時空の守者-第五章- 手紙2


その日、オレは何となく時間を潰しに街を歩いていた。
いつも学校でつるんでる友人が組んでるバンドが今日ライブをすると言うのでチケットを買った。
開始時間をちゃんと見てなかったせいで会場入場可能時間よりもかなり早く着いてしまったので、仕方無しに近くをブラブラと歩くという羽目になった訳だ。
と言っても、夜は繁華街で盛り上がる街だが、その分夕方とはいえ、まだ店が始まるには早いこの時間に空いている店は少ない。
さて、どうしよう。
ブラブラしてるのも飽きた頃、ふと何を思ったか脇道に入った。
店の裏という事もあり、微かに香る残飯の匂い。客に見せない裏側は道も壁もお座成りになっていて汚い印象を与える。
まぁ、見せるところが綺麗であればそれで良しなんだろうケド。
そういう人間の二面性を表してる感じが妙に安心して、心地いいから笑える。
ブラブラと裏路地へ裏路地へと進むと、いつかは大通りに出る。
何処か落胆した気持ちで表通りに抜けると、車道を挟んで向こう側に立つ男と目が合った。
黒い髪に黒いジャケット。そして黒いパンツの全身黒で覆い、ややつり目気味の鋭い目付きが刃のような印象を与える。
オレと同じくらいの年だろうか。
どきり。と胸が鳴った。
最初は偶々目が合っただけかと思っていたが、男はずっと俺を見つめた。
第一印象は格好いいけど、明らかにオレとは絶対世界が違う人間。
奴が獰猛な狼あたりなら、オレは狸だ。
自分でも情けないが、もし襲われたら、一発で仕留められる自信がある。
だが、目を逸らそうにも逸らせない。
恐い。というのもあるが、――何故か引き込まれる魅力があった。
金縛りにあったようにその場で動けず、どうしようかと思っていたら。
「おい」
ふと、横から声がかかった。
驚いて、ばっと振り返ると、横には今目を合わせていた男。
「ぎゃあ!」
オレは情けなくも思わず悲鳴を上げてしまった。
相手も驚いて後退っている。そりゃそうだろ。
「え!?あんた今あっちにいたよな!オレそんなにフリーズしてたっけ!?え!?」
動揺が止まらないオレは、さっきまでこの人がいた場所と、今目の前にいる場所を見比べてしまう。
「あー。お前が止まってんのが長かったんだよ。そうだよ。だからそこまでビビるな」
がしっと片手で頭を掴まれ、男と対面するように顔を固定された。
男は、はーっと溜息を吐くと、オレを見据える。
「なぁ。お前、今暇か?」
「え?あ、まぁ、どーだろ」
関わりたくない。
こんな格好の人とは関わりたくない。
そう思って上手く返事出来ないでいると、胸倉を掴まれた。
「どっちなんだ!?暇だよな!」
既に二択じゃない。
オレはどうにかコクコクと首を建てに振ると、掴まれた襟首が緩んだ。
初めて胸倉を掴まれたが、漫画とかで胸倉を掴まれると息が出来なくなる仕草を見たことがあるが、あれは本当らしい。オレが咽ていると、男は「そーだろ。そーだろ」と満足そうに頷いていた。
「そんなお前に暇潰しをやろう。ホレ」
そう言うと、男は一枚の封筒を差し出した。
「何コレ」
「手紙」
「手紙?」
オレは息が整うと、その手紙を受け取り、不信な目を男を見る。
「何ったっけ。あれ…そうだ。文通だ」
「文通?」
電話もメールもあるこのご時勢に?
オレは眉間に皺を寄せるが、相手は手紙をオレに渡した事で満足気に頷いた。
「オレとあんたが?」
「ちげーよ。何故オレがお前なんかと文通しなきゃならん」
そんな『お前なんか』と呼ぶ相手に手紙渡すなよ。というツッコミは心の中に閉まっておく。
「オレじゃねーよ。相手はその中に自分で紹介してる」
「じゃああんたは誰?」
「そいつの知り合いだ。そいつが誰でもいーから文通してーって言うから、オレが持ち歩いてた」
誰でもいいから。ってそれもどうなんだろう。そしてその誰でもいい一人に選ばれたオレっ
なんて思っても、最早引き返せなそうなので、問いを続ける。
「どうしてあんたが?」
「お前質問ばかりで煩せーぞ!ただ黙ってそれに返事書けばいいんだよ!分かったか!」
突然苛立ちを露わにした男は、そう怒声で言い切ると睨みつけてきた。
理不尽な…。
けど、すっかりすくみあがったオレのチキンハートはもう戻らない。
何も言えず、こくりと頷くだけだった。
「オレは麒麟。あんたは?」
「塚田優士…」
「おっし。優士。手紙出来たら、そうだな…そこの公園に持って来い。大体オレはそこにいるから。オレが受け取ってやる。んでお前は毎日公園に来い。また返事できたら渡してやっから」
そう言ってキリンと名乗る男は車道と対面にある公園を示す。さっきまでこの男が立っていたと思っていた場所の向こう側だ。
小さい森林公園になっていて、休みの日には森林浴や休息スポットとして結構人が集まる。
つーか、学校の通学路だから通えない事はないけど、毎日って理不尽な。
「そんなことしなくても、郵便に出せば…ってあれ?住所も何もねぇ」
手紙を返してみても、そこには差出人の住所がない。ただ『野田美音』とだけ書いてある。
「郵便だと時間かかるし不便だから使わねーんだよ。だからオレがいるんだ。頼んだぞ。優士。じゃあな」
言いたい事だけ言うと、男はその場を離れ、フラーっと消えた。
手には残った手紙。
「オレにどうしろと…」
オレは少し考え…そしてポケットの中に手紙を入れるとライブハウスへ向かった。

