幼い人1

啄ばむ様に、優しく、そっと触れる唇。
一瞬のような長いような、その触れ合いは、離れた後も互いの温もりが唇に甘い余韻を残す。
今も少女を抱き締める青年の腕は彼女の体を己の懐に引き寄せたまま。
それでも互いに閉じていた瞼を開くと映る、頬を紅潮させ恥ずかしそうにしながらも蕩けそうにはにかむ表情にほっと安堵するのと同時に更に愛しさが増す。
「大好きですよ…。神谷さん」
「…私もです。沖田先生」
そう囁くと、二人はもう一度、互いに身を寄せた。

…なんて初々しい時期もあったな。と思う。神谷清三郎もとい、富永セイ。女子ながらの新選組隊士。
彼女の上司である沖田総司とまさかのありえるはずのないあの野暮天(否定し過ぎ)と奇跡的にも恋仲になって幾月か経つ。
今までずっと一緒に寝食共に過ごしていて、実際恋仲になったからといって、生活や性格そのものが劇的に変わるはずも無い。
けれど今まで上司と部下だったのが、恋仲の異性と互いに意識し始めると、途端にどう接してよいのか分からなくなる。
それまで何気無く接していた距離が、互いを意識するあまり逆に今までが近すぎたのではと感じ、距離が掴めないながらも、それでもゆっくりと恋人としての距離を新たに掴み始めていた。
…頃は良かった。
セイはじゃぶじゃぶと洗濯物を洗いながら、空を仰ぐ。
本日は快晴だ。
清々しい青空が広がっており、乾いた空気がきっと干した洗濯物をあっという間に乾かしてくれるだろう。
非番の今日は洗濯をして、その後稽古をするのもよいな。普段お馬の時にしか行かないから不満気だった里乃の所で久し振りにゆっくりしてくるのもいい。
そんな事をぼんやり考えながら、洗濯を続ける。
「神谷さんっ!」
突然背後から手が伸びてきたかと思うと、ぎゅっと抱き締められた。
「ひゃあっ!?」
「んー。ふにふにっ」
気配を消して近づいてきた総司は屈んで盥の中の洗濯物洗っていたセイの脇の下から手を入れ、後ろから干したばかりの布団を抱き締めるように幸せそうにぎゅっと抱き締める。
「ちょっ!沖田先生っ!?」
そして、そのまま彼女の頬に口付けた。
「うきゃっ!」
「もー。神谷さん何処もかしこも柔らかいし、頬だって前は甘くないなって思ってたのに、恋仲になった途端どうしてこうも甘く感じるんでしょうねっ」
「知りませんっ!って言うかこんなところで、そんな事しないでくださいっ!」
慌てて唇の触れた頬を手で抑え、咎める様に総司を振り返ると、彼は少しも悪びれた様子無く、今度は振り返った彼女の唇を啄ばんだ。
「っ!」
びくりと肩を震わし、顔を真っ赤にして今度は唇に手を当てて身を引くセイに、総司は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「神谷さんったら可愛過ぎですよーっ!」
そう言うと総司はまたぎゅっとセイを抱き締めた。

