凍る月11

燃え盛る炎の中、己に振り下ろされる一閃。
セイは死を覚悟した。
――このまま自分は死んでしまうのだ。
松本の言葉が蘇る。
『どうか生きてくれ』
ごめんね。たれ目のおじちゃん。やっぱり私の腕じゃ無理だったみたいだ。
次に浮かんでくるのは総司の顔。
セイや姫の体力を慮って一人裂きに刺客に向かってくれたのに、彼の思いに少しも報いる事ができなかった。
悔しいな。
任務さえまともに遂げる事も出来ずに、ずっと決めていた先生の背を守って死ぬ事さえも出来ないんだから。
そんな想いが一瞬の内にセイの中を駆け巡る。
突かれた左胸からは血が溢れ続け、体温を奪う。
ぬるりとした感触はセイの肌を伝い、着物に滲む。
炎に囲まれているはずなのに、酷く寒い気がした。
刀をかわそうにも手の感覚は無く、持ち上げる事も出来ない。
呼吸は喘鳴を繰り返し、肺が萎む度にまた胸から熱が零れていく気がした。
そして来る、止めの一閃を待つが、――何も起きず、代わりに熱くて重い者が彼女の体に覆い被さった。
反射的に閉じた目を開けると、目の前には女物の着物が映り込む。
まさか。
と、目を見開くと、覆い被さった姫が体を持ち上げた。そして彼女の後ろから、どさりと重い物が落ちる音がする。
見ると刺客が倒れ、その更に後ろには、付きが震えた手でセイの投げ捨てたはずの大刀を握り締めていた。
「―――」
「私の役目は…ここまでです。…後は宜しくお願いします。どうか――ツキを、無事連れて行って下さいませ……」
セイの頬に触れ、真っ直ぐ見据えて今際の際にでさえ凛とし、囁く姫は、そう言うと、静かに目を閉じ、首を擡げた。
体に圧し掛かる重みがより重さを増す。死を迎えた体が指先から冷たくなっていくようだった。
姫の背から流れ出る鮮血がセイのその場に縫い付けるように彼女の着物にじわりじわりと染み込んで来る。
何に怯えているのか分からないが、体がガタガタと振るえ、そんな己を抑えるように歯を食いしばるが、止まらなかった。
何故、姫が倒れるのか。
何故、姫が私を庇うのか。
何故、死ぬのは姫なのか。
混乱する思考が、姫の最後の吐息が、囁きが、セイを責め立てる。
「神谷さん!」
既に力を無くした姫の体をセイから引き剥がし、付きはセイをゆっくりと抱き上げると、傷口にそっと触れる。
「!」
既に痛みを越え、ぬるりと手が己の肩を滑る感触だけが肌を伝ってセイに触れられいる事を認識させた。
しかし、それも一瞬で、すぐに今度は彼の掌から体内に熱が吹き込んでくるように、セイの感覚を刺激し、無意識の内にほっと息を落とした。
寒さに震えていた体はぴたりと震える事を止め、緊張していた筋肉が弛緩していく。
「……」
しかしセイはその温もりにいつまでも意識を委ねている訳にはいかない。どうにか視線だけを姫に向け、付きに眼差しだけで訴える。
今の内に逃げてくれ。と。
姫をどうか連れて逃げてくれ。と。
もう既に事切れている事は分かっていても、それでも彼女の生を望み、彼女がこの場から離れ、目的地へ無事到着してくれる事を望んだ。
きっと、自分の体はもう駄目だ。
このまま連れ出されてももう指一つ動かす事は出来ない。歩き出す事も出来ない。
けれど――。
総司は生きている。生き延びているはずだ。
だからどうか後のことは総司に任せ、生き延びてくれ。と。
揺れる眼差しでそれでも真っ直ぐに付きを見上げた。
しかし付きは首を横に振ると、セイの腕を己の肩にまわし、立ち上がらせる。
「姫様の役目は終わりました。けれどまだ神谷さんの役目は残っています。どうか私を無事目的地まで運んで下さい」
刺客に刺さったままのセイの脇差を抜き、先程付きが握っていた大刀もそれぞれセイの腰の鞘に収めると、彼女を引き摺りながら歩き始める。
一歩。また一歩。
歩く度に睡魔がセイを襲い始める。
急激に起きた貧血と体温低下による、睡魔だとすぐに自覚する。
何故こんな状態の私を連れて行く。重荷になるだけだというのに。
そんな想いが巡る一方で、一歩、一歩と出口に近付くにつれ、見えてくる人影に胸が熱くなった。
今にも火の回ったこの納屋に飛び込んできそうな気配でこちらを心配そうに見つめている。
駄目です。
どうか生きて下さい。
――今、私がそこまで参りますから。
そう、声にならなかったが、口にした言葉に、セイは己自身に驚いた。
体はもう動かなくても、こんなにも望んでいるのだ。
――生きて、あの人の元へ。
またあの人の元へ戻れるのだ。
死を覚悟しても尚、あの人の腕の中に戻れるのだという喜びが、セイの胸を熱くする。
知らずと、涙が頬を伝っていた。

――そこで意識は途切れた。