目まぐるしく人が変わる。
甘味屋へ遊びに行く子ども、勘定の駆け引きをする商人、声を上げ豆腐を売る豆腐屋、何処かへ向かう旅の途中の人。
そんな同じ場所でも日々変わり、二度と繰り返される事の無い人々の動きの中から、怪しげな行動を起こす人物、主に浪人らを見張り、京を巡回する事で治安を護り続ける新選組巡察。
一番隊は本日出された指示を元に、島原周辺を巡回していた。
「おい、神谷。顔色悪くないか?」
相田は隣を歩く清三郎をふとした拍子に振り返り、彼の顔色の悪さに驚く。
元々白い彼の肌が更に白く浮き立ち、青白くさえ見えた。
「平気ですよ。相田さん。ご心配ありがとうございます」
清三郎は笑って答える。彼の肌の色とは逆に彼の口調はいつも通りで相田は不安を全て拭えないまでも少し安心すた。
「列から離れてしまいます。急ぎましょう」
いつのまにか歩調の遅くなってしまった二人は、慌てて隊列の一番後ろに戻る。
彼は何も変わらない。
総司と二人で何気無い会話をしながら、一番前で歩く。
そして笑う。
総司に恋人が出来たのは周知の事実だ。
そして目の前の少年隊士がどれ程にその彼の事を思っているのかも。
それでも少年隊士は何一つ変わらなく笑う。
心の奥では傷ついているであろう、本来感情表現豊かな彼が笑っているのに、そんな彼に慰めの言葉を掛ける事それ自体も出来るはずが無く、彼がどれだけ総司を強く想っているのか分かっている以上、気を引く様な言葉を掛けるのもおこがましく、出し抜く事は彼を更に傷つけるだけだと、一番隊の誰もがそれを分かっていて、彼らは二人を見守る事しか出来なかった。
だから今も、また相田は、笑う彼に笑顔を返す事しか出来ない。
彼は笑う。
いつもの様に接してくるから、相田もいつもの様に返す。
「気分が悪くなったらいつでも言えよ」
「ありがとうございます」
「神谷さん。相田さん。どうしました?」
隊列の前方から声が掛かる。
その声にぴくりと反応し、そうだが気まずそうに顔を上げると、総司がこちらを睨みつけていた。隣の清三郎は何も無かったかのように平然な顔をして、「何でもありません」と答える。
「それでは気を引き締めてくださいね」
そう言うと、総司は到着した目的地を振り返り、止めていた歩みを再開した。
最近身形が武士の格好をした者が多く泊まるという宿。
隊士たち全員に緊張が走る。
大物は捕まえられなくとも、確実に情報を持っている者が少なからずいるはず。
セイと相田も向き直し、建物を見上げ、こくりと喉を鳴らす。
全員の士気が高まりつつあるのを感じると、総司は宿の入り口に立ち、じゃりと砂を踏み鳴らす。そして、一呼吸置いて、戸を開けた。
「いらっしゃいませー」
のんびりとした迎えの声が店内に響くが、中の和やかな空気に対し、入ってきた武士たちの気配に気圧され、そこにいた数名の従業員と客はその場に静止する。
彼らの動揺など気に留めない様子で、総司は中に入っていくと、奥から出てきた宿の主人と思われる者に声を掛ける。
「新選組一番隊組長沖田総司と申します。宿帳を改めさせて頂いてもよろしいですか?」
その口調も声色も優しいはずなのに、有無を言わせない圧迫感を感じ、主人は身震いをする。
目を見張り、固まる主人を前に、にっこりと総司が微笑みかけると同時に、二階から数人の足音が聞こえ、こちらに向かって階段を勢いよく降りてくる音が、緊迫感により無音になった宿に響く。
階段を降りてくる者たちに総司は一喝した。
「手形を改めさせて頂きます!手向かいしなければこちらも事荒立てません!」
足音の主は誰もが帯刀をしており、すぐさま抜刀すると、一番隊に向かって振り下ろしてきた。
「うぉぉぉぉっ!」
その内の誰かが上げた気合が合図だった。
先程まで和やかだった空気が嘘のように冷め渡る。
あたふたとする従業員は逃げ惑い、ある者は悲鳴を上げ、ある者は外へと転がり出し、その場は一気に戦場と化す。
セイも刀を抜き、手抜き緒をかけると向かってくる敵に一撃を放った。
戦闘の中、誰もが察していた。
居場所がばれて、階下に降りてくるのは小物でしかない。逃げようとせず向かってくるのは、その奥に新選組から守らなければならない人物がいるから。
分かってはいても。
外に配置した人間と中に乗り込む人間を割いて、人数が足りない。
予測よりも対峙する人間の数は多かった。
その中で刀を交わし、まずは二階へ繋がる階段を乗り込もうと躍起になる。
