はんぶん9

■はんぶん・41■

「…んー。…いないですけどねぇ。いたらいいんですけど……敢えて言うのならお兄ちゃん?」
セイは暫し考え込みそう答えると、総司は脱力した。そして同時に安堵の息が漏れ、自然と笑みが零れるのを抑えられなかった。
そんな自分を悟られないように、総司はセイをからかう様に呟く。
「…本当にセイさんはお兄ちゃんっ子ですねぇ……好きな人作らないんですか?」
「余計なお世話です!」
「そんなんじゃいつまで経ってもお嫁の貰い手が無いですよ」
「沖田先輩に言われたくありません!」
「何だったら私がもらってあげましょうか?」
「結構です!」
からかいながら、ちょっとの期待を込めた問いへのセイのすっぱりした返答に総司は自爆する。
「沖田先輩?歩くのが遅くなってますよ?」
「すみません」
落ち込む総司を余所にセイは首を傾げる。
「けど、久し振りですね。こうやって先輩とお話しするの。何だか久し振りだと先輩の嫌味もちょっと楽しいです」
その言葉に総司の沈んだ心は一気に浮上する。
「ホントですか!?」
「何でそんなに驚くんですか」
喜びに声が弾んだだけだったのだが、セイには総司が驚いているように聞こえたらしい。
「だって最近会っても会釈だけだったし。道場でも話す事も無かったじゃないですか。それが普通なんだよなーと思ってたんですけど、何か物足りなくて…ほら、お兄ちゃんは沖田先輩みたいに子どもじゃないし、優しいから口喧嘩することって無いんですよ!私が我儘言って困らせて、悟らせるように話してくれるっていうのがお兄ちゃんなんで」
「…すみませんね。子どもで。子ども相手だから子どもの口調に合わせてあげているこの私の心遣いが分りませんかね…」
余りにも兄至上主義発言に面白くない総司は、つい皮肉って喋ってしまう。
「ほら!沖田先輩くらいですよ!そんな風に突っかかってくるの!だから最近会釈だけとかって、先輩が大人みたいで気持ち悪かったんです!」
「…貴方…そこまで言いますか……」
「斎藤先輩と藤堂先輩もお元気ですか!?」
「はい。お元気ですよ」
総司はやや投げやりになりながら答える。
「また、部活に遊びに来てくださいって伝えてください!」
「はいはい。……そう言えば斎藤さんも藤堂さんもセイさんとお昼一緒じゃなくなってから寂しくなったって言ってましたよ」
「本当ですか!嬉しいです!」
「二人の言った事なら素直に嬉しそうに笑うんですね」
「当たり前です!」
「私の言った事にはすぐに皮肉言うくせに」
「人徳です!」
「……」
この人は本当に自分を天国から地獄へ突き落としたり、地獄から天国へ一気に上昇させたりが上手いな、と総司はしみじみ思う。
それだけセイが自分の中で占めている割合が大きいのだと知らしめられているのでもあるのだが。
「また……もう少し落ち着いたら、お昼ご飯お伺いしますと伝えてください」
セイは少し複雑そうな顔をすると、そう言った。
「どうして?」
総司には理由が分らず、反射的に問い返す。
「アンタは少し頭を使いなさいよ!サエさんを振ったんですよ!、それまでサエさんが毎日お昼ご飯一緒だったのに、突然翌日からそのサエさんがいなくなって私が交ざるようになったら、周囲の目にも、サエさんにもまるで私がサエさんから取って代わったみたいに思われて、アンタも私も印象最悪でしょう!」
あれだけの事があって未だ女心を察しない総司に苛立ち、セイは思わず胸倉を掴んで訴える。
総司はと言えば、「ああ、成程」と頷くだけだった。
「でもサエさん、最近はお昼一緒じゃなかったですよ?帰りに一緒が多かったし」
「それでもダメです!」
「その前まではセイさんが一緒だったじゃ無いですか?そこに突然サエさんが来て、セイさんがいなくなって、って言うのがまた逆転しただけじゃないですか。セイさん気にしすぎですよ」
「……段々訳が分らなくなってきました。大体、沖田先輩は私の事が嫌いなのに他の先輩たちが誘ってくれてるとは言え何でそんなに積極的に誘おうとするんですか?」
セイは総司の胸倉から手を離し、頭を抑えながら、不思議そうに総司を見上げる。
総司は一瞬にして顔を真っ赤にした。
「…えっと…それは…、あれですよ!私も言い合いする人がいないと張り合いがないだけですよ!ほらお子ちゃまにレベルを下げる事で脳を緩ませる事も必要って言うか!」
「……先輩の脳は常に緩んでいると思いますけど……」
「そっ!」
総司は「そんな事無い」と反論しようとして咄嗟に手を上げると、セイの手に触れた。
「あっ!」
「きゃっ!」
お互いに触れた手を引くと、目を逸らした。
何と無しに二人とも頬を染める。
「……今日は手を繋がないんですね…」
沈黙が続き、居た堪れなくなったのか、セイが先に口を開いた。
「えっ…と…、繋ぎたいですか?」
「なっ!何言ってるんですか!」
「…そうですよね…」
「………沖田先輩が繋ぎたいって言うなら別に繋がない事も無いですけど…」
「………セイさんが繋ぎたいって言うなら繋いであげない事もナイデスヨ……」
総司は緊張の余りに語尾が固くなり始める。
本当は物凄く繋ぎたい、セイに触れたい。
今も行き交う学生がちらちらとこちらを見ているが、その視線は明らかに大学校舎に高校生がいるという好奇心だけでなく、セイに惹かれている視線が交ざっている。以前セイが総司に会いに来てくれた時と同じ様に。そんな彼らを牽制したい。
けれど、あの時と今のセイに抱く感情はあの頃よりも確実に大きく膨らんでいて、距離が掴めなくなっている。
自分の中の気持ちを扱いかねていると、柔らかい体温が彼の手に触れた。
「いいですよ。今日も大学校舎出るまで繋いであげても」
セイは薄らと頬を赤く染め、視線を逸らしながら、総司の手を握り締めた。
「!」
総司の中の熱が一層上がる。
「…そ、ソレジャ…イキマショウカ……」
掌の中にある熱をそっと握ると、総司は歩き始めた。

