまた麒麟を見上げるが、麒麟は自分の事が書かれている事に関心が無いのか、それとも本当に手紙の中身を知らないのか、無表情にまた手紙を投げてきた。
『優士さんがここに来たら驚く事は分かっていました。
それでも私は優士さんに会いたかった。
優士さんの声が聞きたかった。
優士さんと一緒に花火が見たかった。』
最後の文章を読んだと同時に、ドォンと大きな音が窓の向こうから響く。
振り返ると大きな円を描いた花火が窓枠一杯に広がった。
ここは花火大会の場所から近かったのか。
呆然としながらそんな事を思う。
すると、目の前に振ってきた一枚の便箋。
『私はもうすぐ死にます。』
振ってきたその文字にオレの心臓は大きく鳴った。
「ああ!もうメンドクセーっ!」
麒麟が突然苛立ちの声を上げると、片手を天井に翳す。
と同時に。
バサバサバサ!!
大量の便箋がオレの上に降ってきた。
何枚、何十枚…何百枚。
病室を淡いピンクの便箋が部屋を埋め尽くす。
そこには『ごめんなさい』と、『ありがとう』の文字。
今までのように丁寧じゃなく、書きなぐったように汚い字で。まるで感情の赴くままに書くような、いつかのオレを叱りつけた時のように。
ひらひらと蝶のように便箋が次から次へと天井に舞い、ゆっくりと床に落ちる。
窓の向こうでは花火が上がり、室内を紅色や黄色の光が入り込んできた。
オレは立ち上がると、徐に病室の明かりを消した。
より色鮮やかに花火の光が入り込む。
そしてベッドに近付くと、もう一度美音さんの顔を覗き込んだ。
白い肌が花火が上がる度に、鮮やかな色に染まる。
眠っている美音さんは今にも起き上がりそうだ。
なのに彼女は起き上がる事は無い。
骨の筋が見えるくらい細い手を握り締めると、微かに美音さんの鼓動が手の平を通して伝わってくる。
「…生きてるのに。ちゃんと生きてるのに。死ぬってどういう事だよ」
オレはぎゅっと手を握り締めると、美音さんに顔を近づける。
けれど、目を開けて、オレの問いに答えてくれる事は無い。
天井を見上げるが、もう手紙が振ってくる事は無かった。
振り返り、麒麟を見るが、麒麟はオレを見据えたまま、答えない。
「オレは美音さんがこんな状態だと思わなかったんだ。会ったらどんな子かなって、どんな風に喋って、どんな風に笑って、どんな声でどんな風にオレの名前を呼んでくれるのかって楽しみにしていたんだ。文章じゃあんなに元気そうに見えたのに…。どうしてなんだよっ!教えてくれればオレだって!」
もっと気の利いた事書いて、オレのくだらない愚痴なんか書かないで、もっと楽しい話を書いて。
もっと早くに会っていれば、美音さんの為になれる事だってもっと出来たかもしれないのに。
そんな俺の前、美音さんの体の上にひらりと落ちてきた一枚の便箋。
『傷付いてくれていますか?
私はあなたを傷つけたかった。
傷付けたらあなたは私の事をずっと覚えてくれているでしょう?
私がここで生きていたという証が残せる。
綺麗な思い出はすぐに薄れてしまう。私の事なんかすぐに忘れてしまえる。
それじゃ意味が無かった。
家族以外の他人を、一人でもいい私が死ぬ事に傷付いて欲しかった。
心に刻んで、痛むくらいの傷を付けて、いつも忘れられないくらいの傷をつけたかった。
私はあなたを深く傷つけても、私は誰かの中で生きた証を残したかった。』
息が止まるかと思った。
実際息が止まったかもしれない。
目の前の少女は突然怖ろしいものに見えた。
握り締めていた手をゆっくりと離す。
「…そんな事しなくても、美音さんはオレの大切な思い出になったのに。どうして…最初からこういう風にバラすつもりだったのか。わざと普通を装って、仲良くなって、実は植物人間の状態で死にかけてる人間だってばらして、思いっきり傷つける為に」
その人が大事な存在になればなるほど、その人を失った時の喪失感は大きくなる。
健康に生きていて、いつか海だって、花火大会にだって行って、一緒に楽しく時を過ごせるはずだと期待していた分、既に消えかけた命で明日別れが繰るかもしれないという衝撃が与えるその反動はオレに凄まじい痛みを残す。
オレの中でそれほどまでに美音さんの存在が大きくなっていた事に驚いた。
そして美音さんの思惑通りな自分に苛立つ。
けど、オレの中で既に刻み込まれた傷が癒える事は無い。
「…本当に死ぬのか?」
オレはポツリと呟く。
答えはない。
「…オレは何も出来ないのか?」
オレの問いに返ってくるのは、鳴り響く花火の音だけ。
「…ごめん、オレ…」
その後、何と言葉を続ければいいのか分からなかった。
ただその場にいるのが辛くて、オレは無言で病室を出た。
そこから先の事は覚えていない。
ただ家に帰ってから、友也から携帯に何度も着信があった事に気付いた。