時空の守者-第三章- 命の花-真澄の章4

兼行は目を閉じ、覚悟を決める。
が。
水流が彼らを飲む込む事は無かった。
僅かに髪を揺らす程度の風が頬に触れたのを感じ、兼行は恐る恐る目を開くと、高く天に伸びていた水柱は霧散し、空に架かる虹が面影だけを残していた。
そして、人の気配を感じ、川の真ん中に立つ人物を見ると、そこには、最初に起こった水流に巻き込まれた少女を抱える真澄が立っていた。
彼女は顔を上げると、笑ってみせた。
その笑顔をきっかけに、一気に緊張は解け、堰を切ったように言葉にならない声を上げ、誰もが彼女に向かって走り出す。
兼行は彼らに交ざることも出来ずに、呆然とその光景を見つめていた。
「ゆきも大丈夫だった?」
一人一人に声を掛け、一人離れて呆然としていた兼行に近付くと、労うように笑顔を見せる。
自分を優しく見つめるその眼差しに、彼はやっとほっと息を吐き出すと、緩んで今にも泣き言を言ってしまいそうな口元をきゅっと結び直し、真澄を見据える。
「これ、誰かの仕業……」
全ての言葉を紡ぐ前に、真澄は既に了解している様子でコクリと頷くと、抱えていた千代を兼行に引き渡し、目にも留まらない速さで跳躍すると、対岸の森の奥へ入っていった。
兼行たちは彼女の行動を見守る事しか出来ず、取り敢えず、川から上がり、少し大きめの岩に気絶したままの千代を下ろした。
不安な空気が漂うまま、皆一様に真澄の消えた森を見つめる。
ふと、突然、姿が消えた森から、突風が吹き抜けた。
ゴォッという唸りと共に風邪が駆け抜けると、次の瞬間には、一人の少年を連れた真澄が、対岸に立っていた。
少年の年頃は、真澄や兼行と同じ位で、漆黒の髪と瞳を持ち、兼行たちが見たことの無い衣装を纏っていた。
袖が無く身体の線にピタリと合わせて作られたような腰までの短い衣に、同じく脚の線に合わせられた足首までの長さの履物、そして貴族が使う皮製の靴と同じ素材なのだろうか動き易そうな素材の靴を履いていた。何より特徴的なのが、彼の衣装は上から下まで全て黒で統一されていた。
何となく彼は真澄と同じ存在なのだろうと兼行は感じた。
そう認識すると同時に、ごきんっと物を打ち付ける、いい音がする。
「ってー!何すんだ、てめぇっ!」
黒の装束の少年の頭を真澄が力任せに殴ったのだ。
「謝れ!皆を酷い目に合わせて!」
真澄が睨め付けるを脹れていた少年は反論するのを止め、渋々兼行たちに振り返ると、頭を下げる。
「悪かったな」
真澄の知り合いである様子と、謝られた事に、皆一様にやっとほっと胸を撫で下ろした。
「兎に角、千代を家まで送ろう」
兼行は梛木を振り返ると、声を掛ける。
「いいよ。俺がこのまま運んでやるよ。お前らも怪我は無かったか?」
梛木は首を振り、千代を抱きかかえると、周りにいる他の仲間を振り返る。誰もが皆、顔を上げると、彼を見て、首を横に振った。
それに安心すると、梛木は、「無かったら今日はこれでお開きにしよう」と帰りを促した。
「千代、死んじゃったの?」
一人の小さな少女が梛木の腕の中でくったりとなっている千代を不安そうに覗き込み、問い掛ける。
「いいや。気を失っているだけだ」
するとほっとしたように笑みを浮かべる。隣にいた少年もつられて笑みを浮かべ、そして今度は帰路につく彼らと反対にそこを動かない兼行と真澄を振り返った。
「真澄とゆきはどうするの?」
「私はこの人と話しをするから。本当にごめんね。怖い目に合わせちゃって」
そう言って真澄は少年に手を伸ばし、掠り傷のできた頬を撫でる。
少年はその温もりに安心したのか、その手に包み込まれるように首を傾けた。

「なー悪かったってば」
サクサクと湖に向かって歩みを進める真澄に、全身黒の衣装で身を包んだ少年は声を掛ける。
その頬は赤く腫れていた。
