「いいんですよ。私は心が広いから、ちょおっと手を出されたくらいじゃ怒りませんよ。結局私が一番だってセイにも分かってもらえるきっかけになりましたから」
裃姿で手に持つ杯に注がれた酒を吞む総司は、目の前でむすりとしたままの斎藤ににこやかな笑みを見せた。
「今日の今日まで俺に対して殺気を向け続けたくせに何を言う。セイが完全に己のものになるまで安心できなかったヘタレが」
「何のことですか。斎藤さんが実は本気だった事を伝えて、とことん嫌われてもらってもいいんですよ。乳まで揉んでおいても最後の一線までは堪えてたから譲歩してあげてるのに。実は無理矢理格好付けてましたってセイに知らせてもいいんですよ?」
酒を煽る斎藤に笑みを見せる総司は、笑みは浮かべているものの目は決して笑っていない。
「兄上としてまだあの人は懲りずに貴方を信頼してるんですから。私としては腸が煮えくり返るくらい憎いし二度と傍にいて欲しくないのを我慢してあげてるんですけどね」
どれだけ殺意を込めた眼差しを向けられたとしても、少しも怯む斎藤ではない。ちらりと視線を一瞬だけ合わせると、鼻で笑った。
「けっ。元はと言えばあんたがセイに隠し事するからだろ」
「私の日頃の愛情表現が足りなかったんですねぇ。そこは反省点でした。でももう大丈夫です。今は毎日セイが嫌になるくらい囁いていますから。勿論それ以上の事付きで」
「言ってろ」
斎藤は悪態を吐くと、総司の隣で近藤らと楽しく語らうセイの姿を見る。
桜の意匠の施された真っ白な花嫁衣裳。
総司と一緒の感覚と思えば面白くないが、セイの為に作られたそれは確かに彼女にとてもよく似合っていた。
まるで御伽噺に出てきそうな、桜の精のようだ。何処か夢のような儚くも凛とした美しさが彼の目に優しく映り込む。
微笑む姿は、向日葵のような無邪気な笑顔から、散る桜の花弁が一瞬魅せるような淑やかで何処か艶のある笑みに変わった。――きっと本人は気付いていないだろうが。
今も未練が無いかと言えば嘘になる。
しかし自分が隣にいた時に、今日の彼女が見られたかと思えば、――それは無いだろうと思うと、ちりりとした痛みは疼くがこれで良かったのだと確信させる。
あの日の決断は間違っていなかったのだ。
悔しいくらいに、確信させられる。
確かに彼女の美しさは自分の為のものではない。
だが、それ故に―――美しい。
「結局何があったか知りませんが」
余韻に浸っていた斎藤と、ただセイを見つめる彼を何も言わず見つめていた総司の間から、ぬっと、顔を出した祐馬は珍しく泥酔しており、顔を真っ赤に染めていた。
やはりたった一人の溺愛していた妹が嫁ぐのは寂しいのだろう。祝言の間こそ神妙にしていたが、いざ、披露宴が始まると、隊士たちが制するのも聞かず、人一倍浴びるように酒を吞んでいた。
「あんたがはっきりしないから悪いんだ!」
「えぇ――っ!?」
びしりと指を刺し、総司を睨み付ける祐馬に当の本人は非難の声を上げる。
「あんたがもっと早く娶っていたらいいものを!」
「だって富永さんがずっと邪魔をしてたんじゃないですか!」
「当たり前だ!たった一人の大事な妹を奪われるんだ!邪魔をして当然だろう!寧ろそれを乗り越えてでも奪う覚悟は無いのか!」
「だからこうしてお嫁さんに貰ったじゃないですか!」
「やら――んっ!」
「えぇっ!?今更っ!?」
「――と言うかな」
「うぇっ!?」
突然、ずいっと後ろから掛けられた声と気配に総司は思わずその場を飛び退いてしまう。
「いつの間に背後にっ!?さっ、流石富永さんとセイのお父上ですね!気配がありませんでしたっ!」
「一端の剣豪が何を言う」
どきどきと驚きに胸を押さえる総司に対して、息子に倣い泥酔し目が据わったままの玄庵は冷静に返した。
「というかな。セイを嫁すのは認めた。しかし―――祝言前に手を出す事は認めてないぞ」
ずどんと言い放たれる言葉に、総司はぴしりと固まる。
相変わらず痛いところを一撃で突く御仁だ。
「…そ…それは…成り行きと言うか…」
