想いのかたち

 その日は朝から甘い香りが総司の鼻腔を擽っていた。
 厨から漂う香り。朝餉の匂いとは違う、甘いものを煮詰めた香り。
 しかしその正体は、配膳された朝餉の中には無かった。
 てっきり朝出されるかと思ったのに。
 気のせいだろうか。そう首を傾げてみるものの、総司の鼻には朝の目覚めに誘われた甘い香りの余韻が残っている。
 ふと、隣に座るセイから、ふわりと甘い香りが香ってきた。
「神谷さん、何か甘いもの食べました?」
「えっ!?」
 思い切り総司に振り向くと、驚いたように目を見開き、そしてぶんぶんと首を横に振った。
「いえいえいえいえいえいえ!私、何も食べてませんよっ!?」
 誰が見ても怪しいくらいに首を横に振る。寧ろその挙動不審さが、衆目を集めた。
 それまで無関心だった者たちも、何だ何だと、総司とセイのやり取りに注目する。
「う…うぅ…」
 尋ねた当の本人の総司も怪し過ぎる、というか逆に怪しまざるを得ないセイの行動に、驚きと共に、じとと見つめた。
「神谷さん?」
 隠し事を出来ない自分の性格が憎いとセイはいつも思う。そして総司は一度気になったら分かるまでとことん問い詰める。
 仕方無し。とセイは膝立ちすると、総司にそっと耳打ちした。
「後でお渡ししたいものがあるので、お時間ください」
 それだけを言うと、恥しくなったのか、セイは勢いよく立ち上がり、逃げるように膳を抱えるとその場を離れた。
 何なんだ。結局いつものお神酒徳利の仲良すぎるやりとりか。と見ていた者はまた視線を落とし、食事を再開した。

「沖田先生鋭すぎるんだよー!何で匂いでわかるのっ!?」
 厨に膳を下げにきたセイはそのまま土間に下りると、まだ熱を持ったままの鍋を見つめ、動揺を吐き出すように叫んだ。
 一息に思いの丈を叫ぶと、鍋の蓋をそっと開く。
 そこには朝から丹念に煮詰め、作った練りきりが入っている。そしてその横には小さな皿に、綺麗に形を整えた練りきり。
「…いいんだよ。別に深い意味は無いんだよ。ただ沖田先生にいつもお世話になってるお礼にって作ったんだから。そう、それにいつも強請られておはぎだって善哉だって作ってるじゃない。それと一緒。それと一緒」
「何が一緒なんですか?」
 自分を納得させるように呟くセイの後ろから総司が彼女の手元を覗き込んだ。
「ぎゃぁぁぁっ!!」
「ぎゃぁぁって…酷いなぁ。人を化け物みたいに。貴方が渡したいものがあるって言うから来たんじゃないですか」
「後で時間くださいって言ったじゃないですかっ!付いてきてくださいなんて言ってません!」
「今更畏まらなくたって、どうせ後でまた会うなら今一緒に来ても同じでしょ?」
 セイは慌てて後ろ手に、練りきりの入った皿を彼の視線から隠そうとするが、時既に遅し。ひょいと取られてしまう。
「あーっ!」
「わぁ。綺麗ですねぇ。これ。桜ですか?」
 皿の上には桃色の練りきりを丁寧に小さな桜の形に模したもの。それが二つちょこんと乗せられていた。
 手先の器用なセイならではの作品で、彼女が懸命に作っていた姿を思い浮かべると頬が緩んでしまう。
「朝から甘い匂いがしていたと思っていたら、ずっとこれを作っていたんですか?」
「……はい」
 セイは恥しそうに俯くと、搾り出すように肯定の言葉だけを返す。
「どうしてそんなに恥しそうなんですか?」
 そう問うと、彼女はばっと顔を上げ、総司の目を見つめ、戸惑うように、探るように、驚くように、複雑な表情を見せ、それから何故かほっとしたように笑みを零した。
「何でも無いです。沖田先生の為に頑張って作ったんです。食べてみてください」