友人たちが帰っていき彼らの姿が完全に見えなくなるまで手を振ると、見えなくなったと同時に勢いよく殴り飛ばしたのだ。
殴られた勢いで少年の体が吹っ飛び川に頭から突っ込んでしまう程強く。
二人のやり取りの一部始終を見ていた兼行は彼らの後を追う。
「だって最近めっきりお前の姿見えなくなってたから、遊び相手いなくて詰んなくてさ。そしたらお前ここにいるだろ。だからさー」
どれだけ歩いても、どれだけ少年が先程から話しかけ続けていても、真澄は無視を続ける。
「貴方は真澄と同じ存在なんですよね?」
「あん?ああ、お前ついてきたの」
ずっと喋りっぱなしだった少年と真澄の二人だけの同質の者だけが許される雰囲気に怯み、入り込む事が出来ずにいた兼行がやっと声を掛けると、少年は初めて彼の存在に気付いたように振り返った。あからさまに迷惑そうな表情を浮かべながら。
それでいて、ふと、兼行の言葉に引っ掛かりを覚えたらしく、彼は問い返した。
「真澄って誰の事だ?」
兼行も問われた事に逆に目を丸くし、そして少年から目を逸らすと、真澄を見、そして少年も兼行の視線を追って真澄を振り返った。
真澄も自身の名を呼ばれる事で初めて歩みを止め、振り返った。
「は?お前の事?」
少年は信じられないものを見る目で真澄を見る。
「ゆきが付けてくれた」
唖然とする少年に、真澄は薄らと頬を染めると嬉しそうに答える。
少年は暫し口を開けて静止していたが、次に零れた言葉は、「…いいなぁ」だった。
「いいな。名前か。オレにも付けてくれよ!」
少年は兼行を振り返ると、楽しそうに兼行の肩を叩く。
兼行はと言えば、そんな真澄と少年の行動と言動に驚かずにいられなかった。
「…本当に名前が無いんだ。真澄だけかと思っていたけど。二人はずっと前から知り合いのようだけれど、そうしたら二人が会った時はどうしていたんだ?」
「お前」
「君」
兼行の問いに二人は互いに指を差し、呼称を口にする。
「二人だけなの?色んな力を持っているのは」
「そうだな。二人だけだな」
「そうだね。二人だけだね」
当たり前のように二人葉同じ言葉を口にする。
「そうか。二人だけだったら名前で区別する必要ないもんな。でも、だったら私みたいに第三者がいた場合、どうしていたんだ?」
「その時は『おい』とか『少年』とかだな。あんまりオレたち長い事あんたらに関わっている時間って短いし。不便に感じた事無いんだよな」
「不便に感じた事ないよね」
二人葉互いに目を合わせると、頷き合う。
「でもさ。いいよな。名前って。何かこう自分って感じがする。オレにも付けてくれよ。名前」
自分の中の常識とそぐわない感覚に兼行は困惑していたが、期待の眼差しを向ける少年の視線に気が付き、我に返る。
「そうだな…それじゃあ…」
少年の姿から浮かび上がる想像を捕らえる。
黒い衣装を纏っているのが印象的で、少しつり眼気味なのが野生的であり、粗野に見える。
それでいて、漆黒の瞳には芯の強さを浮き立たせる光が揺れ、それは真澄の瞳の中にも見て取れて、彼らが互いに唯一の同じ存在である事を痛感させられる。
そんな彼らの中には内の中に巨大な力を秘めていて、様々な事象を操る事が出来る。
彼は、真澄の対になる存在。
兼行の中に自然と言葉が浮かび上がる。
「麒麟」
「きりん?」
その言葉の意味を知らない少年は兼行の発した言葉をそのまま反芻する。
兼行はこくりと頷いた。
「西方に存在すると言われる神の獣。神獣だ。不思議な力を持っていて、西方の国では仁の心を持つ君主の元に姿を現わすそうだ」
「きりんかぁ…きりん…。いいなぁ」
麒麟と名付けられた少年は嬉しそうに口の中で己に付けられた名を舌の上で転がし、馴染ませる。
「麒麟!」
真澄も嬉しそうに少年の名を呼ぶ。
「そう。オレ、麒麟!んで、お前は真澄!」
「そう真澄!」
互いに互いの名を呼び合っては、二人は嬉しそうに笑う。
