fine day

彼女の胸元にはいつも桜の花の形があしらわれたネックレスが輝いていた。

あの頃と変わらない笑顔。
あの頃と変わらない感情が素直に現れる表情。
その仕草一つ一つがあの頃の二人と重なって、またこうして一緒にいられる奇跡にいつだって感謝する。
こんなにも幸せな時間を再び与えてくれた奇跡に。

彼の掌の中にすっぽり納まる彼女の掌。
あの頃と変わらない距離で、今も傍にいる。
「沖田先生。今日はどうしましょうか?」
手を繋いだまま笑顔で覗き込んでくる清に総司は嬉しそうに笑顔を返す。
「そうですねぇ。最近私駄菓子に嵌ってるんですよ」
「…沖田先生の嗜好って意外に渋いですよね」
「だってー。懐かしくないですか?子どもの頃母にお小遣い貰ったら直にお店に行って、なけなしのお金でいかに多く買えるが考えたものですよ」
「あははははっ!先生らしいっ」
「それにね。駄菓子だと昔食べた事のあるものも多いでしょ」
その彼の言う『昔』がいつの事を示しているのか気付いた彼女はまた笑った。
「羊羹とかですか?そりゃそうですけど」
「そして、今日は駄菓子を袋一杯買って、そしてお家で神谷さんに煮しめを作ってもらうんです!」
「…今度は煮しめですか…」
清は少しゲンナリしながら呟いた。
以前『二人が現世で出会ってから一周年記念日』をお祝いする為に清が総司の家へ尋ねるようになってから、彼は彼女に料理を作ってもらう事をいたく気に入ったらしく、それ以降何かの理由をつけては彼女を家へ招くようになった。
『昔』、まだ新選組が貧乏だった頃、清は新米という事とどうにか経費を削減したいという事から率先して厨に経っていた。屯所が移ってから料理をする機会は減ったが、それでも江戸の味付けが懐かしいと総司や他の隊士たちから求められれば作ることがあった。
彼はその頃の清の料理が未だに一番の好物らしく、現代人らしくハンバーグやオムライス等他にも好きなメニューはあるだろうにそれらを彼女に求める事は少なく、専ら純和食を求めた。
清とて自分の料理が好きだと言って貰える事に嬉しくないはずがない。寧ろ喜んで作りに行くようになった。
しかし。
「っていうか…昨日作った小魚の甘露煮はどうしたんですか?」
「そんなの今日の朝には全部食べちゃいましたよ」
「あんなに作り置きしておいたのにっ!」
清はがっくりと肩を落とす。
昨夜も総司の家を訪れて、夕御飯とは別にどんぶり一杯甘露煮を作り置きしてきたのだ。
「だって神谷さんの甘露煮美味しかったんですもん!」
「だってじゃありませんっ!あんなに食べたらそのうちぶくぶくに太っちゃいますよっ!」
「大丈夫です!神谷さん何だかんだ言ったってちゃんと栄養考えて作ってくれてるじゃないですか」
「…そうですけど…」
気が付いたらほぼ毎日のように総司の家へ通うようになっていた清は、やはり彼の体の事を考えれば自然とそうせざるを得ないではないかと言いたい。
総司は一人暮らしだ。
実家が遠方の県にあるので、大学入学を機に一人暮らしを始めたのだという。
「…沖田先生…私がお邪魔するまでどんな生活していたんですか…エンゲル係数かなり高そうですよね」
「うーんと、何か食べてました!」
「何かって何ですかっ!」
「覚えてません。でも取り合えず死なない程度に食べてましたよ。神谷さんが作ってくれるようになってから一杯食べるようになりました!」
「死なない程度って!」
「もう。いいじゃないですか。今は神谷さんが作ってくれるんだし」
笑って返す総司に、清は真っ赤になって、それ以上何も言えなくなった。

変わらない関係。
変わらない距離。
それはきっとずっとこれからも続いていく。
こんな幸せはきっとない。
見下ろせば、彼女の胸にはいつも桜のネックレスが光っている。
それは彼女がこれからも傍にいてくれるという証のようで、総司の心を優しく擽る。

見上げればいつの間にか低くなった空。
真っ青だった空は薄く彩を変えるようになった。
すっかり低空を漂うようになった太陽。
風は少しずつ冷たさを帯び、紅くなり始めた木々の葉を揺らしては落す。
足元に伸びる二人分の影。
今、この時を二人でいられる幸せ。
例え、あの頃の大切な人たちに会えなくても。
彼女一人の存在が彼が時折落ちる孤独という穴を埋めてくれる。

