はんぶん6

■はんぶん・26■

パァンッ!
カッカッカッカッ!
パンッ!

「ヤーッ!」
セイが突いてくる竹刀を、総司はひらりとかわす。そして、総司がかわした体勢から翻ってセイの頭上に竹刀を振り下ろす。すると今度はそれを察したセイが一歩下がってかわすかと思えば、逆に総司の懐に入り込み、胴に一本を決めようとしたところを、総司の竹刀が受け止めた。
その一瞬の攻防に当事者二人も、二人を見守っていた周りの者も息を飲んだ。
「……セイさん。強くなりましたね」
「努力していますからっ」
そう言葉を交わすと、同時に互いに交差していた竹刀を引き、間合いを取るように体を引いた。
一見すると互角の戦いに見えていたが、明らかに体力差が出始めていた。
肩を揺らして呼吸をするセイに対し、未だ総司は汗を零す事はあっても呼吸乱れる事無く、何処か余裕を見せるくらい楽しそうに相対するセイを見つめていた。
数度打ち合いをし、既に何本か総司が勝っていた。しかし、春の時とは違い、明らかにセイも強くなり、総司に押し始めていた。それでも確実な一本は未だ無い。
セイが先に動いた。
と、総司も体勢を低くし構えた--。
瞬間。
総司の視界からセイが消え、気が付いた瞬間には、総司の籠手に一本入っていた。
それは周囲から歓声が上がる事で、総司が初めて気が付いた。
振り返ると、セイがしたり顔でこちらを見ていた。
「え?」
「っやったーっ!沖田先輩から一本取ったーっ!」
そして、次の瞬間にはセイは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ね、全身で喜びを表していた。
「ええっ!?何ですかっ!?今の!?」
おろおろとする総司と、喜びに踊るセイに、二人の攻防を見守っていた者たちは一斉に集まってきた。
「凄いよ!総司!」
「沖田さん。あんたでも一つぐらい取柄があるものだな」
「沖田さん。本当に剣道一度もした事が無いのかい?」
「……沖田先輩、凄いっす」
そう声を掛けてくるのは、藤堂、斉藤、祐馬。そして、遠巻きに見ていた中村。
「……馬鹿の一つ覚えだな」
小さく呟くのは土方。その表情は何処か曇っていた。
そして。
「総司!お前凄いじゃないか!あんなに嫌がっていたのに!やっぱりお前は強い!」
そう言って、近藤は喜び全開にその大きな体で総司を抱き締めた。
「近藤先生……」
総司は何故か分からないまま思わず涙ぐんでしまう。
「セイも凄かったぞ。沖田さんがあんなに手馴れだとは思っていなかったが、あの強さの人間から一本取るんだからな」
祐馬はそう言うと、セイの頭を撫でる。
セイはほにゃりと頬を緩ませた。
「そうですよ!今の何ですか!?」
「セイが己の素早さと小柄な体を利用して、沖田さんの視界から外れるように動いたんだ」
一本取られた瞬間のセイの動きを見抜けなかった総司は近藤に抱きつかれたまま、悔しそうにセイを見る。それに斎藤が答えた。
「ふふん。沖田先輩に前回一本も取れなかったら、同じ体格の人に練習を付き合ってもらって作った技なんです!」
セイは得意げに胸を張る。
「そうなんですか」
心底悔しそうに呟く総司に、藤堂が首を傾げる。
「セイちゃんに負けたのがそんなに悔しいの?だって総司、剣道初めてでしょ?普通なら負けても仕方が無いんじゃない?って言うかそれまで勝ち続けてた事の方が凄いよ?」
「……セイさんだけには負けたくなかったんです」
「何故?」
斎藤が問う。
「……分からないけど。けど、セイさんだけには絶対に負けたくなかったんです」
「そんなに私が嫌いですか」

