一人の男の腕が飛ぶ。
「っぎゃぁぁぁぁっ!」
「この野郎っ!」
悲鳴の後に、勢いよく血飛沫が飛ぶ。そしてそれを見て、引け腰になりながらも総司たちを取り囲む男たちはこちらを威嚇していた。
総司はたった今男の腕を両断しその際にべったりと血糊の付いた刀身を振ると、露を払う。
そして再び中段に構え、目の前に立つ男たちを見据えた。
対峙する男たちは、七、八人。誰もが何処と無く薄汚れた格好をしている。
普段は山の中で寝起きしているのだろうか、元々風呂に入るという習慣が無いのだろうか。統一感も無く、皆薄汚れた肌の色と蓄積された体臭なのかかそこはかとなく異臭を放ち、着の身着のままどの位の年月それらを纏っているのか分からないくらいよれた着物を纏っていた。
そんな格好に対し手入れの行き届いた刀が闇の中で幾つかの提灯の灯りを受け総司たちに向けて不気味に輝く。
じりじりと睨み合いが続き、ふ、と総司の気配が変わった。
その隙に付け入ろうと一人の男が声を上げる。
「ちょっと腕が立つからって!…っ!?」
総司に刀を向けて今にも襲い掛かろうとしていたその男は暗闇に紛れていた小さな影が己の脇から出て来るのに気付かず、気付いた時には既に腰の辺りを熱が一瞬走った感覚のすぐ後に、鋭利なもので斬られた痛みが彼を襲った。
「いっでぇぇぇっ!」
訳も分からず体の心まで響く痛みに、男はその場に膝を突き、患部を手で押さえるがぬるりとしたものが己の内から溢れ出している事に血の気が引いた。
視線を上げると、目の前には彼らを束ねる頭の腕を一撃で切り落として戦闘不能にした豪鬼のような侍と、彼の脇をカマイタチのように駆け抜けていった小柄な侍が彼の仲間と刀を交差させている。
そう言えば二人いたのだと、今更ながら再認識した。
鬼が二人。
一人、また一人と仲間が斬られているというのに、清々しい位風に薙ぎ倒されるように、いや、まるで鬼神に平伏すが如く次々と仲間が切り倒されていく様が男の目に焼きついた。
見つめる今も、ぱたりぱたりと倒れていく。
もう止めてくれて。という声さえ出ない。
こんなはずじゃなかった。
そう言葉が浮かんでも、鬼に捕まればもう遅い。
そして、本物の鬼とはこれ程華麗に人の息の根を止めていくものなのだ。と初めて知った気がした。
鬼は互いに互いの刀の届かない範囲の敵から相手を守り、そして彼らの後ろで控える女には決して襲い掛かる男たちを近付かせない。
一人は少し位の高そうな少女と、彼女のお付きらしい男。
鬼を従える、女。
己を守る二人の鬼を何処までも冷めた瞳で見つめているのが印象に残った。
そんな彼女の周囲をまるで舞いでも舞うかのように軽やかで、華やかに鬼が駆ける。
――生きているうちに見られないだろう美しい光景を見た気がした。
見つめ続けている今この時もどくどくと己の体内から溢れ出すものを抑える事も忘れて、呆けて二人の戦いを見つめていた男に、セイは刀を振るう事に一息を吐くと、近付いた。
「お聞きします。あなた方は誰かに依頼されて私たちを襲いましたか?」
刀にべっとりついた露を払い、けれど刀身を鞘に納めないまま彼女は男に尋ねた。
何処か心酔したような眼差しで修羅場をセイと総司を見つめていた男は顔を上げ、セイを見ると何の抵抗も無く素直に首を横に振った。
「誰かが、貴方方に暗い山道を身なりのいい女と一人の男、二人の護衛をする侍がここを通るかも知れないという情報を与えましたか?」
今度の問いにはこくりと男は頷いた。
「――情報を与えた人は次いつここに来ると告げましたか?」
その問いには男は答えなかった。
「神谷さん」
総司が声をかけると、セイは溜息を吐き、刀を鞘に納め、振り返って彼女を見つめる彼に首を振った。
「申し訳ありません。事切れてしまいました」
見渡すと周囲には既に息の無い者、もしくは体の一部が無い者、事切れる寸前の者ばかりだった。
きっと戦いの途中で逃げ出した者もいるだろう。
「きっと数日中には私たちの足取りがまた知られてしまうでしょうね」
総司は息を吐き、セイと同様に刀の露を払うと、鞘に納める。
そうして彼が姫と付きに振り返ると、二人ともその時初めて今回の修羅場が終わったのだと判断して、物陰から二人の元へ歩み寄った。
今回も二人に怪我が無かった事にほっとすると、セイは総司を見上げる。
「彼らはただの山賊ですかね?」
「恐らくはそうでしょう。身なりからも分かるし、戦い方も慣れてはいるけれども武士独特の作法や癖はないですし」
