噂6

「松本法眼ー!」
総司は夢中で走った。
松本法眼こと松本良順が仮寓にしている南部の家の玄関口が開くなり、開口一番部屋の最奥まで響くような大きな声が響き渡る。
「沖田!煩せぇぞっ!」
部屋の奥から総司に負けじと大きな声が跳ね返ってくる。それと同時に良順が顔を出した。
「松本先生!」
総司は慌てて駆け寄ると、天の救いを求めるかのように抱えていたセイを差し出す。
「清三郎!どうしたっ!?」
「分からないんです!捕り物を終えた後話をしていたら突然苦しみ始めて!何処か切られたんでしょうか!?神谷さん助かりますか!?」
「落ち着け沖田!」
ぐるぐると混乱しながら半分涙ぐんで捲くし立てて詰め寄る総司に、良順は喝を入れる。
「取り合えずそこでいいから寝かせろ」
「はい!」
腕の中で気を失ったままの少女を壊れそうな大切なものを扱うように総司は自分も屈みながらゆっくりと床へ下ろす。
玄関口で、しかも敷物さえも強いてはいないが、今はそんな悠長な事も言っていられない。
「で、どこら辺痛がってたか分かるか?」
苦しんで気を失うくらいだから相当な状態になっているのではと良順は思うのだが、何処を痛がっていたか分からなければまず治療には進めない。
セイの前に腰を下ろし良順は総司を見上げ、彼はうんうんと唸り、彼女の先刻の様子を必死に思い出す。
「えっと…お腹です。お腹を抱えて苦しみだして…」
「腹か」
言って良順はセイの腹を擦ると、その触感に首を傾げる。
腹部は帯を巻いているのだから固いのは勿論なのだが、本来袴を履いた人間を触れる時と異なっていた。
何か厚い物を何重にもして巻いているような…。
そこまで思考が至ると、彼女の下腹部に触れ、その違和感に納得する。
「おい」
「はい!」
溜息交じりの良順の呼び声に、総司は眉間に皺を寄せたまま不安そうな瞳で見上げる。
「お里さん呼んで来い」
「はい!…あの……?」
良順は医者だ。彼が見れば安心なはずなのに、触診をした診断結果は、セイが囲っている里乃を呼ぶ事。
話が見えず、疑問符を頭に浮かべる総司に良順は更に一つ大きな溜息を吐いた。
「お馬だ」
「えっ!?」
その言葉に総司は一気に顔を赤くする。
流石の良順もお馬の時の手当てまでは分からない。いや、知識があったとしてもそれを行うのは憚れた。
セイが起きた時に何を言われるか分かったもんじゃない。
それは確かに本音ではあったが、女子の問題は何時だって繊細だ。男の自分がどうやっても踏み込めない部分があるのも当然分かっている。だったら彼女が頼っている女子に任せるのが一番安心だと判断した。同性同士なら恥じらいも気後れも無くなるだろう。
良順の説明に総司は納得し、物凄い勢いで家を出て行ったかと思うと、半時もしないうちに彼は里乃を連れて、戻ってきた。
総司も息を切らし、里乃も息を切らしていた。
もしかしたら里乃を担ぎ上げてでも急いでくるかもと思ったが、流石にそこまでは出来なかったらしい。その代わり転びそうになる里乃を少しでも早くと手を引き、急かしてここまで来たらしい。
勿論、既に一室で横たわっているセイを見て、里乃は開口一番に総司を叱りつけた。
「どないしてそんな無茶させますの!」
総司は首を竦め、「すみません」と謝罪するしかない。彼女の一括で余りにも思い詰めた表情をする総司に、里乃は一つ溜息を吐くと、大人気も無く怒鳴りつけてしまった自分を恥じ、声の調子を戻す。
「きっとおセイちゃんのことやから何も言わはれなかったのでしょ。沖田せんせのことやから、気付かれなかったのやね」
そう言って彼女は眠るセイの頬を優しく撫でる。ゆっくりと慈しむように撫でる彼女の姿を見つめながら、総司はおずおずとずっと聞けずにいた問いを口にした。
「…その…神谷さん。いつもお馬の時こんなに痛がるんですか?」
