想う、時12

■想う、時・56■

侘びの言葉を短く告げ、総司がどう思ったのか斎藤には分からない。しかし、彼には総司に告げなければいけないことがあったので言葉を続けた。
そうでなければ、本当にフェアにこの先総司と付き合いを続けていけないと思ったからだ。それは斎藤自身の中でずっと罪悪感として残り続け劣等感を抱き続けなければならないのも嫌だったという事もあった。
「昨日、副長が神谷の事を知っていて不思議に思っただろう」
その問いに対して総司は顔色一つ変えず、無表情のまま問い返す。斎藤に求められているから問いかけるという風に。
「斎藤さんが話したんですか?」
「そうだな」
「私には何も教えてくれなかったくせに」
「そうさな。俺はあんたに対して何度も辛辣な言葉を浴びせては断った」
「本当に容赦無かったですよね」
「しかしな。流石に副長には同じ事を言う事が出来なかった……副長が記憶を取り戻した頃を覚えているか?あんたは」
「はぁ」
記憶が曖昧なのか、思い出したとしても斎藤が拘るような出来事はなかったのか、総司は曖昧に返事を返す。
しかし、斎藤にとっては忘れられない。
総司に紹介され、その後二人で会いたいと打診を取ってきた土方の様子を。
「あの人の最後を聞いた事はあるか?史実の最後はあんたでも知っているだろう。……あの人の体を神谷が担いだそうだ」
小さなカフェで向かい合って座り、暫く黙っていたまま、何を語る為に呼び出されたのか分からなかった斎藤が気詰まりに限界を感じた頃、土方はぽつりぽつりと己の最後の瞬間を語り始めた。
衝撃が体を貫いた瞬間、視界に入った青空。
体内から急激に流れ出る血液と共に消えていく思考。
睡魔にも似た痺れがゆっくりと土方を彼方へと誘う。
瞼の裏には、既に会わなくなって久しい、嘗ての旧友が笑顔で彼を迎えてくれる。
彼はただ静かに身を任せていた。
そんな彼に触れる温かく柔らかな温もり。彼方へ誘われる彼を、現にもう少しだけと繋ぎ止めた。
大切な弟分のかけがえの無いたった一人の存在。
弟分の大切な存在だったから、だからこそ守りたかった。
彼だけは。
どうか彼だけは生き延びて欲しい。
武士として彼自身がその望みに反発する事は分かっていても。
彼に、死は似合わない。
彼にだけはどうか、生きて、生き抜いて欲しかった。
それは、きっと、――新選組にとってかけがえのない存在だったから。
彼が生き残ってくれるだけで、自分が倒れても、新選組が生き続ける。そんな気さえした。
だからこそ――。
斎藤は土方が苦しげに語る姿を思い出し、暫し総司に語る言葉を失って瞑目する。
土方は頻りに、『総司が』、『新選組が』、と語っていたが、そこは生まれ変わっても素直になれない性分なのは変わらないらしい。
確かに誰もが、あの怒涛に押し寄せる時代の変化という激流の中でセイに、あの命の輝きそのもののような強さに救われていたのは確かだ。
しかし、誰もよりも救われていたのは、土方自身なのだ。その事を気付いていながら生まれ変わっても尚、自分自身の心に見て見ぬふりをしようとする彼に、斎藤は不憫に感じていた。
「視界が薄れていく中で、息も出来なくなり、帰れと逃げろという事も出来出来ず、ただ神谷の背の上で体力だけは無くなっていく……。毎夜悪夢を見るんだそうだ。副長は神谷がその後も生き抜いていたのを知らなかったからな。己を担いだ小柄な隊士は共に討たれてしまったのか。自分を置いて立ち去れない為に易々と死なせてしまったのか。それとも己の遺骸を置いた後自刃したのか。――あの時声が出れば。どうか一言伝えれられれば。体が動き先を示す事が出来れば。何度も何度も最後の瞬間を思い出しては、何も出来ない自分を悔やみ、嫌悪し、時には悪夢のように魘されては飛び起きて、嘔吐を繰り返していたそうだ」
「――そんな事、一言も」
初めて無表情だった総司の表情が揺らぐ。
土方が過去を思い出した当初混乱していた様子はよく目にし、時には二つの記憶を持つ葛藤で八つ当たりをされていたりはしたが、斎藤に見せたような表情など総司には一度も見せた事は無かった。
「言えんだろうな。アンタの大切にしていた弟分を自分のせいで死なせてしまったかもしれないとはな。その背で最後を迎えたとはな」
「……そう。そうですね」
今も昔も変わらず、優しい人だから。
「後悔の念に今にも押し潰されそうになっていたあの人の姿を見ていたら、――何も語らない。という事はできなかった」
「私の方が危機感無かったという訳ですか」
何処か拗ねた口調で呟く総司だが、そこには少し怒りの棘が抜けた様子が伺えた。
しかし、それでも彼に許されたと思って甘えてはならない。
「――すまん」
斎藤は短く、再度深い侘びを伝えた。