 先程までの動揺は何処へやら、穏やかな笑みを浮かべるセイを少し不思議に思いながらも、総司はじっと掌の中の皿を見つめる。
 綺麗に桃色の練りきりを花弁の形に切り取り、中央を少し凹ませ、そこから外に向かって放射線のような筋を入れる事でより実際の桜の花の様子に近づけていた。
 朝から馴染んだ甘い香りが、可愛らしい桃色の桜からほわりと鼻を擽る。
 香りから十分のそれを口にふくんだ時の甘さが容易に想像できて、喉を鳴らした。
「何だか勿体無いですねぇ。折角綺麗にできたのに」
「お菓子なんですから、食べない方が勿体無いです」
「でもねぇ。何だかねぇ…」
 白い皿の上にちょこんと乗っている愛らしい桜の花。
 上品な形過ぎず、可愛らし過ぎず、それでいて、手で捏ねられ思いを込めて、丁寧に作られたのがその形を見れば分かる。
「何だか、神谷さんを食べちゃうみたいで勿体無いです」
「!」
 今度こそ、セイは真っ赤になった。
 沖田先生は知らないはず。
 いつもの野暮天のタラシが出現しただけのはず。
 本当の意味は分かっていないはずなのに…何でそんな事が言えちゃうのっ!?
 ぐるぐる思考する彼女の前で、総司はゆっくりと桜の形の練りきりを一つ手に取り、口に入れた。
 ゆっくりと味わうように、静かに目を閉じ、噛み締める事に集中する。
 総司好みの甘さに練られた餡、触れたところから溶けていくように舐めらかに裏漉しされ、それは舌の上でゆっくりと形が崩れ、喉を伝っていく。
 そんなあっという間のような、長いような一瞬、夢心地のまま目を開くと、セイが不安そうにこちらを見つめていた。
 勿論、彼女にかける言葉は一つである。
「美味しいですよ。神谷さん」
 そう囁くと同時に、今度は喜びにまた頬を紅潮させるセイが可愛らしく目を細めて見つめる。
 これを自分に食べさせたくて朝から作っていたのかと思うと心がくすぐったい。
「そんなに改まらなくてもいつだって神谷さんの作ったものなら食べたのに」
「っ!…だからどうして先生ってばそういう……」
「?」
「…何でも無いです。その、普段のお礼にと思って、偶にはちゃんときちんとした形で何かできないかなと思って…朝から厨借りて作ったんです」
「お礼なんて、私何もしてないですよ?」
 そう総司が首を傾げると、セイは顔を上げ、反論する。
「いえ!いつも先生にお世話になってばっかりです!巡察の時だって、普段の時だって!私少しも何も返せなくって!」
「お。神谷はん。出来たみたいやねぇ」
 セイが懸命に説明している途中、朝餉の膳を片付けていた小者の一人が、総司の手の中にある、一つ残った桜の練りきりを見て声をかけた。
 それまで熱い口調で反論していたセイは一瞬にして凍りついたようにぴきりと塊り、声をかけた小者を見る。総司もつられて振り返った。
「朝から神谷はん、沖田センセに食べてもらうんや!って張り切って厨で作ってはったんやで。女子みたいかも知れないけど、沖田センセに日頃のお礼をしたいからって」
 凍り付いていたセイがそわそわと総司の横で彼には見えないように小者に向かって手を振る。
 それ以上言うなと言う様に頻りに手を振るが、小者はその意味に全く気付かず、総司に「女子みたいなんですか?」という問いに笑って答えた。
「沖田センセ知らんの?最近女子の中で流行らしいですよ?自分の一番好きな花の形の菓子を意中の相手に食べてもらうって」
「……」
「女子にしてみれば自分の気に入りを好いた男にも食べさせて共有したい、みたいらしいですけど、男からしてみれば花がその女子そのもので自分を食べて欲しいみたいな意味に見えていやらしいなぁなんて話してたんですよ」