そんな二人を見て、兼行は苦笑する。
「名前くらい誰でも付けられるよ」
「そんな事無いぞ!だってオレたち今まで名前を付けるなんて考えた事無かったもんな!」
「そうだよ!私もゆきが名前を付けてくれた時凄く嬉しかった!」
嬉しそうに笑う真澄たちに対して、兼行は次第に表情を曇らせていく。
それに気付いた真澄は心配そうに声を掛ける。
「ゆき?」
「名前なんて誰でも付けられるよ。それよりも私にも真澄みたいな力があればと思う」
「私たちみたいな力?」
真澄は兼行を見て、それから麒麟を振り返り、首を傾げる。
「そう。さっきみたいな時だって私には何も出来る事が無かった。千代を助けに行く事も、麒麟の力に対抗する事も」
「そりゃだって仕方が無いだろ。オレたちとお前は違うもん」
あっけらかんと答える麒麟に兼行は首を振る。
「だから。だって真澄たちのような力がもし使えたら、私にももっと出来る事があるはずなのに。私は唯真澄が助けてくれるの待ち求め、絶望するだけだった」
真澄は少し考えるように黙り、そして笑う。
「でも兼行にしか出来ない事もあるよ。名前を付ける事も知らなかった私たちに名前をくれた。それは私たちには出来ない事」
兼行は俯き、そして顔を上げる。
周囲を見渡し、呼吸一つする。
「例えばこの野原に咲く、冬にしか咲かない傷によく効く白い花を今咲かせられれば、千代に持っていってあげて、傷口に塗ってあげる事が出来る。春先の寒い時期に悴んだ手であかぎれを作りながら懸命に花を摘む薬師の負担が減る。それだけの人を助けになれる事を君たちは呼吸をするように出来る。私にも出来ればいいのに…」

サァ。

「―――」
兼行は息を飲む。
真澄と麒麟は目を見開いて、目の前に広がる光景を見つめた。
「え―――?」
彼らの目の前には夏に咲くはずの無い白い花が蕾を膨らませ、綻び、一斉に開き始め、白の絨毯を広げた。
吹き込む初夏の風に白い花はゆらゆらと揺れた。


空は高くなり始め、薄が背を伸ばし、冬の空気を含んだ風に揺れる。
湖の水は徐々に水温を下げ、僅かな水を求めるものを拒み始める。
朝靄で濡れた草は霜に持ち上げられ、緑から茶へと装いを変えて行く。
「では、行くぞ!」
「いいよ――!」
衣を厚く着込んだか根雪が声を上げ、夏と同じ装いのままの真澄が呼応する。
ふわっ。
既に茶色く変色し、来年の春にまた花を咲かせる為に眠りについていた草たちが一斉に緑を取り戻し、花を咲かせる。
ザァ。
そこへ突然突風が吹きつけ白い花だけを茎の部分から一気に掻っ攫い、花が空に舞い上がる。
それらはふわりふわりと一つの塊になるようにゆっくりと中空で螺旋を描きながら纏まり、真澄が広げていた風呂敷の上に降りた。
「完璧じゃん」
空から一部始終を見ていた麒麟は、空中から颯爽と降りてくると、兼行の背中を叩く。
「本当に凄いよ!」
真澄は風呂敷を抱えながら兼行に駆け寄る。
兼行は二人に笑いかけた。
「ありがとう。でもまだまだだ。まだ真澄や麒麟のように無意識に手足を動かすように自然と出来無い。意識しないと出来ないから」
「それでも十分だよ!だってゆきが何故だか分らないけど、私たちと同じ様な力に目覚めてからまだ五年しか経っていないんだよ。それでここまで出来るなんて凄いよ!」
自分の手を見つめて悔しがる兼行に真澄は笑いかける。
既に二人の間には頭一つ分の慎重さが出来ていた。だから真澄は兼行に話しかける時には少し上を向いて話しかけなければならない。
兼行が不思議な力に目覚めてから既に五年の月日が経っていた。
真澄は変わらず兼行と湖の前で待ち合わせしほぼ毎日のように会い、それに麒麟が加わるようになっていた。
兼行は彼らに自身の力を使う方法を教えてくれる事を請い、二人は自分たちと同じ様な存在が又一つ出来た事を喜び、嬉しく思いながら教えた。