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■想う、時・57■

準備体操も終わり、門下生が一人、また一人と防具を身につけ終わった者から順に、今度は竹刀を打ち込む練習を始める。
そんな様子を道場の外からセイはひょいと覗き込んだ。
それに総司が気付くと、すたすたと彼女の元へ近付く。
先程までの土方と斎藤に対する不機嫌の空気が一気に霧散し、何処か浮かれた足取りと浮き上がった空気に、土方と斎藤は二人ともほっと胸を撫で下ろした。
道場と地面とで段差がある為、セイの視線に合わせる様に屈んだ総司は、笑みを浮かべ問いかける。
「出かけるんですか?」
「はい。母屋で稽古を終わられるのを待つのも時間を持て余してしまいますので、ちょっとぶらりと色んな所行ってみようかと」
「一人で?」
「はい。他に一緒に行く人、誰もいないですし?」
「……私もっ!」
「沖田さん。まさか人を誘っておいて、自分はさぼる訳じゃないだろうな」
「一緒に行きます」と、言い出そうとした言葉を容赦無く後ろから斉藤が切った。恨めしそうに総司が振り返るが、斎藤はそんな視線で怯むことは無い。
さっきの侘びは侘び。今の件とは全く別物だ。
「沖田先生…・来るならきちんと稽古をされてから来てください。折角皆さん先生に稽古をつけて貰いたくて来てるんですから」
「行ってもいいんですか!?」
「え?」
「だから、稽古が終わったら一緒に行ってもいいんですか!?」
「は、はい。…?」
嗜めたと思ったらまさかの別の言葉に反応されたセイは思わず仰け反って答える。
「じゃあ、神谷さんの電話番号教えてください!終わったら神谷さんのいるところまで行きますから!」
「え?え?」
「ほら、電話番号!えーと、メモ、メモありませんかね?」
自分の手元に何も筆記用具の無い総司は、セイに自分の鞄から取り出すように促す。それに従うようにセイも鞄を漁るがすぐには出てこない。
「今、言って貰って私が忘れずにいられたらいいんですけど、忘れないような番号ですかね!」
「先生!それは無理だと思います。…んーと、じゃあ、先生の携帯の番号教えてください。それに着信入れておきますから」
「わかりました。…ちなみに神谷さん、生まれ変わってから京都は初めてですか?」
総司は携帯番号を伝え、セイが着信を鳴らすのを確認してから、彼はそういえばと問いかけた。
「…いいえ?修学旅行で一度来てはいるんですけど、その時は皆で行動しているから本当に有名所何件かで、それこそ新選組に関わる場所を周るなんて頭にも無かったし。昨日初めて何件か周ったくらいで…」
「じゃあ、私案内しますね!神谷さん生まれ変わっても甘い物好きですか!?」
「…はい」
「じゃあ、オススメの店があるんです!後で一緒に行きましょうね!」
嬉しそうに笑って言う総司に、セイは思わず噴出してしまった。
「沖田先生、今も昔も変わらず甘味好きなんですねぇ」
「今は美味しい物が一杯増えて食べ歩きするのも大変ですよ」
笑う総司に、セイもつられて笑みを浮かべる。
「沖田先生!そろそろ稽古をお願いしてもよろしいでしょうか?」
二人の会話の様子を伺いながら、一人の少女が総司の背後から声をかけた。
「あ、はい。すみません。今行きます!それじゃ、神谷さん、後で電話しますからね!絶対一緒に行きましょうね!」
口早にそう言うと、総司は腰を上げ、指導に戻っていく。
何処か申し訳なさそうにセイを振り返った少女はぺこりと頭を下げて、そして総司の隣に足早に歩いていった。