「この間友人に言われちゃいましたよ」
片手には煮しめ用に詰めた買い物袋を提げて、もう片方の手を清と繋いで、帰路の途中、総司は思い出したように笑う。
「何をです?」
同じく総司と繋いだ手と反対側の手に駄菓子一杯入った袋を提げて、清は問う。
「神谷さんは私の彼女なのかって」
「へー」
「違うのにねぇ」
「…ソウデスネ」
前を向いて歩く総司は清がどんな表情をしているのか知らず、明るく笑い飛ばす。
「そのネックレス貴方が付けてるのを見て、誰がプレゼントしたんだって噂になっていたらしいですよ」
「はぁ」
「私がプレゼントしたって言ったら『やっぱり彼女だったのか!?』ですって」
「へぇ」
「皆、そういう物を上げるとそういう風に思うんですね。びっくりしちゃいました」
彼が返答した時の周囲の反応といったら無かった。聞いた当人だけでなく、それが聞こえていたらしい周りの人間まで反応するのだから。
「沖田先生はそういうの本当に疎いですもんね。仕方が無いです」
「神谷さんは、今も昔ももてるんだなぁと思っちゃいましたよ」
明らかに、動揺していたのは男子学生が多かった。そして総司が『彼女説』を否定すると一気に周囲の空気が緩んだのだ。
あの様子はあまりにも滑稽で清にも見せてやりたかった。
「神谷さんももし彼氏が出来たら言ってくださいね。私、お邪魔にならないようにしますから」
振り返り、清を見ると、彼女は笑顔で答えた。
「……はい」
一瞬引っかかりは覚えたが、総司はほっと胸を撫で下ろす。
その後友人に言われた言葉が引っかかっていたからだ。
「私のせいで彼氏が出来なかったら大変ですもんね。あ、でも、彼氏さん出来たら紹介してくださいね。ちゃんとご挨拶しなきゃいけませんし」
「ご挨拶?」
そこで、清は初めて眉間に皺を寄せ、総司を見上げる。
「だって、神谷さんとはこれからも一緒にいるんだから、ちゃんと彼氏さんにもご挨拶しなきゃならないですよね?三人で御飯食べる時だってあるだろうし」
清が何に違和感を感じたのか分からない総司は、慌てて取り繕って見せるが、彼の説明に対して清の表情は段々と呆れへと変わっていった。
「沖田先生。私に彼氏が出来てもこういう風に変わらずにいられると思ってたんですか?」
「え?だって、神谷さん腐れ縁だって。ずっと一緒にいてくれるって…」
「……」
「いえ!勿論二人の時間はお邪魔しないですよ!でも今まで通り神谷さんに御飯作ってもらったり、休みの日に一緒に遊びに行ったり出来ますよね!?」
清の表情が曇るに連れて、総司は段々と焦り始める。
友人の危惧していた事が的中しそうだったからだ。
『ずっと傍にいる、腐れ縁だって言ってくれたって言うけど、彼氏や旦那ができたら流石に今までと同じにはいかないだろう』
総司には何故そう言われるのか分からなかった。
別に総司は清を独り占めにしようとしている訳でも、自分が彼氏と同じ立場になろうとなんて思っていなかったから。
清に彼氏が出来れば嬉しいだろうし、素敵な旦那様を見つけて、お嫁さんになって、子どもを産んで、そういう女の子としての幸せを手に入れてくれたら嬉しい。
けれど、自分はそういうつもりでも他人はそうは思わないらしいのだ。
清の『彼氏』になる人は総司のような存在に嫉妬するらしい。
清も。
「神谷さんも彼氏さんが出来たら、私よりも彼氏さんを大事にするんでしょうか?」
友人に言われた言葉は総司の胸に突き刺さり、まさか清がそんな事をするはずが無いとその場では笑い飛ばしたが、目の前の清の変わっていく様子に不安が募り始めた。
清は困ったように眉を潜め、くしゃりと顔を歪めて、笑顔を作る。
その表情を総司は良く知ってる。何度も見てきた。
それは泣きそうなのに我慢している顔。
「私。彼氏を作る気も、結婚する気もぜんっぜん無いですから!安心してください!沖田先生の傍にいますから!」
それでは困るはずなのに、何故かその言葉にほっとする反面、総司は何故彼女がそんな顔をするのか必死で考える。
彼女にはそんな顔して欲しくないからだ。
いつだって、心から幸せに笑っていて欲しい。自分の傍にいる以上は絶対に幸せにすると決めたからだ。
「神谷さん、どうして泣きそうなんですか?私、変な事いいました?」
「いえ。何でも無いですよ」
「何でも無くないです。そういう時の貴方全然何でも無い筈ないじゃないですか。ずっと傍にいるんだからそれくらい分かりますよ!」
「……」
清は取り繕おうと必死に笑顔を向けようとするが、旨く出来ず、首を振る。仕舞いには俯いてしまった。
総司はどうしてよいか分からず、その場に立ち止まり、道の脇に清を連れて避けると、静かにそっと抱き締める。
その行動にびくりと清の肩が震えたが、直に今度は嗚咽に変わる。

総司は暫くそうして清を抱き締め、空を仰ぐ。
青かった空はすっかり茜色に染まっていた。
筋雲が幾つも棚引き、赤く染まった太陽に吸い込まれるように流れていく。
あの頃と変わらない空。
空だけは変わらない。
そして、あの頃と変わらず、いつだって総司は自分の至らなさに壁々する。
ただ腕の中のこの子を幸せにしたいだけなのに。

暫し、そうしていると、やがて清の嗚咽もすっかり無くなり、涙を拭うと、そっと総司の腕から逃れ、顔を上げる。

「沖田先生に彼女が出来て、結婚しても、先生が私を必要としてくるならずっと傍にいます」

何かふっきれたように、そう笑顔で言う少女に、総司はどきりとした。
とても綺麗な笑顔だったから。
誰よりも傍に感じていた少女の存在が、酷く遠くなったように感じたから。
だから、再び己の腕の中に引き寄せてしまった。
少女によって埋められていた己の孤独が、更に大きな穴に変わりそうだったから。
この子を失えば、それ以上のものを失う気がしたから。

ああ。
友人が言っていたのは、この事だったんだな。
と、総司は初めて気が付いた。

「私が神谷さんを幸せにしてもいいですか?」

互いが傍にいる事を何よりも幸いなのならば。

いつまでもこの幸せを。

この良き日を貴方とともに。

2011.08.21