春爛漫4

 がさごそと庭から音がする。
 そんな時は決まって例の人物が現れるのだ。
 最近悟った土方は、持っていた筆を硯に置き、文机に肘を突きながら、音がする草むらをじっと見つめる。
 すると、ぴょこっと見慣れた月代が現れた。
 まだ前髪を剃っていない幼さを残す月代。剃る事を禁止されてから少しずつ黒々し始めている。
「阿呆。お前はどうして毎回そこから現れる。猿か?猿と呼ぶか?」
「副長!私がどれだけ苦労してここに来てると思ってるんですかっ!」
「無駄な苦労していないで、とっとと総司の用意した家で大人しく嫁やってろ!」
「まだ嫁じゃありません!それに嫁にはなりませんっ!」
「土方さーん!」
 聞き慣れた声が廊下向うから聞こえてくると、ぴょっこり現れていた月代は一旦草叢に姿を隠す。
 土方は溜息を吐きながら、草叢から視線を外し、現れてくる人物に顔を向けた。
「どうした。総司」
「神谷さんがまたいなくなっちゃったんです。知りませんか?」
「知らねーなぁ」
 草叢には目もくれず、そ知らぬ顔で総司を見上げる。
「そうですか…もう。折角大福食べに行こうと思ったのに」
 頬を膨らませ、総司は呟くと、またとてとてと来た道を戻っていった。
 彼の姿が完全に消えるのを確認してから、土方は草叢に目を向けると、またぴょこりと月代が姿を現す。
「嫁にはなりませんって言っても、お前はもうここに帰る場所はねーぞ」
 何事も無かったかのように、先程の会話を再開する。
「そんな事言って、ちゃんと毎回仕事くださるじゃないですか」
「それは面倒臭せー仕事を後回しに置いておいたら、勝手に終わってるだけだ。俺は何も知らん」
「何だかんだ言っても優しーんだから」
「二度とその真似するなよ。今度したら、お前の亭主呼ぶぞ」
「止めてくださいっ!ただでさえ沖田先生しつこいんだから!」
「ほー」
「いつでも何処でも付いて回って!しかも何なんですかあの嗅覚!もう屯所に居ないはずの私を探しに何で副長の所に現れるんですか!しかも毎回!」
「ちなみにあいつはお前がいる時にしか聞きにこねーぞ」
「コワっ!」
「嫉妬深い男に好かれたんだ諦めろ」
「……しかもあれ、無自覚なんですよね…兄分としてどうにかしてくださいよ…」
「無理だ。例の件がかなりあいつにとって痛手だったららしく、何を言ってももう聞かん。お前が自分で総司の扱いを間違えたんだ。諦めろ」
「…いつも沖田先生、『私は助けません。自分でどうにかしなさいね』って耳にタコが出来るぐらい仰っていたから、ああすれば間違いないって思ったのに…」
「男心と秋の空だな。いつまでも同じだと思うな」
「よく分かりません」
「俺からしてみればお前の例の隊士への対処は対したもんだ」
「ですよね!」
「けどな、それまでまともに恋愛もして来なかった奴にしてみれば耐えられなかったんだろうな」
「…だって…沖田先生が私の事そんな風に思ってくださっているなんて…全然気付かなかったし…っていうか本当に私で良かったのか…」
 真に男と女だと知ってから改めて二人の行動を思い返してみれば、土方には互いに恋情を抱いている事は丸分かりで、気付かぬは本人ばかり。いっそそんな事件が起こる前にばらしてくれればもっと違う形で夫婦になれたものをと思うのだが、起こった後に思っても仕方が無い。
 男としてして成長しきれてなかった弟分を押し付けてしまうのは申し訳ないと思うが、もうどうしようもない。
「神谷さん発見!」
「げっ!沖田先生っ!」
 草叢に隠れていたセイを後ろから総司ががばりと抱き締めた。
「全く。貴方はどうしてすぐ屯所に来たがるんですか。もう貴方は私のお嫁さんなんだから駄目ですよ」
 そういう総司の顔は締りが無い。
「私お嫁さんになりませんってば!」
「え!嘘だったんですかっ!?」
「嘘って言うか!あれはだってっ!はいともいいえとも言えないじゃないですか!ずるいですよ!あんな聞き方するなんて!武士として切腹させてもくれないしっ!」
 実際、セイが離隊した後、彼女は彼女自身の妾宅に身を寄せていた。土方がそこを尋ねた時、処断を待っていた彼女はすぐさま切腹を望んだ。
 しかし、事前に彼女を口説き落とした時に切腹しない事を誓わせられていたらしく、それを撤回できるのは隊規しかないと一縷の望みをかけ、土方を待っていたらしい。
 そこに関しては、あの普段は頭を使わない総司がよくやったと思う。
 変なところで腹黒い弟分は、変な小細工をしようとはしていたが、そんな事をしなくても、先日の隊での決定がどうなるか分かっていてやっていたような気がしてならない。
「それより、貴方最近土方さんの所に通っているでしょう」
「ぎくり」
「…やっぱり…。女子に戻ったらやっぱり私より土方さんの方がいいんですかね…」
「女子に戻りませんってば!それに副長に望まれたって誰が惚れますかっ!」
「よかった…じゃ、帰りましょう」
「イヤですっ!」
「…私の用意した家にも帰ってきてくれないし、未だに武士の格好しているし、こうやって屯所に来るし…私…神谷さんの為と思って一大決心して貴方を娶ろうと決めたんですけど…迷惑なだけだったんでしょうか…」
 あまりに抵抗するセイにしおしおと枯れていく大根のように萎びていく総司に、セイは「うっ」と言葉を詰まらせる。
 成程。
 こうして、総司は神谷を絡め取ったのだ。
 土方は悟った。
 明らかに神谷は総司に惚れて、総司を武士として守る為に、新選組にいたのだろうという己の推測は正しいと土方は自負している。
 新選組に在籍する事が生き甲斐になっている彼女の意思はあっても、それも総司を守る事がまず第一だ。だからこそその想いを旨く利用した。
 総司自身がセイの彼に対する想いに自覚があるにせよ無いにせよ。
 最終的にそこを突かれれば、セイはどんな事を望みがあったとしても、総司に抵抗しきれないだろう。
 『貴方の為を想い、己のそれまで貫き通してきた意思を変えた』と言われて落ちない女はいない。
 普通は心底惚れられてると自覚と自信があるからこそ、成し得る行為だが。
 逆に相手に余程の想われていなければ独りよがりな鬱陶しい発言なだけであって、あっさりと見捨てられる行為だが。
「沖田先生のお気持ちはとても嬉しかったです!我侭言ってずっと新選組にいさせて頂いて、ご迷惑掛けていたのは私の方なのに!それなのにいつだって私の為に沢山の事してくださって!本当に感謝の気持ちで一杯なんです!少しでもお返しできればいいのに!」
「はい!だからお嫁さんになって、これから一杯返してくださいね!」
 言わせたい台詞をセイに言わせ、にっこりと彼女に笑いかける総司に、貰い過ぎてるのはお前の方だろう、と土方は心の中で冷静に突っ込みを入れる。
「はいっ!」
 セイは嬉しそうに笑う。
 騙されているぞ。神谷。
 そう思いつつも、こんな扱い辛い弟分を任せられるのは彼女くらいしかいない。
 だから、彼女に詫びつつ。
 惚れた弱みで、総司に惚れられた責任を取って、諦めてくれ。神谷。
 と土方は心の中で手を振ったのだった。