「ゆきがオレたちみたいになるってまだまだ難しいぞ。オレたちは生まれた時からこの力を持ってたけど、お前は途中からだ。その分、身に付けるのは大変だと思うぞ」
麒麟も真澄を真似て兼行の事を『ゆき』と呼ぶ。
「もう少し先生が分かり易く教えてくれたら上達も早いと思うんだがな。いつも『こんな感じ』とか『多分こう』としか話してくれないんだからな」
「何だと」
わざと挑発するような台詞に、麒麟はにやりと笑い、兼行の頬に向かって拳を放つ。
兼行はそれを軽くかわし、右足を上げると、麒麟の胴に向かって蹴りを入れる。
「本当、麒麟は手を出すのが早いから、力を使う事も学ぶよりも、対術を学ぶ事の方が先になるし」
「オレが直々にヨワヨワの坊ちゃんを鍛えてやってんだ。有難いと思って欲しいくらいだ」
そう言って麒麟は兼行が放った蹴りをかわし、彼の顔に向かって再度拳を突く。
「真澄からは昔から薬学や医術、数術を教えてもらった事があったけど、ずっとどうして二人ともそんなに詳しいのか不思議だったんだけど、どうしてだ?」
互いに攻防を続けながら会話は続く。
「さぁ。分からん。ただ知っている。ってだけだ。色んな世界を渡り歩いて知っただけだ。後はカン。何となくそういったものや歴史って言うのは何処の世界も一緒で、何時だって分らないのは『心』ってやつだ」
「―――」
「どうしてか俺たちには予測出来ない行動に走る奴か時々いるんだ」
「そうか」
麒麟は攻撃をかわし、すかさず兼行の眉間に二本の指を突き出した。それは確実に彼の急所を捉え、兼行は動きを止めた。
二人はそこで静止し、そして最初に兼行が口を開いた。
「――ところで、麒麟と真澄、どちらの方が強いんだ?」
「真澄」「私」
二人の同時に出した答えに、兼行は笑い、和んだ空気に毒気を抜かれたように麒麟は彼の眉間から指を離した。
兼行は大きく体を動かした事で崩れた衣装を直しつつ、思い出したように呟く。
「そういえば真澄と手合わせした事無いや。麒麟みたいにすぐ怒って手を出してくる事もしないからな」
「麒麟に勝てるようになったら相手になるよ」
言って、真澄は笑う。
「さて。それじゃあこの花をいつも通りお前の屋敷まで運べばいいんだよな」
そう言うと麒麟は真澄が抱えていた花の入った風呂敷を縛り、肩に担ぐ。
兼行は少し考えて、そして首を振る。
「いや。今日は梛木の所へ持っていこう。そろそろ冬も近い。彼も薬草を集めるのに困っているはずだ」
「去年みたくゆきが薬にして出来上がったのを持っていってやればいいじゃん」
「それじゃあ何の進歩も無い。私はこれでも元服した身、最近は外に出るのにも監視の目が厳しくなっているからね。私は無視をすればいいだけの話だけれど、監視する側にとってはそうもいかない。厳罰されてしまうからね」
「くだらねぇ」
一蹴する麒麟に兼行は苦笑する。
「私もそう思うよ。それでもそれは事実だから。もう少し大人しくしていなくてはと思う。だからもし私がいなくなった時、薬を作る者がいなくなってしまったら困るだろう?私の技法は特殊だし。少しずつ教えておくべきだと考えたんだ」
そう言って兼行は歩き始め、真澄はにこにこ笑って、麒麟は少しむず痒そうにしながら後を付いていく。
「行くんだったらお前が持てよ」と途中麒麟は薬の入った風呂敷を兼行に投げ付けながら。
湖から幾時か程歩いたところ、兼行の屋敷からは半刻は掛かる所に小さな里はあった。
山間に沿って家は建てられ、対面には森が広がりその向こうには湖があり、里のすぐ近くには川が流れる。この里の者は狩猟と畑から取れる作物を糧に暮らしている。
秋の風が吹き、まもなく冬になろうとしているこの季節、村の人間は皆冬支度を始め、寒く雪深いこの地方の冬を越す為に貯蔵する食料を作り始めていた。
そこ此処で収穫した作物を乾燥させて漬物にする為に干されている。