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■はんぶん・42■

「セイさんはお昼時間まだ大丈夫ですか?」
「そうですね。まだちょっとなら時間あります。屋上にお弁当箱全部置いてきちゃいましたけど」
「…ごめんなさい。巻き込んでしまって…」
「それはもういいんです。それよりもサエさんを一人置いてきて良かったんですか?」
「何度言われてもサエさんの気持ちには応えられないですし。もう一度お付き合いできませんって伝えてきましたから、もう馬鹿な事しないでしょ」
最後に涙を零していた彼女はもう同じ事は繰り返さない気がする。それに冷たいかも知れないが、彼女がもう一度同じ事をしたとしても、やはり自分の心は少しも揺るがない事を総司は確信していた。
普段気付くことの無かった自分の中にある冷酷な感情に気付かされて驚かされたが、それは何故か同時に己と言うものを納得させられた。
そんな事を彼が思う横で、心配そうにセイは彼を見上げるが、少し考え込むと、「なら、いいです」と少し複雑そうな表情をしながらも微笑んだ。
目の前の少女が傍にいて笑いかけてくれるなら、それだけでいい。
そう思って目を細めると、セイは突然目を逸らし、彼からそっぽを向いてしまった。
彼女の視線が他に移った事で寂しさを感じ、自分が悪い事をしたのかと口を開いたところで、セイの表情が一気に花を綻ばせたような笑顔に変わり、息を飲んだ。
セイの視線は二人が歩く廊下の先に向いていた。
彼女の表情を一変させる原因を知ろうと、総司も彼女の視線を追ったところで、彼は自分が失態を犯していた事に気が付いた。
目の前には祐馬が教室から出てくるところだった。
気がついたら医学部が使う教室の多い棟に入っていたのだ。
セイは嬉しそうに教室を出てくる祐馬に声を掛けよとしたが、それは言葉になる事は無かった。
彼の後ろから一人の女性が現れたからだ。
その女性は彼に嬉しそうに話しかけ、祐馬も優しい視線で彼女の話に耳を傾けている。
それは傍から見ても明らかに分る、恋人同士の纏う空気だった。
「…セイさん…」
「……」
セイは何も答えない。さっきまでの笑顔は一気に曇り、俯くと、ただその場から動かなくなってしまった。