「……」

ちくり。
小さな痛みに、セイは自分の胸に手を当て、そして首を振ると、道場から離れた。

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■想う、時・58■

沢山の秘め事はあるし、一つでも暴かれてしまうとすぐに今と同じ時は二度と得る事は出来ない。
それでも、ただ、沖田先生だけを真っ直ぐ見つめて、傍にいられた。
「沖田先生!今日は何処の甘味屋に行きますか!?」
「そうですねぇ。昨日は南に下りましたからねぇ。今日は北に上って新しい店を開拓しましょう!」
沖田先生が笑ってくれると、私もつられて笑顔になった。
ずっと傍に。
当たり前のように傍にいられる幸せ。

セイは空を見上げる。
きゅっとジャケットの襟を正した。
浮かぶ光景に首を横に振るが、静かにじわじわとセイを責め立てる鈍い痛み。
「…いいなぁ…」
無意識に吐かれた言葉に、自分に自分で動揺した。
道を歩いているはずなのに、意識はそこに無い。
目に映っているのは、先程焼きついた総司と、彼に声をかけてきた門下生の少女。
見ていれば、彼女が総司を慕い、彼が彼女を気に入っている事はすぐに分かった。そして、少女が総司に特別な感情を抱いている事も。
暫し道場の前で二人の様子を見つめていたセイは、自分で留まっていたくせに、それ以上二人の仲睦まじい姿を見ていられなくて離れた。
笑顔で言葉を交し合う。時に厳しく、時に優しく指導されている少女の姿は、――過去の自分に重なって。
総司に未だ出会って二日目でしかないのに、自分の居場所を彼女に取られた気がした。
想いが届く事はなかったとしても、大好きな人を一途に想い続け、傍にいられる幸せ。
それを、セイはずっと昔から知っている。
「でも、それなら、私だって……っ」
指で自分の唇に触れ、そして、頬が熱くなるのに動揺した。
『……神谷さん…好きです……』
耳に今も響く、今まで聞いた事の無い声色で囁かれた、総司からの告白。
一瞬触れた唇は、瞬いた瞬間重なった瞳は、――確かに総司からキスをされた事を、セイに教えていた。
「なっ、何であんな事、先生っ、私にしたんだろっ」
生まれ変わって記憶を取り戻して、まさかの思い出してから初めての旅行で総司と再会し、当たり前のように彼と一緒にいた土方に試合を求められ、近藤に泊まっていけと言われ、そして何故かその日の夜に総司にキスをされて、次々に起こる出来事に頭の中が整理できず、思考だけがぐちゃぐちゃになり上がる熱を冷ませる場所を探して道場の屋根に上り、殆ど眠る事も無く朝を迎えた。
まさか皆の前で夜の出来事を総司に問い質す事も出来ず、どう接していいのかも分からないまま、取り敢えず近藤と土方の前では動揺を顔に出さないようにしたまま、稽古が終わったらもう一度話そうと思っていたら、今度は斎藤が現れ、あれよあれよという間に朝稽古の時間が終わり、門下生交えた朝稽古にまさか全くの関係無い人間が混ざれるはずも無く、だからといって母屋で稽古が終わるまで悶々しているのも耐えられなくて、半分逃げるように家を出てきた。
だから総司の真意は今も分からないまま。
『好きです』
何故、あんな事を突然言うのだろうか。
まだ出会って二日目だと言うのに。
それは彼にとって過去の、『富永セイ』への告白なのか。だとしたら己の想いのけじめをつける為に、囁いたのか。彼も想いを昇華させる為に口付けたのか。
「過去世でずっと傍にいたからと言って、今も傍にいられるとは限らない」
中村と今も友人としての近い距離で一緒にいられるのは、研究ゼミが一緒だからというだけではない。思い出すまで今の彼との積み重ねた時間があるからだ。
それが、出会ったばかりの総司たちと出来るかといったら、実際は難しい。昨日少しだけ話を聞いたとはいえ、共に共有した時間は圧倒的に少ないのだ。
では、いつなら?と言われたら、それは分からない。だからと言って、過去に近しい関係だからと言って、現世でも同じ距離感を持って傍にいられるかと言ったら、それは別だった。
そうは思ってはいたし、出会ってみて、やはり。とは思った。
だからこそ、総司の行動が分からない。
あれ程の野暮天だった人が、出会ったその日に、まさか自分に恋に落ちるはずがない。
もし過去の記憶が無かったとしても、彼は同じ事を言ってくれたのだろうか。
そしてもう一つ、現実を思い出す。彼はセイよりずっと年上だ。
彼だってきっと、自分より数年長く今を生きて、――好きな人の一人や二人できているはずだ。それに彼の年齢を考えれば、きっと結婚だって。何も聞かなかったけれど、もしかしたら既にしているのかも知れない。
あの少女だけじゃなくて、もっと近しい距離の女性が。
そう思ったら、セイの胸を突く痛みはより強くなり始めた。
「…何で、だろ……いたい……」
会いたい。とは、思った。
もう一度、再会できたら、と、願った。
けれど、もう一度好きになるかは、分からなかった。
ただ、彼に会えば変わる気がして――。