ライブの客入りは上々。
何組かで合同で開催したライブだったらしく、オレの友人は四組中三組目。
認知度が低いのと、恐らくボーカルの声が安定していないせいだろう、素人のオレにも分かる時々音を外すというというご愛嬌もあり、オレの友人のバンドが始まると途端に客が減った気がするのは気のせいだ。
それでも好きなんだろう。舞台の上に立つあいつらはオレには誰よりも格好良く見えた。
ライブが終わった後、オレが来ていたことに気付いた友人は、そのまま打ち上げに強引に連れて行った。
打ち上げといってもまだ学生なオレらはコンビニで食い物を買って、それを持って近くの公園で打ち上げをする。夏場だし外で十分だ。
そんなまだまだ貧相な打ち上げだが、それでもライブの後の興奮は冷めないまま、広い屋外という事もあって、テンション高く盛り上がる。
「こいつさぁ、めっちゃ器用なんだぜ!大抵の事何でも出来やがんの!」
友人のバンドは三人組のバンドだ。オレの友人は勿論知り合いとしても、他の二人は初対面。
この中で唯一の友人である友也は笑いながら嬉しそうにオレの事を仲間に紹介する。
「へー。ギターとか弾いた事ある?」
仲間の一人がオレに興味を持ち、自分のギターを鞄から出して、オレに渡す。
「オレ触った事無いっす」
「大丈夫。お前ならすぐ出来るぞ。こことここ、押さえてみ?」
バンドマンにとってどれだけ自分の楽器が大事な物かそれ位はオレにだって分かる。一応紙ナプキンで手を拭きながら、恐る恐るギターを受け取ると、友也がオレの指をコードの形に押さえさせる。
「これがGコードな。これ鳴らしてみ?」
弦を鳴らすと、心地よい和音が響く。
「んで、次のこれがCで、これがF…」
「ちょっと待て!指がつりそうだぞ!」
「いいから。いいから」
友也はオレの訴えをさらりとかわし、どんどんコードを押さえさせていく。
他の二人も止める事もせず、興味津々にオレを見ていた。
そうして幾つかのコードを押さえさせられた後、友也はオレの指から手を放し、にやりと笑う。
こういう顔はロクな事考えてない顔だ。
「んじゃ、最初C!四つ!」
ジャンジャンジャンジャン。
オレは慌てて言われるがままコードを鳴らす。
「Dm!」
ジャン。
「F!二つ!」
ジャンジャン。
そんなオレの余裕の無い和音と、友也のコードを言う掛け合いが続き、終わると、オレはほっと胸を撫で下ろした。
ふと顔を上げると、友也は何故か誇らしげな顔でこちらを見、他の二人は口を開いて驚いた表情でこちらを見ていた。
最初に声を上げたのは友也だった。
「お前スゲーよ!今ので一曲成り立っちまった!」
「嘘だろ!?本当に初めてか!?」
「コードあっという間に覚えやがった!」
それぞれがそれぞれに興奮してオレに食い掛かる。
「なぁ、優士入れてギター増やさねぇ!?」
「それよりもベース入れられるぞ!」
恐らく次々に夢が膨らんでいくのだろう。三人は盛り上がる。
けどオレは悪いがその話には入れない。
「…申し訳ないが、オレは入れないよ」
「え---っ!」
我に返った三人は一斉にオレを見る。
「確かにオレこ器用にこなしてたかも知れないけど、それ以上にはならないからな」
そう言って弦を鳴らす。
「そんなの練習すればいけるって!」
「オレたちだって練習してどうにか聞いてもらえるレベルになったんだから!」
尚も誘ってくれる三人にオレは苦笑する。
「ある程度弾けるようになるかもしれんけど、プロには達しねぇし、そんな音も出せねぇ」
「それでも頑張ればいつか出せるって!」
「オレたちなんかより飲み込み早いし!」
「それにオレにお前たちみたいな情熱ねーし。そんなんで加えてもらったら逆に申し訳ねぇ。気持ちだけありがとな」
そう言うと、それ以上誰も誘う言葉が出ずに黙り込んでしまった。
そして友也は笑うと、オレの肩を叩く。
「お前ってホント冷めてるよなー。それに確かにお前昔からある程度何でも器用にこなすけど、ある程度出来て、それ以上いかなかったよな。器用ビンボーって言うのか、そういうの」
「そうらしい。逆に友也たちみたいに一生懸命になれるものがあるって羨ましいし、スゲーって思うよ。今日だって音外れてたりしたけど、気持ちが乗っかってて聞いてて気持ち良かったし。オレには一生出せねー音だ」
一歩間違えれば皮肉に聞こえるかもしれない。
それでも本当に羨ましいと心から思って言った台詞は、三人にも伝わったらしく、嬉しそうに笑った。
「そうかぁ。そうだよな!これからも来てくれよ!」
「オレも音外すの直すし!」
ボーカルとドラム担当の二人はそう言って、笑い合う。
友也はオレを見ると、
「お前も一生懸命になれる事見つかるといいな」
と言ってくれた。
オレはそれに笑顔を返した。
――それは中々難しい。