そう。
まだ互いに初々しい雰囲気を保っていたあの頃が、セイにとってはとても幸せだった。
最近の総司は何処か吹っ切れたように躊躇無く触れるようになった…気がする。

例えば二人で甘味屋へ行った時。
最近出来たばかりの饅頭屋で、出来立てのふっくらとした生地の触感と、丁寧に漉しているのだろう滑らかでそれでいて甘すぎない餡が相まって何個でも食べられると、すぐさま人気の出た店で、勿論総司がそんな情報を見逃すはずがなく、二人は早速訪れていた。
生憎と大盛況過ぎて一人の持ち帰られる数が制限されたが、それでも買えるだけの饅頭を抱えて、二人は川原で座りながら食べる事にした。
風呂敷に仕舞い込んだ饅頭を一つ手に取り、一口口に入れると、セイは感激に声を上げる。
「本当に美味しいですね!沖田先生!ここのお饅頭!」
「本当ですね!近藤先生にも持って帰りましょう!」
隣でセイと同じく饅頭を口に入れた総司が嬉しそうに声を上げる。
「だったら、先生、あんまり食べないでくださいよ!持って帰る分がなくなっちゃいますからね!」
ほぼ二口で食べ終えて、次の饅頭に手を付けようとしていた総司にセイからの制止の言葉が入り、彼は慌てて己の手を中空で止めた。
「…っ!はい……頑張って我慢しますよっ!」
「……自信無さ過ぎですよ。沖田先生…。ほら、もう口から涎…」
我慢が表情からも滲み出ており、思わず口の端から零れる雫を目敏く見つけてしまったセイは溜息を吐くと、袖から手拭を取り出すと、拭ってやる。
近づく少女の顔と己の口元に触れる細く柔らかい指先に総司は赤くなりながらもセイにされるがままにしていた。
ふと、そんな彼の視線を感じ、セイが視線を上げると、総司は悪戯が浮かんだ時の子どものような無邪気な表情でこちらを見ていた。
「どうしたんですか?沖田先生?」
ふに。
セイが問い掛けると同時に触れられる胸元。
「!」
突然であまりにも驚く出来事に、セイは声が出なかった。
「前から気になってたんですけど、やっぱり神谷さん前よりおっきくなってるんですね。鎖の上から触っても分かりますもん」
「!?」
ふにふに。
「!!??」
両手で触れて、しかも軽く揉んでまでみせる総司にセイの頭は真っ白というか真っ赤だった。
「むー。晒しでただでさえ揉み甲斐が半減なのに鎖が邪魔して折角の柔らかさが更に半減です。今度二人きりになる時はこれ外しましょうね」
「ふっ!?」
呆然としていた状態から、一気に顔を真っ赤に染め、やっと声を上げたセイに総司は嬉しそうに笑う。
「いつも思ってたんですよね。抱き付かれる時も嬉しいんですけど、物足りないというか」
そう言って総司はセイから放した己の両手をまじまじと見ると、わきわきと指を動かしてみる。
「沖田先生の助平っ!」
「何言ってるんですか!乳は男の浪漫ですよ!」
「その手付き止めて下さい!」
セイは総司から距離を取るように身を引き、己の胸元を庇うように両腕を合わせると、目の前で未だわきわきと両手指を動かす総司を咎める。
「このお饅頭も大好きですけど、神谷さんのお饅頭も美味しいから大好きです!って言いたい男の浪漫が分かりませんかっ!?」
「分かりませんっ!」
「ちなみに私は乳派でも尻派でも腿派でもありません!神谷さん派だから安心してください!」
「もっと意味が分かりません!」
力説する総司にセイは悲鳴染みたツッコミを入れた。

それだけではない。
ある日は。
「神谷さーん!」
「はい」
隊士部屋でセイが布団を引いていた時に声を掛けられ、セイが振り返ると、総司が手拭を肩に掛け、にっこにっこと満面の笑みでこちらを見ていた。
何となく嫌な予感がしながらも、セイが返事をすると、総司は更に頬を紅潮させ嬉しそうに彼女を誘った。
「一緒にお風呂に行きましょ」
どよっ。
一気にその場にいた一番隊士たちの動揺が走る。
既に隊には『神谷は如身選の為別風呂』といういつの間にやら出来た掟があった。それが判明するまでも、何となく古参の隊士たちからの教えでその事は新選組の中での暗黙の了解になっていた。
その約束事を突き崩す言葉に、皆一斉に総司を注目する。
セイはと言えば、顔を真っ赤にしてぱくぱくと口を開いたり閉じたりをしている。
「どうしたんですか?いつも一緒に行ってるじゃないですか?」
どよよよ。
周囲の視線に耐え切れなくなったセイは立ち上がり、総司の前に立つと、睨みつける。
「誤解を招くような言い方をしないでください!申し訳ないと思いながらも外で見張りをして頂いているだけじゃないですか!」
セイの反論に、周囲からは安堵の息が零れた。が、次の言葉でまた一気に緊張感が走る。
「だから、それだけじゃ我慢できなくなったので、一緒に入りましょ」
爆弾投下。
一番直近で被弾したセイは既にもう意識は無かった。
周囲でセイと同じように被弾した者たちを横目に、総司は嬉しそうにいそいそとセイの荷物の入った籠から手拭と着替え(勿論下帯まで)用意すると、布団の上で倒れたセイを肩に担ぎ、その場を後にした。
どうにか被弾を逃れたものの止めていいのやら行かせていいのやら何をどう思えばいいのやら爆弾発言の余波を受けた者たちが混乱し右往左往するが答えは誰一人として出す事が出来ない。
丁度そんな一番隊士部屋を通りかかり、一部始終を聞きつけた三番隊組長が風呂場に駆けつけ、袴を脱がされたところで意識を取り戻し抵抗するセイの腰帯に総司が手を掛けたところで奪還され、その日は事なきを得た。

それから『沖田先生が壊れた』と噂が屯所中一気に広まったのは言うまでもない。
無論、セイも総司に対してまさかの身の危険を覚え始め、自然と距離を取るようになり始めた。