曇天が続いた数日。
久し振りの青空に、土方は顔を上げ、空を仰いだ。
空が低くなり始めた秋空には白く長い雲が幾筋もの紋様を青の上に乗せる。
軽く首を振ると、また視線を落とし、門衛に軽く手を振ると、屯所を出て、歩き出す。
「お前はいつまで付いてくる気だ?」
暫し歩いたところで土方は振り向かないまま、彼のすぐ後で置いてかれない様やや小走りについてくる小さな影に声をかけた。
「恐れながら、何処までも」
真っ直ぐな凛とした声が返ってくる。
「付いてくるなと言ったはずだが」
「行く先をお伺いしておりませんので」
「西に行くと言った筈だが」
「――昨日、読むつもりはなかったのですが、つい副長が読まれていた文が見えてしまったので」
「何勝手に読んでんだ!?神谷!」
歩調は変えずに、間合いも変わらないまま、淡々と会話を続けていた二人は、土方が振り返る事で歩みを止めた。
「読むつもりは無かったと言ったではないですか」
むっと頬を膨らませ、セイは土方を見上げる。
「じゃあ読んでない事にして帰れ」
「お断りします!」
「副長としての命令だ!」
「私は残念ながら今は副長の小姓です!甚だ遺憾ながら私の務めは副長をお守りする事ですから!」
ぶに。
土方の鋭い視線に、きっとして睨み返すセイの両頬を彼は容赦なくひっぱった。
「にゃにすふんでふかふっ」
「お前はいつも一言多いんだよ」
びにょんと引っ張りきった頬を離すと、土方はふんと鼻を鳴らし、道を振り返った。
「だったら、分かってるんだろうな」
「はい。あれですよね」
セイは睨み付けていた土方から視線を逸らし、彼が見ている視線の先を見つめた。
二人が足を止めた場所は、大通りから少し離れた路地を抜けた場所で、周囲は背の高い草叢で囲まれ、道行く者も少ない場所だった。
その場にいた五、六人の浪士姿の男たちがこちらを睨み付けている。
「女の手の手紙で新選組の幹部を呼び出す奴が未だにいるとは思わなかったな」
「副長、節操が無いから見分け付かなかったんじゃないですか?」
駆けてくる浪士を見遣りながら、二人はそれぞれ抜刀し、素早く構える。
「阿呆。お前が見て気づくものを、俺が気付かないと思うのか。それに全ては覚えてなくともあんな名の女は抱いた覚えがないからな」
「…女ったらし」
「羨ましかったらお前も囲ってみろ!」
「私にはお里さん一人で十分です!」
振り下ろされる刃を受けながら、土方はにやりと笑いながら、隣で同じように刃を受けるセイを見る。
「男は色んな女と遊んで何ぼだぞ!」
「皆が皆、副長と同じタラシだと思わないでください!」
セイは受けた刃を流し、身を引くと、体制を戻す浪士を横目に、未だ刃を交わしていた土方の背後を狙っていたもう一人の浪士の肩を斬り付け、透かさず彼の背を庇う様に背後に回った。
「一応、ちゃんと役目を果せるんだな。お前のような童でも」
彼女の素早い動きに、土方なりの賛辞の言葉が付いて出る。
「童じゃありません!」
そう言って、襲ってくる相手に対峙すると、目の前の浪士はセイを目が合ったと同時にその場に崩れ落ちた。
「全くもう。どうして土方さんも神谷さんもこういう問題を起こすんですかねぇ」
のんびりとした声が倒れた男の背後から聞こえてくる。
「ちっ。お前も付いてきてたのか。総司」
軽く舌打ちをしながら、土方は刃を交わしていた浪士を斬る。
「神谷さんだけじゃ心配だったので」
「私だけでも大丈夫です!」
ぷぅっと頬を膨らませながら、セイは次の相手に向かって駆け出す。
「そういう無鉄砲なところが心配なんですよねぇ」
「過保護め」
「その言葉は甘んじて受けますよ」
くすりと笑う総司の横で、土方は目の前の一人を薙ぎ払い、目の前を走っていたセイも丁度最後の一人を斬っていた。
素早い足捌きで相手の動きを撹乱し、相手が体制を崩した所に透かさず斬り込むその姿。
まるで花弁が風に舞い、踊っているように華やかだった。
「――」
土方は刀に付いた露を払うと、駆け寄ってくるセイを見下ろした。
セイは彼を見上げると、にっこりと笑う。
「ご無事でしたか?土方副長」
そこには――もう幼さは無い。
屯所に戻り、一息ついていた土方は肘宛にもたれ掛かりながら、庭で赤くなり始めた紅葉を見つめていた。
「つまり、俺の後を神谷が追い、その後を総司が追っていたという訳か」
それぞれ適度な距離を保ち歩いていたとはいえ、彼らを知っている者が側から見たら奇妙な構図だ。
「丁度神谷さんに用事があってこの部屋に来たら、二人が出て行くところだったので。神谷さんを共だってにしては二人の距離感もおかしかったし、もしかして…と思ったんですよね。付いていってよかった」
笑う総司に、土方は溜息を吐く。
「俺だけでいいってのに、神谷もゆずらねぇし、お前も変な時にだけ勘働かせやがって」
「いいじゃないですか。楽出来たでしょ?」
その事に対しては反論できない。
確かに土方一人であの人数は少し梃子摺る所だった。…と本人は思っているが、総司にしていればきっと苦戦していただろう。と思うが彼の面子を慮り敢えて言葉にはしない。
いつ以来だかはっきりと覚えていないが、神谷の刀捌きを見たのも久し振りだったが、あの素早さと無駄の無い動きに思わず見とれてしまった。
「まだ副長が不満言ってるんですか?」
二人分の茶を運んできたセイが障子からひょっこりと顔を出し、微笑む。
「俺は何も言ってねぇぞ」
「神谷さんが成長しましたね。と話してたんですよ」
「ほんとですかっ!?」
二人の横に茶を置きながら、セイは嬉しそうに顔を上げる。
「童にしてはまぁ、童なりに役目果たしただろうと言ってやったんだ。童にしては!だからな」
恥ずかしそうに少し頬を染めながら土方は早口にそう呟くが、セイと総司の二人は彼の天邪鬼な言葉遣いに思わず噴出してしまった。
笑う声を無視しながら、土方は茶請けを見る。
「…紅葉か…」
赤い着色をされた子供の掌の様に小さな紅葉の葉の形をした餡が、黒い器の上で秋を主張していた。
「ここの練りきり美味しい上に見た目が綺麗で、神谷さんが土方さんにもって話すからお土産に買ってきたんですよ」
「……そうか」
男が自分の為に…そう思ったらいつもは背筋に悪寒が走っていたものだったが、今は無い。
視線を上げると、総司とセイは楽しそうに笑っていて。
未だ瞼に焼き付いて離れない、セイの軽やかな刀捌きが、ふと目の前の彼女と重なる。
土方は、秋空に視線を上げると、熱い茶を一つ啜りし、ふっと笑みを浮かべた。
2012.10.22