終電間際に打ち上げも解散し、既に家族は寝付いてしまった家に帰る。
オレの家は、ごく普通の会社員の父とパートタイマーの母、三つ年下の妹がいる、ごくごく普通の何処にでもある一般家庭だ。
午前零時を過ぎてしまえば、流石に明日は平日だから就寝時間は皆早い。
一軒家の二階にある自分の部屋に物音を極力立てないようにしながら入ると、ほっと息を吐いた。
無趣味だから嵩張る物も何も無く、ベッドと机くらいしかない殺風景な部屋でもオレにとっては自分だけのスペースだから心地が良い。
ジャケットを脱ぐと、ポケットからカサリと音がする。
音の元凶を取り出すと、一通の手紙。
「…そう言えば受け取ったんだ…どうするか…」
正直この時間から返事を書くのも面倒くさい。
しかも訳の分からない手紙。
--しかし。
「キリンとか名乗るあの男はコワイ…」
公園に行かなきゃいい話ではあるんだが。
何故だろう。
「行かなきゃ行かないでコワイ目に遭いそうな気がする」
第一通学路だ。
手紙が出来たら持って来いといってたけど、麒麟とやらは一日中公園にいるんだろうか。
けどそれも違う気がする。
何やら存在自体が怖い。
「…オレって結局小心者だ…」
呟いて、オレは机に向かうと、まず手紙を開いた。