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■はんぶん・27■

総司の主張を聞いていたセイが顔を顰めて言うと、彼はばっと顔を上げ、「そうじゃないんです!」と慌てて否定する。
「そうじゃないんですけど……斎藤さんに負けても、土方さんに負けても仕方が無いし、剣道をやった事無いんだから当たり前だと思うんですけど。セイさんに負けるのだって別に悔しがることじゃないって頭で分かってるんですけど……セイさんは強いですよ。尊敬もしてます…でも……セイさんだけには負けられないと思ったんです」
「先輩の仰る意味が良く分かりません」
セイはむっとして総司を睨みつける。
そんなに自分にだけは負けたくなかったのか。他の誰には負けを認めても、自分にだけは絶対に譲りたくないと言うのか。それほどまでに自分を嫌悪しているのか。そう思うと不快感が増し、セイは悔しかった。
今まで彼に認めて欲しくて頑張ってきたのに。
一方で、その場にいた他の男たちには何となく、総司の心情が理解できた。
総司は否定するだろうが、『男の矜持として、好きな女にだけは弱いところを見せたくない』のだろう、と。
土方と近藤からして見れば、更に、二人は元々師弟関係だ、尚更師が弟子に負ける事など認めたくないだろう、ということが想像付く。
「セイ。沖田さんは自分より弱い男としてセイに見て欲しくないんだよ」
祐馬がそっと助け舟を出す。
総司が持っているだろう恋愛感情を絡めず、彼の矜持を傷付けず、セイに理解させる丁度いい具合の言葉選びで彼女を諭す。
他の人間たちは一同に感心した。
セイは目を丸くすると、ふるふると首を横に振る。
「私、先輩を弱いなんて思う事絶対ありません!こんなに強いのに!だってずっと先輩に追いつきたくて頑張ったんです!私なんてずっと負け続けてやっと一本取れただけなんです!まだまだ先輩に教えて欲しい事沢山あるんです!」
その言葉に、総司は顔を上げ、すっかり色の褪せていた肌の血色が良くなっていく。
セイを見ると、彼女はしっかりと彼を見据えた。
「いつかもっと強くなって沖田先輩から一本を取って、それから言おうってずっと思っていたんです」
そう言うと、セイは一つ呼吸を置く。
「沖田先輩。剣道好きですよね?」
総司は息を飲む。
「以前、才能と興味は別物だと仰いましたよね?でも、剣道は好きですよね?」
「私は……」
「何で好きなものを好きだと言うことに戸惑っているのか分かりませんけど」
そこで一度言葉を切り、セイは続けた。
「好きなものは好きだって仰っていいんですよ。好きなものは好きでいいんですよ」
総司は目を見開く。セイはふわりと優しく笑った。

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■はんぶん・28■

「竹刀を二度交えていれば分かります。先輩、剣道好きです。剣道バカです。やった事が無いって言っていましたけど、本当はずっと興味があったんじゃないんですか?だって近藤先生と土方先生の傍にいたんでしょう?ずっと一緒にいる二人とも剣の道にいて自分もやりたくならないはずが無いです。あんなに凄い剣を扱うお二人なら尚更。さっきの試合だってずっと体が動いてた」
「それは……」
「好きなら思いっきりやればいいんですよ!お菓子だって好きで誰が止めてもあんなに食べてるじゃないですか!剣道だって思いっきりすればいいんです!好きなものは好き嫌いなものは嫌いってはっきり言うのが先輩じゃないですか!会った時からずっと気になってたんです!好きなものを嫌いなんて言う先輩、大っ嫌いです!」
総司は恥ずかしさで顔を真っ赤に染めた。
言われてみればその通りだったからである。
元々嫌いなものは少ないが、それでも好きなものは好き嫌いなものは嫌いと素直に言うのが自分だった。
なのに、剣道だけは違った。
総司が小さかった頃から既に傍にいた、近藤と土方。大好きな二人がやっている事は何でも真似をしたし興味も持った。
それなのに剣道だけは。どうしても竹刀を握る事だけは出来なかった。
やったら絶対に自分は好きになる。それは確信していたはずなのに。
どうしても出来なかった。
だから出来るだけ遠ざけた。見ないように、聞かないように、嫌いになるように思い込むようにした。
そして、興味が無いように振舞っていたら、そのうち誰も剣道の話を触れてこなくなった。
『好きなものは好きだって仰ってもいいんですよ』
その言葉は、総司の自分でも無意識に閉じ込めていた想いを解放した。
「えっ!?ちょっ!?先輩っ!?」
ずっと言いたかった事を言い切って満足そうにしていたセイは、総司の変化を見て、ぎょっとする。
「総司!?」
「沖田さんっ!?」
他の人間も次々に彼を見ては驚いていた。
何故、皆自分を見て驚くのだろう。
そう、思ったが、すぐに自分でも、異変に気が付いた。
「……私…泣いてますねぇ」
総司はへらっと笑ってみせる。
笑っては見せるが、涙は止まらず零れ続ける。
「セイさんに泣かされました」
「私のせいですかっ!?」
セイは慌てるが、その姿に総司は苦笑する。
涙は流れ続けるが、総司にとって不快ではなかった。
流れていく涙と共に、体の何処か奥がすっきりしていく感覚がある。
そして今の自分の状態を与えたきっかけがセイだということに喜びを感じていた。
「セイさん。責任とって下さい」
「え?どうすれば」
おろおろとするセイに、総司はにっこり微笑む。
「祐馬さん。先に謝っておきます。ごめんなさい」
そう言うと、総司はセイの手を引き、己の懐に抱き締めた。
「えっ!?きゃっ!?」
セイは突然抱き締められ、顔を真っ赤にしてもがくが、総司の腕が緩む事は無い。
腕の中のセイの温もりが、更に総司の心を溶かしていく。
癒されると言うのはこういう事を言うのか。とぼんやりとした頭で考えた。
セイは最初は戸惑っていたが、次第に諦めたのか、総司の背中にそろりと手を回した。
その彼女の仕草に、総司の中に更に喜びが溢れ、温かいものがどんどん胸に溢れた。
『好きなものは好きだって仰ってもいいんですよ』
その言葉は何度も総司の頭の中でリフレインし続けた。