セイがお馬でいなくなる三日間。彼はその間彼女がどう過ごしているのかを知らない。彼にはお馬など無いのでそれが来るという事がどういうものなのか、痛みを感じるものなのか、いつもこんなに苦しんでいるのか、心配になったのだ。居続けから帰って来る彼女は何時だって変わらない笑みを見せてくるれるから。帰ってきてもまだお馬の続いているはずの彼女はいつもと何も変わらず、また己の傍にいるから。面倒臭いなとは思っていたが、お馬になる事で起こる負担なんて考えた事も無かった。
青褪めて己を見つめてくる総司に、里乃は苦笑する。
「いいえ。いつもはこんなに痛がりません」
「だったら何処か悪いんじゃ…!」
「お馬の時痛むんは個人差があるんよ。何も痛とぉない子もいれば、痛がる子もいはる。体がだるいと感じたり、頭や腰が痛い子やっておるんよ。おセイちゃんは時々血の気引くくらいで普段余り痛がりせぇへん子やんなけどなぁ」
「大丈夫なんですか?」
今にも卒倒しそうなほどに蒼くなり、身を乗り出す総司に、里乃は向き直り居住まいを正すと、諭すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「女子の体は繊細なんどす。気持ちですぐに左右されるんよ。どんなに普段明るく振舞ってても心はちゃんと体が表してしまうもんなんよ。おセイちゃん最近何かに悩んでおらんかった?」
総司は暫し考え、そして首を横に振る。
「最近、巡察以外の時間あまり話していなかったから。でも悩んでいるようには見えなかったんですけど…」
落ち込みながら答える総司に、里乃は暫し無言になり、そして顔を上げると毅然とした表情で、言葉を続けた。
「沖田せんせが武士として、おセイちゃんの事を置いてくだはっているのは感謝しとります。けど、もう少しだけ気にかけてあげてくれませんか?男はんに女子の事分かれ言うても無理なのは承知しとります。それでもどんなに男らしく振舞っていてもおセイちゃんが女子だという事は変わりはせぇへんのやから」
「……はい」
総司の落ち込んだ表情を見つめながら、良順も自身を省みていた。
医師である良順も知識では理解していても、実際はどうやっても女子にはなれないのだから、お馬の時の体調がどのような要因で変わるのか分からない。出来る事は男として気を遣う事ぐらい。
彼にも妻がいて、多少は里乃の話す内容が理解できるような気もするが、恐らくそういった事には疎い総司には理解不能であろう。もし今聞かされた事から彼が考える事としたら、女子は脆いものだ、やはり武士にはなれないのだ。そんなところだろう。
しかしその結論はセイの意に沿わぬ事、そして里乃が伝えようとした事と異なった解釈で総司が何かを思い、決断をする前にその事を伝えようと良順は口を開くが、それが声になることはなかった。
突然眠っていたセイががばりと起き上がったのだ。
彼女を囲むように座っていた三人は三者三様に驚くが、彼女の眼にはそれは入っていないようで、その場で座位に体勢を変えると、腹を抱え込む様にして、身を丸くする。
「---っ」
余程悼むのか、声にならない悲鳴を上げると、歯を噛み締め、息を飲む。
額から脂汗を零し、目からはボロボロと涙を零す。
ただ見守っていた三人も息を飲み、ただじっと身を固くし動かないセイを見守る。
そうやって数秒制止したかと思うと、いきなり立ち上がり、体を引き摺る様にして、厠へと向かっていった。
突然でいて、予測不可能の事態に総司はただおろおろとするばかり。
「だっ…大丈夫なんですか!?神谷さん!?今にも死にそうなくらい青褪めてましたよっ!?本当に何とも無いんですか!?」
良順は腕を組、ただ目を泳がせる。そんな男二人の間で里乃は冷静に立ち上がると、土間へ下り、既に用意しておいたお湯に浸けたままの手ぬぐいを取り出し、薬缶で沸かしていた白湯を湯飲みに注ぐ。
そうしてセイの眠っていた布団の横にそれらを置くと、セイの消えていった厠へと向かった。
里乃も消えていく姿を見送りながら、居住まい悪そうに男二人はただ沈黙したまま彼女らが帰るのを待つ。