『この手紙を読んでくださった方へ
初めまして。
突然手紙を渡されてきっとびっくりしたと思います。けど誰かからも知らない手紙を受け取ってくれたあなたはきっと優しい人だと思います。
ありがとうございました。
私は今、十五歳の女の子です。
恥ずかしいのですが、今まで一度も友だちができたことがありません。
だから今回思い切って、麒麟さんにお願いして、文通相手を探してもらいました。
どうかほんの少しの間でいいんです。私と文通してもらえないでしょうか?
あなたのこと教えてください。
今日あったことや、思ったこと、教えてもらえたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
野田 美音(のだ みお)』

丸文字に色ペンで時々色を変えながら書かれた文章は年相応の女の子の手紙そのものだった。
それでも文章の内容はちょっとした大人っぽい気遣いが入っており、それが逆に頑張ってる感じで可愛らしい。
少なくとも大の大人が書く文章ではない。
あの男が書いていたらと想像したら怖ろしかったが、どう見ても差出人が女の子である事にほっとした。
そして『キリン』と名乗る男が『麒麟』という字である事にもほっとしていた。少なくとも俺の頭の中には黄色の毛で首の長い動物が浮かんでいたから。何故そんな可愛らしい名前?という疑問が頭の中から消えなかったから。
さて、じゃあ返事を…と思うが、オレには便箋などという物とは無縁だ。
目の前にあるのは学校で使う大学ノート。
「……」

『野田 美音様
初めまして。麒麟さんからのお手紙を受け取った者です。高校三年生の塚田優士といいます。
オレなんかでいいんでしょうか?と思いながら、今、これを書いています。
あと、オレ、手紙を書くなんて初めてで、便せんなんて持ってなかったんで、学校で使ってるノートに書いちまいました。すみません。
えー。何書いたらいいのかわかりませんが、今日は友だちのライブに行ってきました。
ライブハウスに行くのも初めてだったんですけど、楽しかったです。友だちがギターやってて、ボーカルと他にドラムの三人バンドなんですけど、ボーカルは音を外すし、ドラムはリズムとれてないし、ギターはコード外してるしでメチャクチャだったんですけど、三人とも熱くて、格好良かったです。友だちなんか学校じゃいつも授業中寝てて、だらーっとしてるとこしか見てなくて、進路も大丈夫かよと思ってたんですけど、すっげー集中してて、顔つきなんかも変わってて、格好良くて、本当に好きなんだなと羨ましく思いました。スタンディングだったんですけど、歌ってる最中ずっとオレまで熱くなってずっとジャンプいてたら、熱くて熱くて、またこいつらのライブに行きたいなと思いました。
こんなんでいいんすかね。すみません。
塚田 優士』

書いてから、もっと国語の勉強しておくんだったと、オレは後悔した。
何だ、この子どもの感想文みたいな文章は。
まぁ、でもこれで呆れて、やっぱり止めましょうって話になればそれはそれでラッキーだ。
と結論付け手、オレは便箋を畳んだ。
封筒は勿論無かったので、――もう一枚便箋を破って封筒を作る。
前に学校で女子が授業中に手紙を回す時にこんな風に作っていたのを思い出したからだ。
あの時はイチイチ回してやるのがメンドーだなと思ってたけど、役に立ったぞ女子。ちょっとだけ感謝だ。


次の日の夕方、オレは律儀に公園に行くと、すぐに例の男を見つけた。
相変わらずの黒一色。オレとは絶対にご縁がなさそうな格好。
それでも話しかけなければならない。
相手の方から先にオレを見つけてくれ、軽く手を上げると、こちらに向かって歩いてくる。
「おお。早速書いてきてくれたか。サンキュー」
気軽に礼を言ってくれるが、あんたに頼まれて断れる奴はそうそういねーよと心の中でツッコミを入れる。
「それじゃまた返事駅たら持って来るぜ。お前ここまた通るか?」
「…まぁ…通学路だから…」
正直答えたくないが、答えなくては見つかった時が怖い。
「そうか。それじゃまた見つけて渡すな」
いや。もうこれで終わらせてくれていいんだが。
いい年して文通だなんて恥ずかしい。
そんな気持ちは微塵も出さずに、オレは男が去っていくのを見送った。
友だちのいない女の事なんか知ったことじゃない。
そう思いつつ、オレも立ち去った。