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■はんぶん・29■

総司の涙が止まり、セイと総司が二人離れた頃には、既に道場内の片付けが終わり、いつの間にか道場には二人だけの状態になっていた。
離れがたくなっていたがずっとそのままという訳にもいかず、取り合えず自分たちも帰ろうと外を出ると、祐馬と土方、近藤が二人を待っていた。
話によると、近藤たちの他にまだ疎らに生徒たちや門下生たちがいたが、離れないまま制止した二人を気遣い、皆早々に片付けと、二人を避けながら掃除も終わらせると、さくさくと帰っていった。藤堂、斎藤も苦笑しながら、そして中村も滂沱の涙を流しながら。
そして、セイを待つ祐馬と、総司を待つ土方と近藤だけが残った。二人きりにしてやろうと思い、外で待っていたのだと言う。
気恥ずかしさを感じながら、セイは祐馬と、総司は近藤と土方の車に乗って帰路に着いた。

車の中で総司はぼんやりと窓の外を見つめながら呟いた。
「……近藤先生。もしかして、私の事お見通しでした?」
土方の隣、助手席に座っていた近藤は総司を振り返る。
「…そうだな。確信は無かったけれど。思っていたよ」
本当は剣道をしたいと望んでいた事。それでいて自分でその気持ちに蓋をしていた事。
「お前はバカなんだよ。いつだって。大事なものであればあるほど遠ざけやがって」
土方が悪態を吐くと、総司は苦笑する。
「そうかぁ。その通りかも知れないですね」
「総司、本当に大切だと思うものなら、自分で守ればいいんだよ。わざと遠ざける必要はない」
決して二人は総司の行動を非難しない。それは今の総司には心地良かった。
きっと二人は、今日のセイのように総司に言いたかったのだろう。もしかしたら遠回しに言ってくれていたのかも知れない。けれどその言葉は総司には届かず、総司自身も拒否していた。
自分の心を自分自身で見る事を避けているのが傍から見て分かりきっている事を敢えて言い放ち、彼を傷つけないようにしてくれていた。
「……ずっと心配かけていたんですね。ごめんなさい」
その言葉に土方と近藤は顔を見合わせる。そして、ふっとどちらかとも無く笑う。
「そうだ、近藤先生、私、道場通ってもいいですか?」
思い出したように言い出す総司に、近藤は表情を明るくする。
「勿論だ!セイさんももっと極めたいからと言って入門を希望していたぞ」
「本当に剣道が大好きなんですねぇ」
「そうだね。あの子はまだまだ伸びる」
「私も負けられません。今度は絶対に負けません」
決意したように言う総司に、近藤は嬉しそうに笑う。
「セイさんは凄いなぁ。総司をそんな風に変えてくれるなんて」
「そうですね」
総司は素直に同意する。
そして眉間に皺を寄せると呟いた。
「でも、嫌いです……」
どうして。
土方と近藤は互いにまた視線を合わせる。
どうして。
そこまで頑なになる。
好きなものは好きでいいと気付いたのなら。
セイへの己の気持ちに気付いても良いだろうに。
何故。
そこだけ未だ頑なになる。
土方はそれを問いに変える事はせずに、呟いた。
「俺はあまり奇跡だとか信じるタチでもないが、今は富永と何だかんだ言いながら毎日会っているが、そのうち逆転するんじゃないのか?そうなる前に動かねーと、本当に大事なもん無くなっちまうかもしれねーぞ」
「どういう意味です?」
「さぁ」
その後、車中は無言だった。

