凍る月12

気を失い、セイが次に目を覚ますと、そこは宿だった。
目を開けて視界一杯に映るのは総司の顔。
不安そうに、そして嬉しそうに顔を歪め、微笑んでこちらを見つめていた。
ほたり。ほたり。
冷たい雫がセイの頬を濡らしたのは気のせいだろうか。
「神谷さん…」
伸ばされた掌で頬をなぞられ、そのまま首の後ろまで回された腕の中にぎゅっと閉じ込められる。
鼻に触れる彼の首元から香る総司の匂いに、セイはほわりと息を吐いた。
――生きている。
またこの腕の中に戻ってこれたのだ。
彼の元へ帰ってこれたのだ。
そこはかとない安堵が全身から力を奪う。
「沖田さん。少しよろしいですか?」
優しく声をかけられ、セイを包み込んでいた総司はどきりと胸を鳴らすと、ゆっくりと彼女から離れた。
回された腕の力や、彼の体温が離れる事に切なさがセイの胸に広がる。思わず離れる彼の腕を追いかけて体を起こしそうになるが、躊躇いが彼女を留まらせ、すぐに力を抜いた。
彼の代わりにセイを覗き込むのは付き。
横になったままのセイの額に手を置くと、彼女の顔を覗き込んだ。
触れる先からまた総司の熱と違った温もりが、彼女の芯に浸透する。
その心地よさに思わず目を閉じてしまった。
「お体の具合は如何ですか?まだ調子の悪いところはありませんか?」
ゆっくりと確認するように問われて、セイは己がどういう状態で今まで気を失っていたのか徐々に思い出した。そしてゆっくりと思考が覚醒するのと同時に瞼も開いていく。
そうだ、何故自分が宿にいるのだろうか。
何故自分が宿で布団に寝かされ、付きや総司が己を囲むように座り込み、心配そうに見守っているのだ。
しかも、今の今までただ眠っていたなんて。
納屋で刺客に胸を突かれ、動けなくなっていたはずだ。
「…私…死ぬはずじゃ…?」
そう言って体を起こし、穴の空いたはずの己の右胸をに触れる。
体を動かす際にも痛みも違和感を感じる事も無く、難なく上体を起こし、感覚を失っていたはずの右腕は彼女の体を支えた。
驚いて胸元を見ると、血で濡れていたはずの着流しは取り替えられており、それにまた驚いて、袷を開いて貫かれたはずの箇所を見ると、傷一つ無く、白く丸みを帯びた乳房が見えるだけだった。
「!?」
「神谷さん!」
セイの行動に驚いて総司が慌てて彼女自身が開いた袷を閉じてやる。そうされる事で、今自分が彼の前でどれだけはしたない行動をしていたか気が付いて、慌ててセイもがっちり前身ごろを合わせた。
「え!?…あのっ!どういう!?」
「私が治したんです」
付きがにっこり笑って、先程までセイに触れていた己の掌を、彼女の前に翳す。
「治すって?え?どうやって!?」
「私のこの手当てで」
「手当て?」
セイの疑問に付きは頷くと、それ以上答えず、もう一度セイに尋ねた。
「それでお体はもう大丈夫ですか?」
問われてセイはもう一度己の体を確認する。
寒くも無ければ熱くも無い。
痛みは何処にも感じられなく、あれ程彼女の思考と体を蝕んでいた倦怠感も消えて無くなっていた。
動かなくなっていた腕は両手共に動き、眩暈も無くなっていた。
寧ろ――旅の疲れさえ取れて、全て吹き飛んだかのように体が軽く感じる。
「何処も…平気です」
そんな状態の己に対して驚きと、理由が分からず思考も付いていけず、セイは戸惑いながらもそう答えるしかなかった。
「それは良かった。――では、次に沖田さん。これで手当てを受けてくれますか?」
付きが総司に向き直ると、総司は見つめるセイの視線を気まずそうに視線を受け流し、付きの方へ体を向けると諸肌になった。
セイの目に入るのは彼の肩から腹にかけて巻かれている包帯。
状況と付きの言動に付いていけずにいた彼女は今度こそ目を見開いた。そして抱き締められた時に不自然に片腕だけが背に回されていた事を思い出し、総司の先程彼女に伸ばされなかった右手を手に取ると、己の目の前に翳した。
総司を見つめ、握り合うように己の右手と彼の右手を絡めるが、彼がセイの手を握り返す事は無かった。
ただ困ったように眉を下げ、総司は自嘲気味に苦笑する。
答えはそれだけで十分だった。
セイの全身から一気に血の気が引いていく。
新選組随一の剣豪が。
剣術で身を立て、彼の本当に大切な人の為に命を捧げ、それを誰よりも武士として誇りにしてきた方なのに。
彼だけは。
彼だけは傷ついて欲しくなかった。
生きていて欲しかったけど、こんな風になる事を望んではいなかった。
「沖田先生!」
セイが叫んで彼の肩に触れようと手を伸ばすが、それより先に付きの手が包帯の上から彼の傷口に触れた。
「何を…」
付きの行動に訳も分からずにセイが問うと、彼は「手当てをしています」とだけ答える。
けれど、触れたからといって何かが起こるでもない。
付きと総司が向かい合い、付きが諸肌になった総司の肩の傷口に手を置いているだけ。
端から分かるのはそれくらいだ。
そんな事をしている暇があれば一刻も早く総司を医者に見せなくては。
彼の傷を治してもらわなくては。
自分の傷なんかよりも、生死なんかよりも、何もよりも優先するべきことなのに、今まで二人は何をしていたのだ。
もっと早く自分が目を覚ましていれば。
後悔や未練や焦燥がセイの荒ぶる感情を煽り立てる。
しかし一方で常に感情の隣にある冷静な思考が、彼女を現状の把握に誘導した。
それよりもここにいてもいいのか。あれから何日経ったのだ。この宿は安全なのか。姫は――。
「姫様は!?」
セイの中で浮かんだ疑問の中にやっと姫が現れ、一瞬己を恥じ、それでも何処にもない姫の姿を探して部屋中を見渡した。
彼女は何故かセイを守り、セイの代わりに斬られた。
守られるべき人も、救われるべき人も、まず彼女であるべきだ。
そう思って彼女の姿を探すも、何処を探しても姫の姿は無かった。