凍る月15

「だったら、やっぱり姫様は私を置いて、付き様を連れて逃げ出すべきだった」
理解はしても、感情が未だ納得する事を拒否するセイは尚も生き延びた己を咎める様に呟く。
「貴方なら私を必ず無事に目的地に送り届けてくれると確信したから。――神谷さんが生き抜いて私を守ってくれる方が私が生き抜けると考えたのでしょう」
「そんな!」
「――あの方は今までのどの姫様とも違ってどこまでも冷静で、最善の方法を瞬時に決断される方でした。己の命さえ厭わず。どこまでも使命に忠実な方でした」
青ざめるセイは口を噤んだ。
武士である自分たちがそう決意し、生きるのなら分かる。
付きを守る為に己の命を捨てる覚悟をしていた姫に、同じ女子である己と同じだけの覚悟を持つ事ができる事は分かっていても、武士でもない彼女の覚悟と決意に、どうしても憤りを感じてしまった。
様々な場面で彼女の覚悟は見てきたはずなのに、その彼女の意思を決意を守る事ができずにいた己が歯痒い。
「あの状態で戦う術を持たない姫様と私の二人で逃げても限界がありました。それよりも、私の力を知られても、それでも尚、私が生き抜く最善の方法が貴方を救う事だと、姫様が判断したのでしょう。どうか、姫様の意思を尊重して差し上げてください」
生きろ。
姫に庇われ生き延びた事を後悔しないでくれ。
そう言われている様で、セイは俯いた。
「姫様は…姫様はどういう方だったのですか?」
本当の素性も事情御知らないまま、任務だからと何一つ知ることなく永久の別れをしてしまった少女。
知っていればもっともっとどうにかできたのかもしれない。
旅を最後まで共にできたかもしれない。
セイはそんな当に過ぎてしまった事にそれでも縋りつく様に、そして彼女を己に刻み込む為の情報を求めて問いを口にする。
しかし付きは首を横に振るだけだった。
「私も知らないのです。ただ――いつもと違って私の素性を全て知り、その上で自ら志願してきたのだ、と。それだけ…。初めて会った時の私を守ると覚悟を決めたあの強い眼差しは何処かで会った事があるのかと思いましたが…物心付いた時には座敷牢にいたので、あるはずないのですが…」
己の記憶を探るように眼を彷徨わせながら付きは答えたが、記憶の中に姫の姿は無かったのか、目を伏せた。
「ご家族は…」
「知りません。私はいつも――与えられたものをそのまま受け取る事しかさせられないのです。旅の理由も背景も知る事はありません。今までも。これからも。きっと。…今回神谷さんをお願いしたのが生まれて初めての我侭でした…」
人形のように与えられた事だけをし、ただ生きる。
初めて対面した時から表情を見せない人だ。と総司とセイは思った。
それは姫が常に一歩前に立ち、凛としたその姿を見せているからその分翳って見えているのかと思っていた。
だから総司は初めて宿に泊まったあの日、彼と会話をした時に笑顔を見せる彼に違和感を感じているのだと思っていた。
そうでは無かったのだ。
そう生かされていて、そういう風にならなければ生きて来れなかったのだ。
感情の宿らない、宿らせる事さえも妨げられてきたのだろう眼差しは、がらんどうのように空っぽでそれでいて奥に潜む人として僅かに残された感情が慟哭を湛えていた。
もしかしたら、彼は今初めて己の感情を外に出しているのかもしれない。
総司とセイは『初めての我侭』を宝物のように笑みを浮かべ語る付きを、見つめていた。
「きっと目的地に着いたら、もう貴方方とこうしてお話しする時間は持てないでしょう。刺客と一緒に巻いてきた私たちの後ろについている護衛もきっともう数日もすれば追いついてきます。彼らも刺客から私を守る他に貴方方の監視も含まれています。本来なら私の力を知られる事も傷を治す事も許されません。――だからここで知った事全て知らない事としてください。さもなければ、目的地で今度こそ貴方方は粛清されてしまう」
ごくり。とセイは息を呑み、付きは目を伏せ、
「それでも貴方方を救いたかった。許してください」、
そう呟いた。
「付き様ご自身の処罰は?」
「さて。……でも大丈夫ですよ。私を殺す事だけはできませんから」
「……」
その言葉の裏を察した総司はそれ以上問わなかった。こんな権力者にとって利用価値の高い力を持っていて、それをみすみす失うような事はしないだろう。彼の思考を察知したように、付きは頷いた。
そしてそれには言葉で応えないまま、付きはずっと総司に触れていた手を離した。
「もう大丈夫でしょう」
総司は付きの手が離れてからゆっくりと斬られたはずの傷口を見る。
見えていたはずの赤い筋肉は見えず、傷口を固めていた赤い血溜りは塞ぐ傷を無くし、ぽろぽろと零れた。
腕を動かなくなっていた左腕をゆっくりと持ち上げ、そして握り拳を作る。五指の一本一本をゆっくり動かし、神経の末端までしっかり動く事を確認する。
そんな彼を見て、セイは今までの想いが吹き飛んだように総司の腕にしがみついた。
「……沖田先生…よかった……よかった……」
まるで己の一部のように大切に総司の腕を抱き締めるセイを総司は目を細めて見つめる。
付きはそんな二人を見つめ、微笑んだ。
「刺客は女子の容姿のままの姫であった私を探し、そして囮の姫を仕留めた事で終わったと思っていますが、いつ本当の姫が私である事に気付くか分かりません。あれから二日経っていますからそろそろ刺客に指示を出している人物にも伝わっているでしょう。私を襲う人物は流石に私の容姿も伝聞であれ知ってるはず」
そこまで言って、付きは改めて深々と頭を下げた。
「どうぞ私を目的地までお連れください」
頭を下げたままの付きに総司とセイも互いに離れ、深く頭を下げる。
「ありがとうございました。救われた命を以って必ずお送りいたします」
二人の言葉に付きは顔を上げ、笑顔を見せた。
「ありがとうございます」
顔を上げた総司とセイは、初めて彼が本当に心の底から何の憂いにも捕らわれず笑みを浮かべたような気がした。
そのくらい無邪気な笑みを見せた。
「一ついいですか?」
総司は問う。
「はい」
「付き様の本当のお名前は?」
そう問われ、付きはまた破顔する。
「空に浮かぶ月と書いて――ツキと言います」