早くしなければ逃げられてしまう。
セイはその素早さと小柄さを生かし、向けられる刀をかわしながら普通の宿にしては幅広な階段を登り、一気に二階へ向かう。
「神谷さん!」
総司の己を呼ぶ声を聞きながら、セイは階段を登りきる。
その瞬間横から殺気を感じ、身を引くと、目の前を刃が掠める。
階段を登ったところを待ち伏せしていたのだろう。階段周囲を浪士たちが囲み、刀を構えると一斉に振り下ろしてきた。
このままでは殺される。
そう思った瞬間、彼女の前方に構える浪士の脇下に空間がある事に気が付き、咄嗟にそこに飛び込む。そのまま前受身を取ると、今まで前方に立ち塞がっていた浪士の背後を取る。
カァン。
何も切る事が出来なかった男たちの刀が、階段の手摺に乾いた音を立てて食い込む。その中の一人は勢いに任せて振り下ろした為、刃が力の拮抗に耐えられず、刀身が折れ、中空を舞う。
「でぇいっ!」
セイは階段前に立つ男たちの背後から、蹴りを入れるとそのまま階下へ向けて突き落とした。
「ぎゃぁぁっ!」
周りの二人を巻き込んで男たちは落ちていく。鈍い音を立てながら。
残った一人は刀の刃が折れた人間で、彼は抵抗する気力も無く、その場で降伏した。
それを見遣りながら、周囲の部屋の様子を覗う。
勿論普通の客も泊まっているので、突然の惨事に脅える客たちを見ながら、最奥にある部屋に入った。しかし既に中はもぬけの殻になっていた。
床に転がる徳利や猪口。
セイは慌てて窓から身を乗り出すと、外で待機していた隊士たちが彼らを既に捕まえていた。
彼らは内部から追い立てたであろう彼女に任務成功の合図を送る。
ほっと息を吐くと同時に消えていく緊張感。
「神谷さん!」
総司がセイの後を追って部屋に入る。彼も部屋の様子を見て、目つきを険しくするが、彼女が既に終了したのだと声を掛けると安心したように笑みを浮かべた。
彼も彼女と同じ様に窓から下を覗き込むと、既に捕縛されている浪士たちを見て、息を吐く。それからもう一度セイに向き直ると、彼の瞳は冷ややかな眼差しに変化した。
「神谷さん。それにしても少し無鉄砲すぎませんか。貴方が素早さで誰よりも長けているのは知っています。それにしても一人で二階に乗り込むなんて危険すぎます」
セイが一人階段を登り始めた時は驚いた。しかもその後彼女の姿が忽然と消え、総司は心臓が止まったような気がした。彼女に何かあったのかと慌てて上がってみれば、二階から男たちが突然降ってきてまた更に驚かされた。
「どうしてそんなに心配を掛けるのですか」
「私は当然の事をしただけです。私が一番早く攻めてくる敵から逃れられた。私が一番早く駆けつけられた。だから動いたんです。一平隊士の行動を一々心配しないで下さい。私は沖田先生の中でいつまで未熟者ですか!」
パァン!
セイが叫んだ瞬間、彼女の左頬は平手で打ちつけられる。
「無謀と果敢な行動の区別くらい付けなさい!」
怒鳴られ、俯き総司の顔を見る事が出来ないまま、セイは熱を持ち始める己の頬に手を当てる。
じんわりと目頭が熱くなるのを堪えた。
「……しないでください…優しくしないでください……甘えてしまう…」
忘れていたはずの痛みがセイの腹部に鈍痛となって襲う。その痛みに耐えられず、腹を抱え、その場に蹲ると、痛みは激しさを増す。
心音に合わせてずくりずくりと響く痛み。
「…神谷さん?」
セイの様子の変化に驚き、総司は慌ててその場に屈み込む。
俯き、蹲る彼女の表情は覗えなかったが、拳を握り締め、額には汗が浮かんでいた。
只事ではないと悟った総司は、蹲ったままの彼女を抱き上げると、一目散に一階へ降りる。
セイの抵抗は無かった。
彼女は既に痛みで気を失っていたからだ。
「神谷さんを医者へ見せてきます!皆さんは処理を続けてください!すぐに戻りますから!」
玄関口から飛び出すなり、開口一番に叫ぶ総司に、隊士たちは己の仕事の手を止め、彼を見上げる。
本来ならセイを運ぶのは平隊士の役目で、総司がここに残って処理をするのでは、という疑問が其々の心に過ぎったが、口には出さなかった。
何より、誰かが口を開く前に、総司が一目散に走り去ってしまったからだ。
誰とも無く笑い声が聞こえる。
仕方無いなぁ。
そういう意味を込めて笑う声は明るい。
やはり総司にとってセイは今も変わらずかけがえの無い存在なのだ。
総司の走り去った後を見遣りながら、暫くそうしていると、やがて彼らは各々の仕事に戻った。