事の始まりは久し振りに近藤、土方、沖田の三人で、島原へ繰り出すという話が上がった所からだった。
最近倒幕派の動きが全くと言っても良い程無かった。巡察の度に2~3人程の浪士は捕縛されるが、それはどれも徒党を組むような者では無く、あくまでも単独行動もしくは何らかの理由で一人になった者そんな者ばかりだった。
おかしい。と感じざるを得ない。
余りにも静か過ぎる。という事は、誰かが手引きをし、新選組から見えない水面下で密かに動いているとしか考えられない。つまり嵐の前の静けさ。何か大きな事を敵が起こそうとしているのは明らかだった。
しかし観察方の努力を以ってしても未だ何処に潜伏しているのかも、目的も読めず、痺れを切らした土方は沖田を連れて、島原へ向かった。妓達はどんな素性の者でも客とあれば敵娼となる。それがどこぞの大地主であっても、卑しい男であっても、浪士でも。男が癒しを求める場所であるが故、ぽろりと戯言交じりに重要な情報を漏らすこともある。しかし、それをみすみす第三者に知らせる事は妓たちだって仕事だ。そう簡単に漏らす事などしない。馴染みの者でなければ。
「・・・・で。どうして近藤さん。あんたがここにいるんだ?」
土方は借りた茶屋の一室でいつものように眉間に皺を寄せ、加えて額に青筋を立てながら、目の前にどっかりと座り、当たり前のように寛ぐ人物を睨みつけた。
「怒るな。トシ。俺だって最近の相手方の動きの静かさに痺れを切らしていたんだ。そこで偶々俺も茶屋へ出向き、偶々この店でお前に会っただけじゃないか」
「だからってな!大将がのこのこ自ら情報収集するな!何かあったらどうするんだ!奴らが何を考えているのか分からないんだぞ!それがこんな処でよりにもよって幹部三人仲良く集まってどうする!」
「大丈夫だよ。何かあったら神谷くんが走って知らせに来てくれる事になってる」
「違うだろ!何かあるかも知れないのは今のこっちのこの状況だろ!」
のほほんと酒の飲みながら答える近藤に、土方は怒鳴りながら訴えるが、近藤自身も百も承知でやっているのだろう、見当違いの答えを返して笑ってみせる。
「神谷さんが来るんですか!?」
「童が来たって何にもならねーよ!」
元々茶屋等、妓の苦手な総司は何かに付けては声を掛けてくる妓達にどう対応して良いか分からないまま曖昧な相槌を打つこの状態から、セイが来る事によって逃れられると、ぱぁっと表情を明るくするが、土方にすぐさまぴしゃりと言い返される。
「・・・私が来て申し訳ございませんでした」
どろどろと暗雲を背に背負い、その透き間から雷の音が聞えそうなほどの怒りを露に、額に青筋を立てながら、セイはすっと音も立てずに襖を開ける。
「おお。神谷君。何かあったのかい?」
セイの怒りに苦笑しながら近藤は部屋へ招き入れる。
「いえ。定期報告に来ただけです。屯所とその周囲には変化が無い事をお伝えに参りました。副長のお邪魔にならない内に退出させて頂きます」
眉間に青筋を浮かべたまま、セイはその場に座して報告を終えると、深く頭を下げ、席を立とうとする。
「えーもう帰っちゃうんですかー。お菓子もありますよ。一緒に食べましょうよ」
不満顔で総司はしきりに目の前にある葛餅を見せて、セイが退出しようとするのを止める。
(エサに釣られて留まると思っているのか・・・)
その場にいた総司を囲む三人は心の中で毒付くが、セイにとって見れば自分を必要としてくれる事と、本人は関心が無いと言うが、仮にも島原、妓と話をする事に多少なりとも喜んでいるのではないかと不安になっていただけに、恋する少女としては、喜びについ口元が緩んでしまう。しかし、ここで流されては、土方に更に馬鹿にされる事は必至。
「お邪魔になってしまいますので、申し訳ありませんが失礼致します」
緩む口元をきゅっと結び、そう告げると、セイは立ち上がる。
それと同時に突然言い知れぬ違和感と緊張が走る。
ばっと無意識に刀の柄に手が掛かり、目の前に座している上司らを見上げると、同時に察知したのであろう。表情が人間から鬼に変わる。
戦い慣れた者が持つ独特の空気。
瞳の色が鋭さを濃くし、表情は張り詰めているのだが、何処か余裕のある笑みを浮かべる。
セイには未だ持つ事の出来ない、斬る事に、血に慣れた者だけが持つ存在感。
和やかだった空気が一瞬にして、細い糸が張り詰めたような緊迫した空間に変化する。
障子の向こうにある明らかな敵意。そして殺意。
「神谷は乗らなかったが、相手さんは乗ってきたようだな」
土方は不敵な笑みを浮かべると、鞘からすらりと刀を抜く。
「『私は』は余計です!」
セイが言い返すと同時に障子が壊れそうなほど強く開け放たれる。
「新選組!近藤、土方、沖田だな!覚悟!」
「断る!」
障子が開いたと同時に響く声に、土方は言い放つと、先頭に立ち乗り込んできた男を難なく切り捨てる。
それを合図に切り捨てられた男の後ろからぞろぞろと数人の男が斬りかかる。
目算で十人程度。
「神谷さんは下がっていなさい!」