数分後里乃に連れられ、腹を押さえたままセイが戻ってきた。
恐らく厠で嘔吐してすっきりしたのだろう、先程より幾許か赤みの戻ったセイの顔を見て、総司はほっと胸を撫で下ろす。
一方セイは総司の姿を見止めると、その場に屈み込み、伏せた。
「申し訳ありません!捕り物の途中に倒れるなんて!自分の体調管理の不備でした。どれだけご迷惑を掛けたのか分かりません。申し訳ありませんでした!」
総司は固まってしまった。
まだ完全に体調も戻らず、足元さえ覚束無い様子だった彼女が己に叱咤されるのを覚悟して頭を下げている。
未だ平伏す彼女に、実際のところ彼女に掛ける言葉が彼の中で浮かばなかった。
「おセイちゃん、今はえぇから。後でゆっくり謝らはったらえぇ。布団に横になって少し眠りぃ?」
優しくセイの肩に触れ、促す里乃の言葉には耳も貸さず、セイはその場を動かない。
「神谷さん」
掛かる総司の声にセイはびくりと肩を震わす。
「いつからお馬だったんですか?」
「…今日の昼、先生と別れた後です」
直接的に女子に問うような事ではない事は総司も分かっていながらも事務的に問う。
セイは恥じらいをそこに含んだ様子も無く答えた。
冷やかしや嘲笑では決してない事は分かっていたから。
「どうしてその事をすぐに言わなかったのです?」
「その後すぐ捕り物が控えていたのでお伝えする機会が無かったのと、どうしてもお馬だと言うことで外れたくなかったと言う意地と、それ程大きくないものだからこなせるだろうという私の甘い判断のせいです」
そこまで回答を聞くと、総司は一つ溜息を吐く。
セイは総司の動作に身動ぎする気と無く、平伏したまま動かない。
総司はその姿をじっと見つめ、そして口を開いた。
「捕り物を終えた後だから良かったものの、もし戦闘中だったらどうなっていたか分かっていますね?」
「はい」
「三日間しっかり療養しなさい」
突然柔らかくなった口調にセイは驚いて顔を上げると、総司は優しく微笑んで彼女を見つめていた。
殴られても、嫌悪されても仕方が無い事をしたと覚悟を決めていたのに、セイは総司に許された事に気付くと、いつのまにた瞳に溜まっていた涙をぼろぼろと零す。
「お馬はもう大丈夫ですか?」
「はい。申し訳ありませんでした…」
涙が零れるのを頻りに堪えようとするが、逆効果にどんどん零れ、まだ青い彼女の頬を伝う。
「おセイちゃん。これお腹に抱えたらえぇ。少しは痛みが軽ぅなるから」
そう言って、二人のやり取りを黙って見ていた里乃はセイに先程湯で濡らした手拭いを差し出す。
「ありがとう」
「お馬の痛みの時は温めるとええのよ」
「うん」
セイは手拭いを受け取ると、総司と良順から背を向け、帯の下にそれを宛がう。
それでもまだ痛むのだろう。ゆっくりと布団まで戻ると、その上で膝を抱えたままじっとしていた。
「横にならなくて良いんですか?」
総司が心配そうに問うが、セイは「この体勢の方が楽なんです」と言って、そのまま目を閉じた。
どう考えても窮屈そうな体制に総司は不安な表情を里乃に向けるが、里乃も「本人の楽な格好が一番なんどす」と答えるだけだった。
そんな彼らのやり取りを見ながら、良順は感心していた。
セイが目を覚ますまで、総司はセイを完全に女子扱いしていた。
彼自身もそう促したセイもあるが、実際お馬で苦しむ彼女を見て、そうせざるを得ない、そう感情が傾く事が普通だろう。
なのにセイは起き上がって開口一番武士として総司に処断を求めた。
総司は完全に最初労いと心配の言葉を掛けようとしたはずだ。
けれど彼にはそんな女子として扱う一切の言葉を言わせず、武士として言葉を発させた。
良順が危惧していたものを、あっさりとセイは壊した。
総司はきっと普通の女が傍にいようとすれば距離を置くであろう、しかし、きっとセイのそうした行動が彼を惹きつけ、女子でありながら彼女を傍に置かせる理由なのだろうと笑みを浮かべずには居られなかった。