触れる掌の温もり。
背を包み込む全身から伝わる熱。
頬に触れる指先。
熱を帯びた眼差し。
胸が、熱くて、痛い――。
それは、どちらの私へのものですか。

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■想う、時・59■

いつの間にか四条大橋まで歩いてきていたセイは、直ぐ真下を流れる鴨川を眺めていた。
あの頃と変わらない川。けれど変わった周りの景色。手を付くとあの頃と全く材質の違う欄干。
小さく溜息を吐くと、静かに目を閉じた。
そこここに沖田総司と神谷清三郎が息衝いていて、一歩歩くごとに、過去と現在が交差し、今自分がどちらを生きているのか分からなくなる錯覚を覚える。
昨日までの懐かしむとは違う。自分の足元を見れば一瞬袴とその裾から覗く下駄が見える。小路を見上げればアスファルトで覆われているはずの道路がまだ整備もされていない土の道と視界が重なる。
確かに最近眠りは浅くなっていたし、今日も大して眠っていなかったが、それにしても違和感無く自然に入り込んでくる白昼夢に、眩暈がして、欄干に顔を伏せた。
とてもじゃないが、重なる景色に踏み出す一歩一歩の距離感も取れず、これ以上歩くのに危険を感じ、何も見たくなかった。
それは総司に出会ったせいだろうか。
それとも竹刀を振るう事で過去の自分を体に呼び起こしたせいか。
割り切っているはずの過去が、容赦無くセイの感情を震わし、波となって押し寄せてきていた。
「…沖田先生……」
もう一度、そっと指で唇に触れた。
自分から恋愛感情を抱こうとすれば。
友人の触れ合いから男女の触れ合いに変われば。
心の奥底から湧き上がるのは、いつも殺意。
嫌悪も焦燥もなく、息をするように自然にまず湧き上がる衝動。
もう幾年も、それよりももっと長く、それが揺らぐ事は無かった。
それなのに。
どうして。沖田先生だけは何も反応しないのか。
そう自問した瞬間、セイはすぐに答えにたどり着いた。
沖田先生が、私に対しては何の異性としての感情を抱いていないから。
きっと、キスされたのだって、――そういう対象として見られていないからなのだ。
一人浮かれて、一人動揺して、過去も今も変わらない。
あの時と一緒。過去の生で幾度かだけ触れ合わせた唇。けれどあの時も沖田先生が私に恋愛感情を抱いていた訳ではなかったから。
分かった瞬間、痛んだ胸の中にぽっかり穴が開いてその闇の中にこころがぽろりと落ちていく気がした。
「……何で…だろ…」
セイはぽつりと呟く。

神谷清三郎が、セイの中で笑ってこちらを見ている。
彼女の隣にはいつの間にか総司が立っていて、彼女を見つめ、笑顔を向けていた。
大切な思い出。
しかし、清三郎の姿は、先程総司に声をかけていた少女の姿に変わり、――それでも変わらず総司は彼女に笑顔を見せていた。

「今の富永セイは、沖田先生のこと、何も思ってないはずなのに……」
こんなに苦しいのは、過去の自分が悲しんでいるだけなのだ。
総司がどんな生を生きてきたかは分からない。新しい生でまたセイを必要としないかも知れない。
『生まれてきてありがとう』
そうは言ってくれたけれど、――嬉しいと思ったのは、どちらのセイ?

