9.修羅と鬼神1

いつかその時が来ても。
緋がこの身を染め、紅に沈んだとしても。
彼の人が先を往く事、駆ける為の礎となるのなら。
我が願いの成就。
誰にも知られる事も、貴方に知られる事もないだろう。
誠の信念の形成す時。

私は其れだけが全てだった。
私には其れだけが全てだった。

闇の中、獣と呼ぶには薄汚い形をした人影が、己の牙を以って一匹の獣に襲い掛かる。
ギィン。
両方とも互いの腰に差した牙を抜くと、打ち付け合わせ、交差する刃が、ギリギリと不快な音を立てる。
「副長!」
緊迫した状況に少しまだ幼さを残した高い声が、部屋に響き渡る。
場に似合わないな。そんな事を思いながら新選組副長土方歳三は、対峙する敵、恐らくはどこぞの不逞浪士であろう、男と交差する刃に
かける力を抜き、一歩身を引くと、拮抗する力の一方が突然無くなった事により、体制を崩した浪士の腹部に、下段構えから切り上げ、一線する。
「人の心配してるんじゃねーよ!」
飛び散る鮮血と崩れ往く体を見遣りながら土方は余裕の笑みを浮かべる。
「本当に土方さんも神谷さんも目が離せませんよね。二人とも喧嘩っ早いんですから。もう。手のかかる」
「何でテメェにそんな事を言われなきゃならねーんだよ!総司!」
始終落ち着きの無く、しかも自分から問題事を持ってくる神谷清三郎ことセイと同列扱いされた事に、あんな奴と一緒にされては溜まったもんじゃないと一言文句を言おうと振り返ると、丁度総司が二人の二人の浪士をあっさりと切り捨てているところだった。
「まあまあ。神谷君も本気で心配してくれているだけなんだから」
「冗談じゃねぇ!童に心配される程、俺は落ちぶれてねーよっ!」
落ち着いた声で土方を宥める新選組局長近藤勇は、息一つ乱さずに話しているが、その間にも次々に襲い掛かってくる浪士を事も無げに切っている。
緊迫した空気の中、第三者から見れば空気を読めていないのだろうかと思える程、暢気な会話を交わしながら向かってくる敵を切り捨てていく。それが新選組の幹部だった。
勿論セイが彼らのそんな会話に追いつける事も、乗る事も出来るはずが無く、目下の敵と対峙し、斬り付ける隙を狙う事が精一杯だった。
ジリジリと互いの斬るに足りうる間合いを詰めていく。
平均に比べて身長の低いセイは相手よりも常に、必要な間合いが狭い。
一歩読み間違えれば、致命傷を受けかねない。しかし、相手の懐に入っていかなければ、致命傷を与えらず、返り討ちにもなりかねない。
一本の線が張り詰めたように、緊張が走る。
ーーーー相手が先に動いた。
やや腰を落とし、体制を低めに、中段構えに姿勢を変え、セイの左方から彼女の腹部に向かって刀を薙ぐ。
セイはそれに対し、相手の間合いから身を引く事をせずに、一気に踏み込み、相手の懐に入ると、刀の刃を上に向け、一気に胸を突く。
元々素早さのある彼女が間合いとタイミングさえ間違えなければ、小柄な体を逆に生かし、相手の視界から一時的に消えることが出来、懐に入り込む事が出来る。それさえ出来れば後は急所を狙うのみだ。
これであれば、相手の向かってくる慣性を利用して、セイの軽い体重を以ってしてでも容易に相手の急所を貫く事が出来る。
欠点があるとすれば、貫いた刀は抜かなくてはならない。実際にはかなりの力を要する。その為、抜く間、完全に無防備になってしまう事だった。
しかし技量も体力も普通の武士より未だ劣るセイには、今の敵と対して、刀を交えて勝てる自信は無かった。
だからこの方法に全てを賭けた。
男は刀を振り下ろす事は無く、二~三度痙攣すると、その場にどっと倒れた。
彼が重力に任せて倒れるのと同時に、倒れる体と反対に向かって突いた刀を引き抜けば良いのだが、彼女にはまだそれが旨く出来ず、男の体重に釣られて刀と共に床に倒れ込み、膝を付く。
床に垂直に立つ刀を引き抜きながら、セイはやっと余裕を持って周囲を見渡すと、襲い掛かってきた浪士はあらかた絶命していた。
血が飛び散り、畳屋襖に染み込み変色していく部屋を見渡しながら、他に敵が襲い掛かってこないか確認をする。
ふと気配を感じ、とある一方に視線が行く。乱雑に開けられ、ズタズタになった障子向こうの闇から鋭い光を放つものに気が付く。
ぎょろりと凝視する獣のような黄色い眼。
狙う先は徒一つ。
「局長!後ろにいます!」
セイが腰を浮かして叫んだのと同時だった。
彼女の下で絶命したと思われた男が動いた。指だけを這わせ、手に触れたほかの浪士の刀を手にすると、彼にとって最後の抵抗なのだろう、刃を直接握り締めながら起き上がると、セイの頭上目掛けて振り下ろす。
「神谷さん!」
狙われるセイよりも、先に気付いたのは総司だった。
セイと総司は同時に叫び、そしてーーーーーー。

ザン!

----浪士は今度こそ絶命した。
セイはすぐさま己の後ろを振り返り、自分に向かって振り下ろされる刃を反射的に避けるが避けきれず、彼女の左の二の腕から衝撃とも言うべき鋭い痛みが、全身を貫く。紅の花が咲くように鮮血が彼女の腕から飛び散る間も、彼女自身は腕を動かす事を止めず、己の刀の鞘に納まっていた小柄を抜くと、眼を真っ赤に充血させ、牙を見せる男の額目掛けて突き立てた。嫌な触感を彼女に残すと共に、彼はゆっくりと仰向けに倒れていった。
総司は近藤を振り返ると、彼の背後に立つ黒い影を近藤が刀を構え振り返るより先に、その黒い影との間合いをつめ、薙ぎ払う。
それで全てだった。
リンーーーー。
全員が息を潜めた静かな部屋に鈴が鳴った。