「こんにちは~」
玄関口からのんびりした声が響いてくる。
それはセイが良順の元に身を寄せてから毎日のように聞こえてくる。
いつもセイがお馬の時は里乃の元で過ごしていたが、今回は倒れた経緯もあり、セイ自身としては既に体調は戻っていたのだが、良順と総司が執拗に心配する為、何かあった時はすぐに対処できるようにとそのまま良順の仮寓に泊まっていた。
「へい…お越しやす。沖田せんせ」
セイと共に今回は良順の元で過ごす里乃が玄関口に立つと、にっこりと微笑む。
総司は余程心配したのだろう、仕事の合間を縫っては幾度もセイの元に現れる。
彼のそんな優しさにセイは惹かれるのだろう、そんな事を思いながら里乃は総司を中へと促した。
里乃は人差し指を口元に当てると、「今おセイちゃんは眠ってはります。静かにお入りください」と小声で言う。
総司はそれに対し、頷きで返すと、静かに下駄を脱ぎ、二階のセイが眠る部屋へと向かう。
戸を開けるとセイは未だすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。
布団が体に半分しか掛かっておらず、大の字になりながら。
「子どもみたいな寝相ですねぇ」
彼女の無邪気さは元々だが、眠っていてまでも変わらない様に笑ってしまう。
彼はそのまま彼女の枕元に腰を下ろし、布団を掛け直してやると、ほっと息を吐く。
「風邪なんて引かないで下さいよ。どうせ貴方の事だからまた頑張ってしまうのは目に見えてるんですから」
風邪を引いて、熱が上がり、顔を赤くしたまま隊務を遂げようとする少女の姿なんて彼の頭の中で容易に想像できる。
それが何処か微笑ましくて、けれど心配で。
ただの想像でしかないのに、想像の中の彼女にさえも振り回される自分に苦笑してしまう。
「どうして貴方は何でも頑張りすぎてしまうんですかね」
呟きながら総司はふわりとセイの頬に触れる。
優しく触れ、柔らかいその触感に魅せられる様に総司は彼女の頬を優しく撫でる。
穏やかな笑みを浮かべながら、頬を撫で続けていると、突然何を思ったのか彼は突然頬を赤く染め、そして慌てて手を引く。
まるでそれが合図だったかのように、セイは小さく唸ると、ゆっくりと瞼を開いた。
最初に見える風景は天井だったが、己の布団の横に人の存在を感じ、彼女はそちらへ振り向いた。
「おはようございます。神谷さん」
そこには笑みを浮かべてこちらを見つめる総司。彼の笑みにつられて、セイも笑った。
「おはようございます。沖田先生。起こしてくださればよかったのに」
「そんなぐっすり熟睡しているのに起こすのは悪い気がして。今日はですねぇ、奮発してきんつばですー!このお店のきんつば美味しいんですよー!」
毎日のように通ってくる彼は、その度に菓子を持参してくる。そうして二人でのんびりと食べるのが日課になりつつあった。
総司は包みからきんつばを取り出すと、一つをセイに渡し、もう一つを自分の口の中に放り込み、幸せそうに噛み締める。
「やっぱり神谷さんと一緒に食べると美味しいんですよねー!きっと神谷さんも大口開けて齧り付いてくれるから、私も平気でどんどん食べちゃうんですよねー。それに神谷さんお菓子食べる時すっごく幸せそうな顔してるし。美味しそうに食べている人がいると、美味しいお菓子も更に美味しくなりますよねー」
「まるで私が大喰らいみたいじゃないですか」
「気持ちいい位美味しそうに食べてくれるから、私も遠慮しなくて良いんですって褒めてるんですよ」
「褒めてなーい!」
セイは叫んだ。
自分は女子ではないと主張しても、やはり隠せない恥じらい。
好きな人の前で大きな口を開いてお菓子を頬張るのは女子としてあっていいのだろうかと自問自答してしまう。
そこまで考えて、セイはぴたりと固まってしまう。
「神谷さん、明日でお休みは終わりでしょう?明日迎えに来るので、帰りに久し振りに一緒に甘味屋によって帰りましょうよ」
明日の予定を頭に浮かべ、うきうきとしながら語っていた総司はこんな自分を微笑んでみているだろうとセイを振り返るが、それ以上言葉を続ける事は出来なかった。
「…神谷さん?」
ただ彼女の名を呼ぶ。
「はい」