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■想う、時・60■

「神谷…。今まで何処にいたんだっ!」
「お久し振りです兄上」
時代が変わり、既に戦争も終結をして新しい政府が日本という一つの国を動かすようになって数年。
新しい役職を得た斎藤はその日も街の治安を守る為巡察を行っていた。
あの頃と同じ、けれどあの頃と違う武器を携え、未だ情勢が安定したとは言い切れない街の中を数人の部下と共に歩いていた。
その場で部下と別れ、小さな路地に入ると、斎藤は突然現れた小さな武士を見つめた。
黒のジャケットに黒のパンツ。相変わらずの男装に、廃刀令が発布されてから随分経つのに彼女の腰には今も二本が差されている。
斎藤がセイを女子だと知っている事は未だセイ自身は知らない。だからその事には触れられなかった。
ただ彼女は、――伴侶を得て子を育て家を守るという、女子としての幸せを選ばなかったのだという事だけは判断できた。
袴ではなくなった事によりベルトに固定されている彼女の二本差しがかしゃんと鳴る。
「…それは、沖田さんの刀か…」
「兄上にはやっぱり分かっちゃうんですね」
「しかし…」
「申し訳ありません。この刀は見逃してくれませんか?」
「そうもいかないだろう…」
「…私を異人扱いしてくださって構いませんので」
「まさか、神谷…」
そう呟いて、斎藤はここから数キロ先にある海を見据え、そしてもう一度彼女を振り返った。
セイは何も言わず、ただ静かに微笑んだ。
斎藤はそんな表情をするようになったのだ。と、彼女の生きてきた数年を想い、そして僅かな違和感を共に抱きながら、感じた。
そこには全てを悟り、そして何処か全てを受け入れたような、おだやかな表情だった。
――彼女が、己の終焉の地として戻ってきたのだ、と気付いたのは、全てが終わった後の話。

「…すまなかったな。総司」
稽古が終わった後、土方は手早く着替えを済ませ道場を出ようとする総司の背中に向けて、そんな一言をかけた。
けれど一言だけ。
それ以上彼は、彼の中にずっと燻り続けていた葛藤を語ることも無く、ただ目を伏せ、総司がずっと知りたがっていた真実の一部を語らずにいなかった事を侘びた。
「――神谷さんに会えたから、もういいですよ」
振り返った総司は一言だけ、そう答えた。
言いたい事はある。
己の中で不信感や猜疑心といった生まれてしまった黒い感情はどうしようもない。それをぶつけてしまう事は簡単に出来る。けれど、斎藤に聞かされた土方の苦悩を思えば詰め寄る事はできない。それこそ自分の中で抱く自分勝手な感情をぶつけるだけなのだと、その程度の道理を通す理性を保つことができるほどには、己の律する事ができた。
彼女を求めていたのは、自分だけではなかった――。
それは何故か悔しくて、苦しかった。
だから、一秒でも一分で早く、長く、誰よりも彼女の傍にいたかった。
彼女に出会えたから、もう、彼女が傍にいてくれれば、それだけでいい。
稽古中に斎藤からやっと聞けた、セイの過去の一部。
それは彼女が懸命に生き抜いてくれた証拠。
ずっと求めていたはずなのに、本人が目の前に現れてくれたら、もうどうでも良くなっていた事に気付いて、総司は自分で自分の感情に驚いた。
過去の彼女を辿っていたのは、今の彼女を見つける為。それは言い訳だ。ただ、誰よりも彼女を知りたいと思っていたのだ。と自分でも思っていた。斎藤に咎められたように。
しかし、違った。斎藤に答えたように。
本当に、今の彼女に出会えれば、その他の事はどうでも良くなっていた。
彼女の過去を求めたのは、単に、総司がセイに会えない己の感情を慰めるためだけに必要としていただけだったのだ。
もう、セイと再び出会えた。
後は、ただ繋がった糸を太くしていく事。それは今の自分が為すべき事。
だからもう、過去はいいのだ。
セイと今を生きる――。
総司は、駆けた。