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■はんぶん・30■
*史実バレっぽくなってます(汗)…すみません。

若葉が風で揺れる、新緑の季節。
解放された障子の向こうから初夏の風が吹き込んでくる。
その心地良さに自然瞼は閉じ始めた。
力の入らない体。今にも消えそうな意識。
私は今、死ぬのだ。
それだけが与えられた思考の全てだった。

どうにかまだ映る現世で、焼きつくのはあの人の泣き顔。

「沖田先生っ!」

彼女の声。

意識の消え往く中、一気に激しい勢いで溢れ出して来る後悔。
何度と無く今までも生まれては、そして昇華していったと思っていた後悔。
あの時彼女を離隊させていれば。
あの時彼女を無理矢理にでも突き放していれば。
今、この子はこんなにも苦しまなくてもすんだのではないか。
私に縋り付き、そして懸命に費えていく私の命を現世に留めようとしてくれている。
本当なら今頃、素敵な旦那さんや可愛い子どもに恵まれて幸せに暮らしている年頃だったのに。
誰よりも彼女の幸せを願っていたはずなのに。
何度も彼女の願いを叶えてやったつもりになって、己の欲の為に、彼女を私の傍に留まらせた。
ずっと私の傍にいて欲しい。
そんな我欲の為に、彼女の幸せを私が壊した。
こんなにも泣き叫び、私を呼ぶ少女。
既に沢山の仲間を見送り、綺麗なその手を血で穢してきた。
沢山の裏切りや、戦や、別れで身が引き裂かれそうなほどの痛い思いをさせてきた。
彼女は自分が選んだ道だからと言う。
それでも、私が止めていれば、彼女はそんな事を知る事も無く、幸せに暮らしていたはずなのに。
私があの時、彼女を留めてしまったから。
私があの時、彼女を望んでしまったから。
私があの時、傍にいる事を欲してしまったから。
今も、この別れの瞬間さえも、彼女が一時でも離れる事に脅えている。
私が、彼女と出会ってしまったから。

神谷さんを、愛してしまったから。

私が傍にいなければ。
あの時、出会わなければ。
愛しいと思わなければ。

神谷さんは幸せになれたのだ。

「沖田先生っ!沖田先生っ!沖田先生っ!」

それでも私の死を悼んでくれる彼女を、誰よりも愛しいと思う。
泣きじゃくるその顔も、触れる手の温もりも、掠れる声も。
嬉しいと思ってしまう私は、許し難い罪人だ。
私は貴方がいて幸せだった。
だから、貴方には幸せになって欲しい---。

「……だから私は嫌われなければならないんです。傍にいてはいけないんです」
呟いた言葉は、瞼を開いた瞬間には、全て消えていた。
総司は布団から起き上がり、そして、虚空を見つめる。
涙が零れた。
子どもの頃は泣き虫だと言われたが、最近は泣く事なんて全く無かったのに。
どうもセイとこの間打ち合ってから涙腺が弱くなっているらしい。
徐に拭うと、何か夢を見たような気がして、思い出そうとするが何も浮かばない。
四月になってから頻繁に夢を見ては忘れる事を最近繰り返している。
自分は何かを忘れているのだろうか?
しかし、何も浮かばない。

ふと。
桜の下で微笑む少女が浮かんだ。

どきり。と胸が高鳴る。
総司は自分で自分の反応に驚いた。
それは昔馴染んだことがあるような感覚。それでいて未だ自分には無かったはずの感覚。
きっと他者が言うなら、愛しいと言う感情。
『好きなものは好きだって仰ってもいいんですよ』
夢の中の少女と、セイが重なる。
また一つ大きく鼓動が高鳴る。
「……だから、私はあの子を嫌いでなくちゃいけないんです」
私はあの子を幸せにする事など出来ないのだから。
何故、そう思うのかは分からず、それでもそれは総司の中で既に決して揺らぐ事のあってはならない約束だった。