総司は何も言えない。彼女はきっと気付いたのだと悟ったから。そして、それはその通りだったからだ。目の前の恋人たちはまさかセイがこんな所にいるとは思わないだろう。二人は彼女に気付く事無く、楽しそうにその場から離れていってしまった。
握られたままの掌は急激に冷たくなり始める。
制服のセイがこんな所にいるのを不審そうに見送りながら、祐馬と同じ教室で授業を受けていた学生たちは二人を不審そうに見ながらも立ち去っていく。
総司は居た堪れなくなりながらも、けれどセイに何て声を掛けてよいのか分からない。
ただ立ち尽くしていたら、高校の校舎からチャイムが聞こえてきた。
その音に、セイははっとして顔を上げるが、さっきまでの柔らかな表情は何処にも無かった。
総司の手を離し、セイは急いで高校校舎へ戻ろうとするが、その手を逆に総司は強く握り締めた。
「!」
セイは驚いて総司を見上げ、頻りに手を離そうとするが、総司は許さない。
総司はこのままセイと離れる事は出来なかった。
傷ついた表情のままのセイを放す事は出来なかった。
「放してください!」
さっきよりもずっとトーンの低くなった声でセイは叫び、総司を睨みつける。
「駄目です!」
高校の教室では授業も始まると言うのに、まさか総司がそんな事を言うとは思わず、セイは目を丸くする。
総司は驚いた表情のままのセイをひょいと抱き上げると、歩き始めた。

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■はんぶん・43■

近くの小さな無人の教室に入ると、総司は抱えたままのセイを机を上に下ろした。
セイはほんのり頬を赤くしたまま彼の顔を見ず、俯く。
「人を物みたいに抱えて…恥ずかしかったんですけど」
「私もちょっと恥ずかしかったです。でもセイさん軽いですねぇ」
「身軽じゃないと試合の時思うように動けませんから…」
「成程。だからセイさんあんなに素早いんですね」
「…私授業あるんですけど…」
「一時間くらいサボったっていいじゃないですか」
「…私は先輩と違って真面目なんです…次は土方先生の授業だったから、絶対後で怒られるんですけど」
「だったら一緒に怒られてあげますよ。土方さんに怒られるのは慣れてますし」
「皆勤賞だったんですけど」
「卒業の時貰えてもアルバムくらいですよ。あまり意味ないですよ」
「…何がしたいんですか…」
「そんな表情のまま貴方を教室に戻すなんて出来る訳ないでしょう」
辛そうに囁かれた言葉に、セイははっとして顔を上げると、苦しそうな表情を湛えた総司がこちらを見つめていた。
「…何で先輩が辛そうな顔しているんですか…」
「…だって…」
セイは心配そうに己を見つめる瞳に、ふぅと一つ溜息を落とした。
「…沖田先輩、お兄ちゃんに彼女がいるの知っていたんですね…」
見上げてくるセイの視線を受け止めきれず、総司は視線を泳がす。その行動が、彼が知っている事を証明していた。
「…すみません。意地悪をして」
セイは長い息一つ吐く。そんな彼女の様子が何を意味するのか分からなく、総司はただ見守った。