 そう言って小者は下品に笑う。
「……」
「おや。神谷はん。いなくなりましたな」
 小者の視線に倣い、総司もセイを振り返ると、練りきりの入った鍋だけを残して、彼女はその場から消えていた。

「ばかっ!ばかっ!ばかっ!何であの人先生にばらすのっ!あんな事言ったら流石にばれるじゃないっ!もう!!どんな顔してこれから会えばいいのか分かんないじゃない!」
 花の形をあしらった菓子を女子から渡される意味を知らされる総司がどんな風に思うか怖くなって、セイは厨から逃げ出し、だからと言って思いつく逃げ場も無く、いつものように泣き虫の木と命名された大きな木によじ登り、適当な枝を見繕うと膝を抱えるようにして座り込んでいた。
 練りきりを口に入れた瞬間まで、総司は意味を知らなかったはずだ。
 セイ自身、自分の気持ちに気付いて欲しくて作ったわけじゃない。小者が言っていた男たちが勝手に憶測する下世話な話の気持ちなんてこれっぽっちもない。
 否定して、否定する内容を思い浮かべたら恥しくなって、セイは顔を伏せた。
 自分を花に例えて――食べてもらいたい。そんな気持ちは少しも無かったのだ。
 ただ自分の恋心が、そんな形で彼の中に溶けていくなら、少し満たされるような気がしたのだ。例え彼がその意味に気付かなくても。
 世の女子たちはその菓子を渡すと共に想い人に己の気持ちを伝えているらしいが、セイにはそんな事は出来ないし、しようとも思っていない。
 そうやって想いを告げずに渡す事で、己の気持ちを少しだけでも消化させる、そんな風に渡す女子もいるんじゃないかと思った。
 お礼の気持ちは本当。恋心も本当。
 けれどそれは絶対に総司には知られてはいけない。はずだった。
「知らないままでよかったのに…」
 総司は気付いただろうか。恋心故の菓子を。
 頻りに何度もお礼だと伝えたから、あの野暮天の事だ、きっとお礼の意味だけで、女子としてなんて気持ちは少しも無いと思ってくれているかもしれない。
「うぅ……」
 変なところで勘がいい総司だ。もし、気づいていたら、今度こそ、絶対セイを拒絶する。
 女子の心で総司の傍にいた自分を嘲り、すぐさま隊を追い出されるに違いない。
「ばかぁ…何で渡しちゃったんだろう」
 小者のせいにばかりしていたけど、元々作らなければよかったのだ。
 それを町を歩いている時に菓子を大事そうに抱えて、想い人に渡している女子の姿を見ていたら、つい自分も渡したくなってしまったのだ。
「神谷さん。いつになったら下に下りてきてくれるんですか」
「わぁっ!」
 またもや、いつの間にかセイのすぐ下まで迫っていた総司に、彼女は思わず身を引くが、すぐ幹にぶつかり、それ以上彼から身を引く事が出来なかった。
「あれは何でも無いんです!ただのお礼ですから!深い意味は何も無いんです!」
 さっきまで伝えた事をもう一度大声でセイが喚くと、総司は困ったように眉を下げた。
「そうなんですか…」
「そうです!そうなんです!だって私武士ですから!女子がそうやって男の人に菓子を上げるっていうのを聞いて、菓子好きの先生にそうやって日頃のお礼を込めて差し上げるのもいいかなって思っただけなんです!深い意味なんてある訳ないじゃないですか!」
「……そう…ですか…」
 必死で取り繕うセイは、総司の声色が悲しげに低くなっている事には気付かなかった。
「そうなんです!」
 これだけ言えば、きっと総司も日頃のお礼なのだと思ってくれるだろう。と念押しに答え、逃げ出してから初めて視線を合わせると、総司も彼女を見上げ、にこりと微笑んだ。
「分かりました。神谷さんにとってはお礼なんですね」
「はい!」
 信じてくれた!