次の日の朝。

「よう。返事持ってきてやったぞ」
通学路で近道をするなら絶対公園を通る。近道しなくても公園の周囲の歩道を通る。
オレは呆気なく麒麟に捕まった。
「早っ」
驚くオレに関心なさそうに、麒麟は手紙を渡すと「じゃあな」と言って猿。
本当に手紙を渡すだけで、オレ自身に興味は無いらしい。
オレは暫し、その場に固まり――。
「コンビニ行って便箋買わなきゃ」
生まれて初めて便箋と封筒を買って家に帰った。

『塚田 優士様
お手紙ありがとうございます。昨日嬉しくて嬉しくて眠れませんでした。何度も何度も読み返してしまいました。
本当にありがとうございます。
優士さん(と呼んでもいいですか?)は高校三年生なんですね。という事は十八歳ですか。
年上の人だなんて、私前の手紙で失礼していないか不安です。
お友だちがライブをされているんですね。すごいです。優士さんはされないんですか?
ギターを弾く姿とか見てみたいです。
学校では優士さんはどんな風に過ごされているんですか?進路ももう決めて勉強されているんでしょうか?あ、だったら、私との文通は邪魔になっているでしょうか?だったら言ってくださいね。
でももしよければ、また図々しくお手紙をお待ちしています。
野田 美音』

『野田 美音様
優士と呼んでくれていいです。オレは美音さんと呼びます。
って書くと何だか気恥ずかしいです。
ちなみにオレは進路はもう決まってるんで、勉強の心配は無用です。
私大の推薦枠に入ったんで、来年四月には経済学科に進む予定です。後は卒業まで遊び倒すだけ。
といっても、家でゴロゴロするつもりです。
ギターはこの間友だちに初めて触らせてもらいました。一応気が付いたら一曲弾けるようになったたらしいけど、それ以来弾いてません。やっぱり友だちの方が格段にウマイからオレが弾いたら申し訳ない。
オレは聞く専門です。
塚田 優士』

毎日平凡に暮らすオレに書く事はそんなに無い。
それ以上はネタ切れで、さくっと封筒に手紙を入れると、封をした。
次の日に渡した手紙には、また、その翌日の朝には返事が来た。

『塚田 優士様
お手紙ありがとうござます。
優士さんは頭がいいんですね。推薦で大学に行けるなんて。経済学を学んで将来何になるのが夢ですか?今から勉強できるのが楽しみですね。
私は勉強できないんでダメダメです。勉強はしたいんですけど、どうしても頭に入りません。
これから夏休みですよね?どこかへ行かれないんですか?海とか花火大会とか。
私は行ったことがないんでどんなのものなのかなといつも空想しています。海にはイルカがいるんですよね。花火大会は恋人同士で見ると丸い花火がハートに見えるとか。
手紙を読んでいると、優士さんは何でもできるんですね。勉強もギターも。初めてギターに触って、すぐに一曲ひけるものなんですか?難しいのかわからないけど、きっと才能あるんですよ。もしかしたらプロになれる可能性だってあるかも。
優士さんは家族と仲がいいんですか?今度は家族のお話も聞いてみたいです。(あ、図々しい…)
野田 美音』