「私、知ってたんです。お兄ちゃんに彼女がいるの」

「え!?」
まさかの事実に総司は目を見開き、事実であることを再確認するように自然とセイの目を覗き込んだ。
総司の同様にセイは苦笑する。
「沖田先輩も…藤堂先輩や斎藤先輩も私を気遣って隠してくれていたんですよね」
「……」
「私がお兄ちゃん大好きなの知っているから、私が傷つかないようにって」
「……」
「最近お兄ちゃんがお昼ご飯一緒にいないのもさっきの彼女さんと一緒に食べているからなんでしょう?」
言って、セイは今頃食堂にいるであろう兄を思っているのか、廊下の方を見、遠い目をする。
「ごめんなさい…。余計な気遣いでしたか?」
一度サエが喋り、ばれてしまうのではないかと、慌てて取り繕ったが、それもいらなかったのかも知れない。そう思い、総司がそう問うと、セイは首を横に振る。そして、何かを思い出
したのか、また苦笑した。
「今回が初めてじゃないんですよ。一度、お兄ちゃんが高校生の時にも彼女が出来た事があるんです。今はその彼女さんと私の方がすっごく仲がいいんですけどね。だから大丈夫なんです」
そう言う、セイの顔はとても言葉通りの『大丈夫』なんかには見えず、今にも泣き出しそうで、それを懸命に堪えているのか、目を真っ赤にして眉間に皺を寄せていた。
総司は溜息を付くと、セイの眉間にぴたりと指を当てる。
「全然大丈夫なんかじゃないじゃないですか」
「大丈夫です!」
「セイさんは重症のお兄ちゃんっ子なんです。そんなの見てれば誰だって分かります。だから私たちだってずっと隠してきたんだし」
セイは赤い頬を膨らませ、総司を睨みつける。が堪える事無く総司は続ける。
「焼餅焼いたり、彼女さんに多少嫌な事したりしても、皆仕方が無いなって笑ってくれますよ」
総司は自分の心に正直なセイのそんな行動が容易に想像出来て、笑ってしまう。
しかし、それはセイにとっては予想外の言葉だったらしく、それまで歪めていた表情が、きょとんとする。
「私、そんな事しませんよ。最初の彼女さんとだって仲良くしていたし、お兄ちゃんが逆に私と彼女さんが仲良すぎて焼餅焼いていたくらいだし」
「え?そうなんですか?」
まさかの返答に、今度は総司が逆に驚く。
「お兄ちゃん大好きですけど、お兄ちゃんには幸せになって欲しいですもん。私いつも二人の時間の邪魔にならないように気を遣うの大変だったんですよ。大好きな人のお邪魔になんて絶対になりたくないですから」
「それは…気遣いすぎな気が…だって、嫌だなって思いません?」
「嫌だなって…だって、お兄ちゃんは幸せなんだもの、寂しいけど仕方がないですよ」
「私だって姉がいますけど、結婚するって知った時は嫌だなって思いましたよ。まだ子どもだったから駄々捏ねて、お義兄さんが家に来たときなんか、普段そんなに甘えないのに見せ付けるように姉にべったりでしたからね」
「沖田先輩子どもですね!」
「だから子どもの時の話だって言ってるでしょう!まだ小学生の時です!」
セイにからかわれ、総司は赤くなって反論する。
けれど、セイは気にした様子無く、笑って言葉を続ける。
「えー。私小学生の時もお兄ちゃんにべったりだった事無いですよ。だってお兄ちゃんだってやりたい事だろうに邪魔になっちゃうじゃないですか」
今度こそ総司は本当に驚いた。
「セイさん、あんなにお兄ちゃんっ子なのに、甘えた事ないんですか?」
「ないですよ」
「自分を構ってくれなきゃ不貞腐れるとか」
「ないです」
「お菓子買ってくれなきゃ泣いちゃうぞとか言って困らせたりとか」
「なんですか、それ」
「喧嘩した事は?」
「ないです」
セイは不審そうに眉間に皺を寄せ、総司を見る。
「お兄ちゃんとはずっと仲がいいから。喧嘩した事なんて一度もないんです!本気で喧嘩したのなんて沖田先輩が初めてです!」
総司は唖然とした。
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■はんぶん・44■