大概武士というものは何処かしらの道場もしくは遣える主君の屋敷で剣術や武士としての作法を学ぶ者が多いから、学んだ流派だったり指導者の教えというものが身についており、それは刀を交えれば自然と分かる事が多い。
「布陣もばらばらでしたしね…。何処かの国に遣える武士や浪人が身分を偽ってという訳でもなさそうですね」
本来であれば最短で江戸へ辿り着くはずの道程を捨て、人が通らない道無き道を選んで進むようになってからも、時や場所問わずに襲われる日々は続いた。時には山の中で。時には川辺で。
襲ってくる者も、しっかりと布陣を敷いて連携の取れた攻撃をしてくる何処かの国で武士として主に仕えているのであろうと伺える者や、全く連携も何も無いがしかし剣術の腕だけはどの者も秀逸である浪人らしき者の集団、そして今回のように総司たちが選んだ道を元々縄張りにしている山賊――この場合は既に金を渡され襲ってくる者や情報だけ流されて金になると思って襲ってくる者そして何も知らず縄張り通ったからというだけで襲ってくる者に分かれるが――そのような多種多様な生い立ちの者が時に身分を偽り、時に正々堂々名乗っては姫を狙い引っ切り無しに襲い掛かってきた。
「私――山賊に出会う方が最近ほっとします」
まだどうにか相手を倒せるから。
セイは言葉にしなかったが何を言いたいのか悟った総司は頷いた。
「彼らは彼らで無意識に武士としての作法が身についている所作はありませんから、どちらかと言えば武士との戦いに慣れている私たちは意表を突かれない様に気を抜けませんが、一流の武士が徒党を組んで襲ってくるよりはまだ楽に戦えますねぇ」
「もう!ずるいと思うんです!向こうは人が多いからって自分が疲れたら後ろの人とハイ交代!って!」
「それも立派な戦術ですから」
「こっちなんか二人しかいないのに!息つく暇も体制整える暇さえない!」
「それを崩す為にやってますから」
「もー!沖田先生ってば正論ばっか!」
うきーっと暴れだすセイに総司は苦笑した。
「はいはい。鬱憤晴らしてすっきりしました?」
「…すっきりしました」
二人のやり取りが一段落すると真っ直ぐな瞳のまま彼らを見つめ続けた姫は首を傾けた。
相変わらず彼女はいつどんな時も動じない。表情を見せる事さえない。
最初はそれ故に何を考えているのか不安になる時もあったが、しかし、彼女は総司やセイが申し出た事に対して一切否定も反論もする事は無く、また身分を主張する事も無く、いつだって命を預けてくれる事から、信頼はして貰えているのだ、感情の機微を見せない人なのだとセイは納得する事にした。
「それでは今度はどの道から行きますか?」
姫の問いに、緊張し続けていた心を少し緩ませていた己を再び引き締めると、セイは顎に手触れると、少し考えてから答えた。
「このまま進みます」
「けれどこの方たちの事はすぐに知れるのでは?」
「今まではそうやって戦った後にすぐ道を変えてきましたから、今回はこのまま進みます。きっと相手は今度も道を変えるだろうと思って別の道に人を多くするでしょう。多分…だから逆手に取ります」
「成程」
「あと、もう一つ理由もあって、そろそろ民家が多くなってきます。このまま真っ直ぐ宿場町に向かって人に紛れてみようかと。彼らが何処まで人前でも私たちを襲ってこられるのかを知りたいんです。それによってまた道も変わってくるし。それと食料も尽きかけていますから」
山中で食材を探し食べられる物は限られている。そうすると自然、携帯食が無くなれば山を降り、人に食べ物を分けて貰わないとならない。
極力山や森の中を歩いていたが、何度か途中民家を見つけては食糧を買う事を繰り返す度に、刺客に見つかって襲われていた。やはり人に会うと先の道程を読まれる危険性が高くなり、先回りをされた事も幾度もあった。
それでもいつもそれは密集する民家から離れて点在する家を選んでいた。自分たちがその道を選んで来たという事もあるが、もしかしたら人気の少ない点在する民家を訪ねたからかもしれない。京の端で襲われたように街中で修羅場を起こしても揉み消してしまえる人物が今回の刺客の背後にいるという人物がどの程度の町のどの程度まで人の騒ぎを押さえ込める人物かを推し量る必要性がそろそろ生まれている。
今までの道はどうしても宿場町から次の宿場町まで峠だったり野原だったりをただ延々と歩く事が多く、その多くを迂回して山や森に隠れて移動してきたが、これから先江戸に向けて民家は圧倒的に増えてくる。隠れる場所も無くなってくる。
今の内に一度推し量って、今後の方針を決めたかった。