「成り行きで人の妹に手を出したのか!?」
総司の回答に祐馬が激昂する。
「いえ。それは…」
「祝言の後に初夜だろう!普通!順番狂わせて!」
「あの…」
玄庵と祐馬の攻撃に反論できずに総司はちらりと斎藤を見るが、彼は素知らぬ顔で目の前の酒を口に運んでいた。
本当の事を言ってしまおうか。そんな考えがまた生まれる殺意と共に芽生える。
「めでたい事が二つ重なってよいではないですか」
こくりと酒を飲み干し、さらりと言い放った斎藤に、富永親子は「む」と唸った。
「この野暮天が結縁しても本当にセイに手を出すのか不思議だったのが、男子として正常な反応を見せ、尚且つ子を成した」
「うぬ…」
最初、総司ははセイの事なんて眼中にも無く、山南に彼が女子を嫌遠する理由を聞いてからは更に総司の心に入り込む隙も無く、実際に何度もセイは泣かされていた。しかし、そのセイは彼の心を見事に掴んだ。
しかし、掴んだとは言っても、総司が本当に女子としてセイを求めているのか、心を埋める存在としてだけ必要としているのかは分からず、結縁したからといって本当にそれこそ女子として抱けるのかはずっと気がかりではあった。
まさかこうして結縁をしても尚、御飯事の夫婦のように過ごすのではないかと本気で心配した事もあったのだ。
総司本人はその事を口では求めているように見えたが、彼の過去の事もあり、実際に、二人が恋仲になってからも過ごしている日々を見れば尚更。
そこをずばりと突かれれば唸るしかない。
「子なんて授かりものですからな。結縁したからと言ってすぐに授かるものでもない。だったら祝言と共にまもなくややが生まれてくるなんてこんなめでたい事はないと思うのですがな」
「…む…しかし…」
「まぁ。いけ好かない男に自分のたった一人の娘や妹が抱かれたのかと思うと腹立たしくて仕方がないでしょうな」
総司の味方をしているようで、最後に自分たちの心を投影し彼らに軍配を上げた斎藤の言葉に、萎れていた祐馬と玄庵は一気に目の色を変える。
「そうだ!いけ好かん!」
「許さん!」
そう言うと、富永家男子二人は立ち上がり総司に襲い掛かった。
「うわっ!ちょっ!」
総司は身を引くが、間を空ける事を無く、親子は掴みかかる。
「ちょっ!さっきから何してるんですか!」
殺気立った空気に変わりつつある家族の気配を察して、近藤や原田たちと語り合っていたセイは立ち上がり、二人を止めようとした。
「妊婦が交ざるな」
手酌酒をしたままそう言う斎藤をセイは見下ろすと、もう一度視線を上げ、取っ組み合う三人を困り顔で見つめる。
「でも…」
「――よくやったな」
そう囁く斎藤に、セイは視線を下ろす。
あの日彼に、総司が大切ならどんな事でもしても引き止めろ、自分が帰る場所である事を気付かせろ、そう言われた事を思い出して、セイは嬉しそうに笑うと、その場に座り直し、「ありがとうございます」と礼を述べた。
「幸せか?」
「はいっ!」
そう言うと、セイは少し大きくなってきたお腹を優しく撫でる。
その表情は、母の子を慈しむ表情。
こんな表情もするのだ。と、斎藤はまた一つ、セイを知る事に自然と笑みが浮かぶ。
そんな二人のやり取りを見た総司が、親子二人に揉みくちゃにされながらも必死で抜け出し、悋気交じりに声を荒げた。
「あーっ!セイ!斎藤さんに近付いちゃ駄目です!孕ませられますよ!」
「それはお前だろっ!」
「心配するな。既に孕んでいるのに、これ以上はできん」
「斎藤さんは貴方なんかと違って手は早くない!」
「ひっどーいっ!本当の事言いますよっ!」
二人に責められ叫ぶ総司に、斎藤はしれっと答えた。
「何の事かな」
隣でずっとうずうずしていたセイは我慢できずに、ついに立ち上がる。
「私もやるー!」
『駄目だ(です)――っ!』
一組の若い夫婦が誕生しても、変わらず富永診療所の名物は続いた。
そうして今度は、総司とセイの間に生まれた長男を交え、セイ争奪戦の日々が見物となるが、それはまた別の話――。
2013.08.26