もう間も無く日も傾き、暗くなる前の準備なのか、夕餉の時間になのか、屋根の上から煙の上がる家が殆どだった。
幾つかの家が立ち並び人が行き交う大きな通りに兼行たちが入ると、周囲から声が上がる。
「ゆき、今日はどうしたの?」
丁度薪を抱え家に戻る途中だった、かえでが声を掛ける。
「梛木に薬草を分けてあげようと思って」
そう言って兼行は背に担いでいた荷物を示す。
「そうだったんだ。こんなに一杯…。また花を咲かせたの?」
悪戯っぽい目でかえでが尋ねると、兼行は笑う。
「まぁ。そうだね。花を咲かせるのは私も力の調節の勉強になるし、薬草も取れるし一石二鳥だから」
「そうだよね。今度私の家の畑の作物も大きく成長させて欲しいな」
「真澄や麒麟に頼めばやってくれるだろう?」
兼行が首を傾げると、かえでは首を横に振り、真澄を見る。
「年に一回ちゃんと成長して大根だって蕪だって取れてるのにどうして態々早く成長させるの?」
「って言って力を貸してくれないのよ」
真澄が不思議そうに首を傾げるのを見て、かえでは再度か兼行を振り返り、言いたい事が分っただろうと伝えるように溜息を吐く。
「成程」
兼行は納得した。
真澄たちも食事はする。が、生きる為に食べると言う概念が彼女達には基本的に備わっていないので、作物が多く収穫出来れば出来るほど、貯蔵しておいて、その分安心して作物の取れない冬を過ごせると言う事が理解出来ないのだ。
そして多く収穫出来れば、余剰分を売って、新たな収入を得る事だって出来る。それで少しばかりの贅沢だって、必要な物だって買い揃える事が出来るのだが、お金と言うもの自体が彼女らにとって必要の無いものだからそういった考えさえも恐らくは浮かぶ事さえ無いのだろう。
そう思って苦笑する。
だからと言ってそういったものの考え方がある事を一から説明するのは容易い事ではない。
「真澄も色んな事知っているのに、偶にふと私が知っていて真澄が知らない事があって驚くよ」
「本当な。ガッポガッポなのにな」
と言って、麒麟が笑う。
その言葉に兼行は驚き、そして眉を顰める。かえでは気まずそうに目を伏せた。
「おう。どうした?」
何処かへ言った帰りなのだろうか丁度通りがかった梛木が現れる。彼は二、三人の子どもを連れていた。
子どもたちは兼行を見るなり、一目散に足にしがみ付き、「遊ぼう」、「遊ぼう」と強請る。
兼行は子どもたちを宥めつつ、背負っていた風呂敷を下ろした。
「子どもって大きくなるのが早いな。ついこの間まで赤ん坊じゃなかったか?」
「ああ。親の俺だって驚いているさ。里に来るなんて久し振りだな。今日はどうした?」
「薬草を持ってきた。それと私も元服してから中々屋敷を出られなくなったから、少しでも梛木に作り方を教えておいたら役立つかと思って」
言って、兼行は風呂敷の透き間から薬草を一つ取り出してみる。
「そうか。そうだな。いつもゆきに頼ってばかりだしな。本当に毎回助かるよ。お前が薬の作り方を教わればこれから必要な時に作れるしな」
梛木は笑って置かれた風呂敷を担ぎ、「俺の家に来いよ」と誘う。そう言って歩き出した彼の後を兼行は追った。
後ろを振り返れば、真澄と麒麟は彼の子どもと遊んでいたので置いていくことにした。
「梛木の家に行くなんて久し振りだな」
「恐いかみさんといつも喧しい子どもらと死にぞこないの親父がいて煩いけどな」
「そうか。家族がいるとはそういうことだよな」
「お前のところだって屋敷にうじゃうじゃいるだろ。家族じゃないにしろ」
言われて、兼行は笑う。
「確かにいるけど、血の繋がっている家族は私には父だけだ。父は不在がちだったから屋敷の皆が私を育ててくれた。そして今も不自由無く暮らせている。そのことには感謝しているよ」
