春爛漫2

「お前よくも騙してくれたな!」
がつんっ!
固い音が局長室に響く。
「ひっどーい!頭の形が変わったらどうしてくれるんですか!私、騙してなんかいませんよ!ちゃんと最初に確認したじゃないですか!」
総司は凹んでいるんじゃないかと思う己の頭を押さえ、拳骨を落した土方を睨みつける。
「その事じゃねぇっ!」
「何の事ですかっ!」
「神谷が実は女だって事だ!」
「だって、言う訳にいかないじゃないですかっ!離隊させた後に言うのは問題無いでしょっ!」
「まぁまぁ土方さん。落ち着いて。結果的に総司も結縁する気になってくれて良かったじゃない」
「おうよ!あんだけ美童なんだからもっと早く気付けば良かったぜ!そしたら今頃神谷が俺の嫁だったかも知れねーもんな!」
「駄目ですよ!神谷さんは私のお嫁さんです!」
横で未だ拳を構えたままの土方を宥める藤堂とかかと笑う原田を睨みつける総司。
隊内随一の剣豪一番隊組長の結縁、新選組で知らない者はもぐりだと言っても過言ではない隊内随一美童であり奇妙な病を抱えた隊士の離隊、そしてお神酒徳利として有名だった二人がまさかの(一部では念友として知られてはいたが)結縁。しかもその病を抱えていたと信じられていた美童が実は本物の女子で性別を偽り、隊内で最も実力重視された一番隊に配属し、明かされる今の今まで武士として英雄譚まで持つ程の活躍をしてきたという事実。青天の霹靂、振って湧いた突然の真実、どれに驚いてよいのやら嘆いてよいのやら、次々に明かされる衝撃の事実に隊内はここ数日騒然としっ放しで落ち着く事は無くなっていた。
そんな事態を収拾する為、幹部たちは集められ、どう決着を着ければよいか、会議が開かれていた。
「まさかあの清三郎が女子だったとはね…それはそれで…」
むふふ。と開いた扇の向うで笑みを浮かべる伊藤を、斎藤は無表情で見やる。
「ええい!神谷は切腹だ!それで全て片が付くだろう!」
苛々とする土方が断言すると、隣に座っていた井上が静かに首を横に振った。
「トシさん。それは出来んよ」
「どうしてだ!?神谷は隊規から見ても、まず士道に背いているだろう!」
「その前に、女子だから士道も何も無いよ…」
「というか、源さんの言うとおり、神谷が望んでも切腹させるのは難しい」
藤堂の呆れ気味の突っ込みの後に、永倉が顎に手を当て髭をなぞりながら呟く。
「神谷の隊内での存在感が大き過ぎる。恐らくは神谷本人が望んでも、隊士が止めるだろう」
「何の為に隊規があると思っていやがる!」
「土方さんも分かってるでしょ…」
冷静に呟く斎藤の言葉に土方が言うが、既にこの場にいる誰もが気付いている事に誰よりも切れ者の彼が気付いているはずがない。ただ感情が納得いかなく吐き捨てるように言う彼に、藤堂はまた言葉を返した。
案の定、土方はそこで言葉を詰まらせ、それ以上言う事が出来ない。
神谷清三郎が新選組で上げた功績は計り知れないのだ。
武士として浪士たちと相打ち合い戦った。そんな隊内の誰もが当然持つ功績だけならば、あっさりと切腹だろうと暗殺だろうと隊士たちは受け入れるだろう。
古参の隊士だから情が湧く。それだけならあっさりと誰もが隊規を尊重するだろう。
けれど、彼がこの隊で成しえた功績は。
彼らが壬生狼と呼ばれていた頃から、何の禄も無い隊の会計を精査し、厨で誰よりも栄養を考えた料理を作り、傷を負った隊士や病に侵された隊士を医師の父を持ち医学の知識があるからというだけで看病を一身に引き受け、様々な分野で誰よりも隊の事を一番に考え、思い、懸命に尽くして来てくれた姿を誰もが知っている。
そして、殺伐とした明日無いかもしれない命を刹那的に生きている隊士たちにとって彼の姿は眩しく、心の支えであり、救いになっているのだ。
現に集まった幹部の誰もが、神谷の隊内での存在価値を認め、彼がいる事の安らぎを既に知っているからこそ、土方の言葉に是と唱えるものはいなかった。
土方自身でさえも、決して本気で彼の切腹を望んでいる訳ではなく、立場上そう言わざるを得ないだけで言っている事は言葉と裏腹に表情から見て取れて、寧ろ同情の視線が彼に注がれた。
「私たちにとって隊規は絶対だ。しかし、神谷君の功績を鑑みれば誰も処断を下せる者はいない。だな?」
それまで幹部たちの意見にじっと耳を傾けていた近藤は苦笑すると、静かに口を開いた。
きっと中には彼の存在自体が今までは疎ましく感じていた者だってきっといただろう。けれど、誰も神谷清三郎を消すという選択肢を選び、その実行に当たる事を自ら望む者はいなかった。
「神谷君の勝ちだな。まさか我々で処断できない人間ができるとは思わなかった。彼は新選組でそれだけの事をしてくれたんだ。その彼に報いようじゃないか。それに離隊して何処かへ行くわけじゃない。総司の嫁になってくれるというのだし」
その局長としての決断に、それまで穏やかに会話をしながらも張り詰めていた糸が緩やかになったように空気が和らいだ。部屋の障子の向うからも零れてくる安堵の息と空気に、近藤は改めて神谷清三郎に対して敬意と尊敬を感じた、
土方は憮然としながらも自然と先程よりも幾許か厳しかった空気を和らげながら、呟く。
「まぁ…局長として近藤さんがそう判断したなら…俺には依存はない……他に依存ある奴もいないな…?」
誰も手を上げるなよという空気を放ちながらも、形式上整えたいのか土方は周囲を見渡す。
無論誰も異論を唱える者はいなかった。
甘いと言わざるを得ない決定に土方の複雑な心情を読み取り、伊東が一人扇の向うで笑みを浮かべているだろう事は彼の目の表情から見て取れたが、土方には青筋を立てながらもすぐさま視線を逸らした。
「じゃあ…しゃーねぇな。神谷清三郎は存命させて。ただ女子だと分かった以上新選組には置いとけねぇから除隊。ただ内通し過ぎているから、沖田の嫁として嫁す事が条件。沖田も神谷の事を隠していた罰として、責任とって神谷を娶る事。…で…いいか?」
「いやったー!!」
幹部が返答するよりも先に、障子の向うから声が上がった。
一気に大量の隊士たちが部屋に流れ込む。
皆一様に神谷に対する采配を気にして集まった者たちだ。
一番隊も他の隊も関係無い、ありとあらゆる場所に配置されている者たちが集まり、聞き耳を立てていたのだ。
「てめぇら!盗み聞きしやがって!皆切腹させるぞ!」
土方のお決まりの怒声に、幹部たちは笑い、聞き耳を立てていた隊士たちも笑いながら逃げていく。
総司はその中で一人、ほっとして、笑みを浮かべていた。