はんぶん4

■はんぶん・16■

言い過ぎたかもしれない。
セイは教室まで戻る途中、廊下を歩きながら、さっきまでの出来事を思い出していた。
確かに少し言い過ぎたかもしれない。
もう一度思うと、セイは深く溜息を吐く。
昨日、土方が言い出した事とは言え、総司は心配して一緒に家まで送ってくれたのだ。そのお礼に何かをしたかった。だから作ったばかりのカップケーキ渡したのだ。
きっとラッピングなんてしても、少しも見ることなんてしないで、すぐに開けて食べてしまうだろうと思いながらも、丁寧に飾った。
案の定すぐにかぶりついた時は、思わず笑ってしまった。
仕方がなくでは決してなかった。ちゃんと感謝を込めて総司に渡した。
いつもなら嫌味な位、何処か悪戯っぽくからかってくるのに、さっきは本気で怒っていた。
てっきりまた笑って、怒って、嫌味を返されると思ったのに。
総司は怒るけど、本気で怒らない。
何時だって、セイの方が先に総司を傷つける事を言って、総司は正面から受け止めて怒ってくれる。受け流す事も、聞き流す事もしない。だから傷つけた言葉を言えば、傷ついたと怒ってくれるから、セイも心置きなく言い返せるのだ。
受け流されてしまったら、言葉は一方通行で、きっとセイは本当に傷つける事を言っているかどうかも分からずに総司を傷つけていたかもしれない。
子どもだなと自分でも呆れてしまう。それでも自分で自分が止められないのだ。
何故か彼に嫌われるような事ばかりが会えば口から勝手に出てしまう。
それでもその本気で怒らない人を、本気で怒らせた。
怖かった----。それよりも自分が総司を本当に傷つけてしまった事が、自分の痛みとなって返ってきた。
きっと自分は、自分が思うほど、総司の事を………。

そこまで考えて、セイは思考を制止させた。

総司の事は嫌いだ。
そうだ。自分は総司の事が大っ嫌いなのだ。

でも、それと、相手を傷つける事は違う。

思ったらすぐに行動するのがセイのいいところだ。
セイは踵を返し、もう一度食堂へ向かった。
大学高校共同の食堂を抜けて、大学校舎へ入る為に。
手に持ったままのカップケーキが自然と力が入る手で潰されそうになる。
大体、総司が鈍いのが悪いのだ。だからあんな事を言わざるを得なかった。
サエが声を掛けてきたのは、明らかに総司に対して。
サエがカップケーキを作ってきたのは、明らかに総司の為。
好きな人の為に何がいいだろうか一生懸命メニューを考えて作ってきただろうに、その人に、前の日に別の女の子から同じ物を貰いましたと言われてみろ、これから比較されるのが分かるじゃないか。
どんなに手料理が得意でも、一生懸命作っても、上手くいったと思っても、好きな人に食べてもらう物に自信なんてある訳ない。
どれだけの恐怖がサエの中にあの瞬間渦巻いただろうか。
それを少しも考えず、言い放つあの男が悪いのだ。
ただ、サエの事を考えすぎて、総司の気持ちを蔑ろにした自分も悪いのだ。
だから謝りに行く。

