いつかの話をしましょう。
それは今なのか、それとも昔なのか、それともこれからの夢なのか。
わかりません。
わからなくていいんです。
だって、ずっとずっと一緒にいるのだから――。
薄紅色の花が咲き乱れ、空を土を鮮やかに染める。
日差しが柔らかになり、眠っていた命の芽吹きを祝福する。
春。
青葉が生い茂る事で、熱を増す太陽の光を遮り、大地に濃い影を落す。
湧き出す水と恵みが、時折流れる大気が、乾く世界に潤いを与える。
夏。
木々が衣を変え、実りがひとつふたつと新たな命を繋ぐ。
太陽は空を巡る位置を変え始め、黄金色の時の後、長い闇を呼び寄せる。
秋。
凛とした空気と、白い雪が命に暫しの休息と静かな眠りを与える。
何処までも澄んだ空には星が瞬き、白と黒の世界に柔らかな光が瞬く。
冬。
幾度も幾度も繰り返す。
命は巡り、時は巡り、世界は形を変え続ける。
不変なものはない。
同じかたちをしていても、同じものなど一つもない。
いつだって変わり続けることが、生きるという事。
時を重ね、想いを重ね、命を重ねる。
そうして、自分という存在を重ねていく。
照りつける太陽を避け、総司は一人木陰にあるベンチに座る。
はぁと息を吐けば、それさえもすぐに温められ、熱に変わった。
少し離れた場所にある水場で妻と子どもが楽しそうに遊んでいる。
噴水から湧き出る水を溜めた水場には、大人の踝程度に張られた水が満ち、夏の暑さを凌ぐ為に子どもから大人までが集まり、各々に涼をとる。
子どもたちは水の冷たさにはしゃぎ、大人は裸足になって足首だけを水に浸け、縁に腰をかけている。
「あんなにはしゃいでたらすぐに二人してびしょ濡れになるんですから」
そう言って総司が笑うと、案の定ドジな妻が水に足を取られ盛大な水飛沫を上げ転んでいた。
「あらら」
それを見守っていた子どもが笑っている。
寧ろ手を差し伸べ、心配そうに母親の顔を覗き込んでいた。
「もう、どっちが大人で、どっちが子どもなのやら」
今も昔も妻のそそっかしさは変わらない。
そのせいか、子どもの方が余程しっかりとした性格に育ってしまった。
「もー!総司さんも見ていたなら助けに来てくださいよっ!」
全身びしょ濡れになった妻がぷりぷりと怒りながら一旦水場を離れ、己の濡れた服を絞りながら総司に近付いてくる。
「清はいつまで経ってもドジだなぁと思って」
「…それ昔の話も含んでるでしょ。どうせ私は今も昔も生まれ変わってもなーんも進化してませんよっ!」
不貞腐れながら彼の横に座る清に、総司は己が持っていた鞄からタオルを出すと、彼女の頭にかけ、拭いてやる。
「でも、だからこそ安心もするんですけどねぇ」
「そうですか?」
「だって、清が突然凄い進化を遂げて何でも完璧人間だったらコワイですもん。背が三メートルになってたりとか、肩から何か生えてたりとか」
「それは突然変異ですっ!」
「そーなると抱き締めるのも大変そうですしねぇ…色々と不都合も多いし…」
「…せんせい……」
「ま、でもどんな清でも愛してる自信はありますけどね!」
「せっ…せんせいっ!?」
もう結婚して何年も経ち、子どもまでいるというのに何時まで経っても初々しい反応を示す清に総司は笑ってしまう。
「もう、可愛いなぁ」
思わず髪を拭いていた手を止め、妻の腰を引き寄せると、薄紅色に染まった柔らかい頬に唇を寄せる。
「しぇんしぇーちゅーしてるっ!」
二人のやりとりを傍でじっと見ていた子どもが指を差すと嬉しそうに笑った。
総司も笑うと、清から手を放し、子どもを抱き上げる。
「そうですよー。清が大好きだからちゅーしてるんですよー」
そう言って総司は子どものふっくらした頬にも唇を寄せた。子どもも擽ったそうに首を竦めると嬉しそうに笑う。
「しぇんしぇーちゅーっ!」
「大好きだから、ちゅー」
「ちゅーっ!」
そんな二人のやりとりを見ていた清は苦笑すると、落ちていたタオルを拾い、自分の髪を拭いた。
「ねぇ、そろそろお父さんって呼びませんか?百歩譲ってパパでもいいですよ?」
「しぇんしぇー!」
「…もうっ」
総司は不満そうに頬を膨らませると清を見た。
「清が『沖田先生』って呼ぶから、未だに『お父さん』って呼んでくれないじゃないですか」
