「カラシャは何処へ行ったんだ!?マスミさん!彼女を追ってくれ!」
ベッドの上で上半身を動かし、そのまま床に転げ落ちそうな勢いで体を、カラシャが今出て行った戸口へ向かわせようと這う。
しかし真澄は返事を返すことも無く、今にもベッドから落ちそうな彼を制止するでもなく、窓の外を見つめていた。
「マスミさん!君のその強さなら彼女を守れるだろ!?彼女を守って逃げてくれ!」
マルクが必死に訴えると、真澄はやっと彼に目を向け、首を傾げる。
「何で機械人形にそこまで入れ込んでるんだ?本来なら生き残るのはあんたで、ただの人形でしかないカラシャは壊れたって仕方ないだろ。所詮道具なんだから」
「カラシャは道具じゃない!」
「道具だろ。自分で言ってたじゃないか。カラシャには心が無い。彼女は0と1の集合体だ」
「僕にとっては道具じゃない!」
強く意思と共に叫ぶマルクに真澄はびっくりする。
「僕はずっと疲れていた。街に突然兵士が入ってきて、毎日のように何処かで爆発が起こっていた。救える命は少なくて、死者ばかりを相手にして医者である自分に嫌気がさしていた。そんな時捨てられていた彼女に会ったんだ」
マルクはその時の事を思い出しているらしく、すこし嬉しそうに微笑む。
「他の人から見たら無表情に見えたかも知れない。けど彼女は優しく微笑んでいたんだ。人間に捨てられても微笑んでいた。何故か僕は無性に泣けてきた。理由なんか無い。心が擦り切れてボロボロになって、そんなときにカラシャ見つけた。彼女の笑顔に救われたんだ」
真澄は言葉を続けるマルクを見つめる。
「カラシャは再起動した僕に感謝してるって言うけど――本当に救われたのは僕の方なんだ。いつだって人間を救える方法を考えて命長らえる人を見て彼女は喜んでいた。その表情は偽物じゃない。自分が落ち込めば励まして笑いかけてくれた。彼女が傍にいてくれて僕は頑張れたんだ」
マルクは顔を上げ、真澄を見る。
「カラシャは心を持つ人間じゃない。けど、0と1の情報から出来た心を持つ誰よりも大切な機械人形なんだ」
真澄は真摯な眼差しで見つめるマルクを暫し無言で見つめ返し、そして笑った。
「分かった。じゃ、取り敢えず、今ここに来る兵士をぶっ飛ばしてそれからカラシャを探そう」
その言葉を聞いて、マルクはばっと身構える。
カチャリ。
ゆっくりとドアが開く。
真澄は身構え、そして―――。
ピピピピピ。
プログラム、再起動---。
『長時間大容量転送処理により、回路への負荷が許容量超過となりました』
『完了後、自動的に強制終了しました』
5
「カラシャ…おはよう」
再起動したカラシャの視界に最初に映し出されたのは、満面の笑みを浮かべたマルクだった。
彼女は何度も瞬きを繰り返し、視界に入るものを再認識し直す。
「…コールセル先生?」
名を呼ぶと、マルクはほーっと長い息を吐き、その場にへたり込んだ。
周囲を見渡すと、そこは彼女たちがずっと暮らしてきた診療所だった。
棚には少しの薬品、机と椅子しかない部屋の窓から対面の建物のその向こうに広がる青空が覗いている。
空だ。
そう思い、そしてもう一度視線をマルクに戻した。
「良かった…カラシャ…」
「先生?どうかされたんですか?」
カラシャはきょとんとして、目の前に座り込むマルクを見つめる。
「どうされたんですかじゃないよ…。覚えてる?君が最後にした事」
「―――はい」
答えてカラシャは再認識した。
するとマルクはくしゃりと顔を歪めて笑う。
カラシャは彼のそんな表情を久し振りに見たと思った。
「本当に無茶ばかりするんだから。両国のホストコンピュータにハッキングして、戦闘用機械人形の初期設定を書き換えるなんて」
「上手くいきましたでしょうか?」
