ことはな白

この花を私はいつまで愛でる事ができるのでしょう。
ただ。
そっと。 そっと。
穏やかに流れる時の中で、花はいつまで私を見つめ続けてくれるのでしょう。
ただ。
大切な。大切な。
一輪の花。

柔らかな日差しが差し込む、陽の光が入り過ぎず、それでいて湿気を溜める事無く、常に全身を透くように風が抜ける一室。
それが病に罹った私に当てられた小さな部屋。
近藤先生や、土方さん、皆さんの思いやりがそのまま形になったような居心地の良さを感じさせる。
いつまでも肺を潰す様な咳と微熱を伴う私の傍にいて、毎日甲斐甲斐しく身の回りの世話をしてくれる神谷さん。
武士のまま私専属の医師として傍にいてくれる事になった。
向けられる深い情愛と、柔らかな優しさに、病に負けそうになる私は幾度と無く救い上げられる。
彼女の手が触れる度に、彼女の中の太陽のように眩しく力強い気が私の中に流れ込んできて、すぐにでも刀を振るえそうな気になるのだから不思議なものだ。
私にとって既にあの人は誰よりもかけがえの無い人。
だからこそ。
そう。だからこそ幾度彼女を手放そうとした事か。今度こそ最後だ。今度こそ最後だ。と思いつつもいつも傍に置き続け、病を知った時、本当に手放さなくてはならない時期が来たのだ。そう悟った。
いつも守る必要は無いと言われてきてはいたが、それでも私が健康な内は何があっても守るつもりでいた。
私が療養する為に隊を離れる以上、そんな事は到底できない。
彼女に本当に万が一の事が起こらない為に。
手放すのだ。――密かに募り続けていたこの想いと共に。
虚無感と失望感を見ないふりをして、彼女にしてあげられる最後の言葉をかけた時、彼女はそんな私の言葉を一蹴した。
彼女の強い瞳に、力強い言葉に、真っ直ぐな意思に、私の本心を隠したままの弱々しい願いなど届くはずも無く、彼女は今も私の傍にいる。
嬉しくて――これほど悲しい事があるだろうか。
「沖田先生。今日は旬のお野菜が手に入ったんですよ。昼餉にお出ししますので食べてくださいね」
軽い足取りで部屋に入ってくるセイに、何事だろうと思った総司は、彼女の言い出した台詞に吹いてしまった。
「態々そんな事言いに来たんですか」
「そんな事って何ですか!折角ご近所さんから頂いたんですよ!そんな事言うなら上げませんよ!」
ぷうっと膨れるセイに総司はまぁまぁと宥めた。
「もう少ししたら昼餉ですから、それまで一眠りしていてください」
不満顔のまま、それでも優しく微笑むと、セイはまた忙しく部屋を出て行ってしまった。
ぱたぱたと走り去る後姿。
――すっかり女子の姿になったなぁ。と思う。
時折、刀を握れない総司に気を遣いながら隠れて鍛錬をしているらしい。しかし、隊で毎日鍛錬している頃とは格段に量も質も落ちた分だけ、彼女の体から筋肉は落ち、彼女自身が本来持つ丸みを帯びた体の線と、柔らかさが戻り始めていた。
何かの拍子に触れる指は柔らかく、体に回る腕はとても細く温かい。
触れられる度に泣きそうになるくらい彼女のその女子らしい体に癒されている自分がいるのを身に染みて感じている。
己の掌を見れば、ごつごつとし骨張った筋が浮き出ている。
刀を握っていた頃の厚かった手の肉はごっそりと削げ落ち、左利きでも握れるようにと始めた稽古で出来た肉刺はすっかりその姿を無くしてしまっていた。
最早、武士の手とも言い難い。
傍に置いてある大刀を見つめるが、それを少し前の自分のように振るえる気は――しなかった。
時は、セイと総司の体を急速に変化させる。
今まで出来ていた事が、一つ一つ出来なくなって。
当たり前に己の傍にあった沢山の尊いものに気付かされて。
じわり。じわり。と、心が軋む音に耳を塞ぐが、綻び始めた矜持が己の中から失われていく事に、芯から痛む。
一日一日ここで過ごす事で、新選組に戻る為にどれだけの日々の鍛錬と努力がまた必要になるのか。
今すぐにでも刀を振るいたい。隊に戻りたい。
――誰もが総司の想いを知っているからこそ、総司自身も近藤らに強く訴える事は出来ない。
互いに傷つけ合うだけしか出来ない事を分かっているからだ。
それでも時折、セイにだけは吐露してしまう。
彼女を困らせるのを分かっていて、それでもつい言ってしまうのは……。
「やっぱり神谷さんに甘えているからなんでしょうねぇ。……土方さんの事言えないや」
五歳も年下の女子に甘えてしまうなんて。
彼女にはつい甘えてしまう。土方も総司も。きっとそんな風にさせる器量がセイにはあるのだ。と思う。
「いつか、いつか…彼女を迎える旦那様も彼女のそんなところに惹かれるんでしょうね…」
目覚めた想い、抱く想いは今も変わらない。
己が娶ろうと思わないし、恋仲になりたいとも思わない。
己の最後は疾うに覚悟しているから。
きっともうすぐその最後を迎える為に、また彼女を泣かせる事になるだろう。
その事に迷いはない。
それが己の選んだ道だから。
そんな己を振り返らず―――。
セイには誰よりも幸せになってほしい。ただ傍にいて彼女の幸せな姿を見守っていられればそれでいい。
彼女への想いは病に罹る前から募り、病になって己の事しか見えなくなって減るかと思えば、一層募り続け、優しい感情でいられたはずの彼女への想いは、将来彼女の隣に立つ男の悋気へ変わり始めている。
未来の彼女の姿に、望んでいなかったはずの想いが、己が彼女の隣に立つべきだ。己しかいないのだと訴えてくる。
そんな事、できるはずないのに――。
じわりじわりと暖かな雫が総司の内から零れ、握った拳を湿らす。
相反する想いは、日々総司を苛む。
病に罹る前だったら、この想いを遂げようとしたのでしょうか?
一度、小花を亡くして、どうしようもなく己を攻めていた時に支えてくれたセイに、衝動的に落とした口付け。
あれが最後。
その後は発病してそれどころでは無くなっていたけれど、健康なままでいれば、彼女の全てを望んでいたのだろうか。
今はもう、口付けさえも出来ない。
夫婦ほどうつる確率が高いといわれている病。
傍に置いているだけで、とてつもない罪悪感が彼を襲う。
その反面、変わらず傍にいてくれる幸福感が彼を潤す。
手を伸ばせば、今なら触れられる距離にいる少女。
それでも――。

「沖田先生。できました!」
いそいそと入ってくるセイの嬉しそうなその姿に、総司は笑ってしまった。
素直な彼女がとても愛しい。
色とりどりの野菜が綺麗に盛り付けされた皿に、総司の腹も待ってましたとばかりにぐぅと鳴る。
「もう!何だかんだ言っても楽しみに待ってたんじゃないですか!」
「そりゃー神谷さんの料理は美味しいですから」
「っ!」
うきうきと置かれた食事に箸をつける総司を見つめ、セイは照れで頬を染めながらも嬉しそうに微笑む。
その彼女の笑顔を見られるだけで、総司は幸せだった。

きっとこの花を手放す日は近いのだろう。
絶対に病をうつすことだけはしないから。
どうか、もう暫くの間だけは許して欲しい。
この花を傍に置く事を。慈しむ事を。
愛しいと想う事を――。
大切に、大切にして。きっと守るから。

貴女が幸せになる事を誰よりも強く願っているから――。

2014.08.16