「…海にイルカはいるが、ここら辺にはいないだろ。海水浴場にはまずいねぇ…。それに恋人同士で花火見るとハートに見えるって…妄想?」
学校の休憩時間の間に手紙を読み終えて、オレは思わずツッコミを入れていた。
「優士?何それ。手紙?」
「ああ。友也」
オレの机の横を通り過ぎた友也はオレの手の中に遭った手紙を覗き込む、オレは何となく気恥ずかしくて、慌てて隠した。
「女から?」
「え。まぁ…そんなとこ」
あからさまに女からかと聞かれると、何となく恥ずかしいような、罪悪感があるような気がするから不思議だ。
「メールじゃないなんて古風だな。…ところで先生が呼んでたぞ」
「へ?あ、ありがと」
それ以上聞いてくることは無く、用件だけを告げて離れる智也に、オレもいつの間にか気構えていたんだろう、気が抜けた。
聞かれても答えられないしな。
オレは渋々立ち上がり、職員室へ向かう。
待っていたクラス担任の先生はオレを手招きすると、自分の机の隣の先生の席の椅子にオレを座らせた。
四十代前半くらいでワイシャツにネクタイそしてスラックスと社会人の見本のような格好をしている。教える教科は数学で、分かりやすいのと人の良さから生徒たちには人気がある。
ずい。と差し出されるのは一枚の紙。
「お前、本当に進路この間の私大でいいのか?」
目の前に置かれたのはこの前受けた模擬試験の結果。
「…先生。成績がヤバくて言われるなら分かるんすけど、何で全部A判定なのに呼び出されなくちゃなんないんすか」
「オレだって言いたくて言ってる訳じゃない。勿体無いだろ。お前ならもっと上狙えるのに」
「えー。でも決まってるし。それにこれだって一応家から通学時間一時間以内で一番高いとこ上から書いていったんすけど」
オレの答えに先生は溜息を落とす。
「それでいいのか。お前はやりたい事無いのか?折角できる頭持ってるんだから役に立てようぜ。今からでもまだ間に合うぞ。国立だって、私立だってトップ狙えるのに」
「家から出来るだけ近くて、出来るだけ楽して卒業できる学科があって、そこそこの就職率があって…いいとこじゃないっすか。普通今時狙えないっすよ。しかも成績上位者には返還不要の奨学金もあるから学費も安くて親も大喜び」
あっけらかんと答えたオレに、先生はまた深く溜息を落す。
「…まだ時間はある。親御さんとも話してみろ。後は特にお前の場合自分を見つめてみろ。本当にやりたい事ないのか?」
その言葉で締め括られ、職員室を出された。
…そんな事言われてもなぁ。
俺の中では普通なら他人も認めてくれる一番無難な道を選んだのに、何故逆に怒られなきゃならん。

『…確かにオレは優秀らしい。
学校の授業一度受ければテストは上位に確実に食い込むし、運動神経も悪くないからどうやら全国大会に匹敵する成績を残すらしい。部活に入った事ないから本当かどうか定かじゃないけど。
模試の結果を見ても総合得点全国五位だそうだ。
何やってもそこそこ以上できるから逆に困る。そんな事言ったらヒンシュクものだから絶対に言うことは無いけど。言っておくが努力してない訳ではない。オレだってそれなりに努力はしてるんだ。ただ努力の結果がケンチョなだけで。一度努力してみようと思ってやった結果が呆気無く全教科一位になって、つまらなくなってヤメタ。
ゼイタクな悩みだと言われるかもしれないが、何でもそこそこ以上に出来てみろ。逆に何に対しても一生懸命になろうとは思わなくなる。』

そこまで書いて、オレはペンを滑らす手を止めた。
部屋に一人、机と向かい合い、真剣に文通の返事を書く男、塚田優士。十八歳。
こんな事書いても仕方無いだろ。
しかも女々しいことを女にグチグチと…。男のメンツとしてどうよ。
途中まで書き上げた便箋を破こうと思ったが…止めた。
「これで嫌な奴だと思われて、文通が終わるのもありだろ」
そう自嘲的に呟きながら、ちょっと期待してしまった。
彼女ならひょっとしたらもっと違う返事が来るかもしれないと。

『塚田 優士様
こんにちは。お手紙ありがとうございます。
何でも出来るのっていいことばかりじゃないんですね。得することばかりかと思ってました。
優士さんは学校の中では何でもできるのかもしれない。友だちや家族や、今そばにいる人の中ではもしかしたら一番なのかもしれない。
でも優士さんは自分の限界を知ろうとは思わないんですか?
人より努力しないである程度のことはできるとおもっていらっしゃいますけど、だったら限界まで力を出し切ってください。
学校とか友だちとか先生とか周りに合わせて力を出し惜しみしないで、何でも全力で自分が出来ることの限界までぶつかってみたらいいと思います。
本当に何でもできると思いますか?
優士さんはずるいです。
何でもそこそこ出来るからと言って、友だちは才能があるから自分はそこそこでいいんだって言って、一生懸命になることから逃げてます。
何でもできるなら、治せない病気の治療薬を作ってみてください。今この瞬間飢えで苦しんでいる人たちを助けてください。優士さんの考えていることはひとりよがりなことばかりです。
もっと一生懸命生きてください!
野田 美音』