と、短く返事を返してセイは顔を上げると、少し顔を顰め、そして笑顔を作る。
「いいですね!明日帰りに寄りましょう!何処へ行きますか!?」
彼女は何でもなかったように振舞うが、一瞬の彼女の微妙な心の変化を読み取ってしまった総司はその心の奥まで読めないものの、真顔になって彼女を見据える。
「先生?」
セイは尚も笑顔のままで、逆に総司の表情の変化に首を傾げる。
自分の変化に気付かれていないと思って。
自分の変化に気付かれた事を取り繕うように。
「神谷さん、お馬の痛みはもう引いたんですか?」
「え?…あ…はい。ご迷惑お掛けしました」
少し頬を染め、セイは答える。
「いつもそんなに痛むのですか?」
「…?いいえ。今回初めてです。ここまで痛かったの。いつも血の気が引いたりする事はあったんですけどね」
「お里さんが言ってました。女子と言うのは繊細だから心に左右されやすいって。態度や言葉は普段通りに振舞っていても、体には顕著に現れてしまうんだって」
「嫌です!私は武士です!絶対に離隊しません!」
総司が先日得た知識から、ここ数日考えていた事、さっきの表情を見せられて改めて思い出し、口にすると、彼の訴えようとする結果を言う前にその言葉を遮り、セイは拒絶を示す。
セイには、彼が彼女にまた離隊するように勧めようとするようにしか聞こえなかったからだ。
総司は己のこれから言わんとしている事とは全く異なった事を言われた為、予想外の彼女の反応と、彼女の変わらない姿勢に頬を緩める。
「違いますよ神谷さん。離隊を勧めようとしたんじゃありません」
「?」
では彼は何を言いたいのか分からなくなり、セイは総司に乗り出すようにして近付いた身を少し引く。
「私は男だから神谷さんの考えてる事分からなくて申し訳ありません。けど私だって気鬱になる日だってあるしそれでも近藤先生の傍についていけない時我慢しなきゃと思って隊務に就きますけど、そんな日はやっぱりお菓子が食べられないですもん。それと同じかなと思って、私なりに考えてみたんですけど」
果たしてそれは笑いを取っているのだろうか。
一瞬訝しんだセイだったが、けれど彼が彼なりに自分の事を把握してくれようとしている事を理解し、彼を見上げる。
「神谷さん、何か辛い事とか、考えている事があるんじゃないですか?悩みなら私にも話してください」
真摯な瞳で見つめ返す総司。
しかしセイの瞳は揺らぎ、そして、澄む。
「いいえ。沖田先生。お申し出は大変嬉しいですが、悩みなどありません。それにあったとしても自分で解決します。私は武士ですから」
セイは背筋を伸ばし、再度総司に向き直ると、はっきりと明朗な声で答えた。
「そんなに自分は頼りないですか?」
「いいえ」
「だったら、何故」
「先生。先生は男ですよね。先生は本当に自分の弱さを感じた時にその弱さを同志に見せますか?」
「---…いいえ」
「私も武士としての誇りがあります」
「けど、貴方は--!」
「武士です」
総司には取り付く島が無かった。
彼女の言っている事は正しい。
男同士だったら仕事の悩み、人間関係について雑談はしても、その心の内、そして心の弱さを見せる事など決して無いだろう。
他者に弱さを曝け出す事を恐れるから。
理由は浮かばない。恐らくそれは本能的なものなのだろう。
つまりセイは自分を女子扱いするなと言うことだ。
確かに今まで彼女を武士として扱ってきた。
けれど身体的な問題はどうしても避けられない。
心がどうであれ、身体的に女子として生まれてきたのだ不都合な事はきっと総司の想像以上にあるはずだ。相談くらいしてくれてもいいだろう。
--今までは何でも相談してくれたのに。
「沖田先生、お気になさらないで下さい。それで明日は何処に行きますか?」
固まったままの総司に、セイは既に彼女の中でその話は終わった事になっているらしく、笑いかける。
それがまた総司を拒んでいるようで。
これ以上問いかけるな、と。
心に触れようとするな、と。
だから総司も笑って笑って返す。
「葛きりが良いですねぇ」
「だったら私、白蜜がいいです!」
他愛も無い会話を交わす。
二人に出来た距離を測るように。
日が暮れるまでいつも通りの、それでいて何処か空っぽな会話は続いた。