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■はんぶん・17■

大学校舎は広い。
学部も多く、その分高校なんか比較にならないほど校舎が多い。
その中をセイは闇雲に走り回る。
高大の交流が多い学校ではあるが、それでも私服の大学生の中で制服を着ているセイの姿はかなり目立つ。大半の人が、走るセイをぎょっとして見ていた。
セイは気にせずに走る。
そんな事をして本当に総司が見つかるのかと言えば、----見つかるのである。
どんっ。
「うわっ!」
迷わず前方を歩いていた一人の男性の背中からタックルをかまして、がっしりとそのまましがみ付く。
「えっ?えっ?えっ!?セイさん!?」
抱きつかれた男性、総司は背中にしがみ付いて離れない制服の少女に驚いてしまう。
セイは動揺している総司の声に怒気が含まれていない事にほっとした。
「ごめんなさい!」
しがみ付いた手を離さないまま顔を上げ、セイは総司の顔を見ると、謝った。
「え?はぇっ!?」
総司はと言えば、腰に巻きついてくるセイの身体の柔らかさやら、顔を上げたセイの顔の近さに動揺し、全身の熱が一気上がってくるのを感じて、それを抑えるのに必死だった。
「カップケーキはちゃんとしたお礼ですから!仕方がなくじゃありませんから!」
「ふわっ!へ?」
総司は舞い上がる思考の中、どうにかセイの言葉を聞き取る。
そして、突然、自分を包む熱からぱっと解放された。
「それだけを言いに来ました。それじゃ」
セイは恥ずかしさからなのか今にも泣きそうなくらい必死だった表情が急に真顔になると、片手を挙げ、くるっと踵を返し、今度は早歩きでその場を立ち去ろうとする。
総司は呆然と見ていた。
「態々謝りに来てくれたんですか……?」
さっき本気で怒った事に、総司自身もどうしてあんなに怒る必要があったかと反省していた。どうにもしなくても一日一回必ず会ってしまう二人だ。もしかしたら次会った時に気まずくなってしまうかもしれない。それは嫌だと思っていたが、セイがどう感じているかと考えると怖くて、謝りに行くにも二の足を踏んでしまっていた。だったら、次偶然に会った時に、笑い飛ばして、無かった事にして……と散々シュミレーションしていたのだが。
セイはあっという間に自分を質して、謝りに来てくれた。
あんなに自分に対して脅えていたのに。
そう思うとほっこりと心が温かくなるようだった。
自然と頬が緩んでくる。
ふと、周りを見ると、セイを好奇の目が向けられていた。
その中には明らかに見惚れている者もいる。
セイは可愛い。文句無しに可愛い。そして時折とても綺麗だ。
まだ成熟していない少女の部分の中に、女性の部分を垣間見る。身体的にも精神的にも。
それはとても魅力的で、時にとても危うく見える。
そしてそれらは男心を惹きつけて止まない事くらい総司も分かっていた。
何より危険なのが、それを本人が少しも分かっていない事だ。
「セイさん!」
総司は慌ててセイの後を追いかけ、彼女の手を握る。
「なっ!?何するんですか!?」
「送ります。大学生の中に制服姿で一人で歩くの緊張するでしょう?」
「……アリガトウゴザイマス」
セイは慌てて周囲を見て、それからほっとして視線を床に落とす。
何処かでサエが見ていないか心配したのだ。勘違いや誤解をされるのだけは困る。
勢い余って抱きついてしまったが、抱きつく時だって、周りにサエがいないかしっかり確認しながらだった。
総司とサエはまだ何の関係も無いようなのに、何故か構えてしまう自分が総司の浮気相手になっているようで微妙な気持ちだった。
それでもここまで無我夢中で走ってきたのはいいが、やる事終えたら、一人大学構内を制服で歩いて変えるのは心細かったので、総司の申し出は正直有難かった。
「沖田先輩。手は繋がなくてもいいんじゃないですか?」
「いいじゃないですか。貴女子どもですし、迷子になったら困るでしょ」
「子どもじゃありません!」
セイはかっとなってブンブンと手が離れるように振り回すが、総司はがっしりと握って放さない。
総司にとっては、周囲の男たちへの牽制だった。
(だって、これで変な虫が付いたら祐馬さんに怒られそうですし)
自分がその虫の一匹に為り得る事には気付いていない。
総司は、セイの気を逸らす為に話を変える。
「ところで、セイさん、よく私のいる場所が分かりましたね」
その問いに、セイはゲンナリした表情を見せた。
「どうせ、どうやったって会うんです。何も考えずに走れば、きっとぶつかると思ったんです」
「……凄いですねぇ。余程縁があるんですねぇ。私たち」
「ソウデスネ」
少し頬を紅潮させて言う総司に、セイは疲れたように溜息混じりに同意した。
それでも掌の温かさが、セイの心の奥を温かくした。

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■はんぶん・18■

花だろうか、雪だろうか。
白い花弁の舞う景色の中、笑う一人の青年。
浅黒い肌、凛とした瞳。
こちらを振り返ると、優しく笑った。
全身の熱が上がる。頬が熱い。
何時の時代の衣装だろうか?
武士のような着物に袴姿、そして腰には刀を二本差している。
「…さん。………やさん………」
澄んだ声が名を呼ぶ。
それは確かに私の名前。
私は、応える。
「………!」
すると、彼は、笑う。
嬉しそうに。
優しく。
目を細めて。

愛しそうに………?