「――大成功だよ。君が得た人間の感情、痛みと体の関係、命、人間と機械人形が異なるものであるという認識そのもの、全ての経験を0と1に変換した情報は全ての戦闘用機械人形にインストールされた。ある種のウイルスのように」
そこまで言ってマルクは一つ息を吐く。
「カラシャがいなくなった後、兵士の機械人形に見つかったんだけど、彼らは僕を保護してくれたよ。反逆者になっていた僕とマスミさん、そして君を。戦闘用機械人形が国の命令よりも命を優先したんだ」
それはカラシャにとって賭けだった。
ハッキングして自身の情報を機械人形に更新するのが早いか、それよりも先にマルクらが彼らに見つかり戦闘になるか、もしくはネットワークに入る以上見つかる可能性が高くなるカラシャが見つかり、更新が終わる前に壊されてしまうか。
回路で幾ら計算しても確率は低いものだった。
一介の機械人形がそう易々とホストコンピュータに入り込めるかどうか自体確率の低いものだったから。
カラシャはふにゃりと笑みを浮かべた。
「良かった…」
その表情にマルクも笑うと、拗ねた様に呟く。
「良かったじゃないよ…」
「そう言えばマスミさんは?」
「安定したからまたぶらっと旅するとって行ってしまったよ」
「そうですか…」
折角出会えたのに、自分が目を覚ます前にいなくなってしまった寂しさにカラシャは俯く。マルクもそれに倣って寂しそうに笑った。
真澄は戻ってくるとも、また来るとも言わずに出て行った。だから彼女を元気付ける為に安易に期待を与えるような言葉をかける事も出来ない。
「…カラシャ、子どもが診療所に来た時からずっとネットワーク接続しっぱなしだったろ。後で全部教えてもらった。それまで僕やカラシャやマスミさんの事、個人情報が分からないように選別して映像を流していたのを、そのまま直で流してただろ」
「…判断するのを忘れてしまって…」
「お陰で僕の情報や診療所の事、爆発の事や…カラシャの行動が全部駄々漏れだったよ。
カラシャの視線から映る、介抱している手を見れば、患者の顔を見れば、どんな風に接してくれたかなんて誰にだって分かる。どれだけ僕の事を思ってくれていたのかも」
言ってマルクは頬を赤く染めた。
カラシャも思わず赤くなってしまう。
「すみません。私…先生の心配ばかりして、名前を呼んでいた気がします」
あれだけ呼んで、そして視界に一番多く映っていた人だ。ばれない筈が無いのだ。
今更になってカラシャは己の失態に気が付いた。
青くなる彼女の手を取り、マルクは笑う。
「ありのまま君の心のまま流したから良かったんだ。戦争を始めようとしていた両国は機械人形が使い物にならなくなったっていうのもあるけど、映像を見てカラシャに共感した沢山の人たちや国が支援や援助だけじゃない本格的に動き始めて、戦争を止めたんだ」
カラシャは顔を上げ、マルクを見ると、目を丸くする。
「それにね」と彼は続ける。
「カラシャが自分で作ったそのプログラム、機械人形をこれから新しく作る時に必ず入れようという動きが世界的に始まっている」
「…まさか…」
「0と1の数字の羅列で出来ている君の心が世界を変えたんだ」
カラシャはマルクの言葉が初めて上手く飲み込めずにいた。
呆然とするカラシャにマルクは嬉しそうに笑う。
「でも、僕は何よりも君が帰ってきてくれたことが嬉しい」
言って、マルクはカラシャを抱き締める。
「おかえり。カラシャ」
抱き締められる手の温もりに、カラシャは自分も彼の背に手を回した。
もう一度触れたいと思っていた温もり。
もう触れられる事はないと思っていた。
「…先生。私、こういう気持ち何て言っていいのか分かりません。ただ…人間であったならきっと泣いていると思います…」
「きっと幸せという感情だよ」
幸せ。
「だったらプログラムにこの情報を追加したいです」
そう言うと、マルクはカラシャから少し離れ、そして彼女を見ると。
笑った。
彼女が望んでいた表情で。
幸せそうに。