「先輩みたいな子どもの人に会ったの初めてです!最初出会った時なんか最悪!初めて本気で腹立ちましたよ!」
「…それは光栄です」
セイが初めて出会った時の事を思い出したのか、ぷりぷりと怒る一方で、総司は呆然としていた。
(幾ら仲がいいからって生まれてから今まで一度も喧嘩した事が無いなんて!)
決して祐馬とセイの仲が喧嘩もしないような希薄なものだとは思えない。
どれだけ二人の仲がいいのかは散々見せ付けられてきた。
「…あの、祐馬さん、時々、セイさんに甘えて欲しい…なんて呟いたりしません?」
「何で知ってるんですか!」
総司の問いに、セイは驚いて顔を真っ赤にする。
「……もしかして、私とセイさんが喧嘩しているのを見て……羨ましいなんて言ってたりしません?」
「!沖田先輩、お兄ちゃんに言われたんですか!?」
セイの反応に、総司は深い溜息を吐く。
(私も祐馬さんが羨ましいなと思っていましたけど、祐馬さんももしかしてずっと私の事羨ましいと思ってたんじゃないですかね)
「ねぇ、セイさん。どうして私にはそんなにぶつかってくるのに、祐馬さんには控えるんですか?」
「お兄ちゃんが大好きだからです!」
握り拳を作り、自信満々に答える、セイ。
総司は微妙に凹む。けど顔には出さず、話を続ける。
「…私がもし祐馬さんと同じ立場だったら、自分の事を好きだと言ってくれるのなら、自分がやりたい事さえも出来ないくらいずっとべったりくっついて来て、出来もしないような事言って
困らされたり、本当に嫌な事されて本気で怒って泣かせたり、それでも可愛いから許しちゃう。みたいな妹がいいなと思うんですけど」
「沖田先輩の妄想ですか?」
「違いますよ!」
一気に心の距離を取るセイに、総司は慌てて反論する。
「そんな風に自分の想いを曝け出しても、大切な妹だったら全部許せちゃうから、他人みたいに気遣いなんかしないで、甘えて欲しいと思うんじゃないかと思うんですけど!」
「大好きだから気遣いするんじゃないですか?」
「ある程度は嬉しいですけど、偶には本音でぶつかってきて欲しい時だってありますよ。だってプレゼントあげて、あからさまに不満な顔しているのに、『嬉しいです』なんて言われても
あげた方も嬉しい訳ないじゃないですか」
「そんなヘマしません」
またもや自信満々に答えるセイに総司は頭を抱える。
自分は考えるのは苦手で上手く言葉にして伝えるのは苦手だとは自覚しているが、それでも話が伝わっていない事だけは分かる。
「そうじゃなくてっ!!それは例えであって、お互い人間なんだから自分にとって好きなところも嫌いなところもあるでしょう。それを家族にまで気遣う必要はないんじゃないかって言ってるんです。それで意見が合わなくたって喧嘩したっていいんですよ」
「……」
セイは総司の言葉を頭の中で再度噛み砕いているのか、暫く沈黙し、そして顔を上げると、おずおずと尋ねた。
「あの……喧嘩って、相手が嫌いだからするものじゃないんですか?」
それは総司とセイの関係か。とは思ったけれど、自分で自分をこれ以上傷つける事になるので、総司はあえて触れない。
「いや。そういう場合もあるでしょうけど、相手に自分を知って欲しくて、でも分かって貰えないから分かって貰おうと必死になって、喧嘩になっちゃったりしませんか?」
「……」
未だピン来ない様子のセイに、総司は溜息を吐く。
「と、言うか、セイさんに自分に妹がもしいて、セイさんと同じような行動とられていたらどう思いますか?」
「……」
セイは今初めて想像したのか、衝撃を受けた表情をし、そして、俯いた。
「……こういう時無理しないで泣いてもいいんですか?」
ふと、総司はセイの声が震えている事に気が付いた。しかし何も言わず、俯いたままのセイを見つめる。
「…本当はずっと…苦しかったんです……もっとお兄ちゃんに傍にいて欲しいし…抱っこして欲しかったし、友だちと遊ぶよりも私と遊んで欲しかったし…でも、お兄ちゃんに嫌われちゃう、嫌な子になっちゃうと思ってたから言えなかった…」
「言ってもいいんですよ」
総司が囁くと、セイはばっと顔を上げ、彼を見つめる。
さっき祐馬と彼女を見かけた時と同じ、傷ついた表情のセイ。
「お兄ちゃんを独り占めできないのは嫌だ。お兄ちゃん彼女ができるのは嫌だって言っていいんですよ。きっと祐馬さんだって困った顔はしても、物凄く嬉しいはずですよ。それだけセイさんに思われてるって知る事が出来るんだから」
総司がそう言うと、セイは今度こそぼろぼろと大粒の涙を零し、そして懸命にそれを拭うが、それでも止め処無く頬を伝い、拭う腕を濡らした。
「…だって我侭言ったら、お兄ちゃんが傷つくって…お願いしたらお兄ちゃんの邪魔になっちゃうって……ずっとそう思っていたのに……でも……言われたら嬉しいなんて…気づかなかった……でも……分かる……」
子どものように泣きじゃくるセイに、総司は不謹慎だと分かっていながら頬が熱くなる。
しかし。
「…誰がそんな風に言ったんですか。甘えられたら迷惑だなんて。今だってこんなに可愛いと思えるのに」
「分かんないです……だってずっと…そう思ってたから……」
言った先から、またぼろぼろと涙を零す。
嗚咽も堪え切れなったのか段々と大きくなり、しゃっくりを繰り返す。
総司は、一つ大きな息を吐くと、セイを引き寄せた。
「…っ!?」
「これでお互い様ですね。お互いに泣き顔も見られたし。今度は私が胸を貸しますよ」
背に回る腕が、大きくて、力強くて。
大きな体がセイの体をすっぽり覆い隠して、