「っ!!はっ!」
セイはがばりと起き上がった。
起き上がると同時に飛んだ布団が勢い余って、壁にぼすっとぶつかった。
「?」
夢を見た。
けれど、その内容は、目を覚ました瞬間に掻き消えてしまった。
思い出そうとするが、少しも片鱗は現れてくれない。
ただ。
「……涙だ」
理由もなくぼろぼろと涙は瞳から零れ落ち、留まる事を知らなかった。
けれどセイは自分で思う以上に冷静だった。止まらない涙をそのままに、視線を上げる。
目に入るのは、竹刀と防具。
徐にベッドを降りると、立て掛けてあった竹刀をぎゅっと抱き締める。
「………い」
言葉にならない言葉が息になって零れ出る。
「?」
しかし、次の瞬間には、何を呟いたのか忘れてしまった。
セイは暫く竹刀を抱き締めたまま、沈黙を続け。

目覚まし時計がなる頃、
自分がした行動を全て忘れてしまっていた。

そしていつもと同じ一日が始まる。

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■はんぶん・19■

桜だろうか、雪だろうか。
薄紅色の花弁が舞う中、笑う一人の少女。
一見したら少年に見える装束。
何時の時代だろうか、着物に袴、そして腰には刀を二本差している。
それでも目の前であどけなく笑うその人が、少女だという事を知っている。
少女は私の姿を見つけると、嬉しそうに頬を染め、はにかんだ。
一瞬にして心を奪われる、その表情。
とくり、と甘い痛みが広がる。
「………おき……」
少女が私の名を呼ぶ。
凛とした声で。声色の中に彼女独特の柔らかさを含んで。
彼女が私の名を呼び、笑う、その姿が好きだった。
「………!」
私は嬉しくなって、少女の名を呼ぶ。
胸の中にいつだって……。

愛くて……?

瞼を開くと、最初に入り込んでくるのは、朝の光だった。
乱反射して瞳の中に入る光は、零れる涙のせいだった。
総司は体を起こして、徐に腕で頬を拭う。
胸の中にはまだ、甘い痛みが余韻を残す。
「………?」
両手を目の前に差し出し、手に残る感触を思い出す。
何かをその手で抱き締めていた。
けれど、それが何だったのか少しも覚えていない。
余韻に浸れたのは、完全に覚醒するほんの僅かな間だった。
「………さん……」
無意識に呟いた名はすぐに空中分解する。