「俺はあんな屋敷堅っ苦しくていたくないけどな。昔、お前の屋敷に行ってよく分からないまま一方的に怒られたのを覚えているぞ」
「すまない」
「いんや。俺たちは昔から当たり前に一緒に遊んでたから忘れがちだけど、身分ってものがあるんだよな。子どもの時は大人って面倒な決まりを勝手に作って、それで怒られて理不尽だって腹立ってたけど、今は何となく分かる」
「梛木」
兼行は不安になり、つい咎める様に名を呼んでしまう。
「気にするな。親が昔からお前と遊ぶなって言っていた意味が理解できるようになったってだけだ。それで俺自身が変わるわけじゃない。身分なんてもんはやっぱり俺にとってはどうでもいい事だし。身分身分なんて言ってる奴らに近付かなきゃいいだけだし。けど、貴族と言う身分が一生ついて回るお前の方がよっぽど哀れだと思うよ」
「それは仕方が無い」
「お前自身が身分に縛られるような人間じゃないだろ」
言われて兼行は息を飲む。梛木は兼行に向き直り、見据え、そして笑う。
「まぁ、俺は変わんないよ。一生友だちだ」
「有難う」
兼行は心の底から礼を告げた。

真澄は村の中にある一本の木の枝に座っていた。
梛木の子どもたちとかくれんぼ中である。
気がついたら彼の子どもだけでなく、村にいる他の子どもたちまで集まり、十人くらいの村全体をかくれんぼの範囲にした大々的なかくれんぼになっていた。
真澄の座っている木の枝の下鬼になって子が隠れている子を探し回っている。
ついその姿をまじまじと見入ってしまう。
「でかくなったよなぁ、本当に」
すぐ上から声がして見上げると、ちょうど上の枝に麒麟が立っていて、彼はひょいと真澄と同じ枝に降りてきて、彼女の隣に座る。
「ついこの間まですんげー小さくてもぞもぞ芋虫みたいに動いてたんだぞ。それが今じゃちょろちょろと走り回るようなった」
そう言って麒麟は掌で木の下でまだ彼らを探し回る子どもたちが赤ん坊だった頃の大きさを示す。
「そうだね。梛木自身がついこの間まで子どもだったのに、今はもうお父さんなんだよ。命って凄いね」
真澄は梛木の子どもを見つめ、目を細める。
麒麟は彼女の姿を見つめ、そして顔を上げ、山向こうを見つめるように遠くを見つめ、彼女に問いかける。
「なぁ。お前いつまでここにいるつもりだ?」
「――分かんない」
麒麟は振り返り、苦しそうに眉を歪める真澄を見つめる。
「オレたちには時間と言う概念が無い。だから何時までいたって構わないさ。それでも一つのところにこんなに長く入るのお前初めてだろう。ずっとここにいる気か?ゆきの傍に」
彼の問い掛けに、真澄はただ押し黙る。
「最初はあいつが成長するまでかと思ったら違うし。あいつが大人になって、年取って、死ぬまでここにいるつもりか?確かにあいつはいい奴だよ。一緒にいて楽しい。けどそれは今までとだって同じだろう。そんな奴一杯会ってきた。どうしてあいつだけ違うんだ?オレたちみたいな力が使えるからか?」
「―――」
「確かに初めての事で驚いたよ。けど今までだってオレたちが会えてないだけで、そんな力持ってる奴がいたのかも知れない。今回偶々そんな力を持っている奴に出会った、それだけの事だろう」
「分らないよ。でもゆきといると楽しい。今まで人に幸せだって喜んでもらえる事はあったけど、今まで私がこんなに楽しくて幸せだと思った事無い。ゆきは私が今まで持っていなかったものを一杯持ってる。一緒にいたいの」
顔を上げ、真澄は麒麟を見据える。
麒麟は暫く彼女の真意を測るかのように見つめ返していたが、ふと頬を緩め、苦笑する。
「確かにな。あいつ変だもんなぁ。オレたちの力の使い方に文句言ったりさ。『もっと皆が幸せになれる使い方があるはずだ』なんてな。いいよ。だったらもう少しいればいい。オレももう少しあいつと手合わせしたいしな」
真澄の頭に手を置き、くしゃりと髪を撫でると、彼女は嬉しそうに笑った。