「沖田先生!ほら!雪ですよっ!」
「本当ですねぇ…」
周りに広がるのは一面銀世界。
普段は収穫の終えた少し寂しさを感じる土を剥き出しの裸の大地が広がっているのだが、前の日の夜から降り始めた雪は全てを覆い隠し、畑や山に白化粧をさせ、ぽつりぽつりと立つ家屋の屋根には分厚い雪の層が出来ていた。
雪の表面はまだ昇り始めて間もない太陽の光を受け溶け始めているのか、表面が玻璃の粒のようにきらきらと乱反射して輝いている。
今はもうすっかり雲も消えた青空の下広がる真っ白な世界は、何処か異世界めいていて人を魅了していた。
セイが朝餉の後、近藤に所用を申し付けられ、丁度彼女を探していた総司は付き添いで彼女と同行していた。
その所用を済ませ、後は帰るだけとなると気も緩む。そこで改めてゆっくりと目の前に広がる世界に引き込まれていた。
「こちらでこれだけの雪が見られるのは珍しいですよねぇっ!」
前日は雪の降る程の寒さに「寒い、寒い」と布団が温まるまで愚痴を零し続けていたセイも、滅多に無い雪景色に圧倒されると一気に上機嫌に変わる。
そんな様変わりに、昨日の彼女の様子を思い出しては総司はつい笑ってしまう。
「私はもう大人だから、そんなにはしゃぎませんよー」
「むー。何ですか!はしゃいだっていいじゃないですか!沖田先生だって雪が降ったら、いっつも率先して雪だるま作るくせに!」
「それは神谷さんが作りたそうにしてるからですよー」
「ずるーい!そうやっていっつも大人ぶって!」
剥れるセイは、いつもよりも格段に冷えた空気で赤くしていた頬をより紅潮させて総司を睨みつけた。
そんな姿が、くるくると変わる表情が、また愛らしくて、彼はついつい彼女をからかってしまう。
のんびりと歩く総司の横で屈み込む。何かと思って数歩先に進んでいた彼が振り返ると、セイは立ち上がった。
べしゃっ!
少し水気を含んだ物がぶつかる音と共に、総司の羽織にくっきりと雪玉のぶつかった跡が残る。
「か~み~や~さ~ん~?」
頬を引き攣らせながら総司が彼女を見ると、セイはにやりと笑う。
「やっぱり雪の日と言えば雪合戦ですよね!」
そう言うと、逃げるように畑にぴょんと飛び降りたセイは駆け出す。
何ものの跡も残っていない雪に小さな足跡で真っ直ぐ伸びる線が描かれていく。
総司も彼女に倣って畑に飛び降りると、小さな雪玉を作り逃げる彼女を追い、そして投げつける。しかしセイはひらりと難なく交わしてしまう。
むっとする総司に対して、セイはへらへら笑いながら足取り軽く雪の上を舞う。
そして隠し持っていた雪玉をまた彼に投げつけた。
べしゃっ。
またもや見事に総司の肩に当たる。
「……許しませんよっ!新選組の組長がやられたままにはいきませんからねっ!」
そう言うと一目散に彼女目掛けて駆け出す。
「私も負けませんっ!」
また駆け出すセイに総司も追いかけては時折雪を掬って玉作り、投げつける。
セイも同じように雪を掬っては総司に当てていく。
「普段鉄砲の訓練をさぼっている人に的当ては負けませんからっ!」
「何ですって!それならもう少し当てる精度を上げたらどうです!」
「ぐっ!どうしてさぼってる人がそんなこと知ってるんですか!」
「さぼってても、仮にも組長ですからね!ちゃんと隊士の情報は入ってくるんですよっ!」
「ずるーい!」
「貴方より訓練していない私がやってももうちょっと当てると思いますよ!」
「今は当たらないくせに~!」
互いに応酬を続け、ひらりひらりと雪の上で軽やかに舞う二人の足跡が円を描いていく。
下駄で走り回り、既に足袋はびしょ濡れ、雪を握り締めた手は冷えてびりびりと痺れ指先から感覚が無くなっていく。
そんな状態で最初に足を取られたのは総司だった。
「あっ!」
踏み均す事で溶けていた雪に縺れて総司はその場に背から倒れ込む。
「先生っ!?」
セイが慌てて駆け寄ると、総司は呆然と空を見ていた。
「…沖田先生?」
「気持ちいいですねぇ」
「え?」
「神谷さんもやって御覧なさいよ」
「えぇっ!?」
言われると同時に手を取られ、引かれたと思った次の瞬間、セイは空を見上げていた。
積もった白い雪の壁が彼女の視界を狭くし、そしてそこから覗く青い空を見上げる。
きらきらと輝く白い雪が空の青をより眩しく魅せる。
「ふわぁぁ」
「ねぇっ!すごいでしょっ!自分の形の雪に空が切り取られるんですよっ!」
「すごっ…」
そう呟き、ゆっくりと息を吸い込むと、まだ雪を降らせるほどの冷たさの残る空気がセイの肺を廻る。
「きもちいぃ…」
手足の指先は冷たさですっかり感覚は無くなっていたが、走り回った事で体は温かく、薄っすらと汗をかいていた背を雪に乗せる事で、汗が急激に冷やされて、それがまた心地よい。
くしゅんっ。
一つくしゃみが隣から聞こえてくる。
「沖田先生!」
つい、心地よさにうっとりと目を閉じ、暫し体を委ねてしまったが、よく考えてみれば、羽織袴はびしょ濡れ、手足の指先は感覚が無くなるほど冷え、動かない事で急激に体が冷えてくる…とくれば後は風邪まっしぐらだ。
慌てて起き上がり、隣を見下ろす、とまた今度は肩を引かれ、彼に覆いかぶさるように抱き締められてしまった。
「せっ…せんせいっ!?」
「あー。あったかい」
掴まれた手はそのまま彼女の背に回り、ぎゅうっと抱き締められる。
「ちょっ!」
「さっきまでひとりぼっちの世界で、今度は神谷さんと二人っきりの世界ですねぇ」
「?」
「ほら。雪に切り取られた世界はさっきまで一人きりだったじゃないですか。けど。こうやって見上げれば、神谷さんと二人っきり」
すぐ間近でそんな事言われれば、しかも、本人気付いているか分からないが嬉しそうな笑みを浮かべられれば、何も言えない。
何の意図も意味も含んでいないとは分かっていても、そんな風に、自分と二人きりで幸せそうに語られれば、嬉しくならないはずがない。
セイはまた熱の上がる顔を隠すように、彼の胸に顔を押し付けた。
とくん。とくん。と心音が頬を伝って聞こえてくる。
彼の熱が、心音が、冷たい世界の中で心地よい。
無音の世界の中で重なり合う己と彼の心音が、温もりと共に音楽を奏でる。
つい、もっと聞きたくて、もっと触れたくて、頬を摺り寄せる。
とくん。とくん。
とくん。とくん。とくん。
「……沖田先生。こんなに心音早かっ――っ!?」
『早かったでしたっけ?』と問い終えるより先に、総司は勢いよく体を起こすと、その勢いにつられ、セイも尻餅をつくような形で体を起こされた。
「ほら。風邪引いちゃいますから。帰りますよ!」
口早にそれだけを言うと、総司はさくさくと、雪を踏みしめ、帰路を作る。
「はいっ!」
何か癇に障る事でも言ったのだろうか。とセイは不思議そうに首を傾げながら、追いつけないほど足早に歩く総司の背を見つめ、駆けた。
彼の耳が真っ赤になっている事には気付かずに――。

2014.02.09