「だって、沖田先生は沖田先生ですもん。やっぱり一番馴染むんですよねぇ」
「貴女だって『沖田』でしょ」
しれっと笑う清に総司は更に不満顔になる。
子どもは大人だけで会話を始めた事にか、父親の膝にいるのが飽きたのか次の遊びを思いついたのか総司から離れると、また水場まで駆け出した。
それを見遣りながら総司は呟いた。
「この間すっごく失礼な事言われたんですから。『失礼ですけど、沖田さん本当のお父さんですか?連れ子の奥さんと結婚されたんですか?』なんて」
「ぶっ!」
清は思わず噴出す。
「心外ですよ!」
むっつりとした顔で総司は言い放つ。
「もう何百年も清一筋なのに!」
「…そこですか…」
「当たり前です!そこだけは譲れませんからっ!」
子どもの父親が誰かの話よりそっちかよ。一気に呆れ顔に変わる清に、総司は握り拳を作り力説する。
「清だって私だけでしょっ!」
真正面から、しかも質問ではなく、断言されると、流石の清も照れる。少し視線を逸らしぼそりと小さく呟いた。
「……ソウデスケド」
「何ですかその間は!?まさか他に好きな人いたんですかっ!?」
「はい!」と満面の笑みで答えてくれると思っていた総司は、まさかの清の反応に青褪めた。
「そんな訳無いでしょっ!今も昔も、それこそ先生が私の事なーんとも思ってない時からずっと一筋だったんですから!」
清が真っ赤になって反論すると、総司は一気に頬を緩ませる。
頬を赤く染め、嬉しそうにまた清の腰を引き寄せた。
「先生こそ、そのすぐに触ろうとするクセ直して下さいよ。何時でも何処でもするから、ご近所さんに見られてて、笑われるんですから」
「総司です」
「…総司さん」
溜息混じりに名を呼ぶ清に、総司は微笑む。
その笑みに清はどきりと胸を高鳴らせる。
彼のその眼差しに、その笑みに、何時だって弱いのだ。
それだけは、どれだけ時が経とうが変わらない。
思わず、こくりと喉を鳴らしてしまう。
どんな時でも彼女の全てを包み込むような瞳。
本当に彼に愛されてるのだと芯から清の中に浸透し、響く。
愛し愛される事を知ってからは更に。
時を重ねるごとに深く。
甘く、強く、痛みさえ伴って。
それでいて、共有する時を重ねるに連れて、穏やかな安らぎを彼女に与える。
「もうっ!総司さんも濡れてきませんかっ!?」
そのまま引き込まれて甘い余韻に思考が溶けてしまいそうになった清は、振り払うように勢いよく立ち上がると、総司を振り返った。
「…清。そろそろ二人目もいいですよねぇ」
「ばかっ!」
にへらと笑う総司に、清は今度こそそれこそ全身真っ赤になって叫ぶと、逃げるように子どものいる水場へ走っていった。
総司は彼女の後ろ姿を見つめる。
とくりとくりと鼓動が彼の内に響く。
そうして、静かに瞳を閉じた。
耳に届くのは愛しい妻と、我が子の笑い声。
幕末のあの頃からは、今の自分はとても想像できない。
己が愛しい女子を妻に娶り、己と血の繋がった我が子を腕に抱く日が来るなんて。
武士として生きた短い生のその先なんて。
あの時があって今がある。
どちらも大切な日々。
精一杯己の命を生き抜いている。
けれども。
こんなにも満たされる時が自分に与えれる日が来るなんて。
『幸せ』なんて、言葉じゃ足りない。
言葉なんかじゃ陳腐過ぎて表せない、こんな感情が己の中に生まれる日が来るなんて。
あの頃の自分なら酷く不安で、脅えていたに違いない。
それを、こんなにも楽に抱ける日が来るなんて。
生きる事に、
時を過ごす事に、
これ程に楽に呼吸できる日が来るなんて。
総司は一つ大きく深呼吸した――。
ざわざわと風が吹き抜け、総司の背後から背を押すように空へと昇っていく。
その風に押されるように、彼は立ち上がり、そして妻の元へ、我が子の元へ歩き始めた。
『総司』
囁くような声が、耳をすり抜けた。
それは重なるような、ひとつのような――。
総司は振り返り、そして、笑う。
いつかまた、話をしましょう――。
明日のことや、昨日のこと。
もしかしたら夢のことかもしれません。
いつのことですかって?
いつのことでもいいです。
話す日が来るのかって?
わかりません。
いいんです。
それでいいんです。
いつかの話をまたいつかしましょう――。
2021.06.21