次の瞬間には、全てを忘れていた。

目に映るのは、可愛くデザインの施されたラッピング袋。
数日前、セイに渡されたカップケーキの袋。
何となく、捨てられなくて、取っておいた。

「セイ………」

呼んだその名は、正しいのに、何か違う。
どうしてそう思うのかは、総司には分からなかった。

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■はんぶん・20■

「っはぁぁぁ」
「どうしたんですか?藤堂さん?」
昼休み。いつものように食堂で食事を取っていた藤堂は徐に長い溜息を吐き、対面して座っていた総司は首を傾げる。
「いーやー。ナンデモナイヨ」
藤堂は笑みを返すが、その顔は明らかに不満そうだった。
「藤堂さん。溜息を吐いた所で仕方が無いだろう」
「ソウダケドネ」
藤堂の隣に座っていた斉藤が、コーヒーを飲みながら諭した。
「藤堂君、どうしたの?本当に元気無いけど」
そう心配するのは、総司の隣に座っているサエ。
最近、昼食を一緒にするメンバーはこの四人だった。
「……気にしないで。オレのテンションが上がらないだけだから」
藤堂はぱたぱたと手を振り、苦笑する。
「そう言えば、最近富永さんの妹さん、セイちゃんが一緒じゃないのね?」
「セイさんはそんな、いつも一緒じゃないですよ。いつもはクラスの友だちと御飯を食べているみたいですし」
思い出したように呟くサエに、総司が答える。
「そうなんだ。そうよね。大学生の中に高校生一人交ざってたら、話題も違って交ざりにくいでしょうしね」
「セイさんはそんな事無いんですけどね。あの人気が強いから、年上でもポンポンしっかり意見言うんですよ」
「へー。強いわね。私なら無理かも。自分が高校生の時って考えると、びくびくしちゃう」
「そんなものなんですか?」
「ここの皆は優しいから安心するけど、高校生から見て、大学生って言ったら、すっごく大人に見えなかった?しかも、異性だったら余計に威圧感っていうか疎外感感じたかも」
「………そんな風には見えなかったですけど。セイさんもそうだったんでしょうか?」
総司は今までの事を思い出しているのか、何処か遠い目をして、サエに問いかける。
「セイちゃんは分からないけど、ちょっとはそういう所もあったかも知れないかもね」
サエはそう言って笑う。
そして、思い出したように鞄を漁ると、ケーキ箱を取り出す。
「今日もお菓子作ってきたの、食べてくれる?」
その箱の中身を見て、総司は目をきらきらさせて歓声を上げる。
「うわー!今日はタルトですか!?いつもありがとうございます!嬉しいです!」
早速と、総司は一番に箱の中からタルトを一つ取り出すと、頬張る。
「美味しいです!」
喜ぶ総司の表情を見て、サエは少し頬を染め、嬉しそうに微笑むと、藤堂と斉藤にも差し出す。
「二人も今日もどうぞ」
二人は互いに視線を合わせ、そして、「ありがとう」と手を伸ばした。

サエが昼休みに一緒に食事を取るようになってから、セイと会うことは一切無くなった。
一日に必ず一回は会う、総司とセイだ。当然、そこに藤堂と斉藤がいる事も多い。
だから分かるのだが、今まで最も会う頻度が高いのが、昼休み時間だった。
余程細心の注意を払っているのだろう、セイはその姿さえ見せる事が無くなった。
悲しくも、藤堂と斉藤の予測は当たってしまった。

「そう言えば、今日は高校でセイさんと会いますよ」
二個目のタルトを頬張りながら、総司が嬉しそうに語る。
「え?沖田さん高校に行くの?」
サエが驚き混じりに声を上げた。
「はい。今日は、隣の高校で先生をやってる知り合いがいるんですけど、夜一緒に遊ぶんで、迎えに剣道部に行くんです。ついでに見てけって言われて」
「あんたも行くのか」
嫌そうに溜息を吐いたのは斉藤だ。
「どうしてそんなに嫌そうな声出すんですかぁ。斉藤さんと祐馬さんも今日OBとして稽古を付けに行く事知ってますよ!だから行こうと思ったんです!きっと嫌がるセイさんの顔を見るのが今から楽しみです!」
「総司……性格悪いよ。でもいいなぁ。オレも行きたいなぁ」
うっとりとする総司を窘める藤堂も、羨ましそうに声を上げる。
「藤堂さんも来ればいいだろう。どうせ、あんたもOBなんだから」
すんなりと答える斉藤に、藤堂は嬉しそうに「そっか、そうだよね!オレもOBだもんね!」と笑った。
「セイさんって、剣道部なんだ……。男勝りで強いのね。私も見てみたいなぁ」
「悪いが遠慮してもらおう」
サエの呟きに、斉藤があっさりと断る。余りにもばっさり切った物言いに、サエはびくりと震えた。
その様子に気が付いた斉藤は一つ溜息を吐くと、言い直す。
「悪いが、あまり部外者が多いと、稽古している者の集中力が切れるので、遠慮してもらいたい」
「でも、沖田さんは……」
「沖田さんは先生から直接許可を貰っているからな」
「だったら、私も……」
斉藤の断りの言葉に食い下がるサエは総司を見る。
「……申し訳ないですけど、サエさん。皆さんが中途半端な気持ちで稽古をしていない事を知っているので、そのお願いは聞けないです。私だって、普段は絶対に入れて貰えないんですから」
「だったらどうして……」
その後に『沖田さんは入れる事になったの?』と続くであろう問いが予測できた総司は、サエの言葉を切って、答えた。
「今日はもう一人道場をやってる知り合いの先生も来るので、特別に許可してもらったんです」
「そう、ですか……」
サエは寂しそうに俯いた。