噂2

「そんなに長い事口を開けていると、虫が入るぞ」
夕餉までの少しの時間、藍色に染まっていく空を、セイは縁側に座り、ぼんやりと見上げていた。
夏も終わりが近付き、夕刻になると、冷たい秋の風が神を揺らし、早々に現れる月は時が経つに連れて輝きを増す。
セイは何を思う訳でもなく眺めていた月から目を逸らすと、隣に立ち、己を見下ろす男の姿を見止める。
「斎藤先生」
嬉しそうに笑うとセイはまた、外の景色に目を向ける。
「もう秋だな。酒を傾けながらのんびりと眺めたいものだ」
斎藤はセイが見る景色を見ながら呟くと、彼女の隣に座る。
彼のの言葉にセイは苦笑すると、「熱燗でもお持ちしましょうか?」と尋ねる。
その問いに、斎藤は「いや」と短く答えると、そのまま沈黙した。
隣に座る清三郎の表情を斎藤は横目で覗うが、無表情な彼の顔から感情を読み取る事は出来ない。
斎藤は小さく息を吐く。
「--沖田さんに女が出来たとしても、お前に対する態度は変わらないさ」
清三郎の息を飲む音が聞こえた。
そして彼に視線を向けると、彼は笑っていた。
「そうですね。私が沖田先生を尊敬する気持ちも変わりません。私だってお里さんがいるんです。でも変わらないですから。最近ちょっと沖田先生と出掛ける事も無くなったんで寂しくなってたんです。やっぱり兄上には敵わないです。分かっちゃいましたか」
明るく彼は笑って言う。
「心配してくださってありがとうございます。兄上」
いつもの彼のままで、自分を心配してくれる相手の気持ちを大切にして、彼は礼を言う。
そんな彼を見て、斎藤はいつの間にか握る拳に力が入る自分に気付いた。
恋敵を持ち上げるつもりは無いのに。
総司に恋人ができ、清三郎がこのまま彼に対する恋心を忘れてくれれば、彼にも清三郎を自分に振り向かせる機会が出来る。
彼は傷ついた様子を見せず、変わらない。
他の者なら彼の様子に安堵するだろう。
噂をする彼らは彼を大切に思うから、総司に関する情報を与えない。
それが彼を余計に不安にさせるだけだと思っていたが、彼が気にした様子は無い。
だから勘違いをする。
彼は平気だと。
普段、様々な表情を見せる彼が、笑顔と無表情しか見せない。
それの何処が平気だと言うのか、斎藤は教えて欲しかった。
けれど彼には、清三郎を救う言葉は持たない。
だから。ただ。
彼の傍にいた。
鈴虫が羽を震わせ、涼やかな音色を奏でる。
二人で居る、今、この空間でその音はやけに大きく感じた。
斎藤は清三郎の顔を覗えずにいた。
隣にいる清三郎は今何を思うのだろうか。傍にいる彼を煩わしく感じているだろうか。
このまま席を立ち、彼を一人にするべきなのだろうか。
清三郎は総司を尊敬して止まない。
そして、どれ程の恋情を抱いているかも、聡い斎藤はひしひしと感じていた。
想い人に想い人がいる事。
それがどれ程の痛みを伴うかなど、そんな事、己が一番よく知っている。
どんなに人を想おうとも、彼は武士だ。
彼もまた、自分だけの誠を持ち、今この場所にいる。
恋故に身を滅ぼすようなことはしないだろうが。
彼は総司の配下として、武士としてやっていけるのだろうか。
望んでいるのだろうか。
思案する斎藤を見、清三郎はくすりと笑う。
「斎藤先生。心配しないで下さい。私は武士です。志が変わる事はありません。今、ここで私は己の誠の為に生きているんですから」
総司を守り、そして死んでいける。
彼と想いが通じる事など最初から求めたりしていない。
彼に恋人がいたとしても、妻がいたとしても。
セイの一度決意した志に変わりは無い。
ただそれだけを貫いていく。
強い意志の篭るその言葉に、斎藤は彼に対する己の考えを恥じ、驚き、そしてふと微笑んだ。

月の光は二人を優しく包む。