総司は人数を確認すると、セイを振り返り叫ぶ。
しかし、そんな事を彼女が了承するはずも無く。
「お断りします!」
と、言い放つと、己に向かって刀を振りかぶる敵の攻撃をかわし、斬りかかっていた。
「総司、神谷くんはお前が指南しているのだろう?だったら大丈夫だ」
近藤は隣でそう言うと、総司は眉間に皺を寄せ、「だから余計に不安なんですよねぇ」、いつも彼女の動きを見ているからと呟き、余計に表情を曇らせて、切りかかってくる男を切り捨てた。
そうしてその茶屋は修羅場と化した。
騒乱を終え、先程までの生死をかけた戦いの熱気により上がっていた室内の温度は、夏の温い風を外から受け、本来の室温を取り戻す。じわじわと広がる死臭と共に。
乱闘の直ぐ後、屯所に詰めていた隊士が数名呼び出され、事後措置にあたった。
入った部屋には身元の不明な浪士が倒れ、足の踏み場も無い。
既に息を引き取った者、辛うじて息をしている者、手足を無くした者。彼ら新選組を襲った浪士たちは、捕縛され順次部屋から連れ出されていく。
床には夥しい程の血が溢れ、畳に染み込んでも尚小さな溜りを作る。障子に飛散した血は乱闘の激しさを物語っていた。
「局長はお戻り下さい。後の処理は自分らが行います」
隊士の一人が処理報告の為に近藤の前に立つと、端的に告げる。
その言葉を受け、近藤は土方を振り返ると、彼は近藤の想像通り憮然とした面持ちで胸の前で腕を組み、既に魂はこの世に無い浪士の抜け殻をじっと見詰めていた。
少しは何か進展するかと期待したが、残ったのは浪士の死体だけ。
捕縛した人間に問い詰めてみると、ただ倒幕派と言う事だけ。
いつもと変わらない事が起こったと言う事だけだった。
「トシ。じっくり行こう。今回は外れただけだ」
「・・・のように見えるんだが、納得がいかねぇ」
落胆と憤りを感じているのだろうと、労いの声を掛け、肩を叩く近藤に対し、土方は倒れる浪士を見詰め何かを考え続けている。
「まあいい。近藤さん。行くぞ。総司!ここは任せて戻るぞ!」
「あ、はい!」
難しい顔をして立っている二人の傍で新しい刺客が来ないか、窓の外を見張っていた総司は振り返り、返答をすると、自分の傍にいて、事後処理を手伝っているであろうもう一人にも声を掛ける。
「神谷さん。行きますよ」
しかし返答は無い。
不思議に思って首を傾げると、未だ騒然とした部屋の中で、目的の人物を探す。
すっかり彼は、休めば良いものをセイが他の隊士と一緒になって、倒れる浪士の世話をしているのだろうとばかり思っていた。
そのはずが、実際は彼女はいない。
「あの・・・神谷なら傷を負ったので、松本先生の所へ他の隊士に連れられて行きましたけど」
余程総司の行動が奇妙に映ったのだろう。一人彼の傍にいた隊士が言い辛そうにそれだけを告げる。すると、言葉を発した彼の表情は直ぐに凍りついた。
余りに総司の見せた表情が恐ろしかったからだ。
そこにある表情は無表情なはずなのに、そこはかとない威圧を感じさせる。それでいて何処か虚ろさを持つ。
感情が無い。
総司の中から感情だけが突然欠如したかのように無表情でいて、虚ろさが、生命あるものがそこにいるという存在感さえ彼から無くなる。
その彼の変貌に思わずぎょっとしてしまったのは、誰よりも彼の幼い頃から傍にいた近藤、土方の二人だった。
「神谷ならさっきの斬り合いで肩に傷を負っていただろう。旨くかわしていたから大事は無いはずだ」
土方が突然豹変した総司に元の姿を取り戻させるように諭すが、彼の表情は変わらない。
「総司」
しかし今ここで彼を向かわせる訳にはいかない。
近藤は狙われている。今は収めたとしても、恐らくは再度襲ってくるだろう。確実な時を狙って。
一隊士の為に、今近藤の周りから戦力を割く訳にはいかないのだ。
しかも、己の感情の為だけに動く事があってはならない。
その程度の人間なら、初めから新選組には置かないし、置いているつもりもない。
土方が戒めるように総司を睨み付けると、彼は笑みを浮かべる。
「行きましょう」
今までに無い空虚な笑みを彼は浮かべていた。
土方はそれを見て、内心痛みを感じる。
悲しみや哀れみや同情ではない。
総司がセイと出会う前の、彼女と出会う前よりも虚ろな笑みを浮かべている事に唖然とした。
彼は元々自分に対して価値を置く事が無い。
腕は立つのに、己の命に対しての執着が無いのだ。
だから戦いの時、彼が負ける事が無いという信頼はあるが、彼が死なないと言う安心は無い。
何時消えても不思議は無い程に存在感が軽いのだ。
それがセイと出会ってから、弟分が出来て、守るべきというか傍に置くべきものを見つけたせいか、己の命に対してもぞんざいに扱う事が無くなった。自分がいなくなれば自分の守るべきものまで失う事を無意識に感じているからであろう。
先刻の二人の行動は取るべき最善の選択だった。
しかし総司にとってのセイの存在感が近藤や土方の想像以上のもので、その事が土方の胸を痛めた。
もし、神谷を亡くしたら。
こいつは。