安心した。

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■はんぶん・45■

確かにセイは兄に甘えた事が無い。
いや、あるかもしれないが、総司の言うようなあからさまな甘え方をした事は無い。
いつだって、兄の傍にいたが、兄を振り回したり、困らせたりするような行動だけはしないように心掛けていた。
身近な存在だからという事もあるだろうが、何となくそう言う感情になりそうな時はすぐに伝わってしまう気がして、そういう時は自然と気をつけるようにしていた。
だからと言って、総司が今、自分に伝えようとしている感情は決してセイの中で抱いた事が無い感情では無かった。
ただ、そういう感情を抱くのは、それを相手にぶつけてしまうのは悪い事だと思っていたらから。
けれど、自分にもし弟か妹がいて、そんな風に接されていたら。
それは酷く寂しい気がした。
「…まさか沖田先輩に諭されるなんて…」
「何ですか。私の方がずっと大人なんですから、当然です!」
「はーっ…ショック……」
「酷いです!セイさん!冗談じゃなくて本気で言ってますよね!」
総司の胸にすっぽりと収まりながら、未だ涙が零れてくるが、そんな自分を何処か冷静に見つめながら、セイは悪態を吐いてみる。
相変わらず酷い事を自分は言うものだ。そうは思うし、総司も返してくるけどそこには少しも怒りを感じない。
「……何で沖田先輩にはこうやって酷い事幾らでも言えるんだろ……」
けれど、零す言葉と涙と共に心の中でずっと積もっていた靄が少しずつ溶け出していくのを感じる。
「本当ですよ!」
そうは言うけど、総司はセイを抱きしめたまま。
きっと苦情は言うけれど、彼はセイが自分から離れない限りこのままでいてくれるだろう。
何故だかそう確信している。
だから素直に自分の思う事を吐露し続けられる。
「…お兄ちゃんもこんな風に酷い事言っても、傍にいてくれるのかな…」
「当たり前でしょう!」
当然のように返す総司にセイは笑ってしまう。涙を零し続けたまま。
「私が、一人で勝手に嫌われちゃうと思い込んでいたんですね……あのお兄ちゃんが私を嫌うはずないのに……」
少し考えれば分かる事。今なら分かる。
自分がそうであるのと同じように、祐馬はセイを見捨てない。
けれど、セイには何故か自信が無かった。
「……不思議……」
涙は零れ続けるのに、セイの思考は止まらない。
寧ろ涙が落ちていくと共に思考が晴れていく。
自分の包む熱に酷く甘いものを感じながら、いつかの総司もこんな気持ちだったのだろうかとセイは思った。
「正直に言いますとね。…セイさんがこうやって私にだけ酷い事言ってくる事に今ちょっと嬉しいんですよ」
身を寄せる胸元から届く振動が少し速くなる。
「マゾ?」
「--それはまたキツイ言葉ですね。」
そこで、言葉が途切れ、セイも酷い話の腰の折り方をしたと、「それで」と話を続ける事を促した。
総司は少しまだ言い澱みながらも続ける事に決めたらしく、大きく息を吸った。
「祐馬さんとはもっとべったり我侭言ったり、喧嘩して甘えているものだと思っていたから…こうやって酷い言葉も平気で返してくるのが……まるで自分だけがセイさんに甘えられてるみたいで……嬉しかったんです……」

どくん。

今までに無いくらいに、セイの心臓が大きく一つ跳ねた。

それは、決して甘い痛みなんかじゃない。

決してしてはいけなかった事をしてしまった、

後悔の心音だった。