文章の最後のほうはいつも丁寧に書かれていた彼女の字からは想像できないほど乱れていた。
オレと同じように感情の赴くままに書いたのだろう。所々読み難い文字さえある。
麒麟から手紙をいつも通り渡された時は驚いた。
まさかあんな内容で本当に返事が返ってくるとは思わなかったからだ。
そしてオレは今までに無い位動揺しながら、その場で手紙を読んでいた。
手が震えていた。
震える手をどうにかして押し留めて読んだ文章はショックだった。
まさかこんな返事が返ってくるとは思わなかったからだ。
--恥ずかしい。
無性にその想いが全身を駆け巡った。

『野田 美音様
この間はつまらないことをグチってごめんなさい。
美音さんの言うとおりだと思います。オレは何でもそこそこできるからと自分を甘やかして、一生懸命やって壁にぶつかることから逃げていました。
オレの視野は狭い。
学校と家と、それだけしか見てなかった。
けどそこまで何でも出来るって言うなら世界を平和にでもしてみろってもんです。
だけどそういわれると、それはオレとは違う世界の出来事でからと見て見ぬフリをしてきました。
美音さんにガツンといわれてすごく恥ずかしかったです。
美音さんは将来何をするつもりですか?年上なのに未だまともに将来の夢も持たないオレによかったら教えてください。
塚田 優士』

初めて文通相手に対して興味を持った。
正直それまではどうでもいいと思ってたし、早く終わればいいとさえ思ってた。けど今は返事が待ち遠しい。
「なぁ、友也」
「んー?どうした?」
授業の休み時間友也は学校に持ち込み禁止のはずのギターを手に、次のライブで使う曲の練習をしている。
オレはと言えば、机の上に寝そべり、何処と無く虚ろな目をしながら呟いた。
「海行かね?あと花火大会も」
聞いた途端、友也はギターの弦を鳴らしていた指を止め、ばっとオレを見た。
「どうした優士!?お前から誘うって初めてだな!いつも海だって花火だってメンドクセーってやる気無かったくせに」
「んー。まぁ、色々とな。夏休みを謳歌するのも偶にはいいかなとな」
「それもあの手紙の影響か?」
「…そうだな。そうかもな」
「彼女か!?」
見上げると、友也は目を輝かせてこちらを見ていた。
男でも女でも好きだよな。この手の話は。
「ちげーよ。どんな奴かもよく知らねー」
「知らねぇのに手紙なんか書いてんのか。…なぁ最近お前公園で格好いいけど怖い監事の男といる姿を見かけるって聞くけど、そいつが文通相手じゃねーよな?」
いつの間にか勝手にそんな憶測が広まってたのか!?
ずどーんと脱力してしまった。
「止めてくれ…」
そう呟くのが精一杯だった。
大体こんなオレとは全く世界が違う人種と文通してるとか思われるのは本当に不本意だ。
確かに学校の奴らはオレ同様この公園を通り抜けて登校する奴が多いから見られたりしているだろうとは思っていたけど、オレとコイツがそっちのケがあってデキテルのかとまで噂が広がっていたと聞いた時は、もうこのまま死んでしまいたいと思った。
オレは今、俺の手の平に手紙を乗せる麒麟を睨み付けた。
「何だ?オレ何かしたか?」
「…いや」
「じゃあケンカ売られてんのか?買うぞ」
「それはもっといらない」
「最近の男はなまっちょろい奴らばっかりだなぁ」
「どうも」
余計なケンカは売らない。ムダな挑発には乗らない。
それがオレの信条。
幾らつまらないという表情をされたって、喧嘩腰にはならない。
「なぁ、文通楽しいか?」
唐突な問いにオレは言葉に詰まる。
「つまらない…訳じゃない。最初は嫌だったけど…楽しくなってきたかもしれない…」
素直に言うには恥ずかしく、オレは若干口篭りながら答えた。
すると麒麟はにやりと笑い、「そうか」と呟いた。