 そう喜ぶと同時に、何処か総司の声質が硬くなっている気がするのは気のせいだろうと、セイは彼に笑顔を返した。
「ありがとうございます。神谷さん。大好きですよ」
「…っ!ドウイタシマシテ…」
「ふふっ」
 何処か不敵に笑う総司に、ぞくりと何故か背筋が寒くなり、セイは身震いをする。
「ところで、…っしょっと」
 総司はにこにこと笑みを浮かべながらセイの座る枝と同じ枝に辿り着き、彼女の隣に座る。
 逃げる必要は無いのに、何故か追い詰められた気のするセイは彼と距離を置くように少し身を離して対峙する。
「私にくれた桜の菓子の横に同じように小さな皿に乗せられた若葉の練りきりを見つけたんですけど、あれは誰へのですか?」
 総司への言い訳で一杯一杯になっていたセイは一瞬何を問われているか分からなかったが、すぐに、ああ。そちらも見つけたのか。と己の作ったもう一つの作品を思い出した。
「へ?あ!それは斎藤せ…っ」
「へぇ」
 名前を言い切るよりも先に、総司が彼女の声を打ち消すように声高に相槌を打つ。
 それと同時に彼の空気が何処と無く澱み始め、セイは何故機嫌が悪くなるのか不思議に思いながら、怯える。
「あちらも美味しそうだったので私間違って食べちゃいました。だって誰のって書いてなかったんですもん」
「えぇぇっ!?あれだって頑張って作ったのに!」
「頑張ったんですかぁ。ごめんなさい」
 セイが非難すると、総司は悪びれもせず、澱んだ気配を濃くさせて微笑んだ。
「……いえ。謝って頂ければ……私も…書いてなかった…のが…悪い…ですし…・?」
 総司の気配に完全に怯み、声も出すのもやっとの状態で、セイが答えると、彼は満足気に口の端を上げた。
「いえ。私も悪かったですから、これから一杯どうですか?奢りますよ?お詫びと、お菓子のお礼を兼ねて。どうですか?」
「……」
 何故だろう。折角の総司からの誘いなのに。
「神谷さん?」
 応えちゃいけない気がする。
「その前に…斎藤せ……」
「神谷さん」
 応えちゃいけない感覚と、斎藤に作った物を食べられてしまったのならもう一度作り直さなくてはという思いに、こくりと息を飲んでから、セイは返答すると、また総司に斎藤の名を呼ぶ前に遮られた。
 そうして暫し見詰め合うと、それまで不穏な気配を漂わせ続ける総司は彼女の肯定の言葉だけを待つ。
「……はい」
 何故こんなにも息苦しくなるのだろうか。
 理由も分からず、息も途切れ途切れにセイは応えると、総司の暗雲漂う気配は一瞬にして払拭し、いつものように爽やかでそれでいていつも以上に優しい笑みを彼女に向けた。
「私は神谷さんに一杯貰って幸せな気持ちにさせてもらいましたから、神谷さんにも幸せになってもらえるように一生懸命尽しますね!」
「そっ、そんな!私大したことしてませんっ!ほんの気持ちばかりで!」
 今までに見たことの無い柔らかな甘い笑みを浮かべる総司に頬を染めながら、セイは頻りに手を振るが、総司は少しも揺るがず、にこにこと微笑む。
「取り敢えず、何処か二人っきりになれる所に行きましょうか?…それとも」
 ふわり。
「こちらの桜も食べちゃいましょうか?」
 一瞬触れた唇に、セイの思考は真っ白になった。
「!?」
「神谷さんも野暮天ですねぇ」

 ――くすくす笑う総司の隣に、己の作った桜の花弁よりも桃色に染まった桜の精。

2014.02.14