春爛漫1

春。
うららかな春。
怒涛に流れる年月の中でも、四季は巡り、一瞬一瞬の鮮やかな生は人の心に様々な郷愁を焼き付ける。
土方は自室から望む時節を見つめ、一句降りてくる時を静かに待っていた。
開け放した隣の局長室では近藤が久し振りの余暇にのんびりと茶を飲みまどろんでいた。

どたどたどたどた。
静かな刻を遮る荒々しい足音。
土方はがくりと肩を落とし、近藤は顔を上げてきょとんとしながら、足音が近藤の部屋へ近づいてくるのを聞き入っていた。
ばたん。
「近藤先生!土方さん!」
入ってくるのは息も荒く肩を上下させ顔を真っ赤にした総司。
「総司!煩せぇぞ!」
「どうしたんだ。総司。そんなに急いで。座りなさい」
其々に掛けられる声に総司は頷きながら、開け放したままの障子を閉めると、近藤の前にちょこんと座った。
「あの…」
と総司が呟いて、次に続く言葉を二人は二人は待つ。
……。
……。
「用件は早く言え!」
話が続かない事に先に焦れたのは土方だった。彼は近藤の隣に座り、一喝すると、総司は顔を上げ、口をぱくぱくと開く。
「落ち着きなさい、総司。どうしたんだ」
いつも何処か飄々とした感のある総司のらしからぬ行動に、近藤は心配そうに眉を八の字にすると総司を覗き込んだ。
これ以上話を伸ばせないと自覚もしていた総司は一度きゅっと口元を結ぶと意を決して、もう一度口を開いた。
「もしもなんですけど!これは本当にもしもの話で!そうなった訳でもなんでもなくて、本当に仮にもしもなんですけど!」
「前置きが長げーぞっ!総司!」
「もしも私がお嫁さんを貰いますって言ったらどうしますか!?」
真っ赤になって言い放つ総司に、二人は呆然とする。
「は?」
最初に反応したのは土方だった。耳を疑う言葉に思わず聞き返すと、総司にとってはそれが反論と取ったのか、慌てて言葉を続けた。
「いや!ダメならいいんです!無理ならいいんです!今の話聞かなかった事にしてください!本当に何でも無かったです!ごめんなさい!」
その場から逃げ出そうと立ち上がる総司に土方は透かさず蹴りを入れ、その場に倒す。
「痛ったい!土方さん!何するんですか!」
「お前も何逃げ出そうとしてんだよ!」
「だってダメなんでしょ!」
「かっちゃんも俺もまだ何も言ってねーだろうが!」
倒れた総司を足蹴にしながら土方は彼を見下ろす。
「総司…。本当に結縁したい女性が出来たのか?」
それまで微動だにしなかった近藤を総司と土方が見やると、肩を大きく震わせ、涙で目を潤ませ喜びに笑みを浮かべていた。
総司は俯くと、また頬を赤く染め、「…ハイ」と小さく呟く。
小さくだがそれでもはっきりと是と答えた総司に、近藤は今度こそ大粒の涙を零し、歓喜する。
「勿論だ!お前が結縁したいというなら是非しなさい!どんな女性だって構わない!俺は総司の選んだ女性なら誰だって良いぞ!そうか!ずっと嫁なんて要らない!結縁なんて嫌だと言っていた総司から結縁したい女性が出来たと報告される日が来るなんて!」
「で、どんな女だ?」
目の前で咽び泣く近藤を尻目に、土方は冷ややかな視線で総司を見下ろした。
近藤はどんな女性でも構わないと言っているが、こちらは新選組の一番隊組長と言う建前、変な女は許さないという空気を総司に注いでいた。
「…それは後に…」
総司はぽつりと呟いて、体を起すと、また、居住まいを正して、近藤を見る。
咽び泣いていた近藤は、総司の恐縮する様子に、他にまだ何かあるのかと首を傾げた。
「もう一つ尋ねたいんですけど、これももしなので、本当にもしなんですけど、仮にそうだとして」
「だからしつこいぞお前」
「神谷さんが離隊する事は可能ですか?」
「それが、お前の結縁とどう関係あるんだ?」
「それは、それで置いておいてください。また別の話です」
土方は立ったまま総司を見下ろすと、先程の話と繋がらない問いに質問を返す。近藤は冷静に総司に聞き直した。
「神谷君?本人が離隊したいと言っているのか?」
「いえ。ただ…如身選の事もあって、巡察も大変かなと思って…もしあの子が離隊を望めばそれも可能なのかな…と…」
「あの童が辞める訳ねーだろ!」
「だからもし仮にそんな事もあればって話をしてるじゃないですか!もし。例えば……好きな人が出来ちゃったりして…隊を離れなきゃならなくなった時…とか…」
「それはきっと無理だ。総司。あの子がそう望むのなら離隊させてやりたいが、あの子は長くここに居過ぎた。それに我々幹部もあの子を信頼して様々な仕事も任せている。あの子がそれらの事を話すとは思えないがそれでも、何かやも得ぬ事情が起こった時に話さざるを得ない状況が起きないとは限らない」
静かに諭す言葉に総司は近藤を見上げ、悲しそうに眉を下げる。
「あの童なら、小器用な奴だから巡察が出来なくても他の仕事で色々使える奴だろ。体力不足で態々離隊させる事もねーだろ」
土方の呟きに総司は顔を上げると、苦笑し、首を横に振る。そしてもう一度顔を上げると近藤を見据えた。
「…だったら……もし…例えば…幹部の誰かのお嫁さんになると言う事なら、情報は漏れないし可能なんですかね…?」
「それなら問題は無いだろうが…」
何故『嫁』?という疑問が近藤と土方の頭に浮かぶより先に、総司は落ち込んだ表情から一変して嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「それなら幹部のお嫁さんになるのなら離隊できるんですね!分かりました!」
総司はすくっと立ち上がると、これで話は終わったと、足早に部屋を出て行く。
入ってきた時を同様にばたばたと忙しない音を立てながら。
「……」
二人は無言で総司の残像の残る、開けっ放しの障子を見つめ。
そして互いに見合う。
「総司の結縁?」
「神谷の嫁入り?」

その数刻後。
「沖田先生が神谷を口説き落として嫁にするらしいぞ!」
「神谷も頷いたそうだ!」
という歓声が上がり、近藤と土方は二人、泡を吹くことになる。